17話 二章 リーダーの悩み
執務室を出た後、ノエルはもんもんと悩みながら、演習場の土をならす作業を行っていた。陽は高く昇り始めており、日差しは熱を持って眩しく降り注いでいる。
報復や仕返しの心配はなくなったが、それ以上に面倒なことになったような気がする。
むしろ、ただ嫌われているだけであった方がマシだったのでは……と今更のように思い至ったりもする。そもそも感情の理解は本人しか分からないと思うし、一体どうしろと?
「まずは、……情報集めかな」
あの場を落ち着けるためとはいえ、確認作業に協力すると宣言してしまった。
第一師団長フィリウスの『雑用係り』の期間は一週間だ。それ以上巻き込まれるのは勘弁願いたいので、その短期間に、どうにか彼が納得するようにことを解決したいと思う。
先程、休憩戻りの眼鏡の事務官の青年と擦れ違っていた。彼にそれとなく聞いた話によると、フィリウスは女性にとても人気があるらしい。侯爵家の一人息子であり、将来は王国騎士団の総隊長の地位が約束されているとかで、社交界でも注目を集めているようだ。
二十七歳の侯爵家の跡取りであるのに、これまで見合い話や恋人の噂もない。両親や周りの人達が心配して、結婚に興味を持ってくれるよう動いたりしているようだが、女性を紹介しても必要でなければ名前さえ覚えてもらえない鉄壁ぶりで、大変困っているのだとか。
「どうした、リーダー。小腹でもすいたのか?」
近くまで来たトーマスが、難しい顔をしているノエルに気付いて声を掛けた。
演習場は、第二班だけでは人の手が足りないほど広い。全員が方々に散らばって、土ならしの道具を手に引っ張り歩いているところである。
「腹は減ってないけどさ」
ノエルはそう答えながら、作業の手を止めて腕を組んだ。それを見た彼が「珍しいな」と目を丸くして、軽い足取りで駆け寄って再度尋ねる。
「考え事か?」
「うーん。例えばさ、超美人なお嬢様が挨拶しにきてくれたら、男としては胸がトキメいて名前もバッチリ覚えちゃうよね?」
「そりゃあ、男としてはそうだろうな。トニーだったら喜び上がって、相手の話の一字一句を頭に入れて趣味の好き嫌いも聞き出すと思う」
僕だって美女の名前は忘れないな、とノエルは納得して頷く。
「じゃあ、やっぱり名前すら覚えないような男は珍し――」
「興味がなかったら、案外記憶に残らないもんだぜ? 俺、数日で忘れるもん」
「え、そうなの?」
「そうなの」
トーマスはそう言うと、用具に寄りかかって「というかさ」と言葉を続ける。
「うちのメンバーの中で美女と可愛い女の子あたりに弱いのは、ある意味恥ずかしがり屋のミシェルとジニーを除外すると、トニーとリーダーだけだしな――あ。リーダーが同性に感じているトキメキは恋じゃないから、そこんとこは勘違いしないように」
「そんなことくらい僕も知ってるよ!」
何言ってくれちゃってんのこの子分、とノエルは思ってそう言った。可愛いしイイ匂いがするし、きゅるんとした女の子もツンな美少女も、大変良くてドキドキしてしまうだけである。
「どうだか。リーダーってば、女の子にはとことん甘い顔するんだもんなぁ」
「それじゃあ僕が、タラシみたいじゃないか」
「実際そうなんだよ。その背中を見て、我らがトニー坊はああなった」
「え……ちょ、待って――それ、マジな話?」
「マジだよ」
ノエルは「そんな事実があったなんて」と衝撃を受けて、一歩分後ろによろけた。これまでのことを振り返ってみるけれど、正直心当たりが多すぎて信憑性が増す。
立ち止まった二人を、作業を続けているディーク達が不思議そうに見やった。
彼らの視線を横顔で感じた彼女は、気を取り直すことにして「じゃあさ」と改めて尋ねる。
「話を戻すけど、もし『名前すら覚えない』のが、二十代半ばも過ぎた立派な大人の男だった場合はどうなの? 大人の男でも、女性に興味が湧かない人っている?」
するとトーマスが、呆気に取られた顔でズバッとこう言った。
「そもそも女に興味がない男なんていねぇよ」
「あれ、おかしいな。さっきは『興味がなかったら数日で名前忘れる』って言ってなかったっけ?」
「数日は覚えているくらいは、男としてはそれなりに興味はあるってこと。十代の俺らに比べたら、大人の男だったら尚更そうだろ」
そういうもんかなぁ、とノエルは口の中で呟いた。いまいちよく分からない。やっぱりフィリウスが、ちょっとおかしいということだろうか?
普段なら「そっか」と終わらせる彼女が、引き続き悩んでいるような様子を見たトーマスが、吐息混じりに言った。
「どこでそんな悩みを拾ってきたのかは知らないけどさ、その男に恋人がいるとか、ぞっこんの相手がいるとかだったら、よその女には目が向かなかったりするもんだし、考えすぎだって」
「おい、一体なんの話をしているんだ?」
先程まで向こうにいたはずのディークが、駆けて来て会話に割って入った。トーマスが「実はさ」と手短に事情を説明すると、彼は半ば呆れたようにして頭をかいた。
「男の事情を、リーダーに話すのもどうかと思うけどなぁ」
「だってさ、質問するくらい気になっているみたいだったから」
でもそういえば、理由は分からないんだよな、とトーマスは首を捻る。
すると、ディークが何か思いあたる節でもあったかのような顔をした。その途端、ああなるほどと察した様子で、困った笑みを浮かべてノエルを見やった。
「さては、あの鬼の師団長に近付きたい女から、早速何か言われたりでもしたんだろう?」
「へ?」
「貴族としての身分も高いうえ美形だし、結婚相手としたら最優良物件だもんなぁ。まっ、師団長の趣味やプライベートのことを訊かれたら、とりあえず『僕には分かりませんので』って言って済ましておけばいい。そうすりゃ、大抵の相手も『そうなのか』で諦める」
ディークは安堵を促すように、にっこりと笑い掛ける。
正直言うと、そういった事態に巻き込まれることは考えていなかった。今はフィリウス一人で手いっぱいなのに、奴の他にも何か起こるの、とノエルは顔が引き攣りそうになる。
「……あまりここから出ないで済むと思うし、大丈夫なんじゃないの?」
「惚れた男に近づくためなら、あの手この手で接触しようとするもんだぜ。ウチに出入りしているメイドにも、一応気を付けておいた方がいい」
そういえば、昨日からメイド達の視線を感じるような気もしないでもない。まさかそんなこと……とは思うものの、その推測が現実になってしまったりしたら、ノエルは困る。
とすれば、ここは当のフィリウス問題を本気でどうにかしなければならないだろう。あの迷惑な元魔術師野郎も、なんでライバル意識を『好き』だと勘違いしているのか。間違いであると気付かせるには、一体どうしたら――と考えたところで、ふと閃く。
彼が誰かと本当に恋にでも落ちれば、全ての問題が手っ取り早く解決するのでは?
ディークとトーマスが見守る中、ノエルは「ふむ」と真面目に考えてみる。女性にモテているし、周りは彼を結婚させたがっているし、これ、チャンスはいくらでもあるのでは?
「――なんだかいけそうな気がしてきた」
「お、リーダー復活か?」
「さすがディークだな。リーダー、その調子だぞ。魔法の呪文だから覚えておけよ、『僕には分かりませんので』だからな」
トーマスは安堵したように肩から力を抜くと、そう言ってようやく陽気に笑った。