第一〇九話
ブリタニア帝国正規軍の行軍中だった隊列も、ダーニッチ某が口にした脅し文句とは裏腹に、街道の随分と離れた位置まで移動して、こちらへ戻ってくる気配は微塵も無い。
オリガさんは、一旦馬から降りて、クリスさんの身体と精神状態を確認していたけれど、彼女は遠くに行ってしまった隊列を睨んだぐらいにして、先程よりは落ち着きを取り戻していた。
今はクリスさんが少し離れた場所で大人しくしている自分の馬の状態を確認しに行って顔や身体を撫でている。オリガさんは再び自分の馬に騎乗して、彼女の準備が整うのを待っていた。
「……ところで、死の堕天使殿はここまでどうやってきたんだ? ……ぷ、くくくっ」
なんて手で口元を隠して笑いを堪えながら聞いてきた。まだ引き摺っているらしい。ちくせう。
……でもまぁ、オリガさんに隠し事をしてもしょうがないので、ここまで来た方法を実演する事にした。
私は胸の前で腕組みをして足元に透明な盾<アンチマジックシールド>を展開させて、馬上に居る彼女の目線の高さまで身体を浮かび上がらせる。ついでに足場にしている<アンチマジックシールド>左右に移動させて、こんな具合に空中移動も出来ますよ、と笑みを返す。ドヤ顔とも言う。
「っ!? ……はっ、えっ、はあっ!!」
私のそんな姿を見て、オリガさんの想像以上の出来事だったのだろう。言葉を上手く発せず、宙に浮かんだ私を見ながら瞼と口を大きく開けて驚いていた。死の堕天使呼ばわりされた気分が心持ち少し軽くなった。
「……カノン、空に浮いてる。本当に天使みたい! 凄いっ、凄い!!」
クリスさんの準備が整ったらしい。後ろから馬に騎乗した状態で声を掛けてきた。彼女の言葉振りから凄く驚いてくれた様子だけれど、天使と言われて精神ゲージがまた削れた気がした。……くっ!
「……と、言う事で、オリガ様、クリス姉様。先に戻ってます」
私は足元の<アンチマジックシールド>を一気に空高くまで上昇させた。べ、別に拗ねて逃げ出した訳じゃ無いんだからね。
「は、はぁーーーーーーっ!!!???」
「か、カノン!? お、オリガ姉様! 大変です! カノンがっ、カノンが消えましたーっ!!」
下の方から、オリガさん達の悲鳴に似た叫び声が聞こえ、ドップラー効果が半ば仕事を諦めた感じの音質で遠ざかっていく。その言葉から二人には私が消えた様に見えたらしいってのは判った。
……ぐっ、急激な機動だと重力の所為か、身体に加重されて動きが鈍くなる感じがする。
森から飛び上がった時と同じぐらいの高さに達した辺りで上昇を止めて、今度はその森を目指して<アンチマジックシールド>を降下させる。大気圏を越えられない弾道ミサイルになった気分だ。や、人間迫撃砲の方が近いかな。
さっきは緊急時だったから感じる暇も無かったのだけれど、高層ビルのエレベーターで階下に降りる時に足元が無くなる不安感、もしくは一瞬発生する浮遊感でお尻の力が抜けるあの感覚が襲ってくる。
着地予定の狩場の森を見下ろすと……視線の端、森の入り口広場でこちらを見上げ指差すイーサさんとサツキさんが居た。それはもうガッツリと大きく目を見開いていた。あと口も。オリガさん然り、驚く時はみんな同じ様な顔をするらしい。
……失敗した。近場だと消えて見える速さでも、遠くからだと距離が有る分視界が広がるから、普通に移動してるのが見えるんだった。しかもサツキさんは目が良かった筈だし、盛大にバレてしまった模様。
私は今更ながらに誤魔化す必要も無くなったと開き直って、着地予定の森の中から広場へと軌道修正させた。
折角だからサービスで、前世のインターネット動画サイトで見たスケートボードやスノーボードの適当なうろ覚えで技の型を模倣しながら、木の葉落としみたいにヒラリヒラリと眼下の広場を中心に緩やかに円を描いて舞い降りた。
「たっだいま戻りましたー」
最後に広場の開けてる場所へ、纏っている黒い外套をフワリと翻しながら着地して、擬似スカートの裾つまみ上げカーテシーのポーズを決めた。
降りてくる際、所々で<アンチマジックシールド>から足を踏み外しそうになって冷やりとしたけれど、気も紛れたし面白かった。満足満足。
「…………」
「……うっぷ、吐きそ」
そんな私の気分とは裏腹に、サツキさんは信じられないものを見たと言った具合で驚いた顔をしたままその場でフリーズしている。
逆にイーサさんは少し反応があったのだけれど、私にチラリと視線を向けてから、直ぐに口元を押さえて草葉の陰に走っていった。私の空中機動を見ていて気持ち悪くなったのだろうか?
イーサさんも騎乗するのだし酔いに耐性ありそうなんだけれど、自分で体感するのは問題無いけれど、視認で脳内に空中機動を想像したから却って気持ち悪くなったとか? ……んー、申し訳無い事をしてしまった。
そんな事を考えながらイーサさんの消えていった方を見ていると、再起動を果たしたサツキさんが恰幅のいい身体を揺すりながら駆け寄ってきた。
「お、おおっ、お客さんお客さん!! ああっ、また瞳が紅くなってる!? いったい何やってんですか!! お客さんが森の中に消えてからこっち色々と急展開過ぎて思考が追い付かないんですが!! 結局オリガさんとクリス嬢ちゃんは無事なんですか? って言うか、なんで空飛んでるんですか!?」
サツキさんは、心に留めていた気持ちが堰を切ったかの様に、マシンガンの如く一気に言葉を捲くし立ててきた。
「あー、空を飛んでクリス姉様を止めに行った。そこで赤服のお偉いさんに絡まれたけれど笑って見逃してくれた。また空を飛んで戻ってきた。……そんな感じ?」
「は、はぁ……」
今北産業風に返したけれど、サツキさんは片眉を上げて納得した様な、納得していない様な微妙な表情をしている。最後疑問系で返しちゃったし、状況説明だけて何一つ彼の疑問が解消する答えをしてないからね。
「サツキ、心配掛けた。カノンの事は、コイツはよく我々の常識から外れて行動するんだ。余り気にするな」
「サツキさん。ご心配お掛けして済みませんでした。イーサも……あれ、イーサは?」
オリガさんとクリスさんが、丁度いいタイミングで戻ってきた。
「オリガさん。クリス嬢ちゃんもご無事で何より。イーサ嬢ちゃんは……お花を摘みに? って言うんでしたっけ。や、しかし一時はどうなるか、どわあっ!?」
サツキさんの背中を、草葉の陰から勢いよく飛び出してきたイーサさんが、思いっきり叩いていた。
彼女の呼吸は荒く、袖で口元を拭う姿は何者かと死闘を演じてきた様な気配を発している。そして私に人差し指を向けて叫んだ。
「お花摘みじゃないっ! カノンを見ていたら気持ち悪くなったの!!」
イーサさんが顔を赤くしているのを見るに、おっさん……男性からお花摘みだと言われたのが恥かしかったのだろう。サツキさんは気遣いのつもりでその言葉を出したのだろうけれど、叩かれた背中が余程痛かったのか地味に涙目になっている。
確かに私が原因だし中身もキモい爺ぃだけれど、その言い方はどうにかならんもんかね。
我が妄想……続き、でした。
読んで頂き有り難うございます。
更新は不定期でマイペースです。
2021.9.9
誤字報告ありがとうございました。
報告のあった箇所は適用訂正しておきました。感謝であります。(ペコリ