26話 四章 だって、ずっと見ていても飽きないくらいに
反省期間が始まってから五日目。
先日の朝、「ベッドに潜り込むの禁止!」と約束させて以来、同じことは起こらなくなった。しかし目覚めるたび、そばに椅子を引き寄せて楽しげに覗き込んでいるフィリウスの姿を目に留めて一日が始まる、という最悪な起床による精神的疲労が続いている。
なんで見ているのか分からない。しかも彼は、いつもバッチリ身支度も整え終わっていて、一体いつからそこでじっとしているのかも不明なのが怖い。
これといって面白くもないのに何を見ているんですか、と尋ねたら、ずっと見ていても飽きないのだと言われて、「こいつ、いよいよやっぱりおかしい」とノエルはくらりとした。
とはいえ、先日のベッド潜り込み事件の日から、フィリウスはどんどん仕事が忙しくなっているようだ。
昨日と一昨日は、寝起き以外には会えていなかった。当の本人は「こんな時に副官が役に立たないとは」と、自分の副師団長にややご立腹の様子だったが、ノエルにとっては都合が良い多忙さである。おかげで昨夜も、彼の姿を見ないままのんびり就寝出来た。
「え。今夜の夜会警備ですか?」
朝の支度を整えたところで、ベッドに腰かけて最後にネクタイを結んでいたノエルは、向かいのベッドに座っているフィリウスから告げられた内容に目を丸くした。
大きな夜会というと、数日前ミッチェルが口にしていたものだろう。そう考えながらも、今まで王宮の大きな行事には、仕事として関わらせてもらえなかったこともあって尋ねた。
「僕ら今、反省期間中で、そういった『ちゃんとしたお仕事』は禁止なんですけど」
第二班は、反省期間が始まってから謹慎のため任務から除外されている。だから三組に分けてルーティンでやっている夜勤もなくて、五日前から全員が夜ぐっすり眠っていた。
すると、フィリウスが秀麗な眉を寄せて上官らしくこう言ってきた。
「先日、お前達が揃いも揃って市民闘技場で暴れ回っていたと多くの通報があった。体力があり余っていることも考慮し、夜会警備に当たってもらうことが決定した」
反省期間もまだ二日残っているというのに、今夜は警備の任務が入るらしい。そう頭に入れつつも、ノエルは結んだネクタイを軍服ジャケットの内側へしまいながら首を傾げる。
「おかしいな、なんでバレたんだろ。僕ら、全員ちゃんと名前も所属も隠してましたけど」
「隠すつもりだったら、次回からは優勝、準優勝、入選を総ナメにしないことだな」
そう言われて、ノエルは先日を思い出して悔しさを滲ませる。
「くッ、僕は参加できなかったのに……!」
「試合後の大乱闘の中心は、お前だったと聞いてるぞ」
その喧嘩っ早さは前世からちっとも変わらんな、と彼は真面目な顔で言う。
そもそも市民闘技場は、戦い好きの屈強な猛者達が集まる場所だった。そこに最年少で飛び込んできたノエル達は「バカに強い子供達がいるぞ」と注目を浴びて一気に有名になり、一年も通い続けていることもあって今や常連として顔も知られていた。
先日の騒ぎは、見回り担当の騎士達も目撃していた。それは闘技場稼ぎの男達が、試合後にノエル達を外で待ち構え、賞金を寄越せと喧嘩を売ってきたのが始まりだった。
脅された少年達は、怯え――るわけもなく「よっしゃ!」と喜んで喧嘩を買った。
その結果、トーナメント戦に間に合わなかったノエルを筆頭に、闘技場前で大乱闘が起こった。
流れ者の荒くれ賞金稼ぎに迷惑していた住民、運営側、参加常連者達が「いいぞ坊主ども!」「やっちまえ!」と応援の野次を飛ばし始め、日中の大通りの通行も一時的に止まった。見回り騎士達も、しばらく対応の判断が付かないまま迷っていたのだが……。
その後、悪党をこてんぱんに叩きのめすノエル達の姿が爽快で、自分達も気付いたら観客に混じって大いに盛り上がってしまいました――と感想文のような報告書が上がって、各師団長達を驚かせ、外出を一時許可していたマッケイを卒倒させた。
一般市民からは、クレームではない連絡が数多く寄せられた。大半が感謝と称賛であり、「緑の騎士の子を怒らないであげて」「重い罰を与えてあげるな」との指摘も多くあった。
つまり通報というよりは、市民らを中心とした『速報』とも言える。
今回の夜会は、十三歳の幼い第三王子も顔を出すことになっている。どうやら、水面下で彼の婚約話も色々と出ているようで、その顔合わせの目的もあるらしい。隣国からの賓客の他、国内からも多くの重要人物が参加するのだと、フィリウスが説明を続ける。
その声を聞きながら、ノエルは別件のことを考えていた。
「だからあの日、タイチョーふらふらしていたのかぁ。――ふふっ、なんだ、本当に具合が悪いわけじゃなくて良かった」
先日を思い返して、そう独り言を言いながら笑った。みんなで戻ってきたら、マッケイが疲労感を漂わせていて、説教する体力もなさそうな顔をしていたのを少し心配したのだ。
思い出して柔らかく笑うノエルを、フィリウスがじっと見つめていた。
※※※
「一つ、気になることがあるんだが」
朝食をとるべく食堂へと向かい出してすぐ、そう質問を投げかけられた。
階段を下り始めていたフィリウスが、中腹で歩みを止めて振り返ってくる。後ろに続いていたノエルは、自分より少し前をいく彼を見つめ返して首を傾げた。
「なんですか?」
「ミッチェル・ユドラーダとはいつ知り合った?」
「え」
思いがけない問い掛けに、声がひっくり返りそうになった。
この前、協力を求められた侯爵令嬢である。ノエルは彼女の存在を思い出しながら、どうにか表情が崩れないよう意識して尋ね返す。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「お前、最近やたらと口にしてくるだろう」
「えぇと、その、すごい美少女だって噂で、自然と情報が耳に入ってくるんですよ」
ノエルは、わたわたと手を動かしてそう説明した。私情の読めない顔で「ふうん」と言ったフィリウスが、やや思案したかと思うとすぐに歩みを再開してくれてホッとする。
これは、少しミッチェルに興味を持ってくれたと取ってもいいのだろうか?
そうだったらいいなぁと思いながら、ノエルは彼の後に続いた。トントントン、と足元から軽快に上がる足音がなんだか楽しくて、そちらを見ながら調子よく階段を降りていたら前から声が上がった。
「今日は実技試験の他、変更になった段取り確認やら最終チェックもある。俺は朝食を済ませたら出るが、そのまま戻って来られないだろうから、今日はマッケイに従え」
「え、マジか。やった」
本音が口からこぼれ出た途端、肩越しに睨まれて慌てて口をつぐんだ。
コツリ、と階段の下に降りたフィリウスが足を止めた。
「お前、そう言えば随分マッケイに懐いているようだな」
「なんですか、その気持ち悪い言い方は。別に懐いてはないですけど、一体どこ情報なんです?」
「俺の副官だ」
「つまり副師団長? ――あ、そういえば僕、会ったことないですね」
「会わせる必要がない」
ズバッと言ったフィリウスが、「で、どうなんだ」と続けて訊いてくる。
なんだか問い詰められているみたいで、ノエルはちょっとたじろいでしまった。思わず、最後の数段を下れないまま後ずさりしたら、気に食わんとばかりに睨まれてしまう。
「距離が遠い。降りてこい」
「え、なんか怖いからやだ――」
「そうか。なら俺がそちらに行こって、動けないでいる臨時部下の雑用係りを抱き上げて降ろしてやることにしよう」
語る彼の表情は真面目なままで、本気か冗談なのか分からない。でもコイツならやりかねんとも思わされて、ノエルは「すぐ降りますッ」と答えて一つ飛びで階段下に着地した。
前世で負かし続けていた相手に、こうして脅かされているというのも悲しい。
目の前から、とっとと話せと言わんばかりに強く見下ろされて、ノエルはぎこちなく視線をそらした。今は九歳分の開きがあるせいか、前世の頃よりも身長差があるのも複雑だった。
「まぁ、そうですね……。戦地では二年くらい一緒にいましたから、多分、誘ってくれたのがタイチョーじゃなかったら、僕らも緑の騎士にはなっていなかったと思います」
少し考えても、懐いているという意見か分からなくてそんな本音を口にした。それを決めた当時を思い出していくと、自然と言葉が続いてノエルは話す。
「最後に乾杯した時に、これからどうしようか、もうお別れだねって話していたら、突然あの人涙ぐんじゃって。『俺がどうにかするから、少し待っていてくれないか』なんて言うし、泣き上戸なのかなとも思ったんですけど、なんかあのまま去るのも出来なかったんですよねぇ」
戦いも終わった。彼らの長い任務も終わり、ようやくマッケイ達は王都へ帰れる。別れは笑って迎えられると思っていただけに、酔った彼の男泣きには驚かされた。
しかも、彼の部下達も揃って泣き出しそうになっていたから、場の空気を盛り上げるのには一苦労した。だから、ひとまず王都まで一緒に付いて行って――。
発熱したミシェルを近くの宿に休ませて看病している間に、マッケイが『緑の騎士』の話を持ってきた。それを提案された時は、どうしようかと仲間達と悩んだものだが、ずっと嬉しそうに一生懸命説明している彼を見て、結局は断らずに提案を受けることにしたのだ。
緑の騎士になると答えた時、どこかほっとして喜んだ中年男の優しげな表情が印象に残っている。よくは分からないけれど、泣かれなくて良かったと感じてもいた。
戦場地ではない場所で、穏やかな日々を過ごすマッケイの姿は、彼を気に入っていたノエル達の目にはどこか新鮮にも映った。あの時、死を覚悟して「私を置いていきなさい」と言っていた姿より、自分達を平気な顔で叱り飛ばす元気な彼が、一番いいとも思えた。
そう思い返したノエルは、そこで一つの結論へと辿り着いて「うむ」と頷いた。
「つまり、情が湧いたんだと思います」
するとフィリウスが、呆れたように片眉を引き上げてこう言った。
「他に言葉はないのか?」
小さく吐息をつきながら、彼は腰に手を当てて半眼でノエルを見やる。
「マッケイ師団長は、王国騎士団の中でもっとも自分の部下を大切にする男として知られている。お前らが思っている以上に気に入っていて、現に、他の隊からのお前達の引き抜きを阻止するように動いていた」
「え、そうなの?」
「とくに俺は警戒されていたらしいな。こっちへくる用もあまりなかったが、あったとしてもタイミングがいつもずらされて、今になるまでお前と接触することも叶わなかった」
まさかマッケイのおかげで、約一年も対面を免れていたとは驚きである。
再会した時とは違い、そう話すフィリウスは随分重いものが取れたような顔をしていた。前世では、こうして落ち着いた会話をしなかっただけに不思議な気持ちが込み上げる。
思えば、あの頃は、対等の立場で喧嘩していたような仲だった。今となっては考えてみれば、それもあって『面白くて』自分から彼をからかっていた時だってあった。
珍しくまじまじと見てくるノエルに気付き、フィリウスが不思議そうに眉を顰めた。
「なんだ?」
「いえ、すごく今更なんですけど。考えたら、あそこまで清々しく喧嘩出来たのって魔術師野郎くらいだったなぁって。旅が始まったばかりだった頃、しつこい勝負の仕返しに締め技を一回ずつ使ってやって、すぐにレパートリーが一順したのには大爆笑でした」
そういえば、そんなこともあったなと思い出して、ノエルはそう言った。毎度一回ずつ絞め技を披露していく、何度向かってこようがこてんぱんにするから、全絞め技をやってやれる自信がある――と宣言して実行・達成した自分、ちょっとやんちゃだったなと思う。
すると、不意に、フィリウスが口角を引き上げた。
「実は、俺はずっとそれを覚えていてな。むかつくから今世で全部体得したんだ」
言いながら、視線を合わせるように少しだけ屈んで顔を覗き込んでくる。
不敵に笑う美しい紫の目を近くから見たノエルは、「え」と引き攣った声をもらしてしまう。ずっと覚えていてわざわざ体得したとか、何ソレ執念怖過ぎる、と思った。
「これで平等だろう。どちらが多く掛けられるか、一度やってみるか?」
「遠慮します。今は圧倒的な力差のせいで僕が負けますし、下手したら死にます」
ノエルは、生命の危機を覚えてサッと手を前に出して断った。そうしたら彼が、底冷えのする殺気たっぷりの笑みを浮かべて、ボキリと指を鳴らした。
「手加減はしてやる」
「仕返しする気満々じゃないですかッ、今世では大人になったんでしょう!?」
「三秒ぐらいなら大人しくやられてやってもいい」
「カウントが短いっ! せめて僕が逃げる時間くらいは設けてくださいよ!」
「逃がすつもりはないから無理だ」
フィリウスがどこか楽しそうに笑って、言いながら身を起こす。
「それじゃあ、機会があれば『順を追って』一つずつ締め技を試していくことにしよう」
「大人げねぇ! というか、僕がやって絞め技の順番まで覚えてるとか、それ確実に根に持ってるじゃないですか!」
ぶわりと警戒を煽られたノエルは、慄いて後ずさりした。
「絶対にしないでくださいよ!? 今のあんたがやったら、マジで冗談じゃなく骨がポキリといくからッ」
「怪我をさせるはずがないだろう。指の一本まで大事にしている」
簡単に触らせてくれないのが残念なくらい、とフィリウスが自分の唇をなぞりながら意味深に言う。その美しい顔には、強気で妖艶な笑みが浮かんでいた。
「その笑顔が既に胡散臭いっ!」
ノエルは台詞の意味も勘繰ることなく、全力の怯えで逃走した。
後ろで彼がおかしそうに小さく噴き出して、「ずっと見ていられるくらい飽きないなぁ」と言ってのんびりと歩き出した。とても幸せそうだった。