36話 四章 問題児集団の第二班と警備
ノエルは会場を進んで、クレシスを連れて第五テラスへと出た。
下を覗き込んでみると、そこには見回りに行っていたディーク達も戻っていた。どうやらこちらの動向が気になったのか、巡回を自主休止していたようで全員が揃っていた。
「あっ、リーダー。そっちにいたの?」
「すんげぇ美少女なお嬢様に指名受けたって聞いたんスけど、マジ?」
「庭園までの散策、大丈夫でした?」
そう次々に質問を投げられたノエルは、まずはミッチェルのことについて話し聞かせた。すると一通り聞き終わったところで、ディーク達が「なるほど」と察した顔で頷いた。
「つまり、あの猫みたいな令嬢様は、鬼師団長に憧れていたけど恋じゃなくて」
「結局は、夢見た『王子様』にノックアウトされた、と」
そんな中、トニーは涙を流しながら「失恋か……」と悔しそうに涙を拭っていた。他の面々は「十五歳で見合いとか早いなぁ」と、貴族社会への素直な感想を口にする。
「で? そっちで、呆れ果てたようにこっちを見ている『副師団長さん』は?」
トーマスが、今更のようにメンバーの疑問を代表して問う。
その時になってようやく、ノエルはクレシスの腕をガッチリ捕獲したままの状態であったと気付いた。もう反論する力もない様子でいる彼から手を離して、仲間達に言った。
「実はさ、この通りすっかり弱っているみたいで」
「リーダー、なんかしたの?」
「してないよ、失礼な」
とりあえず一人ずつ、慰めの言葉を言ってみるようにとノエルは促した。事情を説明されてもいないディーク達は、婚約者か師団長関係と推測して元気付けるように言葉を掛けていく。
そうしたら、少しもしないうちにクレシスが怒ってしまった。
「もういいッ、仕事に戻る!」
そう苛々したように言われて、ノエルは仲間達と揃って首を捻った。まぁ、怒鳴るくらいの元気は回復したみたいだからいいか、と思って踵を返してこう言った。
「じゃ、師団長さんによろしく」
そのまま手すりに足を掛けた途端、クレシスの顔からさーっと血の気が引いた。
「何をする気ですか、まさか飛び降りる気じゃないでしょうね? ここ、結構な高さがあ――」
「また口調が『金魚の糞』に戻ってるよ? クレシス」
「だからっ、金魚の糞呼びはやめ――」
「僕は、下に戻るから」
ノエルはそう言と、バイバイと手を振って外へ飛び出した。彼の驚いた声を聞きながら、空中で一回転を決めて見事に着地を決める。
それを見届けたディーク達が、面白がって笑って迎え入れた。
「さっすがリーダー」
「百点万点っす!」
「あはは、リーダーあの副師団長さん真っ青だよ」
言いながら、再会の挨拶のように互いの手を叩き会っていく。そんな少年組を、クレシスはしばらく唖然としたように見下ろしていたが、弱々しく頭を振ると説教も諦めたように去っていった。
全員が集合したところで、とりあえず仕事をするかと巡回業務が再開した。
とくにこれといって問題もないまま、時間だけが過ぎていった。
ノエルとしては、ミッチェルの他にも『何か』あった気もしたけれど、最後にあったクレシスのよく分からない動揺っぷりが印象的で忘れていた。
夜会がそろそろお開きになる時間が迫った頃、巡回にも飽きがきた。
帰る参加者達も出始めているのか、会場の賑やかな声も少し落ち着き出している。再び全員が揃ったところで、誰が声を掛けたわけでもなく皆でその場に腰を落ち着けた。
「まぁ、令嬢様に関しては良かったんじゃね? 相手の王子様が気に入れば、すぐにでも婚約だろ」
皆で星空を眺めて一息ついていると、暇を潰すようにトーマスがそう言った。するとディークが欠伸を噛み締める向かい側で、仲間の一人が首を捻る。
「なぁ、ディーク。ここの結婚っていつから出来るんだ?」
「この国じゃ男が十八、女は十六から結婚出来るらしい」
「じゃあ、あの惚気の落ち込み副師団長はまだ先だな」
ザスクが、「まぁ興味ねぇけど」と付け加えつつ述べる。近くの木に背を持たれて座っていたジニーが、大きな身体を揺らして数えるように宙を見やって呟く。
「婚約者が十五歳……そうすると、来年?」
「おぅ、そういうことだな。あいつの結婚は早くても来年ってこった」
「結婚すりゃ、あのイケメン坊っちゃん副師団長の憂いも、なくなりそうだけどな。アレだろ、あんま会えないから精神的にブルーになってんだろ?」
「くそぉ、イケメンなんて滅びろッ」
各々好き勝手口にし、最後はトニーが怨みことを口にして一旦会話が途切れた。
そんなノエル達の様子を、少し離れた場所から衛兵達が覗き込んでいた。監視兼指導役をもらっている彼らは、どうしたらいいのか分からずに互いを見合ってこそこそと話す。
「…………見回り、まだあるよな?」
「……つまりサボリ……?」
「一旦、報告しておいた方がいいのか?」
その間も、地べたに座り込んだノエル達は、姿勢を楽に頭上の夜空を仰いでいた。
夜会の明かりが眩しすぎて、夜空の星が霞んで見える様子をしばらく無心で眺めていた。次第に、テラス側から聞こえてくる声も少なくなってくるのを感じた。
とうとうトーマスが横になって、ミシェルも超大柄なジニーの膝の上でごろんとした。
非常に暇であるし、じっとしているとやっぱり眠くなる。
ノエルは、大きな欠伸をこぼしてしまった。同じ木に背を預けていたザスクが、つられたように欠伸を一つして、支給されている剣を鞘ごと地面に突き刺しつまらなそうに言った。
「盗賊とか暗殺者とか現れて、乱闘でも起こってくれねぇかなぁ。そいつらなら、ぶっ殺してもいいんだろ?」
「相変わらず物騒だなぁ。もっと平和的にスマートに行こうじゃないか。一瞬で息の根を止めてやるか、半殺しで少し長めに楽しむかの二択だろう?」
夜風の音を聞いていたナイルが、品のある穏やかな微笑でザスクを見つめ返した。言葉には物騒な単語が混じっているが、その表情に微塵の悪意も見えない。
「とりあえず暇なら、素手での取っ組み合いでもしようか?」
彼に続けてそう提案されたザスクが、「ふん」と鼻を慣らしてそっぽを向いた。
「お前の技は苦手だから嫌いだ。のらりくらりと回避しやがって、そのうえ確実に仕留められるところを狙ってくるのも性質が悪い。――まぁ、素手の取っ組み合いなら、俺と互角に勝負が出来るジニーの方が断然いいな」
そこで、ザスクは唇を舐めてジニーへと視線を向けた。それぞれが独学で戦う術を身につけているため、素手の取っ組み合い一つでも癖と個性が出てしまうのだ。
ジニーが、やんわりと苦笑を浮かべて断るような仕草をする。そうしたら、彼の膝の上にいたミシェルが思い付いたように小さく挙手した。
「ナイフ投げなら簡単じゃない?」
言いながら、可愛らしい手に五本の銀ナイフを出した。
それはミシェル特性で、大剣を振り回し慣れたメンバーには『軽く投げる』という加減調整が難しい。以前、観賞木に何度も貫通させてしまってマッケイに怒られたのを思い出したノエルは、却下、と手で合図を出してこう言った。
「それも無理だと思う。普通のナイフならいけると思うんだけど、僕ら高確率で貫通させると思う」
他の案を考えるよう促すと、ミシェルが「そっかぁ」と残念そうに言って、小さな手に揃えていた『暗器』を一瞬にして袖に隠した。
さて、どうしようかと考えるための沈黙が広がった。
不意に、どこからか息を呑む音が聞こえてきた。
その僅かな燕下の音に全員反応し、ノエル達は揃って顔を上げた。真っ先にザスクが、爛々とした目を見開いて木から身を起こし、剣に手を掛ける。
「――なぁ、おい。今のは『敵』の気配だろ?」
殺気をまとった声をこぼしながら、ゆらりと立ち上がる。
「それなりにキレイに気配を隠せている相手だし――これ、俺の獲物でいいよな?」
木の上から、びくりと身体を震わせるような気配が起こった。
ザスクの場合だと、侵入者ごと木を二つに割ってしまう可能がある。ノエルがそう考えながら「うーん」と仲間達と立ち上がる中、ミシェルが素早く挙手をしてこう言った。
「リーダー、相手の居場所も分かっちゃったから、ぼくなら今すぐ仕留められるよ」
「ミシェル、こういう時は年長者に譲ろうな? 俺の方がスマートに掴まえられると思うんだ。そうだろ、リーダー?」
ディークが、ノエルを振り返りにっこりと笑い掛ける。
どうやら彼も、木を破壊しない方向で考えているようだ。向けられた視線から伝わってきたノエルは、思案しつつ「そうだねぇ」と相槌を打つ。
「とりあえず、壊さないように動かなきゃならないから大技は禁止。となると――」
「リーダー、ここは暗殺戦法で俺に任せてよ。キレイに始末するから、後片付けも楽でいいでしょ?」
「ナイル、相手は山賊とかじゃないんだから殺生はダメだよ」
「リーダー! じゃあ俺が素手で足を千切るくらいならいいっすか?」
「怪力馬鹿のトニーじゃあダメだろ。リーダー、俺が行きますよ! 俺ならキレイに骨折させて、間接外すくらいで済ませられるじゃないですか」
ノエル達は、歩み寄りながら話を進める。次第に距離を縮められて囲いこまれていく木の上からは、男のか細い「ひぇぇ」という情けない声が上がっていた。
マッケイからは、プロの殺し屋が出るのも多いとは聞かされていた。気配を消せるくらいだからそれなりに技量はあるだろうと推測されるものの、相手はたったの一人だ。
本気で押さえにかかったら、十数秒も関わらず決着がついてしまうだろう。ノエルとしても取っ組み合いに参加したかったので、さてせっかくの仕事をどうしたものかと考える。
木の上に視線を固定しているザスクが、待ちきれないとばかりに剣の柄に指を掛けた。
「こうなったら、早い者勝ちと行こうぜ。俺がぶっ殺す」
「ザスクの剣が飛ぶ前に、俺が相手を奪って仕留められる自信があるよ」
「ナイル、ぼくのナイフの方が絶対早いんだから下がっててよ」
「そんなの俺が叩き落として、真っ先獲物の喉元に食らい付けるぜ」
血気盛んなメンバーを中心に、殺気を放ちながら木ににじり寄る。木を土から引き抜いて落としてやろうかなとトニーが算段する後ろでは、後方支援タイプの仲間達が獲物争奪戦を諦めて「誰が獲ると思う?」と面白がって状況観戦に入り出した。
ジニーが、おろおろとして「落ち着いて」と小さく声を発した。その声を聞いたディークとトーマスが、副リーダーとして短気なメンバーの鬱憤晴らしに場を譲ろうかと殺気を解く。
その短気なメンバーの代表格であるノエルは、譲歩など全く考えていなかった。彼女は、今にも飛び出しそうなザスク達に向かってこう言ってのけた。
「僕だってストレスが溜まってるんだから、リーダーとして先に半殺しにする権利はあると思う!」
そんな堂々とした宣言がされた瞬間、
「コラお前らっ!」
殺気で張りつめた空気を払拭するように、聞き慣れた中年男の怒声が響き渡った。肩を怒らせて駆けてきたマッケイが、指を突き付けて叱り付ける。
「特にノエル・バラン! 物騒な事を堂々と言うんじゃないッ! 全く、お前らは一体どこぞの悪党だ!?」
空気が振動しているのではないかと錯覚するほどの声量に、ノエル達は思わず耳を塞いで顔を顰める。
声に驚いた際、ミシェルが落とした銀ナイフが抵抗もなく土の中に沈んでいった。仕込み暗器の毒針を放つ直前だったナイルが、「おっと」と軌道を変えて別の幹に突き刺し、木を掴んで指先をめり込ませていたトニーが、パッと手を放して木片を散らばらせてもいた。
そんなノエル達の前に立った途端、ガミガミとマッケイの説教が始まった。
「自前の武器を出すなと言っただろうが! そもそもだな、事前に何度も『何かあったら必ず人を呼べ』と私はあれほど――」
そのマッケイを大急ぎで呼んできた衛兵達は、この異様な状況下で彼が普通に部下を叱れるのを、「さすがこの子達の指導教官……」と感心と呆気がない混ざった声で呟いてしまう。
「不審人物がいたら、近くにいる衛兵に引き渡せばいいんだ。手は出さないで連絡だけして、そのまま引き継ぎなさい。何せ、相手が重症を負わずに生け捕りされる確率が低いっ!」
「タイチョー、そんな断言しないでくださいよ。僕らへの信頼がなさすぎでは――」
「本当のことだろうがっ! この前の休みの賊騒動は忘れとらんぞ!」
いいか、お前らにとっては通常業務外だから、細かい規則を把握していないと思う。しかしだな、侵入者にも場所と行動によって決まった対応がされるのであって、無傷から仕方のない正当防衛の範囲も定められていて……とマッケイの細々とした説明が続いた。
人が集まり出して、騎士と衛兵達が慎重に問題の木へと歩み寄る。
そこでようやく一通りマッケイの話が済んで、ノエルは顰め面で腰に片手をあててこう言った。
「もうッ、タイチョーってば、なんでこのタイミングで出てくるのさ?」
「近くを歩いていたら衛兵に『緊急事態だ』と通報を受けたんだ馬鹿者! 不法侵入者より、お前らの方が危険視されていたんだぞッ、恥ずかしくないのか!?」
「平和主義である僕らの、どこが危険だというんですか?」
「平和主義が部屋を爆破するものかっ! お前らの殺気は、近くの衛兵を震え上がらせるくらいだったんだぞ。どこぞの暗殺集団かと思うほど会話が既に物騒だったし、ここは静かな場所なんだから、耳を済ませたら向こうまで言葉のやりとりが聞こえてくるわ!」
つまりは、後半のいくつかのやりとりは聞こえてしまっていたということだろう。
「はは、じっとしていたら暇で、つい」
ノエルは笑って誤魔化そうとしたが、マッケイの青筋は消えなかった。
その時、堰を切ったように不法侵入者が泣き始めた。「全部話しますから、どうか俺を殺させないでください」「あの怖い子供達から俺を守ってください」と懇願する声が続いて、下にいた騎士達と衛兵達が同情と困惑の色を浮かべて、互いの顔を見合う。
よくても半殺しという仕打ちは、あまりに厳しい対応である。おかげで、木の上にしがみ付いて離れない侵入者に向かい、説得の言葉を掛け始めた彼らの口調もぎこちない。
その様子を目に留めたマッケイが、盛大な溜息をこぼして目頭を揉んだのだった。