15話 二章 二人の話×僕が一番目の世界で死んだ理由
強く嫌われるという経験がなかっただけに、魔術師野郎との出会いはある意味、印象的でもあった。喋れば文句が飛び交い、休む時だって彼は絶対に近くに座らなかった。
「そもそも、嫌われていると気付かない方がおかしいでしょ」
最後の休憩となった時も、顔を合わせないように座っていて木越しに話したものだ。そう思い出したノエルは、溜息がこぼれそうになって、わざと明るい調子でそう言った。
「顔を合わせるたび『嫌いだ』『認めない』って言われてましたもん。魔術を使っても勝てないのが悔しいからって、ずっと上手くやらない態度を貫くのもどうかと思うんですけどね」
「初対面で強さを自慢されたあげく、『お前は絶対に僕を超えられないぜ』とふざけた言い分をする奴がいたとして、お前はそいつと上手くやれると思うか?」
「あ……、え~っと、それは難しいかもしれませんね」
そういえば、そんなことも言ってのけたのだったと思い出して、ノエルはぎこちなく視線をそらした。あの頃は失う物がなく、若くて強くて怖い物知らずだったのだ。
そこに関しては、自分も悪かった点がいくつか思い付く。会話が途切れた沈黙を聞きながら、もそもそとソファに座り直し、意味もなく菓子を口にして一人静かに反省する。
するとフィリウスが、独り言のように言ってきた。
「二歳年上だろうと、結局のところ子供だったんだ。ロックフォレスはお前のことが嫌いで、苦手で、憎くてたまらなくて、いつか負かしてやりたいとずっと思っていた」
生まれ変わった時、前世の記憶や感情に混乱させられた。誰に話せないまま、一人の魔術師として生きた記憶を抱えて過ごすのがとても苦しかったのだ……、と小さな本音がこぼされる。
ノエルは、ポツリと続けられたその言葉に胸が痛くなった。
らしくなく俯いている彼が、どこか重く悲観するような様子でいるからだろうか。
なんだか少し可哀そうだと感じた。これまで誰にも打ち明けられなかった愚痴であるのなら、同じ世界を生きた人間として、少しくらい付き合ってやってもいいだろう。
「――うん。苦手に思われているのも、嫌いで憎くて、僕のことを心底負かしたいと思っているのも知ってました。闘う分野が違うのに、子供みたいに張り合わされましたから」
思い出して、テーブルへ目を戻しながらふっと苦笑を浮かべてしまう。
「これだと道中の戦いにも支障が出るかもしれないと言われたんです。だから皆で少しだけ考えて、一度だけ上手く負けてやったことがあったんですけど、そうしたら逆切れされて――あ、思えばずっと不思議だったんですけど、どうしてあんなに怒ったんですか?」
そういえばそうだったと、ノエルは本人に尋ねてみることにした。そのまま顔を向けてみると、いつの間にか彼が、自分の珈琲カップを持ってすぐそこまで来ていて驚いた。
フィリウスは向かいのソファに腰かけると、長い脚を組んで改めて彼女を見据えた。
「プライドが許せなかった」
「うっわ、くだらな」
表情も声も真剣であるのに、短く語られた回答に「ガッカリだよッ」と拍子抜けして言ってしまう。しかし、本音をこぼした矢先、思い切り睨まれてしまって焦った。
「だ、だってそうでしょう? こっちは仲間と話を合わせて、練習して、名演技級並みに上手く負けてやったんですよ? それなのに、これまでにないくらい怒られたんです」
「ずっとお前だけを見てきたんだ、手を抜かれたことくらい分かる」
「…………」
なんだか、実はライバル視してました、と本人から告白されているみたいだな……。
そう感じてノエルは困惑した。そう考えると、しつこく付きまとわれた理由としては頷けるような気もするし、つまり同性のライバルとして実力くらいは認められていた?
「……うーん、なんだかやっぱりすごく面倒臭いなぁ」
「失礼な奴だな」
彼はそう言ったものの、ふんっと鼻を鳴らしただけで珈琲カップに口を付けた。しかし、テーブルに戻したところで、フィリウスの眉間の皺が深く険悪なものに変わる。
「ちッ。そういえば俺は、お前に散々迷惑を掛けられて、生まれ変わってもずっと悩まされ続けたんだったな。思い返しても腹立たしいし、自分の馬鹿さ加減にも苛々する」
「落ち着いてください師団長さんッ。前世での話はもう無効ですよね!? ほらっ、生まれ変わった今はすごく反省していますし、今世では迷惑なんて掛けてないですもんね!?」
ただならぬ殺気を感じて、ノエルはたじろいだ。保身しつつもしっかりフォローしたつもりだったが、なぜかフィリウスに凄まじく睨まれて「ひぇっ」と身が竦む。
やたら綺麗な顔に成長しているものだから、そうやって凄まれると威圧感も増し増しになる。
だが、唐突にフィリウスの瞳が揺れて怒気が消えた。
ふいっとそらされた顔は、まるで痛みを我慢する子供のような表情をしていた。まだ前世の記憶に見切りをつけられていないのだと、ノエルは軽い気持ちで話に付き合ったことを後悔した。
ライバルがいなくなって、戦争が終わって。
でもそれは、ノエルが掘り返していい話ではないのだろう。ここで仕舞いにしましょうと提案すべく、またしてもらしくない様子で俯いている彼に気遣う声で言った。
「師団長さん、もう終わったことですし、あまり思い詰めるのも良くないと思うんですよ。だから、この話は終わ――」
その時、それを遮るように彼から発せられた問い掛けが、ノエルの言葉を失わせた。
「なぜ、一人で逝った?」
「…………え?」
「結局最後まで、俺はお前の隣に立てるような魔術師じゃなかったということか」
まるで責められているようで、そんなことない、と答えたかったのにノエルは声が出なかった。
あの時の自分の判断が、間違っていたと思ったことはない。たった一人、自分の命だけで全て収まって、皆が助かってくれて良かったと、そう彼らも感じてくれていると思っていた。
「お前は、残されていく人間のことを考えたことがあるか」
だから、このような形で非難の声を聞くなんて想定していなかった。
「そりゃ、考えなくもない、けど……」
ぐらぐらと不安で揺れて、ノエルは声が小さくなる。
「だって、しょうがないじゃないですか。余裕はなかったし、どう考えたってあれが最善の方法で、僕らは戦士として集まって命を捨てる覚悟で――」
「でも他にもやりようはあった」
真っこうから否定するように、フィリウスが強い口調でそう断言してきた。睨み付ける眼差しは怒りが滲み、その声は叱り付けるように強くてノエルはビクリとしてしまう。
「お前には魔術の知識がない。そんなお前が取った行動は――いや、大方相手に言いくるめられたんだろうが、地に堕ちた神にとって一番救われる『殺し方』だった」
「え、神様? ……ちょっと待ってください。僕らが戦っていた相手は魔物でしたよね?」
「後の調査で、信仰が薄れた土地の神々が『堕ちた』ことが原因だと分かった」
対峙した時に強い畏怖を感じただろうと促され、ノエルは「確かに……」と呟く。魔力を持っていない自分にも、対面した異形の大魔物が異常な存在であることは肌で感じていた。
でもまさか、神という言葉を聞くことになろうとは思ってみなかった。
「神聖なる存在は、堕ちると神としての自我を失う。高位のモノほど清らかな魂に惹かれる習性があり、あそこに集ったメンバーの中で唯一それに該当する者がお前だった」
「清らか……? あの、僕、別に清らかでもなんでもないんですけど……。ご存知の通り、よくちょっかい出して怒らせたり、その、むしろ真っ黒というか……?」
「奴はお前に最後の救いを求めた。それが全てだ」
フィリウスは、どうしてかとても固い表情をしている。
確かに、あの声は自分にしか聞こえていないようだった。でも魔術師野郎が張った守護結界の中には、優しい心を持った女性戦士達だっていたはずなのになと思う。
ノエルは思わず首を捻った。
「そもそも、救いって?」
「アレは殺しても死ねない存在に対して、互いの了承があって初めて成立する巫女の魔術の一つだ。『あなたのために、この身と命の全てを捧げて共に逝きましょう』という、贅沢にもほどがあるクソ忌々しい魔術だ」
語るフィリウスから、静かな怒気が発せられている。苛立ちと共に低くなる声は、その場の空気を押し潰すような威圧感があった。
なんだか怖くなって、ノエルはこの深刻そうな雰囲気をどうにか出来そうな言葉を探した。するとフィリウスが立ち上がって、ツカツカと隣に移動してきた。
驚いて半ば身を引く暇も与えず、逃がさないとばかりに彼がガシリと腕を掴んだ。
「巫女の詠唱が可能なのは女だけだ。だから鈍感な俺でも、お前が女だと気付けた」
「あ……そう、なんですか……じゃあその時に」
「ああ、そうだ。その時になってしか気付けなかった」
苛立ったようにフィリウスは言う。
「なぜ、あんなバカな真似をした?」
「バカな真似って、だってあの、さっきも言ったけどそれしか方法が――」
掴む手に力が込められ、ノエルは腕に走った痛みに言葉を切った。ぐいっと引っ張られたかと思うと、近くから美しい紫の瞳で睨まれてしまい目を見開く。
「あれはな、敬愛する存在との心中のようなものだ」
「心中……?」
互いの了承があって、そうして共に命を失ってしまう魔法。
そう考えると、人間同士だったらとしたら、心中という言い方もあるのかもしれない。けれど、ノエルとしては、命を失う強力な魔術と説明された方がしっくりくるから戸惑った。
「どう丸めこまれたのか知らないが、アレはお前を気に入り、望み通りお前を手に入れて消滅した。――それを、俺が許せると思うか?」
彼が何を言いたいのか分からない。どうしてそんなに怒っているのだろう?
そうノエルが困惑していると、フィリウスが怒りを滲ませたまま言葉を続けてきた。
「お前が女の顔をして穏やかに笑うのを見たのは、あれが初めてだった。お前はいつも不敵に笑うか、怒るような顔しか見せなかったのに……だから俺は、お前の信頼を一身に受けて共に逝ったアレが憎くて仕方がない。あの時の自分の非力さを、どれほど悔やんだことか」
「えっと、師団長さん? ちょっと落ち着――」
「想像出来るか? 悔いのまま前世とは違う世界に転生し、あの頃の俺が望んだような恵まれた血族の長男として生まれた。この世界の話ではないのだと己に言い聞かせようと、俺は前世の記憶の何一つを忘れられなくて……お前を忘れられなくて………、気が狂いそうだった」
消え入る声と共に顔を伏せて、フィリウスが掴んでいた手を離していった。




