「帝国の息吹」
パラ暦2336年 10月19日。
カルマル王国がザムスジル帝国の侵攻を受け滅亡。
ついに大陸最大の軍事国家が大陸統一のため動き出した。
その悪逆にして残虐な帝国軍に、クリト・エ大陸の全ての国が恐怖する。
この時、アリアはまだ16歳。
女王になって、まだ1年でしかない。
マドリード戦記 女王動乱編 1 「帝国の息吹」
***
パラ暦2336年 10月19日。
クリト・エ大陸の南の小国カルマル王国首都マリエトスがザムスジル帝国軍15万の進軍を受け、陥落した。
ここに、260年続いたカルマル王国は滅亡した。
ザムスジル帝国軍十七将の一人、アシュレット=レ=バルミルク将軍は、王城パルサミラから、燃え上がる王都マリエトスの街を眺めていた。
悲鳴と罵声はまだ続いている。ザムスジル軍兵士たちによる略奪と虐殺は今も続いているのだろう。敗者に対する情は必要ない。歯向かう者への慈悲も必要ない。勝者には敗者の生死を握る権利があり、それはザムスジル帝国軍の権利でもある。
「恨め。自分たちの弱さを」
アシュレットは不敵に嗤う。
この王都マリエトスの主ガルミラ=ジ=パタデクト=カルマル王に全責任がある。
国境が撃破されてから2カ月ほど。降伏する機会は何度も与えた。だが王ガルミラはその勧告に従わず、徹底抗戦に出た。そして両国間の戦争は勃発し、帝国軍に撃破された。王ガルミラは王都攻略会戦の前……『トストル会戦』で戦死。王を失ったカルマル王国軍は壊乱し、肝心要の王都防衛に手が回らず侵攻の障害にもならなかった。
こうしてザムスジル帝国軍は三方向よりマリエトスを攻め、二日で陥落させた。
「十七将が三人も必要なかったのだ。敵ではなく、これは狩りだ。しかし悪くない」
後は滅び行く王都を肴に酒でも飲むか……そう思い立ち上がったときだ。自軍の参謀が姿を現した。
「閣下。バルタイル閣下がお見えになられております。閣下にお会いし、協議したいとの事です」
「バルタイルが? 何用だ?」
「王都制圧の件かと」
「ああ……あいつの頭はかたい。いい軍人だがな。我が軍が制圧して、何時間になる?」
「もう5時間になりますな」
「そうか。ならばもう十分人も殺したし略奪もしただろう。後始末はバルタイルに譲ろう。今をもって略奪と虐殺は中止だ。我々は休息に入る。後はバルタイル将軍の好きなように、と伝えておけ。会うには及ばぬ」
アシュレットは軽薄な笑みを浮かべると、体を休める部屋を探すため歩き出した。
バルタイルは優秀な帝国軍人だが、帝国本軍の所属ではなく北公に所属していて民への愛情も深い。あの男は無駄な殺戮を好まない。捕虜の投降も認める男だ。アシュレットとは反りが合わないところもあるが、かの者の軍略の才だけは認めている。
「城で捕まえた女がいるか? そのうち器量のいい若い女を一人寝室に寄越せ。後は本国送りだ」
捕虜と女は奴隷として本国で使う。貴族の子女は奴隷として高く売れる。これこそ帝国の財だ。
城にいた子女は皆カルマル王国の王族や貴族の子女だ。生かして置いておけば後々反乱の旗頭にされる。だから本国に連れて行く。奴隷となるか、帝国国内でどういう扱いを受けるかは元の地位と本人の才覚、そして器量にもよるが、明るい未来がそこにないことは間違いない。国が滅ぶ前であれば身代金で返すこともあるが滅べばそれを支払う者はいない。しかし、そんなことは先遣軍の司令官であるアシュレットには関係のないことだ。
***
王都マリエトスの惨状を、十七将バルタイル=レウ=セバスと十七将マーニッシュ=ハウ=ドーゼンは眉を顰めながら眺めていた。
「これが帝国の戦いか。どこに名誉がある」
「そう申されますな、バルタイン卿。先に王都に攻め入ったのはアシュレット卿だ。かの者に獲物の自由はある」
「我々は国を獲りにきたのだ。蛮勇を働き婦女子を犯したければ領内でやれ」
「そう申されますな」
「別に俺はカルマル王国の代弁をしているつもりはない。あのアシュレットの事だ。攻め踏み潰すだけでロクな情報収集はしておるまい。パタデクト=カルマル王家の所在、敵将軍の所在、それらの把握をしてはおるまい。帝国皇帝陛下に何と報告する気か? 報告する俺の身にもなってみるといい。戦争は終了したが紛争は続く」
戦争はザムスジル帝国軍の嗜みだが、それでもルールがある。この後この地は南公の支配地となるか帝国直轄地になるか、それは分からないが帝国の支配地だ。残虐さは時に征服地を支配するのに役に立つが、やりすぎれば反乱と反抗の芽が芽吹き、問題を未来に残すことになる。
ザムスジル帝国はただ領土を広げるため戦争をしているのではない。このクリト・エ大陸を統一するという大望と理想の軍事国家を目指し活動している。未来永劫帝国領とするのであればやり方があろう。
……これだけやれば、ガエル共和国やコロクス王国、そしてトメイル王国への牽制にもなろう。だがやりすぎれば反感を受け連中を結集させる悪手なのだが……。
バルタインとマーニッシュの二人はそれぞれ軍司令官として、王都の制圧と兵士の制御を命じた。これによってザムスジル帝国軍の暴力の狂態は一応治まった。
しかし夜も明けきらぬ頃……二人は容易ならない報告と、腹だたしい命令を受ける。
一つ。
アシュレット将軍の指揮下軍団は捕虜と戦果を持ち本国に帰還すること。マーニッシュ将軍は指揮下の軍団を持ってカルメル王国を統治すること。バルタイル将軍は指揮下の軍を北のガエル戦線に向かうこと。これは帝国皇帝ジギルベルド=ルウ=カタトーシスの命令である。
お気に入りのアシュレット将軍はカルメル王国を滅ぼした英雄として凱旋し、人格者であり能力のあるマーニッシュ将軍は面倒な支配地の管理を押し付けられ、戦争巧者のバルタイン将軍はすぐに次の戦線に追いやられる。この命令が陥落当夜に届いたということは、この人事命令は先の会戦でガルミラ=ジ=パタデクト王を殺害した時、カルマル王国の命運は尽きたとして下されたのだろう。
しかしそれであれば王都攻略はマーニッシュ将軍の軍だけでよかった。マーニッシュ将軍であればここまでひどい虐殺は起きていない。結局アシュレット将軍が全て好きなように暴れ、無為に人が死に、女が犯されただけだ。そしてバルタイン将軍は戦争続きで本国に帰り休むこともできない。
それはまだいい。
もう一つ……こっちのほうがはるかに重要だが……パタデクト王家の第二王子トリスラン=ジ=パタデクトと第一王女メスリン=ラン=パタデクトがどうやらこの王都から落ちのび、どこかに逃げたということだ。そして若きカルメル王国の将軍クヌリウス=ジ=アリエウスの消息が掴めていない。どうやらクヌリウス将軍が王子と王女を連れ、王都を脱出したらしい。飛行戦艦も一隻見つかっていない。
王子は21歳。王女は14歳。特に優秀だという話はないが、将軍クヌリウスは優秀な武人で戦士だ。後日報復に出てくるかもしれない。この将軍はアーマーを愛しその腕前もエース級だった。クヌリウスが落ちたとすればアーマーも数機持っているかもしれない。
ザムスジル帝国軍は、この三人の居場所を探すべく軍を動かしたが、ついにその所在は掴めなかった。
何せ王都陥落によって、旧カルメル王国軍の兵士3万、市民20万、主を失いザムスジル帝国を恐れた奴隷4万が難民となってカルメル国内全土に散った。さらに地方に点在していたカルメル王国国境軍4万がザムスジル帝国に対するレジスタンスとして活動を始めた。
やがてこれらレジスタンスは帝国軍の残党狩りに遭い、カルメル王国は焦土と化す。
このカルメル王国の地方名であるクグスの名を取って<クグスの流民>となってカルメル王国を脱出。バルド王国に逃走しに成功した。この武装難民の指導者が、若き27歳の元将軍クヌリウスであることが分かったのは、カルメル王国滅亡から半年が経過した頃だった。
この<クグスの流民>はバルト王国にそのまま落ち着かず、元カルメル王国の難民や兵士を吸収しながら目指している国が別にあると噂されていた。それこそ、クリト・エ大陸東の小国だが軍事力はずば抜けて高い、奴隷やアダの存在しないマドリード……という話だ。
当時の情勢でいえば、その判断は妥当だろう。
現在、ザムスジル帝国の侵攻をまったく受けていないのは、東のマドリードと、南東のトリメルン王国のみである。
大陸中央にあるコロクス王国は全土が戦場となり、ガエル共和国は北半分がザムスジル帝国領となり、トメイル王国も帝国の侵攻を受けている。バルド王国もザムスジル帝国と敵対中、トリメルン王国は王位継承権と国の行く末について意見が二分し、半内戦状態になっている。マドリードは先年まで内乱にあったが、今は新女王が立ち国力は安定し唯一成功を治めている。
そして唯一ザムスジル帝国と軍事衝突していないのも、マドリードだけだ。トリメルン王国は何度か軍を伴う衝突を海上で起こしている。
状況を知ったバルタイル将軍は、マーニッシュ将軍の援護のため、本国にあるレセイン機動騎士団の出兵を要請した。ジギルベルド=ルウ=カタトーシス皇帝はそれに応じた。
レセイン=スバル機動騎士団長は平民出身だが戦闘力に定評のある男で、その騎士団は一個大隊だが戦闘力は並みの一個師団に勝るといわれている。この騎士団がクリト・エ大陸中部を荒らしまわった。
そして、これはクリト・エ大陸とは関係ないが、大陸連邦の内戦も激化し、いくつもの大規模会戦も勃発し、本格的な世界大戦に突入した。帝王チルザ=バトランは西諸国への侵攻を始める一方、パゾ、マルドレイクなど衛星自治国への圧力を強め、その圧迫は密かにザムスジル帝国ジギルベルド=ルウ=カタトーシス皇帝に心理的プレッシャーを与えていた。
今現在、平和なのはマドリードだけかもしれない。
激動のクリト・エの戦国時代は、ザムスジル帝国の暴挙と大侵攻によって、本格的な動乱の時代に突入しようとしていた。
「帝国の息吹」でした。
さて、始まりました! 新章!!
色々悩んだのですが、やはりあまりに長いので、作品を別にすることにしました。
ということで前作「マドリード戦記・王女革命編」は完結となり、この「マドリード戦記Ⅱ・女王動乱編」となります。
このシリーズ完結するのではなく、実は後半戦は「マドリード戦記Ⅲ・覇道編」で完全完結となります。
ということですごく長いシリーズですが、最後までアリア様の活躍を楽しんでもらえたらと思います。
このプロローグではマドリードは出てこず、宿敵となるザムスジル帝国の話です。紹介がてらということですね。
多分しばらくは世界情勢を説明するのに話数を使うと思いますがご了承ください。
もし今回初見で興味をもたれた方は、是非前作である「マドリード戦記・王女革命編」を見てみてください。
さて、前作はあくまでマドリード国内だけの話でした。
今度は大陸全土が舞台となります。
前作でも書いているとおり、「マドリード戦記」というシリーズは「歴史小説」として、後の歴史小説家が歴史小説として書いている作品……という形をとっております。
なので、アリア様が偉大な女帝になることは、公然とネタバレ告知していますが、それも歴史小説であれば当然後世の人間は知っているという前提で物語が描かれているので、その点の楽しみはありません。
そういうものではなく、本当に歴史として、この作品を楽しんでもらえたら嬉しく思います。
これからも「マドリード戦記」をよろしくお願いします。