11話 二章 雑用係任命1日目、早くも頭が痛いです
懐かしい夢を見ていたノエルは、寝苦しさを覚えて目が覚めた。
目を開けてみれば、見慣れない頑丈な造りの高い天井が見えた。背中を受けとめているベッドも、なんだかいつもより上質で柔らかい心地である。
疑問に思って記憶を辿ったところで、自分が四階の寝室にいることを思い出した。眠りに落ちた時より苦しくなっている事態を確認すべく、どうにか視線を動かしてみる。
うつ伏せたフィリウスの片腕に、ぎゅっと抱き寄せられている状況になっていた。とにかく重いし苦しいし、ついでにいうと彼の体温が高くて暑苦しい。
「…………つか、僕は枕じゃないんだけど」
寝相が悪すぎるだろ、と真上にある男の寝顔を恨めしげに睨み付けてみる。そこにあったフィリウスの顔は、見れば見るほど前世の魔術師野郎そのものだった。
深い眠りに落ちているせいか、彼の眉間には見慣れた皺はなかった。すやすやと熟睡しきっていて、こちらが起きていることにも気付かない様子で眠り続けている。
「ったく、何が不眠症だよ」
忌々しく呟いたノエルは、まずは腕を退かそうと動いてみた。しかし、フィリウスの腕は固くがっちりと力が込められていて、押しても引いてもびくともしない。
チクショーっと半ば意地になって身をよじった。なんとか抜け出せそうなくらいの隙間が出来てくれたのも束の間、彼の腕が追い駆けてきて再び抱き寄せられてしまう。
「……なんなのこいつ、普段枕でも抱っこして寝てんの?」
ノエルは思わず舌打ちした。もう遠慮してやるもんかと腹部に蹴りを入れ、一瞬の隙にベッドから飛び出そうとした瞬間、腹に素早く腕が回されて元の位置に連れ戻された。
非常に性質の悪い寝相である。
おい勘弁してくれよ、とノエルは朝っぱらからぐったりしてしまった。両脇に入るだけの人間を抱え込むというディークの寝相が思い起こされて、同じ調子で叱り付けた。
「お前、起きろってんだこのッ――……おっほん。起きてください師団長さん。めちゃくちゃ迷惑です、苦しいです。だから今すぐ離しやがってください!」
相手は魔術師野郎ではなく上官なのだ。そう考えて口調を意識したノエルは、その直後、ぎゅっと抱き締められて「ぐぇッ」と絞め上げられた鳥類のような声をこぼしてしまった。
こいつ、僕の肺を潰す気か?
それはそれでヤバいぞと焦りが込み上げ、ノエルは必死になって身をよじった。しかし、フィリウスは腕の力をゆるめるどころか、更に力を込めて締め上げてくる。
ノエルは最後の手段に出ることにした。もはや遠慮せずに全力で訴えるという方法をとり、近くにある彼の寝顔を両手で押して猛抗議した。
「マジで起きやがれってんですよ! めちゃくちゃ苦しいからっ! あんたのせいで時間も確認出来ないし、そうなると猛烈に今の時刻が気になってくるんですけど!?」
師団長クラスの人間が寝坊したとしても、任務がなければ放っておかれるくらいのことはあるのかもしれない。でも緑の騎士であるノエルは、確実にマッケイから説教を喰らう。
「ったく、悪夢のせいで眠れないって言っていたのは、どこのどいつだよッ」
ノエルは、ぐっすり眠っているフィリウスの寝顔を忌々しく押しやった。
諦めずぐいぐい押して抵抗を続けていたら、不意にフィリウスが僅かに身じろぎした。あ、と思ってピタリと手を止めて待っていると、その目が薄らと開いてこちらを見た。
「良かった、ようやく起きました? 師団長さん寝相悪すぎますよ、今すぐ僕を解放してくれません?」
「…………バリー? ……いや、ノエル・バランだったか」
すっかり寝惚けた声だった。
今にも眠り落ちてしまいそうな呑気な声を聞いて、何が不眠症だ、あれだけ騒いでも起きないとはどういうことだ、とノエルは苛々して彼を睨み付けた。
「そうです、緑の騎士、第二班のノエル・バランです。あんた勝手に眠る宣言してから、今の今までぐっすり眠っていたんですよ。とりあえず不眠症っぽくはないし、寝相が悪いのも分かりました。悪寝相に関しては迷惑なので、そこに僕を巻き込まないでください」
どうせ半分寝惚けている相手だと開き直り、ノエルはそうズバズバ言ってのけた。反応がなかったので怒るように眉をつり上げて見せたら、こちらをぼんやりと見ていたフィリウスの目が、ふっと唐突に柔らかく細められた。
冷酷な第一師団長という印象が、変わってしまいそうなほどの優しげな微笑だった。戸惑っていると後頭部を抱き寄せられて、そのまま存在を確かめるように頭を撫でられてしまう。
「良かった、ここにいたのか」
寝起きの低い声のはずなのに、ぞわっとするくらい甘いようにも感じる。
頭を撫でられ続けているノエルは、込み上げる悪寒に顔を引き攣らせていた。どこか満ち足りたような、穏やかな微笑を浮かべている彼の端整な顔を、本気の困惑顔で見つめてしまう。
「あの、……僕はずっといましたよ? つか、あんたがガッチリ掴んでくれちゃっている状況のせいで、こうして動けないでいるんですよ」
ノエルはそう言うと、「だからとっとと離してください」と抜け出すべく抵抗した。しかし、フィリウスは相当寝起きが悪いのか、引き続きやめずに柔和な微笑みで見つめてくる。
「ねぇ、師団長さん、師団長さんってば! 僕の言葉を理解していますか? もしかして、まだ寝惚けてるんですか?」
「どうだろうな。そうかもしれない」
「おいコラ、あんたキャラが違い過ぎるだろ」
尋ねてみたら、にこっと笑いかけられて「よしよし」と頭を撫でられてしまった。とうとうノエルは、プチリと切れて思わず素の口調でそう言った。
「いい加減ちゃっちゃと目覚めてくださいよ! というか、猫か犬みたく頭を撫でるんじゃないッ。へたれ魔術師野郎だって、こんな寝起きの悪さはなかったと思うけど!?」
旅の道中だって普通に寝起きてただろと指摘してやった途端、ベッドに背中を押し付けられて、気付くとフィリウスがこちらを見下ろしていた。
「一体なんですか、どいてくださいよ」
不機嫌な声でそう言ってみたのに、フィリウスはどこか真面目な顔で見つめてくる。
まだ頭が目覚めていないのだろうか。そう訝っていると、不意に、彼の指が唇をなぞってきて独り言のようにこう言った。
「……ここに」
「なんですか」
「キスしてもいいか」
「――は?」
こいつ、まだ寝惚けてんのか?
ノエルは、自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。全女性を代表して成敗してくれるわと拳を握り固めると、フィリウスの腹に狙いを定めてこう叫んだ。
「駄目に決まってんだろ! そういうのを初めてのやつに求めるとかサイテーだ!」
そう一喝し、彼女は今世の上官を殴り飛ばしたのだった。