31話 四章 夜会の警備
それから各自風呂を済ませて、夕食もとった後。
ノエル達の第二班は、マッケイから夜会警備について詳しい説明を受けた。巡回する場合のA班、B班の人数分けを決め、ルートもしっかり頭に入れてから所定の位置へと向かった。
第五テラスは、二階部分に当たる会場の裏手側にあった。その下は庭園や噴水もなく、木々が植えられているだけのどこかこざっぱりとした風景が広がっていた。
そこには今回、サポートを任されている衛兵班の一組がノエル達を待っていた。自分達は少し離れた場所で警備にあたっているので、何か分からないことがあればいつでも相談していい。もし緊急事態が発生した場合は、必ず声を掛けるようにと彼らは説明した。
「すぐ上では夜会が行われていますので、人に見られていることを意識して『王宮の警備人』として警備にあたるようお願いします。このあたりまで迷い込んでしまう参加者はいないと思うのですが、酔っ払って庭園を越えてしまう方はまれにいらっしゃいます」
とはいえ、会場の内外に目が行き届くよう人が配置されている。それらしい気配がある者には声を掛けて案内したりと対応にあたっているので、ココまで来ることはないだろう。
衛兵班の班長は、少年グループの不安を解そうとするかのように丁寧に話していく。それを聞くノエル達は、テラスも二階部分だしそんなに人目に触れない、と全く緊張感もなく「へぇ」「ほぉ」「ふうん」と聞いていた。
「もし参加者の方がここまで来てしまったり、声を掛けられて対応が難しいと感じた場合、すぐに我々に引き継いでくれてかまいません」
「はい、分かりました」
ノエルは班長として、皆を代表してそう答えると挙手して尋ねた。
「ここ、全然人が来そうにないですし、警備の他は『踊り場から転落する人がいたら受けとめる』くらいの感じの仕事ってことでいいんですかね?」
「転落した事例はないのですが……そうですね、それでお願いします」
困ったように答える衛兵の後ろで、同僚達がちょっと不安そうにしていた。
とにかく警備に引っかかるような不審人物がいた場合は、自分達だけで対応せずに人を呼んでください。そう念を押すように言って、彼らは向こうへと移動していった。
会場の方からは、集まり出している人々の声が聞こえ始めていた。
「さて、お仕事開始といきますか」
残されたノエル達は、顔を見合わせて早速行動開始とばかりに頷き合った。
まずは二組に分けられた見回りの前半組として、ディーク達が席を外して巡回へと向かった。巡回後半組のノエル達は、その場で引き続き待機し警備に当たる。
空に一番星の輝きが見えていたのも束の間、あっという間に陽は暮れていた。
会場側からは、賑やかになった声と明るい光がこぼれていた。あちらから聞こえる楽しげな雰囲気と対照的に、テラスの下には穏やかな夜が広がっている。
待機し続けるノエル達は、ぼけぇっと立っているのに飽きてすっかり暇になっていた。木々に背を預けて座り込み、みんなで揃って頭上に広がる星空を眺める。
「美味しい料理が出てるんだろうなぁ」
トーマスが、匂いを嗅ぐように鼻を動かしてそう言った。
強い香水の匂いの中に肉料理の匂いを探り当て、ノエルは「そうだね」と相槌を打った。
「こっそり入ってつまみ食いしたくなってくる匂いだよね。美味しいケーキもあるのかな。あんなのが沢山食べられるのも、貴族の特権なんだろうなぁ」
「緊張して喉を通らない奴もいるかもしれないぜ」
ノエルと同じ木に背を預けていたザスクが、頭の後ろに手を置いたまま意見を投げた。想像してニヤリとし、声を忍ばせて笑いこう続ける。
「俺だったら、マナーだのなんだのクソ煩い会食はご免だな、つまらん」
「あ~確かに、それはそれで面倒かも」
答えながら、ノエルはそういえばと思い出した。
数日前、ミッチェルは大きな夜会に参加すると言っていた。だから恐らくは、今日このイベントに来ていると思われるのだが、彼女は楽しく過ごせているだろうか? フィリウスには、彼女の良さを可能な限りアピールし続けたし、効果が出ているといいなぁとも思う。
とはいえ、何もしないで待つというのも結構大変だ。
ノエルは、五回目の欠伸をもらしたタイミングで、「いかん」と立ち上がった。動かないと本当に眠ってしまいそうだと思い、ぐぅっと背伸びをしたところで人の気配に気付いた。
テラスへと目を向けてみると、そこには一組の男女の姿があった。
逆光になっているため、パッと見た感じだとシルエットしか分からない。彼らはワイングラスを打ち鳴らし、そのまま笑いながら会場内へと戻っていってしまう。
その時、ようやく現われた女性を素早く立ち上がってチェックしていたトニーが、後悔したかのように「うわぁぁ……」と言って顔を両手で覆った。
「ショック! スゲー厚化粧だった……っ」
うおおぉぉせっかくの女性登場だと思ったのに、と彼のくぐもった声が響き渡る。
仲間達が「またかよ」と目を向ける。ノエルも呆れつつ、振り返ってこう声を掛けた。
「よく見えたね、トニー」
「俺、恋するならもうちょっと若い子がいいです」
尋ねると、なぜか彼が残念そうに言って頭を左右に振ってきた。
ノエルは小首を傾げ、そんな子分を不思議に思って尋ねる。
「あれ? お前、この機会にでも恋をする予定でいたの?」
「勤務時間帯に巻き起こる運命の出会いってやつを期待してるんです。ふふっ、何せ恋ってのは、どこに落ちてるか分かりませんからね!」
胸を張ってそう答える彼は、キリッとした表情をしていて目もキラキラと輝いていた。
場に、しばし沈黙が漂った。仲間達のうちの一人が「なぁ、リーダー」と絶望交じりの声を出したが、ノエルは夢を壊さないよう笑顔を張り付かせて『何も言うな』と後ろ手で指示を出した。このトニーが無事、美人で可愛らしい少女と恋愛できることを祈った。
すると、テラスに新たに一つの影がやってきて、一同の目がそちらへと向いた。
出てきた男は背丈があり、手すりに腕を置くと華やかさに不似合いな重々しい溜息をこぼす。会場からもれる明かりに照らし出された男の髪は、見事な金色をしていた。
ノエルは見覚えがある気がして、もしやと彼の顔が見える位置まで移動した。確認出来たところで、「あ」と気付いて声を上げた。
「なんだ、クレシスじゃん」
こんなところで知り合いに、と、なんとなく嬉しくなって手を振った。するとテラスまで避難してきたらしいクレシスが、途端に「ひぃッ」とお決まりのような悲鳴を上げた。
その直後、彼がハタと我に返って、慌てて唇に人指し指を立てて「しーっ」とやった。ざっと後方を確認したかと思うと、ひとまず胸を撫で下ろしてノエル達の方を覗き込む。
「そうか、そういえば夜会の警備に組まれていたんだったか……」
そう思い出すように口にした彼が、「って、オイちょっと待て」と言った。
「それにしては自由過ぎやしないか? せめて班長らしくメンバーを立たせなさいッ」
「だって暇だし、次の見回りの交代待ちなんだもん。クレシスは誰かの護衛?」
ノエルがそう問い掛けると、彼はふらりとよろめいて頭を抱えた。
「待ってくださ――いや、待て。どうして呼び捨てなんだ。コレあの人に知られたら確実に睨まれる……私は立場上、お前より上だというのに……ぐぅ」
数時間ぶりの再会となったクレシスは、副師団長として騎士の正装服に身を包んでいた。優しい顔立ちを引き立てるよう髪も整えられていて、そうしていると前世の庶民さは皆無だ。
うん、貴族か騎士っぽい。そうノエルが失礼なことを呑気に考えていると、数秒ほどぶつぶつ何やら呟いていたクレシスが、諦めたように「ああ、そうだよ」と答えてきた。
「要人の護衛だ。わざと軍服で来ているというのに、婚約者が不参加だからという理由で他の女達に色目を使われて取り囲まれる辛さは、お前には分からないだろうな…………」
「いいじゃん、『人生モテモテ』ってやつでしょ?」
だって前世では、モテたいだとか色々言っていたのを覚えている。思い出してノエルがそう愛想良く言葉を返す後ろで、トニーが「贅沢な悩みすぎるだろッ、イケメンなんて果てろ!」と怨みことを口にした。
だが、クレシスは相手にならんとばかりにトニーの台詞を聞き流していた。自信のある金髪をかき上げて、いかにも貴族っぽい、大人の男の余裕ある品を漂わせて吐息をこぼす。
「ここ数日、仕事のせいで婚約者に会えていないんだ。花のように可愛らしくて、可憐で、とても大人しくて優しい子なんだ。見ているだけで癒されるのに、体調を崩してしまわれるなんて……」
一方的に自慢するがごとく口にしていた彼が、ふと、何やら思い出した様子でハッと表情を強張らせた。
「そうだった。お前が関わると、『いつも』ろくな目に遭わないんだった。――よし、いいか。頼むから、これ以上話しかけないでくれたまえ」
「何それ?」
先に接触してきたのはクレシスの方だというのに、失礼な奴である。
思い返せば、なぜ前世で「疫病神」やら「歩く自然災害」やらと言われていたのかも謎だった。彼をからかったことはあったものの、恐れられるほどの何かをした覚えは一度もない。
前世を知る仲同士だ。フィリウスの問題を、一緒になって手っ取り早く解決できる可能性もある彼に向って、とりあえず仲良くして行こうぜ、とノエルは満面の笑みを浮かべて見せた。
すると途端に、クレシスが恐ろしい何かを見たように後ずさった。
「おいコラ、なんでそこで後退するわけ? 仲良くしようよ、クレシス」
「君、あの時の少年達の冷たい眼差しを見なかったのか!? もう少しで私はッ、変態認定されたあげく一刀両断されそうだったんだが!?」
「あははは、何言ってんの、ちょっとした事故でそれはないって。それにさ、『過去』じゃなくて『これから』の時間をどう過ごすかで、僕ら結構仲良く出来るかもしれないよ?」
ノエルは、愛想良くにっこりと微笑んで促してみる。
そうしたらクレシスが、考えるようにして「まぁ、そう言われると確かにと思わなくもないが……」と手すりに目を落とした。
ふっと、彼の表情に悲しみが漂よった。
「………………なんで、一人だけいなくなっちゃったんですか…………」
ぽつりと、落とされた囁きが夜風に流される。主人の妻として、もしかしたら一番そばで仕えて、ずっと、ずっと守っていけるはずだったのに、と――。




