35話 四章 やめろ余計ややこしいことになってるから!(byクレシス)
フィリウスにエスコートされたミッチェルが、会場へと戻る様子を見届けた。無言のまま付いてこいと目で威圧されていたノエルは、煌びやかな会場に踏み込んでところで足を止めた。
もう僕、いらなくね?
こんなところに緑の騎士の少年がいるというのも、なんだかおかしいというか場違いだろう。そう思ってそれとなく徹底しようとした途端、隣からガシリと肩を掴まれた。
「俺を見殺しにするんですか」
かなり必死な表情をしたクレシスに、前世口調で逃走を阻まれてしまった。
とくにフィリウスから指示されたわけでもないのに、ノエルは会場で要人警護をしているクレシスと揃って、渋々テラス近くの壁際に彼と並んで立った。
王族が腰かけている席で、ミッチェルが十三歳の第三王子と言葉を交わし始めた。
その様子は、フィリウスのことを語っていた時とはまるで違っていた。もう目も合わせられないほど恥じらい、それでいて自分と同じく頬を染めている初心な『王子様』に夢中になっている。
ミッチェルは、少しでも目に留めようとチラチラと目を戻しては、恋する乙女の表情をした。互いに恥じらいながらも、好意を隠せないまま話している二人の姿は初々しい。
「……つまり、英雄とかに憧れても、結局のところ『物語の王子様』には敵わないってことなの?」
ノエルが複雑な心境でそう呟くと、隣で待機しているクレシスがこう答えた。
「そういうことだ」
「でもさ、王子へのアレもきっと憧れだよね? 師団長さんに向けていたのと、同じはずだよね?」
「お前がそう思いたい気持ちは、なんとなく分かってきたが――残念だが諦めた方がいい。彼女は、もう殿下しか眼中にないと思う」
クレシスが、眉間にやや皺を刻んだ表情で言った。王族の近くにいる上司の動きを追いつつも、近くで談笑するとある貴族グループの様子にも目を配る。
ノエルは、しばらく第三王子とミッチェルの様子を眺めていた。二人が恋睦まじく見つめ合う時間が伸びるのを実感したところで、「はぁ」と感心交じりの声をもらす。
「乙女心って分かんないなぁ……憧れと、恋の違い、かぁ」
呟きながら、これでフィリウスの件は白紙に戻ってしまったことを思った。望みの綱は、残すところはクレシスの協力であろうか。
夜会は、ノエルが思っていた以上に煌びやかだった。眩しすぎるシャンデリアや、美しすぎる料理とデザートの数々。ワイングラスを運ぶ給仕達は皆ピシッとしていて、美しく飾られた美貌の女性達――そう改めて場を目に留めていったところで、ハッと気付く。
ミッチェルにばかり目が行ってしまっていたが、今更のように辺りに目を向けてみると、どこもかしこも『ミッチェル級』の美貌を持った少女達で溢れていた。
美人系、可愛い系、儚い系……美しく着飾った少女達に、ノエルはくらくらした。
「やばいッ。可愛い子も美少女もすごく多いっ!」
「なんで君が興奮するんだよ」
様子に気付いたクレシスが、呆れたような眼差しをノエルへ向けた。
なんだと、と反論しようとしたノエルは、彼女達からチラチラと目を向けられることに気付いた。何気なく左右の様子を窺ってみやれば、同じくこちらをしげしげと窺っていた貴族達が、思い切り目をそらしていった。
そういえば、会場入りした時から目立っていたのだったと遅れて思い出した。意識がフィリウスとミッチェルに集中していたから、この嫌な感じの視線の存在を忘れていたのである。
「あのさ、クレシス?」
戦争孤児という立ち位置の者を嫌う貴族もいるのだったと思い出して、ノエルはフッと乾いた笑みを浮かべて隣に声を投げる。
「僕としては、場違いにも目立っていることがいたたまれないんだけど」
「今更だな。まぁ、君らしいといえばそうか――緑の騎士が、ここに足を踏み入れるのは初めてだからだろう。さっきは陛下達が見ていた」
陛下、と聞いてノエルは咄嗟に彼へ目を向けた。
「え。不敬とかで罰せられたりしない?」
「不敬の意味を知ってるのか?」
バッと見上げられたクレシスが、思わずといった様子で視線を返す。
ノエルは、ちょっと不安そうな顔で真面目にこう言った。
「あんまり知らないけど、アレでしょ。首が飛ぶやつ」
「理由もなく首は飛ばないし、それはただの恐怖政治だ」
真面目に付き合った自分が馬鹿だった、とでもいうように、クレシスが真顔を正面へ戻してそう言った。
しばし、二人の間に沈黙があった。
「――ところで、フィリウス様の件についてだが、どういうことか聞いてもいいか?」
ややあってから、隣から彼が本題をこっそり問い掛けてきた。
話すには今がチャンスのような気もして、ノエルはチラリと会場内の様子を確認した。フィリウスは王族席の近くにおり、きれいな貴婦人に美麗な微笑みを浮かべて相手をしている。
そんな見慣れないフィリウスの愛想笑いを、しばし眺めてしまった。
前世では睨まれてばかりだったのに、ここ数日は別人みたいによく笑い掛けられているのを思い返す。気のせいか、再会してから随分笑顔が柔らかくなったようにも感じた。
その時、前を通った若い給仕が、クレシスに気付いて足を止めた。
「ワインは如何ですか?」
そう勧めてきたが、クレシスは慣れたように片手を上げて断った。その給仕が丁寧に礼をして去っていく足音を聞きながら、ノエルは彼に話を切り出した。
「魔術師野郎ってさ。前世から何かと鈍い奴だと思ってたけど、つまり恋愛を全く分かってないんだよね」
その途端、クレシスが幽霊を見るみたいな目でノエルの頭を見下ろす。
「…………君が言うと、驚くほどまるで説得力がなくなるな」
「失礼な。本当だって」
ノエルは、チラリと睨み返して拳を作ってまで力説する。
「僕って、前世ではライバル枠だったみたいでさ。あいつ、親愛とか敬愛を、恋愛と履き違えているみたいなんだ」
直後、クレシスが激しく咳込んだ。驚いたノエルが「大丈夫?」と背中をさすると、彼はその手をやんわりと断って「なんだって?」と強い声で尋ねた。
「あの人は、前世を知っているのか?」
「え。あ~っと、まぁ、なんというか、前世の記憶を悪夢として見るみたいで」
フィリウスが前世の記憶持ちであることを、ここで勝手に打ち明けていいのか分からない。だからノエルは、どう説明したものか悩んでそう言った。
すると聞いたクレシスが、「夢を見る程度には記憶が……」と真面目な顔になる。顎に手をあてて思案する彼に安心して、ノエルは言葉を続けた。
「まぁ、それを打ち明けられた時に、実は魔術師野郎が僕に恋愛感情を持っていた、なんて『間違った推測』を語られてさ」
「間違った、推測……」
「そんなわけあるかって色々と説明はしてみたんだけど、納得してもらえなくて。それで、勘違いだってことを分からせるために頑張ってるとこなんだけど」
ノエルは、前世の話を語ってくれた時のフィリウスを思い出した。
「僕は生まれ変わっても楽しく過ごせているけど、あいつはちょっと違うみたいなんだよね。なんかすごく苦しそうで。――前世がどうであれ、今を楽しんでもらわないと困るじゃん?」
「……確かに、幸福な人生を送ってもらわないと困るな…………」
真剣に聞き入っているクレシスが、引き続き思案顔でそう呟く。
なんだ分かってるじゃん、と思って、ノエルはパッと笑顔になって調子よくこう続けた。
「本物の恋を知れば、変な勘違いも払拭出来るし、あいつなりに人生が素晴らしいって思えるようになるんじゃないかと思って。それなら一石二鳥でしょ?」
雑用係りも、残すところ二日となっている。勘違いと分かれば自然とフィリウスも離れていくだろうし、クレシスもそれで満足なはずだろうとノエルは続けた。
すると、不意に、聞き入っていた彼がピクリと反応した。
「…………あの人が、貴女から離れる? ここから去れば俺が満足する、と……?」
そう口にしたクレシスは、なぜか青い顔をしていた。こちらを見つめ返してきたかと思うと、こう前世口調で恐る恐るといった様子で尋ねてきた。
「色々と誤解があるようなので突っ込みどころも満載なのですが、あなたは、『だからフィリウス様が他の誰かと恋愛が出来るよう』協力して欲しい、と……そういうことですか?」
てっきり喜んで協力してくれる条件だと思っていたので、ノエルは不思議に思いながら「そうだよ?」と小首を傾げつつ断言した。
「クレシスは、誰よりもあいつのことを知ってるでしょう? 好みの合いそうな女性を、それとなく紹介してくっ付ける――つまりッ、ここはクレシスの出番なんだよ!」
彼に一番協力して欲しい部分を言い切った。
そうしたら、クレシスが驚愕の表情を浮かべて「はああああああ!?」と叫んだ。
「俺が『あなたに協力』して、あの人に他の女性と恋をさせる!? ムリムリムリッ、絶対に無理です! というか、なんってややこしいことしてくれちゃってるんですか貴女はっ!」
「ややこしいって、何が?」
「何がって、あのフィリウス様の態度と、あなたの今の話からしてもう明白でしょう!? こうしている間にも、俺が斬り殺される確率がぐんっと高くなっているってことですよ!」
叫ぶ彼は本気で怯えているようで、目も若干涙が滲んでいる気がした。
「何言ってんの? ちょっと落ち着いてよ、クレシス」
ノエルは、彼を落ち着かせようとした。しかし、その途端にクレシスがハッと辺りを警戒するように見回して、ノエルの腕を引っぱって共にその場でしゃがみ込んだ。
「頼みますから、今は名前で呼ばないでくださいッ。聞かれでもしたら、俺が斬り刻まれて埋められます!」
内緒話をするように声を落としながらも、彼が必至にそう訴えてくる。
「だって君、前世みたいに、またフィリウス様の名前を呼んでいないんでしょう!?」
「そりゃ今は『怖い上官』だもん、呼び捨てに出来るわけないよ」
「せめて名前付きで呼んであげればいいじゃないですかッ。なのに君ときたら『師団長さん』くくりとか可哀そう過ぎ――というより、精神年齢でいうと前世プラス今世の歳なのに、なんであの頃以上に鈍さが悪化してるんですか信じられません。こうやって生まれ変わっても俺の立場が全く変わらないなんて、あまりにも残酷すぎると思いません!?」
色々と溢れ出すがまま言葉を吐き出し始めたクレシスが、両手で顔を覆ってわっと泣き出した。ノエルは心配になって慰めようとしたのだが、彼がまだぶつぶつと何やら嘆く声が聞こえて、一体何だろうと思って好奇心から耳を寄せてみた。
「…………ちょっと話すだけで死ぬほど睨まれるし、こんなにも慕っているのに崖から吊るされたりするし――」
なんだか怖い内容だった。一緒になってしゃがみ込んでいたノエルは、聞くのをやめて、気持ちの分、彼から少しだけ距離を開けた。
うん、聞かなかったことにしよう。そっとしておくのが一番の解決策かもしれない。
近くを歩いていた貴族の男女が、しゃがみ込むノエルとクレシスに気付いて「何コレ」という目を向けてきた。ノエルがぎこちなく笑い返した時、壮齢の給仕がやってきて、心配そうに声をかけてきた。
「どうかされましたか?」
「え、あの、ちょっと彼、悪酔いしちゃったみたいで……?」
「それでは休憩部屋へご案内致しましょう。医者を――」
「精神的にちょっと弱っているだけなので、風にあたれば問題ないと思いますッ」
ノエルは慌ててそう答えると、クレシスの顔を覗き込んだ。
「ほら、行きますよ、副師団長さん」
一人の緑の騎士らしく声を掛けて、彼の腕を自分の肩に回した。
手間のかかる男だなと思いながら立ち上がらせると、クレシスがハッと辺りに目を走らせた。ある方向に目を留めた途端、数秒ほど固まり、それから「はぁ」と顔を押さえる。
「これはマズい…………絶対、誤解された……」
「どうしたの、大丈夫? 顔が真っ青なんだけど」
「もう、駄目かもしれない……」
というか君いつもタイミングが悪すぎる、そう呟くクレシスの足元がよろけた。
ノエルは「しっかりしてよ」と声をかけ、彼が転倒しないよう支えながら第五テラスへと向かった。前世からの付き合いである彼を、仲間達に慰めてもらおうと考えたのだ。
「深刻に考え過ぎだって、クレシス。ほら、こんな言葉もあるじゃん。『過去の闇は過ぎ去った、さぁ新しい明日に向かって歩き出そうじゃないか、若者よ!』」
「…………それ、旅の最後に加わった砲弾屋レイグドさんの常套句じゃないですか。しかも、ここで使うような言葉じゃないし、適当すぎやしません?」
「終わったからこそ使える言葉じゃん」
ノエルは、陽気に笑ってそう言った。
それを聞いたクレシスが項垂れて、実に頭が痛いと言わんばかりに「何も終わってない……まさに現在進行形だから困っているんですよ……」と声を震わせた。