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30話 四章 続・「金魚のフン」クレシスの事情、ノエルの優しさ

 自分で手柄を立てておいて、何言ってんだこいつ。ノエルはわたわたしているクレシスを見上げ、怪訝な表情のまま小首を傾げた。


「じゃあ、こういうのはどう? 『風呂に入っているところを誰かに目撃されまして、告発されるよりも先に潔く辞職することにしました』って。それならぼかしてるし」

「ダメダメッ絶対に駄目です! そうやってぼかしても、『あの人』に隠しておくことは出来ないんですよ! 早急に人物特定されて、探し出されてその場で斬られる……っ!」


 クレシスはノエルの腕を掴んで、ガタガタ震えながら訴えた。今にも死にそうなほど顔からは血の気が引いていて、絶望しきった目を落とす。


「……どうしよう、どうしたらいいんだ? せっかく証拠を掴んだと思ったら、身の破滅しか想像出来ないとか最悪だ……」

「お前が何を言っているのかよく分かんないんだけど、大丈夫?」

「…………ちっとも大丈夫じゃない」

「自分の上官にでも相談してみれば?」


 一番身近に強力な助っ人がいるじゃない、とノエルは思い出させるように、前世で付き合いである彼に親切心と優しさを込めてそう提案した。


 その途端、クレシスが今にも死にそうな様子で、首をブンブンと左右に振った。


「そのフィリウス様が問題なんだッ。俺は前世のお前のせいで、何度ひどい目に遭ったことか!」

「はぁ? 心当たりがまるでないんだけど、被害妄想じゃない?」

「相変わらず失礼な奴だなっ! あの人、無自覚な癖に君が関わると容赦がないんですよ!?」

「そんなこと言われてもなぁ……。それとさ、ちょいちょい前世の侍従口調に戻ってるんだけど、『俺』と『私』の方は無視してやるから、せめて呼び方の『お前』か『君』は、どっちかに統一してくんないかな」


 ひどく情緒不安定なクレシスが、なんだか鬱陶しくなってきた。一旦、強制的に退場させるか意識を奪うかして、彼を落ち着かせる方が話が進むのも早い気がしてくる。


 濡れた肌が風に冷えて寒くなってきたし、そろそろ浴室に戻らせて欲しい。今すぐに叩きのめして窓から放り出したらダメかな、と、ノエルはクレシスに腕を掴まれたまま、よそへと視線を流し向けてしばし考えてしまう。


 少女にしか見えない水気の残る横顔に目を留めたクレシスが、今更のようにハッとして緊張を浮かべた。その露わになった細い首筋と、白い肌に、つい彼の喉仏が上下する。


「考えてみたんだけど、僕は明後日には師団長さんの雑用係りも終わるんだ。今すぐ辞める申告するのがダメだって言うんなら、その後にでもしてみるのはどう?」


 今は時間をかけて話し合っていられないし、一旦は考えを保留する。そう思案をまとめたノエルは、意見を求めるようにクレシスへそう言った。


 だが、彼に目を戻したところで怪訝に思って首を捻った。


 どうしてか、クレシスの顔がじわじわと赤くなっている。こちらを茫然としたように見つめる瞳も、先程の敵対心をどこかへやったかのようだった。


「ちょっと、聞いてるの?」

「え、あ――はい、聞いてます」

「なんで敬語?」


 こちらを真っ直ぐ見入ったまま、彼がオウム返しのようにそう答えてくる。


 なんだか反応が鈍いし、ノエルは心配になってきて声を掛けた。


「しっかりしてよ、副師団長さん。ああ、もう面倒だからクレシスって呼ぶけどさ」

「あ、はい、別にそれで構わないんですけど…………君、もう少し自分の容姿を自覚した方がいいような……なんでそんな目もパッチリ……小奇麗さにも磨きが……」


 どこか呆気に取られたように、彼が何やらごにょごにょと言っている。


 よく聞こえなくて、ノエルがきょとんとして小首を傾げた時、クレシスの呟きを遮るようにして陽気な少年の声が上がった。



「俺らのリーダーから手を離してもらいましょうか、第一師団の副師団長さん」



 腕を掴んでいるクレシスの手が、投げ掛けられた声にギクリと強張った。恐る恐る手を離した彼が、ぎこちない動きで首を後ろへと回す。


 ノエルは、クレシスの向こうを見て、全員が揃っている光景に「あれ?」と言った。まだ時間は早いはずだが、彼らの仕事は終わったのだろうかと思いつつ声を掛ける。


「おかえり、早かったんだね。ディークとトーマスの仕事も終わったの?」

「理由を聞いたら優先でもないらしいから、皆と竹刀磨きをとっとと終わらせて戻ってきたんだよ」


 ディークがそう報告して、軽い調子で肩をすくめて見せる。すると後ろにいるトニー達が、にこやかに手を振って「やっほー、リーダー」と元気そうに挨拶してきた。


「で? そっちの不法侵入者だけど」


 ディークの隣から、トーマスが蒼白のクレシスを顎で指してそう言う。


「リーダー、コレどうする? ――事によっては、ナイルの方でキレイに始末してもらうけど」


 その声は冷やかで少し低い。名前を挙げられた十七歳の『暗殺者』ナイルが、教養を感じさせるような優しげな端整な顔をノエルへ向け、ニッコリと笑って片手を振って応える。


 トーマスにしては珍しい冗談だ。ノエルはそう思って、ちょっと笑った。


「始末とか大袈裟すぎだよ」


 そう笑い返したところで、さて、この場をどう切り抜ければいいだろうかと考えながら、仲間達を目に留めたまま動かないでいるクレシスの横顔を見上げた。


 直後、クレシスがガバリと血の気の失せた顔を戻してきた。何故か若干涙目になっていて、『殺される』『どうにかして助けてくれ』と必死に訴えているかのようだった。


 誰一人殺気も放っていないといいうのに、妙な奴だなと思いながら仲間達へ目を向けた。


 ディーク達はきょとんとした様子で、一体どういう状況なのだろうと不思議に思う眼差しで待機している。そんな彼らにクレシスが敵ではないと伝えるべく、ノエルは口を開いた。


「実はさ、この人、僕が町中で助けたことのあった人なんだ」

「その副師団長さん、リーダーの知り合いだったの?」


 暗器をそっと袖にしまい直したミシェルが、天使みたいな美少女顔で、パッチリの目をきゅるんとさせて尋ねる。


 ノエルは「そうそう」と答えつつ、うまく話を作り上げて言葉を続けた。


「その時に名前は聞かなかったんだよね。何しろケーキ屋さんのショーケース前を陣取って、憧れて尊敬している上司に贈るとか、贈らないとか呟いて頬を染めていたから」


 クレシスが、なんでそんな設定にするんですか、という視線を送った。ノエルは、どうせ今世でも気持ち悪いくらい主人を慕っているんだから可能性有りな話じゃない、と思った。


 自分のところの師団長を崇めている、という噂を入手しているディーク達が、途端に憐れみと気色悪さを滲ませた眼差しを彼へと向けた。そこで否定すればこの状況への誤解と言い訳を解くのが難しい、と察したクレシスが、沈黙したままそっと視線をそらす。


 それを了承と都合よく取ったノエルは、ここぞとばかりにこう締めた。


「あの時のことを黙っていて欲しいって、僕に頼むために来てくれたんだけどタイミングが悪くて。勢い余って扉を開けちゃって、まぁお互い黙っていようって話してたとこ」

「あ~……なるほどな、リーダーならやりかねないな」


 ディークはそう言うと、懸念で終わったらしいと察した様子で溜息を吐いた。他の仲間達も「なぁんだ」と肩から力を抜いていて、やれやれと首を左右に振っているメンバーもいる。


 するとトニーが、待ってましたとばかりにしゃしゃり出て来た。


「はいはい、これで話は終わりだろ?」


 言いながら、ノエルの身体を回れ右させた。


「も~、すっかり湯冷めしてんじゃん。リーダーはさっさと風呂に戻る!」


 それを見たトーマスも、彼と共にノエルの背を押す。


「あいつはどうしようか? 他に話すことがないなら、このまま帰すけど?」


 そう問い掛けられて、ノエルは二人の向こうに見えるクレシスと目を合わせた。視線が合った途端、クレシスが「話しはもういい大丈夫ですッ」と激しく首を左右に振る。


 クレシスは前世を知る仲間であるし、もしかしたらフィリウスに関して協力してくれる味方になってくれるかもしれない。今後の辞職の件も含めて、いずれ時間を見付けて話し合う意味も込めて、ノエルはにっこりと笑い掛けて小さく手を振って見せた。


「またね、クレシス」


 そう言って、仲良くしようぜと目で伝えたら、クレシスが顔を引き攣らせた。前世の自分を抑え戻すように表情を取り繕ったかと思うと、くるりと踵を返して背を向ける。


「おっほん! すまなかったな、私は秘密は守る男だから……」


 口調を今世に戻したクレシスは、ボロが出る前にと急ぎ部屋を出ていった。

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