鎖につながれて
生きていることを確かめるように、温かな体温を感じる。生きている、それだけを知れれば満足だった。
いつの間にか止めていた息を吐き出す。その音は反響するように思った以上に響いた。
息を再び詰めるようにして、その人は再びそこから出ていく。
気配を感じなくなったことが分かった瞬間、寝ているように目を閉じていた男がゆっくりと瞳を開けた。
「馬鹿なやつだ。生きてることに安堵するならこんなことしなければいいのに」
手についた鎖を呆れたように眺めると、自身の傷ついた傷に口づけを落とす。この鎖を付けた愚か者を愛おしく思うように。
伏せられた瞳にどんな感情が宿っているかなんてわからない。
儀式的なそんな振る舞いを終えると、男は立ち上がる。ジャラッと金属音が耳障りに鳴る。
先ほどの男が置いていった食べ物を一瞬見て、大きなため息を吐き出す。
「俺は喰えないって言っているのに...もったいないなぁ」
戯れに指先でまだ湯気の立つスープをかき混ぜる。指についたスープを口に含んだ男は、心底まずいものでも食べたかのように顔を顰める。
「はぁ...」
ため息を吐いた男は、また寝転がる。男は極上の餌を思い出して、お腹を押さえた。体の芯から迫る飢餓感を抑え込んで笑う。
男は想う。こんな鎖なんて意味がないこと知らない愚か者を。
男は逃げようと思えばすぐ逃げれる。こんな場所にとどまるなんて男を知るものなら、偽物かと疑うだろう。
昔の男も今の自分自身を見たら腹を抱えて笑うだろう。
「なんでだろうな...」
男は想い返す、あいつが人間の理性を捨てて、泣きながら襲ってきたあの時の事。逃げることも、正体を現すことも、襲いかかることも出来たのだ。しかし男はしなかった。
なぜなんて考えることの意味なんてない。ここにいる自分を正当化するために理由をこじつけているだけなんだ。
あの必死な、涙にぬれたあいつの顔を見た瞬間に、なんだかもうどうでもよくなったんだ。自分が何者かも、あいつが最上級な餌なことも。
良く分からない感情が溢れて、どうにもできなかったのだ。あいつの涙は甘くて苦かった。
それを最後までなめとれなかった。その未練がここにとどまっている理由かもしれない。
「馬鹿だなぁ」
男は愛し気に囁く。暗く反響する場所で繰り返される声は、愛を叫んでいるようであった。
どこもいけないのだ。なら想う分は赦してほしい。
「お前の前では、お前が望む感情で向き合ってやるから」
その声はどこか寂しそうで、良く分からない感情に振り回されて男は疲れたように目を閉じる。
明日も同じような日々が来るとそう愚かにもそう思って。
目を閉じてから何時間たったかなんてそんなこと分からない。しかしいつものとは違う気配に目をうっすらと開ける。
固く閉ざされた外への扉が激しい音をたてて開かれた。
扉からは複数の厳つい男たちがどたどたと入ってくる。そして男を見つけると駆け寄ってきた。
「君、大丈夫かい?」
男を心配そうに見つめるそいつらは優しく微笑んだ。
「もう大丈夫だよ。君を閉じ込めていたやつはもういない」
男の思考が止まった。今聴いた言葉を理解できない。こいつらはなんて言った。あいつの顔がまるで走馬灯のように頭をめぐる。最後に出てきた顔は、泣きぬれた瞳を無理やり弧にして愛を囁くあいつだった。
「あいつは...」
「さあ、外に出よう。ああ、可哀そうに傷がついて歩けないのかい?」
侵入者達はおよそ人間とは思えないほど、気持ち悪い化け物に見えた。
「触るな...」
あいつの愚かしさの証を触るな。お前らに何が分かる。ふわふわする意識の中で、外に続く扉の奥で見覚えのある手が落ちていることに気がついた。
全身が沸騰する感覚に襲われる。頭が思考を放棄する。
「そっか... お前は俺を置いていったのか... 閉じ込めるだけじゃ、俺はお前に何もできないと知っていて... それでも、俺を閉じ込めるだけで満足していたくせに...」
今ならわかる、俺はあいつを愛していたのだろう。
ゆらりと外に向かう俺の姿をみて、どこか気持ち悪いやつらは手伝うように手を伸ばしてくる。俺はその手を弾き飛ばした。一瞬で恐怖に染まるやつら。
「なぁ、俺の正体すら知らずにお前らはここに来たのか... 無知とは恐ろしいな」
一瞥もせずに手の元に歩みを進める。見えてきたそれは確かにあいつのものだった。
苦痛に歪んでいるのにどこか安堵しているあいつの顔は、まるで男から逃げられたことを喜んでいるようだった。
「赦すわけないだろ? この気持ちを植え付けるだけ植え付けて逃げるなんて」
男が、亡骸を胸に抱える。その瞬間男の姿が変わった。
およそ人とは認められない姿。異形な化け物がそこに立っていた。
厳つい男たちは顔を引きつらせる。
「ねぇ、この子を殺したのは誰ぇ?」
愉しそうな化け物の声が響く。静寂が続いた。誰も音すら立てない。
「ふーん。そっか... まあ、全員死ぬんだけどね」
ニタリと嗤う化け物の顔は泣いているようだった。
化け物が指を横に一閃する。その瞬間むっとするような血の香りに包まれた。化け物は踵を返す。
胸元の亡骸だけは優しく抱きしめる。扉から出る瞬間、そこで怯えたようにいる少女が目に入る。その子はよく男にタオルや必要なものを運んでいた給仕だった。
唐突に男は理解する。日常が壊れたのはこの少女の所為だと。
少女の瞳に移るのは、狂気と肉欲と独占欲だった。
化け物は少し考える。こいつには永遠の飢餓を覚えてもらおう。
もう満たされることのない自分の飢餓感を教えるように。
「お前もついてくるか?」
少女は零れそうなほど瞳を開けると、コクンと頷く。それを見た瞬間化け物は微笑んでいた。そうだ、そうこなければ面白くない。
「では行こうか」
少女を適当に担ぐと、背中の闇色の翼をはためかせる。
そして、亡骸に接吻を落とす。
「愛している。お前は愛してくれるか? こんな化け物でも」
亡骸がうっすらと瞳を開ける。唇を微かに震わせた。
「愛... してた...」
化け物が亡骸から視線を逸らす。
「そうか...」
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
思いついて一気に書き上げたので、変なとこがあるかもしれません...
良ければまた覗きに来てください