23話 三章 続・令嬢の話と刺繍(ムキムキメイドが気になって仕方がない)
空になってしまったテーブルの菓子を、もう何度目かの新しい皿と例のメイドが入れ替える。そのタイミングで、ようやくミッチェルが気付いたかのように目を合わせてきた。
「あら、話がそれてしまったわ」
そう口にしたかと思うと、彼女が足元に用意していた箱の中を探った。
ノエルは、その様子を不思議に思って見守りつつ、新しい菓子を手に取って口に運んだ。女性には到底思えないメイド達の「まだ食うのか」と刺すような視線を感じる。
「ふっ――菓子は別腹なのでいくらでも入ります」
とりあえず、小声で律儀に答え返しておいた。
そうしたら、箱の中をがさごそしているミッチェルがこう言ってきた。
「まずは『金の妖精』と言われている美少女がいることを、ラインドフォード様にはきちんとアピールしてちょうだいね。それから、私は刺繍がすごく得意なの。だから、その辺も伝えておいてちょうだい」
「へぇ、そりゃすごい」
思わず心からの声を上げたら、ミッチェルがチラリと目を向けてきた。
「あなた、刺繍は知っていて?」
「見たことはありますよ。すごく綺麗ですよね。うちのタイチョーのハンカチに柄が入っていて、刺繍だと教えられたことが――」
問われるまま答えかけたノエルは、あ、戦地の話だった、と察して口をつぐんだ。少し前まで刺繍の存在さえ知らなかったと分かったら、彼女を困らせてしまうかもしれない。
見守っていたメイドたちも、やや緊張感を漂わせている。
「そうなのね、とてもいいものでしょう?」
するとミッチェルが、戦争孤児の事情も気付かなかった様子で笑いかけてきた。そう言うと再び箱の中を探り始めて、ノエルは小さく胸を撫で下ろした。
その刺繍というものがあるのを知った時のことを、一人で懐かしく思い返した。
実は終戦の少し前、マッケイが負傷して左太腿にも大きな裂傷を負ったことがあった。襲いかかる魔族をザスク達に任せ、ノエルとディークとトーマスであり合わせの布を巻いて止血した。でも、彼の片目にかかっている血を拭う清潔な布がなかった。
どれで拭おうか考えていると、マッケイが息も切れ切れに、胸元にあるハンカチを指して「使え」と言ってきた。それは美しい白いハンカチで、蝶の刺繍がされていた。
『動ける者は、一時撤退しなさい』
片目が見えるようになったマッケイが、状況を見て蚊が鳴くような声でそう言った。日が暮れ始めている中、彼以外にも動けない負傷兵も数人出ている状況だった。
夜には魔族の活動力が上がるから、それまでには撤退の必要がある。
ノエル達は「分かった」と頷き、動けないマッケイと彼の部下を背負った。彼女はディークとトーマス、ザスクと二人一組で交代ずつマッケイを肩に担いだ。マッケイは負傷による発熱の中、うわごとのように「私を置いていきなさい」と呻いたが、ノエルは断固拒否した。
『誰も置いていかないよ。みんな、連れて帰る』
それにさ、大事なハンカチだって言ってたじゃん。帰ったら、汚しちゃったことを奥さんに怒られればいいよ。まだ動けるんなら、僕らの後ろでサポートしてくれればいいから――……。
ノエルがそう言うと、マッケイはようやく黙ってくれた。珍しく静かになったので、「重い」「脂肪を蓄え過ぎてるんじゃないの」とからかってみたら、まだ彼はノエルの頭を軽く叩くぐらいの元気があって、ディーク達と顔を合わせて笑ったことを覚えている。
「私が仕上げた刺繍なの」
そう話すミッチェルの声が聞こえて、ノエルはハタと我に返った。
いつの間にか、テーブルの上には真っ白い上質なハンカチが置かれてあった。そこには糸で、小振りな鳥のデザインが描かれている。
「うわぁ、すごいっ。これ君がやったの?」
感動して敬語も忘れて言葉をこぼしてしまう。しかしミッチェルは、礼儀だとかなんだとかで叱り付ける様子もなく、むしろ自慢げに胸を張って「そうよ」と答えた。
「一つ一つ丁寧にやることが大事なの。すごく時間がかかるんだから」
「へぇ、いいお嫁さんになれそうだね。うちのタイチョーも、刺繍が上手い奥さんはいいもんだって言ってた」
言いながら、リーダーには絶対無理だな、と笑っていたディーク達の顔もついでに思い浮かんだ。ジニーのように服のボタンも直すことが出来ないし、ノエルとしてはミッチェルの刺繍技術は尊敬しかなかった。
心からの褒め言葉に、ミッチェルが照れたように笑った。気取らないその表情は素直に可愛らしくて、まるで妹が出来たようでノエルも嬉しくもなった。
ノエルがにっこり笑い返すと、ミッチェルはパッと表情を明るくして「これも見て」と次々に作品を並べ出した。練習していた頃の物、試しでデザインをしてみた物。下手くそだった時にこっそり要らない布地に施した物など、彼女は努力と成長ぶりも隠さず見せて行く。
「柄が入ってるってなんだかいいなぁ。触ってみてもいいですか?」
「ええ、いいわよ。これなんて一番の力作なの!」
「凄いッ、これって教会とかにある有翼馬じゃん!」
「ふふん、顔と羽のところが難しかったけれど、一度やってみたかったのよね。あと! こっちは花柄なんだけど、小さな蕾をイメージしていて――」
ミッチェルの趣味である刺繍の話は、長らく盛り上がった。針と糸で作られる工程を少しだけ見せてもらったのも興味深くて、ノエルは過ぎる時間を忘れてしまったほどだ。
会話が落ち着いてようやく、「あ」と思い出した。チラリと小窓の向こうの陽の傾きを確認してから、満足そうな表情で紅茶を飲んでいるミッチェルへと目を戻す。
「そんなに第一師団長さんがお好きなら、刺繍のハンカチをプレゼントしてみるのはどうでしょうか?」
瞬間、ミッチェルが淑女らしかぬ様子で思い切り咽た。
二人のメイドが、野太い声で「ミッチェル様ッ」と慌てて駆け寄る。しかし、彼女はサッと片手を上げて「大丈夫よ」と制した。
待って待って。作っていないメイドの声、明らかに男のものじゃない?
ノエルは、元の立ち位置へと戻るメイドの姿を思わず目で追っていた。またしても軍人立ちする彼らを、ポカンと呆気に取られた表情で眺めてしまう。
「あの、お嬢様……? 今、そこのメイドの声めっちゃ太――」
「あなた、殿方にいきなりハンカチを渡すとか、そんなの無理に決まっているでしょう!?」
「いや、そうじゃなくて君のメイド――」
「それに、いいこと? 渡すなら、もっとちゃんとしたキレイなものでなければ駄目なの。もっと上手な子は多くいて、彼を狙っている令嬢は沢山いるもの」
赤くなった頬を両手で押さえ、ミッチェルは「なんて大胆なことを言うのかしら」と呟く。恋する美少女の恥じらいは、とびきり可愛らしく見えてノエルは「可愛いなぁ」と癒された。
しばし見惚れた後、ハタと我に返った。
彼女がこちらから視線をそらしている今、チャンスなのでは?
そう気付いて、好奇心に負けて疑わしいメイド達を見た。すると、薄らと顎髭が窺える二人のメイドの目が一層鋭くなり、口をパクパクとしてジェスチャーでこう伝えてきた。
『黙ってろ』
『詮索したら殺す』
ひぇ、とノエルは声を押し殺してゾッとした。
これ自分には無理よし諦めよう。一呼吸にそう思って、記憶から消去する方向でそっと姿勢を戻した。それから思考を目先に切り替えて、ひとまずミッチェルにこう言った。




