32話 四章 続・トラブルメーカー(ノエル)と苦労性(副師団長)
俯き、小さく呟かれる声は聞こえない。
ノエルは、きょとんとして声を掛けた。
「どうしたの? クレシス」
素直な声で、急に名を呼ばれた彼がハタと顔を上げる。
ピタリと視線を合わせた直後、何かを思い出した様子で、数秒かけて今更のようにクレシスの顔が赤く染まった。
木に背中を預けて座っていたザスクが、不快だと言わんばかりに眉根を寄せた。ミシェルが近くにあった小石を彼に投げて寄越し、彼は目も向けずに受け取る。
「色惚け野郎め」
そう言いながら、ザスクがテラスの手すり目掛けて小石を投げ付けた。
カツン、と見事命中して軽快な音を立てた。その拍子に、クレシスがハッとしたように我に返り、ガバリと手すりから離れてわなわなと震えて後ずさった。
「お、おおおお俺はッあなたなんて知りませんから!」
赤面したままの彼が、動揺しきった声色でそう叫んだ。その口調は貴族とも上官とも思えないような『なよっちい』感じが漂っており、一見すると箱入りのお坊ちゃまとも取れる。
トーマス達が、途端に「変な貴族だなぁ」「ウチのタイチョーみたいな『変な貴族』」と評して笑った。ノエルも面白くなって、思わずこうからかう。
「知らないって、ひどいなぁ。可愛い婚約者もいるのに、しつこく僕を追って話しかけてきたじゃん」
「待て待て待て、誤解を生むような発言はよしてください頼みますからッ」
クレシスが途端に青い顔をして、必死にそう告げた。
おい、後半の台詞は完璧に侍従君になってんぞ。ノエルがそう思って呆れた時――「まぁ!」と可愛らしい声がテラスの向こうから響いた。
「マーレイ様は、男色の気がありましたの?」
そう言って現れたのは、侯爵令嬢ミッチェル・ユドラーダだった。
桃色のフリルが、ふんだんに使われた豪華で可愛らしいドレス。衣装によって引き立てられた十五歳のやや幼さの残る美貌は、妖精の如く彼女の存在感を主張している。
絶世の美少女である侯爵令嬢の登場に気付いたクレシスが、蒼白の顔を取り繕うように急ぎ咳払いし、パッと貴族らしい笑みを浮かべてこう言った。
「何か誤解があるようですが、ミッチェル嬢?」
若干、その口許は引き攣っている。
それを、ノエル達がじぃっと見つめているのも感じた彼が、「チクショーあいつら」という表情をどうにか抑えてミッチェルに向かっている中、トニーだけが「美少女の登場っ」と目を輝かせていた。
「私に男色の気は全くありませんので、誤解なきよう」
「それは良かったですわ。マリー様の泣き顔なんて、見たくないですもの」
どちらとも取れない微笑を浮かべて、ミッチェルが扇で口許を隠して言う。
どうやら『マリー』とは彼の婚約者で、彼女達は知り合い同士でもあるようだとノエル達は推測した。全く、という部分で語句を強めて言い切ったクレシスが、引き攣った笑顔を浮かべている。
その時、ミッチェルがテラスの下にいるノエルに目を向けた。つんっと顎を上げると、侯爵令嬢らしい自信たっぷりの様子と口調で言った。
「数日ぶりですわね、ノエル様」
「へ? ああ、まぁそうですね。数日ぶりです、お嬢様」
緊張もなく吐息交じりに答えるノエルの後ろから、トニーが「どういった知り合い!?」とこっそり叫ぶ。ゆったりと座り込んでいた面々の中で、トーマスがやれやれと立ち上がって彼の口を塞いだ。
ノエルは「ありがと」と視線で伝え、それからミッチェルへと目を戻した。
「そのドレス、すごく可愛いいですね」
「あら、ありがとう」
ミッチェルは、当然ですといわんばかりに言ってのける。しかし、扇で隠した口許は照れたようにほころんでもいて、良かったと安心しているみたいでもあった。
彼女は扇を下ろすと、「ところで」と隣のクレシスへ目を向けた。
「マーレイ様は、本日はお仕事ではなくって?」
「うっ……実は、その、『あちらにいる班長』と警備体制の確認をしておりまして」
「あら、あなたノエル様と親しい仲ですの?」
ふうん、と続いて意味深に見つめられたクレシスは、嫌な予感を覚えて返答に窮した。まさかノエルが、いつの間にか侯爵令嬢と顔見知りになっていたのが想定外だった。
「まぁ、彼が緑の騎士になった折りに王都で知り合いまして」
そう慎重な言い方で、クレシスはミッチェルの問いに答えた。
「その、先日に久しぶりに言葉を交わした程度の仲と言いますか……」
「そうでしたのね」
ミッチェルは詳細には興味がないのか、そう素っ気なく言ってから、早速本題と言わんばかりにハキハキとした声でこう続けた。
「マーレイ様、今、少しお暇はあるかしら? わたくしのお供が少しばかり席を外しておりますの」
未婚の女性が、『年頃の異性』と二人きりで会うことは良い印象が持たれない。それを知っているクレシスは、ミッチェルが言わんとすることを察して憂鬱な表情を浮かべる。
激しく胃がギリギリしている彼のそばで、ミッチェルがテラスの下を覗き込んだ。しばし見守っていたノエルは、パチリと目があって「なんですか?」と声を掛ける。
「あなた、今お暇よね?」
「うわぁ、その問い掛けって、僕が暇であること前提の言い方ですよね」
「見る限り暇を持て余しているじゃないの」
「まぁ、そうですね。次の見回り待ちです」
ノエルは素直に答えた。その途端にクレシスが振り返ってきて、「目上の者になんて口の聞き方を」という顔をしたのが見えて、ひとまず口を閉じて次の言葉を待つ。
するとミッチェルが、扇を仕舞って済まし顔を上げた。
「話を聞いていたと思いますけれど、わたくし、今お供がいないせいで見動きがとれないでいます。でも、わたくしは外の風にあたりたい気分なのよ。少しだけ付き合いなさいな」
「え? あの、そこのクレシス――おっほん。副師団長さんだけでこと足りるのでは?」
わざわざ自分まで付いて行かなくても、近くの散歩くらいなら出来るでしょ、とノエルは思ってそう口にした。
すると、ミッチェルが直前までの令嬢らしさも放り投げて「ちょっと!」と声を上げた。
「『私』は、あなたと話したいから、こうして理由を付けて引っ張り出そうとしているのにッ。私と普通にお話ししてくれるの、あなたくらいしかいないんだからね!?」
「へ? ああ、そうだったんですか、すみません。ちっとも気付きませんでし――」
「もうっ、遠回しで言っても気付かない鈍さ、ほんっとどうにかした方がいいわよ!」
手すりをバンバン叩きながら、ミシェルが悔しそうに言う。しかし彼女は、隣で目を瞠っているクレシスに気付くと、慌てて声色を元に戻してこう続けた。
「とにかくっ、『わたくし』のように身分が高い者ですと、護衛も数人くらい必要になったりするのです。ですから、一緒に来ていただきますわ」
「なるほど、もっともらしい理由――えっほん! それなら僕もお供させていただきます」
先日口にしていた悩みか、フィリウスの件について話したいのかもしれない。そう考えながら、ノエルはひとまず「了解です」と彼女に伝えた。
その様子を見ていた仲間達が、「さすがリーダー」と呆気に取られたように呟いた。口笛を吹くトーマスの横で、トニーが悔し涙を堪えて「リーダー羨ましい」と言っている。
ノエルは、一旦離れることを彼らに伝えてから、その場を後にした。