4話 一章 不穏&最強の騎士団長
結局、反省文を最低でも三枚書く事になってしまった。おかげで書き終わり、警備の衛兵に証拠のごとくそれを見せて反省室を出た頃には、とっくに午前の九時を過ぎてしまっていた。
ノエルは、三枚の反省文をくるくるっと丸めて片手に持っていた。それを提出すべく、ディークと共にマッケイの執務室へと向かいながら、徹夜明けの目には眩しい青空を仰いだ。
「うわぁ、朝の光が目に痛い……」
「そうだなぁ。朝飯食いっぱぐれちまったなぁ」
言いながら歩いていると、損壊した建物の裏手に差しかかった。
見上げてみると、ジニー達の部屋があったはずの場所には、大きな穴が開いているのが見えた。ひび割れは上下両隣の部屋にも及んでおり、職人たちが修繕作業に当たっている。
その様子を眺め歩きながら、ノエルは自分達の置かれている状況を静かに思い返した。
緑の騎士団は、親もいない一般出の少年達が、王国騎士になれるチャンスがある。それだけでなく、血筋や家柄ではない実力主義としての昇給制度も用意されていた。
ノエルとしては、結構いい話なんじゃないかなとも思っていた。たとえば男だったら確立した地位や収入が必要だろうと、可愛い子分達のリーダーとしては考える部分もあった。
助けて、拾って、面倒をみて、いつの間にか子分が増えていった。今世で初めて『戦争の終わり』を迎えた時、ふと、子供グループの親分となった自分の最後の仕事は、これから大人になっていく彼らの将来を考えて、見送ることなんじゃないかと考えさせられた。
だから流れるまま緑の騎士団になった後、その件について「真剣な話があります」と仲間達を集めて話した。
自分は女だから、きっとすぐバレで出されてしまうだろう。でも皆は、ここで残って頑張っていける。そうすれば、あなたたちは職には困らないだろう、と。
でも彼らは、女であるノエルと同様、今の環境に全く執着を見せなかった。
『ふふっ、俺らはここでお別れする気はないよ。だからずっと付いて行かせてよ、リーダー』
『そうそう、リーダーがバレたら、皆で揃って辞めちまえばいいんだって』
『全員で楽しくいられない場所になんて、俺達は未練がないんだぜ、リーダー』
戦地で彼らを拾って、生きる術を教えて少し世話をした。
いつの間にか背丈を追い越すメンバーが増え始め、今では最年少のミシェルもノエルの背と並んでいた。それでも彼らは、相変わらずノエルのことを『兄貴』『リーダー』『親分』と慕って付いてくるのだ。
ノエルとしても、彼らは可愛い弟分で、大切な子分達だった。もし、将来の相談事を持ち掛けられたら、その時に改めて考えてあげればいいかと今は気楽に構えている。
「俺としては、反省文の提出で一旦終了、じゃなくて、今回わざわざこうやって呼び出されているのが少し気になってるんだよな」
ふと、隣を歩いているディークに声を掛けられ、ノエルは回想を止めて視線を向けた。彼は「多分だけどさ」と、自分よりも低い位置にある彼女と目を合わせて言う。
「ジニー達の部屋が使い物にならないから、その件もあるとは思うんだけど」
「この前みたいに、残りの二部屋に振り分けるんじゃない?」
「うん、俺もそれは想定してる。でも確か上の階って、各隊長クラスが寝泊まりするところだろ? タイチョーがあれだけ怒っていたってことは、タイチョーの部屋だった可能性もあるわけで」
そう続けられた言葉を聞いて、ノエルは「あ」と気付く。
つまりココで寝泊まりする部屋がなくなって、寝る場所だけでも貸せという相談でもされたりするんだろうか。想像するものの、やっぱりそれはそれで嫌だなと思う。
「タイチョーと一緒だったら、寝相一つで文句言われそうでやだなぁ……。寝る場所がないからってタイチョーに言われたら、その時はザスク達の部屋に押し込んでもいいかな」
「安心しろよ。そうなったら、ザスクだけじゃなくて、トニー達も進んで自分達の部屋に呼ぶだろうから」
彼が吐息混じりに言って、ふぅっと前髪をかき上げる。
ノエルはちょっと意外そうに、大きな目をぱちくりとした。
「あれ? トニー達って、タイチョーと一緒の就寝とか大丈夫なの?」
「――あっちの部屋には、ザスク含め説教のかわし方が上手い奴らが揃ってるだろ。だから、そうなったら、まぁそうするんじゃないかって話だよ」
ディークが少し考えつつ、明確な回答を避けて当たり障りなくそう答えた。
王宮隣に建てられている騎士団の第一棟は、見習いや定住のない緑の騎士の生活寮としても利用されている。一階には大会議場と食堂の他、広々としたサロンがあった。
奥には衛兵も利用出来る手狭な仮眠室。二階から三階が宿泊部屋で、四階部分に隊長クラス専用の個室が設けられ、最上階が軍事関係の会議室、応接室、執務室となっていた。
基本的に寮として使用されている部屋以外は、専用のメイド達が丁寧に清掃している。隊長クラスに割り当てられている階と、最上階に関しては、定められた階級以下の人間が立ち入らないよう専属の衛兵が番に当たっていた。
ノエル達は、騎士団の執務長官も務める第二師団長、マッケイの執務室に向かうべく第一棟の回廊に足を踏み入れた。
ふと、回廊を歩く騎士達のざわめきに気付いて足を止める。
目を向けてみると、ちょうど大会議場から、隊長階級の男達が数人出てきたところだった。彼らの胸には金の勲章とバッジ、腰には王から与えられた家紋入りの剣があった。
そんな三十代後半以上という隊長達の中で、一人だけ若い男が混じって、異質な威圧感を漂わせて先頭を歩いていた。
二十七歳、ラインドフォード第一師団長。
この国では珍しい漆黒の髪と紫の瞳を持った、冷やかにも見える美貌の持ち主で、侯爵家の長子としても高い身分にあった。魔王との戦いで勇者と共に大きく活躍したとして、最強の騎士の名誉も与えられたことでも知られている有名な男だ。
王国騎士団の第一師団は、騎士団の中でトップに君臨する王直属の最強部隊軍である。
その師団長であるラインドフォードは、全十三ある騎士団をとりまとめる権限を持ち、いずれ軍部のトップである次期総隊長としての将来も確定しているエリートでもあった。
名前は、確かフィリウスといったか……。
そう思い出しつつ、ノエルは半ばディークに隠れるようにして息を潜めた。
フィリウス・ラインドフォードが、この若さで第一師団長であるのも実力があるからだ。冷酷無情、もっとも厳しい上官、触らぬに祟りなしという噂は緑の騎士の方まで流れていて、マッケイからも「第一師団長にだけは失礼なことを起こすなよっ」と何度も念を押されていた。
ノエルとしては、その忠告を受ける前から「第一師団のフィリウス・ラインドフォード」という名前を頭に刻み付け、絶対に関わらないでおこうと決めていた。
実は終戦祝いの際、王が国民に紹介するのを見た時、遠目でもあるにもかかわらず一目で「魔術師野郎!?」と思い出すくらい似ていて驚いたのだ。あそこまで美麗ではなかったように思うものの、十七歳の少年だった彼を十年分成長させた感じもある。
生まれ変わりかもしれないなんて、可笑しな話だろう。こうやって魔術師も存在していない世界で、二度目の人生を送っているだなんて自分くらいなものだろうとは思う。
他人の空似なんてざらにある。
そもそも本人だったとしても、前世の記憶がある可能性の方が低い。
そう自分を安心させるように考えてはいるものの、用心に越したことはないだろうとも思っている。
何せ怖いのは、今度こそぶちのめしてやるという復讐劇である。
名前で呼んだことはないため、あの魔術師野郎の名がなんだったのか思い出せない。彼が自分の産まれた家の身分と、男子として魔法以外の戦闘術を持たないことに不満を持っていたのは覚えているので、本当に生まれ変わりだとしたら、今の生活には十分満足しているはずだろう。
そんな中、前世の因縁で、圧倒的にレベルの差がある今世で睨まれるのは勘弁願いたい。反省しているんで、今の幸せのままそっとしておいてくださいという気持ちがあった。
おかげで、ますます奴にそっくりになる美貌の不機嫌面には苦手意識を覚えている。そういえば最近、ラインドフォード師団長がだらしのない部下を殴り飛ばしたと噂で聞いたが、果たしてその哀れな部下は生きているのだろうか……。
そう思い返してしまっていたノエルは、ふと、ディークにチラリと視線を寄越されたのに気付いた。
「リーダー、なんで俺の後ろに隠れてんの?」
「へ? あ、その、なんかあの人苦手というか……タイチョーにも注意しろって言われたし、危険は前もって回避しておこうかなと」
つい、うっかり軍服を掴んで隠れてしまっていた。言い訳のようにそう答えながらノエルが手を離すと、ディークが共感したかのように頷いてきた。
「確かにな、俺もあの人は苦手だ。なんつーか、ウチのタイチョーとは威圧感も比べ物にならねぇし」
回廊で騎士の全員が足を止めて、息を潜めているという異様な緊張感が広がっていた。
これは関わらないいでおいた方がいいだろう。そうノエルとディークは目線で伝え合うと、一つ頷き合ってから、そっと退場すべく隊長達の行進に背を向けようとした。
その時、ふと、隊長集団の後方にあるサロンの扉から、これから執務室で会うはずのマッケイがこっそり顔を覗かせていることに気付いた。
彼は若干焦ったような顔で、こちらに向かって「こっちに来い、速やかにッ」と合図して手招きをしている。そんな彼の姿を目撃した緑の騎士の少年二人が、見ない振りに徹してもいた。
「…………何やってんの、あのおっさん?」
「…………さぁ? つかリーダー、あの人はタイチョーで、いちおう俺らの上司だからな?」
「公の場でリーダーって言うな」
ノエルはマッケイを訝しげに見つめたまま、ひとまずはそう言う。
「つか、そんなの知ってるし。僕は班長で、あいつの部下だもの」
「でも俺達のリーダーは、あんただけだぜ」
「なんだそりゃ」
そう、こそこそとされるやりとりが聞こえたのか、隊長クラスの行進を固唾を呑んで見守っていた若い騎士の一人が、不意にノエルとディークに気付いて「あ」と声を上げた。
「部屋を爆破した問題児組……」
珍獣を見るような呆け顔で、彼が控えめながらそう失礼な発言をする。
その声と共に、フィリウス・ラインドフォードがピタリと足を止めた。一気に空気が張り詰めたような威圧感が広がって、彼に続いていた屈強な中年の男達も歩みを止める。
気温が、氷点下まで落ちたような殺気に似た冷気が漂う。
回廊にいた全員が、その空気を肌で感じ取って動きを止めていた。回廊に居合わせた騎士達が、恐縮と同情が見て取れる表情で、恐る恐るノエル達の方を見た。
不意に、フィリウス・ラインドフォードが、ゆっくりと踵を返した。
そのまま顔を向けられたノエルは、彼の表情を見て息を呑んだ。美しい顔には、別世界のまだ十七歳だった彼以上の鋭い険悪さが浮かんでいて、暗黒の夜空に輝くような美しい紫の瞳でこちらをハッキリと睨み付けている。
自分達がこのように注目されている理由が分からない。ここで愛想笑いでも浮かべたら、すぐに斬られそうだとも感じて、へたに動けずノエルの顔は自然と引き攣った。
「多分、そのまま逃げたらアウトだからッ」
無意識に後ずさった彼女を、ディークがさりげなく押し留めてこっそり告げる。
失礼にあたらない程度に対応するしかないと手本を見せるように、彼が隊長達に向かってぎこちなく笑いつつ後ろ手を組んで背筋を伸ばした。ノエルも彼の隣で軍人立ちをしたものの、さて、どう退出すればいいんだと引き続きぐるぐると悩まされていた。
班の副官が、班長よりも先に口を開くのは無しだとは分かっている。自分がどうにかしなければと、この場をやりきる言葉を必死に考えながらも「あの」とぎこちなく言った。
「こ、こんにちは……? えぇっと……、それじゃあ僕らはここでッ」
そう言い切った直後、ノエルは肘で逃走合図を送って足早にサロンへと足を向けた。呆気に取られていたディークが、すぐに後ろから続いて小声で叱り付ける。
「そんな対応あるかッ」
「仕方ないじゃん、頭真っ白なんだもんッ」
ノエルは混乱のままそう詫びた。
その時、「リーダーッ」と場違いな声援の声が回廊の外側から上がった。聞いた途端に、ノエルとディークの表情がピキリと音を立てて固まる。
そちらへ顔を向けてみると、同じ第二班の仲間達の姿があった。目が合うなり、我先にと回廊の窓から身を乗り出して手を振ってくる。
「良かった、反省室から出て来られたんスね!」
「リーダー、朝食食いっぱぐれてたんで、ジニーが厨房を手伝った時にサンドイッチを作って置いてあるぜ!」
「リーダー! 小麦粉禁止令が出たってマジか!? あれは改良の余地あるのにッ」
「すいません、俺ら短い説教受けた後ちゃんと寝ちゃいました」
「ミシェルが心配しすぎて倒れちゃったんで、休ませてますよ~」
だから、今、この場所でリーダーって言うなよ。
次々に報告してくる仲間達を前に、ノエルは泣きたくなった。向けられ続けているフィリウス・ラインドフォードからの視線が、ますます鋭くなったような気がする。
すると、痺れを切らしたらしいマッケイが、サロンから飛び出してきて硬直するノエルとディークの襟首を掴まえた。それから、キリッとした顔を向けると「用があるので失礼する」と一言告げ、実に大人の対応でその場を後にしたのだった。