25話 四章 もう一人の『彼』の話
貴族らしくないと言われ、彼は子爵家の三男でありながら、後継者の如く厳しい教育を父から受けた。
それらしい物言いや仕草、品や威厳を身に付けろと講師がくる毎日。勝手に騎士学校への入学を決められた時は、正直「クソ野郎」と庶民言葉で内心罵ってひどく怨んだものである。
子爵家の三男。
だが彼は、生まれながら平民の暮らしぶりや考え方をよく知っていた。
幼い頃から、つい敬語で話しかけてしまったり、見習いの使用人に同情してしまったりした。そうやって令息に相応しくない振る舞いをやってしまうのは、実は、誰にも知られていない彼の秘密のせいだった。
おかげで幼い頃は、ほぼ毎日のように悪夢を見て飛び起きた。起床直後は記憶が混乱し、とめどなく溢れる感情に泣いて、二人の優しい兄や使用人達にまで心配を掛けた。
この世界ではない人生だったと分かっている。
それでも夢で見るたび、しばらくは心細くて、前世の癖も習慣も抜けないでいた。
あの頃は、いつも自分を怯えさせていた小さな人影が、出入り口にないかを確認して出掛けていた。思わず玄関先でビクリとして、そのたび「あ……」と遅れて思い出す。
魔法のないこの世界の話じゃない。もう『彼女』が現れない現実を思って、複雑な気持ちになったりもした。前世で自分を拾ってくれた恩人や、自分が仕えていた主人の面影を探してしまうたび、見切りを付けられていない己の未練たらしさにも失望した。
だから、騎士学校で『あの人』に会えた時は、飛び上がるほど嬉しかった。二度目の人生での奇跡的な再会だ、父への復讐や怨み事も頭から吹き飛んで目的がすっかり変わった。
強い感謝さえ持つようになった彼を、父は若干気味悪がった。しかし、その程度のことは、彼の二度目の人生設計に微塵の影響も与えなかった。
もう一度、あの人に仕える。
彼は、そのための苦労を惜しまなかった。将来のために幅広い知識を吸収したいのだと家族には言い、『従者として相応しい教養と技術』を再度完璧に身に付けた。死に物狂いで体力作りや訓練にも励み、あの人の隣に相応しくあろうと貴族としての自分磨きも怠らなかった。
血の滲む努力で、ようやく第一副師団長の座を得た時は、心の底から神に感謝した。そして記憶を持ったまま、二度目の別世界を生きているという数奇な運命にすら感謝した。
「この人に『また仕えられるようになって』、本当に良かった!」
再会出来たあの人の目には、『当時のあの後』のような曇りも陰りもない。これからよろしくと挨拶された手を強く握り返した後、感動のあまり思わずトイレで一人泣きした。
勇者という協力者を得て、魔王と魔族との戦争が終わりを迎えた。
戦いが終わって平和になっても、『主人』は変わらず強い意思を目に宿している。
世界中の不幸を背負ったみたいな表情はしていない。終戦祝いの式典で、陛下から謝辞を贈られる英雄達の中に堂々と立っている姿に感動して、彼はまた一人で泣いた。
夢みたいだった。もしかしたら二度目のこの人生は、神様が幸せになるよう与えた奇跡なのかもしれないとまで思った。
彼は前世と似た顔立ちで生まれていたのだが、目鼻立ちは現在の両親の面影もやや受けて『育ちの良いハンサムさ』が加わっていた。憧れた金髪で生まれたおかげもあって、態度と表情の雰囲気で印象も変わり、貴族らしい物腰もあってか美形に分類されてよくモテた。
終戦後に、親のすすめで可愛らしい婚約者も出来て、彼はとにかく幸せだった。虫が苦手で、花を愛で、不得意である刺繍を「立派なお嫁さんになるの」と彼のために一生懸命してくれていて……そんなまだ十五歳の幼い婚約者が可愛くて仕方ない。
そうなのだ。女の子とは、そうであるべきなのだ。
彼は、婚約者に癒されるたびにそう思ったりした。前世で彼を脅かしていた、動く自然災害のようなトラブルメーカーな男装少女を思い起こすたび、大人になった今でも悪夢にうなされる。
あれは、本当にひどかった。前世ではいつも胃薬が欠かせなくて、毎日賑やかで騒々しくて休む暇もなく――過ぎた一年と少しが、あっという間だったような気がする。
彼女のことは苦手だった。こっちの苦労も知らない、斜め上の活発的な行動力も嫌いだった。休まらない日々ばかりで、茶化すように追ってくる彼女に何度こう叫んだか分からない。
『構わないでくれていいですからっ!』
前世を生きていたあの頃、戦争が終わったら、引き続き自分と主人の手を焼くのだろうなと当然のように思っていた。それなのに彼女は、最後の最後で心残りもないような顔で死んでいったのだ。
手を伸ばしても届くはずもなく、弱かった彼では守ることなんて出来なかった。そうして彼の主人は神殿に引き篭もり、休む暇もなく人を救い続け、懺悔するように心身を削り続け、悔やみ続けて弱り果て、とうとう三十年余りという若さで早死にした。
だから、きっと第二の人生は、神様が自分にくれたプレゼントなのだと思った。幸福になるはずだった主人が、次こそ幸せな人生を歩む様子を見守れる権利。主人はきっと穏やかで美しい令嬢に恋をして、いつか彼に「妻だ」と紹介される日がくるはず……。
けれど終戦して数ヶ月経った頃、彼はおぞましい人物の面影を見かけた。危うく、もう少しのところで、以前の自分のような悲鳴を上げてしまうところだった。
考え過ぎだとは思ったのだが、見れば見るほど『彼女』は前世のままだった。
しかも、十数人の子分を従える親分として騒がしくしていた。その賑やかで騒々しい様子は、一番目の世界で旅をしながら仲間が増えていったのにも似ていて。
「…………いやいやいや。いやまさか、そんなはずは」
こんな偶然なんてないだろう。一抹の悲しみと悔いのまま自分が生まれ変わり、後悔で生を終えた主人もこの世界に転生し、そしてあの少女まで……?
風の噂で『問題児集団の第二班』の騒ぎを聞くたび、彼の嫌な予感は膨れ上がった。
あの人を近づけないでおけば大丈夫かとも考えていたのだが、運命は彼に味方してくれなかった。それもこれも、彼女にそっくりな『班長』が爆破事件を起こしたせいである。
調べてみると、前世の記憶があるのではないかと疑う要素がいくつか出てきた。幼少の身だったのに孤児達を助け、生きる術を教えていったこと。この世界の字は前の世界と同じで、だから『班長』が、子分達に字の読み書きを教えられたのではという推測も浮かんだ。
既に『主人』も関わってしまっている。
こうなったら、自分の目でも確かめてみようと彼は思った。もし、あれが本当に本人だとしたならば、――何も知らず二度目の人生を過ごしている主人と、そして自分の幸福な人生を守るためにも、退場してもらおう。