8話 一章 雑用係に任命されましたが、やっぱりこの最強軍人って…
「今日から一週間、君は私の雑用係みたいなものだ」
フィリウス・ラインドフォードは、衛兵に案内された部屋に入るなり、ベッドにどかりと偉そうに腰を降ろしてそう言った。
まだ、ダンボールに入った荷物さえ手に付けていない状況だ。清々しいほどの単刀直入っぷりに呆れたノエルは、扉の向こうから人が去っていく気配を追いつつ、「そうですか」とぎこちなく答えた。
まだ夜にも早い時間だ。いつもなら夕食後に班でミーティングを行い、その後にマッケイへ報告をして、次の仕事のスケジュールを確認して就寝する――はずなのだが、食堂からそのまま連行される形でココへ来てしまっていた。
今夜から通常任務にあたれないという影響が、早速現れているらしい。
ノエルは、マッケイからの話を悲しく思い返した。というか、こんな人と二人きりにしないで欲しい、と、すぐに去ってしまった衛兵を呼び返したい気持ちになる。そもそも一体何をして過ごせというのだろうか?
いつもの就寝時刻まであと二時間はあることを考えながら、臨時の泊まり部屋のようなワンルームの室内をチラリと見渡した。
師団長クラス向けとあって、部屋はしっかりと作られていて、置かれている調度品も上質だった。大きな窓の下にはサイドテーブルが置かれ、それを挟んで一人用ベッドが二つ設けられている。ベッドは下の階のものよりも厚みがあって、枕も「二人分じゃね……?」というくらい大きい。
片方のベッドのそばには、『ノエル・バラン』と走り書きされた荷物が入った箱が置かれてあった。その向かい側に目を戻してみれば、自分のベッドに腰かけているフィリウス・ラインドフォードの姿がある。
フィリウスは、相変わらず鋭い目付きでこちらを睨みつけていた。目元には『愛想』という字は一切見られないので、もしかしたら、それが地顔なのかもしれないけれど……。
正面から視線を受け止めてみると、顔立ちが綺麗すぎるせいか威圧感も半端ない。重い沈黙にノエルが逃げ出したい衝動と戦っていると、彼がようやく次の言葉を投げ掛けてきた。
「文字の読み書きは出来るそうだな」
「はぁ。まぁ、一通りは……?」
「本は読めるのか」
「へ。ああ簡単な絵本なら、読んだことはありますけれど……」
思い出しながらそう答えた。幼少の頃、絵本を入手してディーク達に読み聞かせていたことがあった。この世界の言語は前世と同じだったから、そうやって読み書きを教えたのだ。
親もなく、教育も受けていないのにとマッケイ達には少し驚かれたものだ。
でも難なく読めるのは、せいぜい絵本くらいなものだろう。ノエルは前世も孤児で勉強などしたことはなく、事実、騎士達が戦地に持ち込んでいた小説はとても難しかった。
そう思い返しつつも、ウィリウスの質問の意図は分からない。
あ、もしかしたら能力値について確認しているのかな。そう小首を傾げてしまったノエルは、ふと、緑の騎士になったばかりだった頃のことが浮かんで「なるほど」と思った。
「軍の規律や、ここのルールについては書面でもきっちり確認したか」
「えっと、僕らには読めない難しい綴りがかなり多かったので、マッケイ師団長が分かりやすく読み解いて、規則とかについても一緒に確認してくれました」
「計算は出来るか」
「金銭のやりとりとか、簡単な計算くらいですかね」
ノエルは、質問に答えていきながら「もしや」と不安になった。
雑用係では難しいことをさせられるのだろうか……思わず表情に出たら、フィリウスが秀麗な眉をチラリと寄せた。
「なんだ? 何か気になることでもあるのか」
「……あの、雑用係という立ち位置がちょっと分からないというか……え~っと、その、一日のルーティンとか決まりは、どういう感じになっているのでしょうか?」
「起床は日中勤務時間と同じ朝の五時半。私個人への任務や騎士団としての業務、会議への出席等には付き合わなくていいが、可能範囲内の行動は共にしてもらう」
「つまり緑の騎士としての業務を越えるような仕事には、関わらなくてもいい、ということですか?」
とすると、一日中ずっと付き合うことにはならなさそうだ。彼は昇格試験の関係でしばらくいるだけで、普段からこちらに立ち寄れないくらいには忙しいだろう。
じゃあ日中は結構自由かも、と考えていると、「そうだ」という返事があった。
「私がみられない時間に関しては、いつも通りマッケイ師団長に行動指示をもらえ。それから、ここに滞在している間は、私も時間が合う限りは彼と同じように一階の食堂で食事をとる」
「え」
「何か問題でも?」
冷やかに問われて、ノエルは「いえ、なんでもないです」と慌てて言った。
階級の高い人間が、第一棟などの食堂を利用することはあまりない。毎日ノエル達と同じ席で食事をとる隊長格の人間は、ここの最高責任者でもあるマッケイくらいだった。
室内に、再び重い沈黙が流れた。フィリウス・ラインドフォードは、こちらをじっと見つめたまま微動だにしないでいる。
まさかこんな時間がずっと続くわけじゃないよな、とノエルはゾッとした。
「あの、つかぬことをお訊きしますが……」
沈黙を破るために声を出したところで、ふと、気になっていた部分を思い出す。
「えぇと、基本的に夜は自由ですか?」
「何を言っている? お前は『緑の騎士』として、引き続き規律に従って行動する義務がある」
緑の騎士としての生活リズムに変わりはないということだろう。それならばと思ったノエルは、強い緊張を強いられる時間から少しでも解放されたくてこう言った。
「えっとですね、第一師団長、さん?」
呼び方に少し戸惑って、ちょっと言い方に詰まってしまう。
「その、緑の騎士は夕食後にミーティングをしています。それから自分達の上司に報告して、その日の業務が終了するという流れなのですが……もう第一師団長さんの今日のスケジュールが終了しているのなら、僕は緑の騎士の第二班長として、下の階に行ってきてもいいですか?」
失礼がないよう、自分なりに言葉を選んだつもりだった。しかし、出だしからフィリウスの眉間には深い皺が入ってしまっていて、睨みが強くなってノエルは死にそうになった。
彼は、じっと食い入るようにこちらを見てくる。何か逆鱗に触れるような態度をとっただろうか。彼女は困惑し、自然と引き攣るような笑みを口許に浮かべてしまっていた。
「……ぇと、なにか……?」
背筋が冷えるような沈黙に耐えかね、思わずそう尋ねた。
そうしたら、数秒ほど考えるような間を置いた後、フィリウスがおもむろにこう言った。
「お前は、ロックフォレスという『魔術師』の名前を知っているか」
「は…………?」
唐突にそんなことを尋ねられても分からない。ロックフォレスという名前にピンとくるものがなかったノエルは、けれどやけに胸が不安で騒いで、心臓がドクドクした。
記憶を辿ろうとしたところで、この世界に『魔術師』という言葉がなかったことを思い出した。ここには魔法を使える人は存在していなくて、尋ねれば誰もが不思議そうな顔をする。
嫌な予感が込み上げた。考えまいとしていた最悪の可能性が脳裏をよぎって、ノエルは知らず一歩後退していた。
「知りませんけど……」
そう答えた途端、フィリウスが射殺さんばかりに睨み付けてきた。まるで追い詰めんとするかのように、言葉を続けながら威圧感をまとってゆらりと立ち上がる。
「ロックフォレス――、ロックフォレス・アーミー・アシュベルト。主に『アシュベルト家の』と呼ばれていた魔術師だ」
彼は、今度はハッキリと『魔術師』と語句を強めて、そう言ってきた。
その家名を耳にした瞬間、ノエルの古い記憶がパッと呼び起こされた。危くもう少しで叫び出しそうになって、彼女は「うぇっ」とつぐんだ口の中で声を押し殺す。
アシュベルトって……すっかり忘れてたけど、あのヘタれでしつっこかった魔術師野郎の家名じゃんか!
やっぱり第一師団長って、と、ノエルは顔を引き攣らせてしまった。