20話 三章 この元魔術師野郎、ちょっとおかしな事になってる…
雑用係りとしての第一日目の後半は、結果的にいえば平和に過ごすことが出来た。昼食をとったあと、フィリウスは別件の仕事で王宮の方へと行って深夜まで戻らなかったからだ。
そのままノエルは、マッケイに許可されて第二班と合流することになった。一晩振りに仲間達と夕食後のミーティングも行い、それからシャワーで汗を流した後、部屋を破壊した一件でたんまり支給されていた布団と枕を使い、枕投げ大会を実行した。
誰が味方で誰が敵かも分からないまま、しばし枕を投げ合って楽しんだ。そうしたら悪いタイミングでマッケイが扉を開けて、トーマスとトニーが放った枕が彼の顔面を直撃した。
「騒いでいると聞いて来てみれば、お・ま・え・ら・は!」
反省期間一日目だぞ分かってるのかと、近くにいた騎士から手渡されたハンカチで鼻を押さえながら、マッケイはノエル達を廊下に正座させて長々と説教した。
そこで仲間との集まりは強制終了となり、ノエルは渋々四階の仮部屋へと戻った。
部屋は、フィリウスが戻っていないこともあって広く感じた。遊び足りなさもあって眠気を感じていなかったのだが、ミッチェルの件で精神的な疲労もあったせいか、寝慣れないベッドに身を沈めるとホッと全身から力が抜けていって、あっという間に深い眠りに落ちた。
※※※
夢も見ないほどぐっすり眠っていたノエルは、朝の気配を感じて意識が浮上した。
瞼を持ち上げるまでには至らず、覚えた肌寒さに手探りでシーツを引き寄せた。もう少しだけ眠っていようと思って、そのまま身体を丸めるようにして枕に頭を押し付ける。
すると、まるで仲間達と雑魚寝をしている時のような温かさを感じた。心地良さと共に安心感が込み上げて身体から緊張が抜けて、夢見心地のまま温もりに身を寄せた。
さすがは上等なベッドだと感心しながら、うつらうつらと頭の中で予定を立てる。
今日から早速、ミッチェル嬢について、さりげなくアピールしていかなければならないだろう。そういえば、彼女はどうやって自分と連絡を取るつもりなのか……。
そう考えながら温かい枕に頭をすり寄せた時、大きな手で頭を撫でられるような感触がした。顔にかかった髪をすくい上げられ、くすぐるように耳の後ろまで優しく梳かれる。
そこでノエルは、「ん?」と訝って重い瞼を持ち上げた。
目を開けてみると、横になったままこちらを覗き込むフィリウスがいて――一瞬ほど、頭の中が本当に真っ白になった。
「…………師団長さん? なんでココにいらっしゃるんですかね」
「おはよう、ノエル」
腕枕をしている彼が、にこっと美麗な顔で笑いかけてくる。
「仮とはいえ、ここは俺の部屋だろう」
「部屋のことじゃありません、なんで僕のベッドに当然のように横になっているんですかって訊いてんですよ。あんたは自分のベッドで、ちゃんと眠りやがれって話です」
なんで僕のベッドにいるんだよお前は、とノエルはブチ切れそうになった。それなのにフィリウスは、またしても「ノエル」と呼んで目元を穏やかに細めただけだった。
慣れない彼の空気に、なんだかますます居心地が悪くなる。気のせいか、慣れ慣れしく名前を呼んできた声もどこか甘いような気がした。
「あの……師団長さん、呼び捨てはどうかと僕は思うんですよ」
「前世からの付き合いだろう。お前も俺の名を呼べばいい」
「え。いや、無理ですよ」
何言ってんだ、つかあんたキャラ違くね?
前世でも僕ら、名前を呼び合うような仲じゃなかったよね?
ライバル同士だったとはいえ、色々とすっ飛ばして一気に距離感を縮めすぎではないだろうか。そうノエルが困惑していると、フィリウスが口角を小さく引き上げた。
「そっちが確かめると言ったんだろう」
「へ? ああ、勘違いの件ですか。それで『恋人ごっこ』みたいなことをしているんですね。――つまり『ごっこ』で師団長さん自身の感覚を探る、というわけですか?」
「そうだ」
尋ねてみたら、彼がやけににっこりと笑って答えてきた。
なんだそんなことかと警戒を解いたノエルは、納得出来ない部分もあって少し考えた。その間も、フィリウスにずっとにこにこと観察されているのが気になった。
「なるほど。しかしですね、やっぱり解せません。なぜ、この距離感からのスタートなんですか、おかしすぎます、あんたの常識が凡人の僕に理解出来ないだけなんでしょうか?」
「恋人同士の朝の目覚めはこういうものだ」
どこか上機嫌に説明しながら、彼がノエルの髪を撫で梳く。
「勘違いかどうか、分かるまで協力してくれるのだろう?」
そう言われたノエルは、顔が引き攣りそうになった。
もしや彼は、恋じゃないという実感を得られるまで、こうやって好きな相手に取るような行動を続けるつもりなのだろうか。頼むから、困っている相手に平気でそれをやってのける時点で、それは恋などといったものではないと気付いて欲しい。
「――失礼ですが、師団長さん。初対面時とのギャップが凄過ぎて、僕の精神的な何かが確実に擦り減るんで、その検証に関しては僕の出来る範囲でお願いしていいですか」
思わず額を押さえてそう言った。ふと、そういえば実際のところの確認効果はどうなんだろうなと思って、近くにある彼の顔へ目を戻して尋ねた。
「ちなみに、今やってみて何か感じることはありました?」
「これだけでは分からないから、このままキスしてみてもいいか?」
「え」
美麗に笑い掛けてくるから一体何を言うかと思えば、とんでもないことを提案された。
「『好き』が溢れて他のところも触るかもしれないが、それはそれで確かめられると思わないか?」
「ちっとも思いません! あんたまた寝惚けてんですか!?」
やけに熱っぽい眼差しで見つられて、勘違いとは恐ろしいものだと悪寒を覚えた。危険を察知したノエルは、咄嗟に近くにあった彼の顔を両手で押しやった。
不意に、フィリウスの笑みが不敵なものへ変わった。紫の瞳がどこか悪巧みを考えているように輝いて見えて、知らず悪寒が背筋を駆け抜けて沸々と警戒心が込み上げる。
「俺は寝惚けていない。行動を起こしてみないことには確かめようもないだろう?」
「やめてください、あんたの言う『行動』は規格外すぎて怖いんですよ! そもそも僕は『恋人ごっこ』的な行動はあまり知らないし比べようもないかと思いますッ」
キスはさせねぇよッと少し身を引いたノエルは、最後は気持ちのまま一呼吸で言ってのけた。
なぜか『恋人ごっこ』の下りで、彼がどこか嬉しそうにも取れる笑みを浮かべていた。この嫌がらせみたいな行動、もしや報復一つだったりするの、と疑問が過ぎって委縮しそうになった。
「いいですか、師団長さん」
ノエルは気力を取り戻すように声を出すと、言い聞かせるようにして近い距離にあるフィリウスにビシッと指を突き付けた。
「トラウマの要因が僕にあるようなので仕方なく付き合いますけど、それは僕が出来る範囲に限りますッ。ついでなんで言っちゃいますけど、あんた何考えているのか分からないから、勘違いだと分かった時はすぐに教えてくれると有り難――って、僕の話ちゃんと聞いてます?」
真面目に説教しているというのに、フィリウスかより柔らかい微笑みを浮かべていた。警戒心もなく笑う顔は、全てを手に入れた幸福そうな別の男のそれにも見えて――。
その途端に、ここで怒るのは場違いな気がしてノエルは言葉が途切れた。
前世の魔術師野郎が、こんな表情で笑うのは見たことがない。トラウマがなければ今頃、彼はフィリウス・ラインドフォードとして自分の恵まれた人生を謳歌し、誰よりも幸福な男として暖かい家庭さえ築けていたのではないだろうかと想像してしまう。
どうして、この男に前世の記憶なんてものが残ってしまっているんだろう。もし神様がいるのなら、ミッチェルと同じく彼の記憶もキレイにリセットすべきだった。
そうしたらこうして会うことも、過去を辛く語ることさえ彼はしなくて済んだのに?
その時、こちらをじっと見つめていた彼に手を取られた。おもむろに握り込んだ指先を口許に持って行かれて、押し当てられた温かい唇の感触に「は?」と我に返る。
こちらを見据える紫の瞳に、止めなければもっとするが、という言葉が見て取れた。
何やってんのこいつ、と理解が追い付かなくて呆気に取られていると、一つの指をパクリと食べられてしまった。ノエルはびっくりして、すぐさま手を取り返した。
「なッ、ななな何してんですかあんたは!?」
「好きな女の指が近くにあったら、普通なら触らずにはいられないだろう?」
「当然みたいな顔で何言ってんの!? というか、口に入れる必要がどこにあった!? 僕の指は食べ物ではないんですがッ」
「確認作業の一環だ、気にするな」
「気にするわああああああ!」
ノエルは、若干涙目になって叱り付けた。
するとフィリウスが、楽しくなってきたと言わんばかりに爽やかな笑みを浮かべた。
「時間が短かったから、よく分からなかったな。もう一度試してもいいか?」
「この流れで!? 僕、駄目だって言ったよね!?」
同じ言葉を喋っているはずなのに、まるで話しが通じないとはどういうことだろうか。もういっぱいいっぱいになったノエルは、警戒した猫のようにベッドから逃げ出した。
「とにかくッ、人様のベッドに潜り込むのは禁止です!」
十分な距離を開けて、指を突き付けて宣言した。
そうしたら彼が、もうしまいにするというように起き上がって「約束しよう」とあっさり承諾した。




