29話 四章 続・突撃して来たのはアイツでした
扉の向こうから掛けられた言葉が意外過ぎた。
というか、この男、今なんと言った?
「答えろ。もしくは、『バリー』という名に覚えは?」
しばし無言でいたら、その反応に戸惑ったような声が扉越しに上がってきた。
この世界に生まれて変わったのは自分だけだと思っていたのは、つい先日までのことだ。同じようにして前世の記憶を持つフィリウス、そして前世の光景を夢に見ている元村人のミッチェルの存在を考えると、他にも生まれ変わりがいてもおかしくはない……のかもしれない。
バリーの名を知っているとなると、当時関わりのあった人間なのだろうか?
とはいえ、こうしてわざわざ確認しに来るほどの人物に心当たりはない。なんだか面倒臭いことになったと思ったノエルは、ひとまず相手の反応を窺うことにしてみた。
「悪いけど、心当たりはないよ」
答えてすぐ、扉に耳を押し当ててみる。
脱衣所の扉は薄い作りになっているので、じっと耳を澄ませていると相手がぶつぶつと呟く独り言も聞こえてきた。どこか動揺したように身動きする音もする。
「顔はあの疫病神そっくりだし……いや、でも本人と決まったわけではないし……、とはいえ『あいつ』も女なのに男の恰好をしていたから、まずはそっちを確かめるべきなのか……」
その言い方というか声色や雰囲気には、聞き覚えがあるような気がした。自分を疫病神のように扱っていた男が、魔術師野郎の後ろ辺りにいたような、いなかったような……。
誰だったかな、としばらく考えてみたものの出てこない。
生まれ変わりであるのならば、もしかしたら顔に面影があるのではないだろうか?
ノエルは、手っ取り早く相手の顔を見てみることにして、そう考えてすぐ勢いよく扉を開け放っていた。部屋に立っていた相手が、ギョッとしたようにこちらを振り返る。
「なっ、ななななんでタオル一枚で……ッ」
侵入者の男は、わなわなと震えてそう言ったかと思うと、ノエルの顔を正面から見て「ひぇッ」と情けない声を上げて後退した。
それは、少し垂れた青い目をした金髪の美青年だった。黙って立っていれば端整な顔立ちが金髪に映えそうなのだけれど、その顔は面白いほどみるみる青くなっていく。
「う、嘘だろ……まんま『バリー』じゃないか」
ガタガタ震えながらも、男が信じられんという目でそう呟く。
その一連の様子まで目に留めたところで、ノエルは前世で、いつも自分の顔を見て情けない悲鳴を上げていた男が思い出された。思わず「あ」と声を上げて、陽気に手を打つ。
「思い出した。『魔術師野郎の金魚の糞』だ」
「金魚の糞って言うなッ」
途端に、男が動揺しつつも反論してくる。
その懐かしい返しを聞いて、やっぱりそうかとノエルは納得した。名前は覚えていないけれど、貴族でもある魔術師野郎には、世話兼護衛役で貧弱な身体をした男の侍従が付いていたのだ。
彼はノエルが近寄るたび、尋常ではない怯えっぷりを見せていた。今、目の前で後ずさりしている男は、髪の色が違っているし逞しい身体にもなっているが、怯えた時の表情が当時のままだった。
そうノエルがしげしげと見つめて考えていると、彼が蒼白顔で震える指を向けてきた。
「その憎たらしい呼び方は、まさに『バリー』じゃないか。なんでお前までここにいる!?」
「いやそれ、僕の台詞なんだけど」
この世界ではきちんと精神的にも強くなったのか、侍従だった時のような敬語口調ではない。ノエルはなんだか新鮮に思いつつも、ここ数日間の苦労を思い出して深い溜息を吐いた。
「というか、幽霊を見たみたいな顔で人を指差すなよ。今の僕は『バリー』じゃなくて、『ノエル』なの。名前覚えてないから『金魚の糞』って呼ばせてもらうけどさ、どうしてここにいるわけ?」
「お前ッ、俺の名前すら覚えていないとか相変わらずだな!?」
チクショーそうだと思ったよ、と何故か彼がちょっと泣きそうな顔で叫んでくる。
ノエルが「?」と首を傾げたら、ハッとした様子で彼が立ち姿を整えた。一度冷静になるように髪型までサッと整え直すなり、偉そうな様子で改めて目を向けてくる。
「フッ、まぁいいだろう。今の『私』は、王国騎士団第一師団、副師団長クレシス・マーレイ! ちなみに子爵家の三男だっ!」
「なんでそんな噛みつくみたいに言うの? 目の前にいるんだから、そう叫ばなくても聞こえてるよ」
なるほど、彼の方は今世では貴族であるらしい。そう考えつつも、ノエルは小首を傾げて、名前を覚えていなかった件に関して「仕方ないよ」と答えた。
「だってほら、顔見せたら逃げられるし、寂しそうにしているから構ってやろうとしたら全力で拒否されるし。主人と揃って僕を毛嫌いする、意味が分からん組み合わせだったもの」
前世の金魚の糞、クレシス・マーレイが、フィリウスの副官の副師団長だった。
どうやら彼は、生まれ変わった今世でも主人に尽くしているらしい。すごく敬愛していたのは覚えているけれど、わざわざ自分のことを嗅ぎまわったり、こんなところまで押し掛けて一体なんの用なのだろうか?
そう考えてノエルが濡れた頬をかくと、クレシスが「そんなことより!」と言ってきた。
「きちんと服を着ないか! お前は、なっ、なんて格好で外に出てくるんだッ」
「だって風呂に入っていたんだもん」
「くそっ、まさか上の掃除をサボるうえ、勝手に自室で風呂に入り出すなんて予想外……って、待て、もしや本当にタオル一枚なんじゃないだろうな!?」
ちょっと寒そうに細い腕を抱えたノエルを見て、彼がもう一歩後退する。身体の水分を吸い取ってピッタリ身体に張り付いているタオルの下には、水滴の残る白い太腿が隙間を作っている。
「何を今更確認してんの、僕はタオル一枚だけど? まぁ落ち着いてよ、別にちゃんと隠すとこは隠しているんだからいいじゃん。僕の仲間達だって気にしないよ」
「共犯なのかよ!? くそっ、どうりでボロが出ないと思った……!」
クレシスが頭を抱え、悔しそうに言う。
「それで? バリーだと半ば確信しつつ、訪ねてきた副師団長さんの目的は?」
湯冷めで少し肌寒さを覚えたノエルは、彼の用件を早々に尋ねることにした。
フィリウスからは、前世の話を共有出来る人間がいるとは聞いていない。とことん鈍いところがあった魔術師野郎のことを考えると、自分が旅に連れ回していた侍従本人だと気付いていない可能性も浮かんだ。
それに、クレシスも今回こそこそ嗅ぎまわっている。それが彼の独断行動だとすると、彼自身も元主人に前世の記憶があることを知らない状態であることが考えられて……。
なんだか面倒臭いことになってない?
そうノエルが諦め笑顔をしてしまった時、クレシスが気を取り直すような咳払いを一つした。若干引き気味ながら、強がるような笑みを浮かべて凛々しい声色で言う。
「いいか、バリー――いや、今はノエルだったか。ここは女人禁制の騎士団だ。騎士団の中でも影響力のある第一師団の副師団長である俺が、その証拠を目撃しているから言い逃れは出来ないぞ。お前の目的は知らないが、すぐに除斥して王都から追い出してやるつもりだ」
なるほど、つまり毛嫌いしているだけでなく、きちんと風紀的にも考えてやってきたわけか。女だと言わないまま居座っている身としては、確かにと女人禁制である部分を考える。
そんなノエルを見て、クレシスは不安になったような表情を滲ませた。動揺も反論も得られないのは予想外だったと言わんばかりにおどおどして、ハタと我に返り咳払いをする。
「だが俺もそこまでひどい男じゃない」
彼は用意していた台詞を読むような、ぎこちない調子でそう続ける。
「お前の経歴は聞いているし、今世でも出自に恵まれていないことは調べて知っている。告発されるよりも、自分で辞退した方が罪は軽くて済むことを俺は伝えに来たんだ――」
「分かったよ。辞めればいいんでしょ?」
ノエルは、だいたい分かって口を挟んだ。驚いたようにクレシスが口をつぐむ。
彼が持ち掛けたのは、本人と周りの傷が最小限で済む『退場方法』みたいなものだ。そもそも、いつだって自分の主人のために走り回っていたことを彼を、困らせる気はない。
そう考えながら、濡れた髪をかき上げてこう言った。
「別に、僕はここに目的があるわけじゃない。タイチョー――『マッケイ師団長』に誘われた流れで仲間と一緒に付いてきたけど、バレたらちゃんと辞めるつもりでいたんだ」
「そ、そうなのか……?」
「僕の性格は分かってるでしょ?」
ノエルは、にこっと控え目に微笑む。
「前世だってそうだったよ。縁があってその場所を訪れたりはするけど、一つの場所に居座るなんてなかった。それは今も同じで、ちょっとした寄り道で滞在しているみたいな感じかな」
「……そうか、相変わらず落ち着く場所が……おっほんッ」
ぽつりとこぼして肩を落としたクレシスが、またしても下手くそな咳払いをする。
「つまり、フィリウス様にちょっかいを掛けるつもりはないんだな?」
「はぁ? そんなのしないよ。僕だって生まれ変わってからは反省してるし、それに今の魔術師野郎の師団長さんにちょっかいをかける気はないよ」
確認されたノエルは、前世の行いを思い返しつつ答えた。
自分はもう十六歳だ。年齢からいえば、性別がバレるのも時間の問題だろう。謝罪して愚痴だって聞いてあげたフィリウスに関しては、クレシスに任せてもいいのかもしれない。
前世に関わる面倒事は、これ以上避けよう。
今世のノエルには、面倒を見ている大切な仲間達だっている。
それから、すぐにでもここを出て、平和になった世界を旅するにあたってまずは海でも見に行こうか。キラキラと輝くという青い海が、朝と夕方で色が変わる様を皆で確かめてみるのだ。
「これまで辞表も受け取ってもらえなかったけど、さすがのタイチョーも今回はクビにするしかないから大丈夫だよね。だって騎士団の中でも偉いところの副師団長さんに、裸を見られて女だとバレましたって報告したら、辞職表の受け取り拒否なんて出来ないでしょ」
口にしてみると、辞退理由はこれでバッチリだと思えた。
別れは少し寂しい気もするけれど、ここで自分から辞退しておかないと、後で第一師団の副師団長から告発があったとされたら彼にもっと迷惑がかかってしまうだろう。
そうとなったら、最後に騎士団経由でギルドの登録をお願いしてみよう。
ノエルがそう考えて「よしよし」と頷いていると、唐突に声が上がった。
「ちょっと待ったあああああああ!」
びっくりしたノエルは、「いきなりに何?」と怪訝そうに目を向ける。
そこには、世界滅亡数分前、といったような死にそうな面をしているクレシスがいた。
「ま、待て待て待て、待ってください! そそそそれはマズイッ、マズイのでそんな理由では絶対に報告はしないでくださいバリーさんっ!」
「お前、話し方が金魚の糞の頃に戻ってるけど、どうしたの? あと、今の僕の名前はノエルだよ」
「ストレートにそう事実報告されたら、俺が死んでしまいます!」
彼は、こちらの話しも聞けないくらい、動揺して必死になっているようだった。