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暴動

「今度のことはすでに本国にも通達済みだ。クレスケンティア公がすぐに抗議の檄文を何百と飛ばしてくる」

「お父さまが……」


 私の父、クレスケンティア元国王は、敗戦したときから王位を剥奪され、今は一地方の公子を名乗らされている。クレスケンティア宮廷の中枢にもレムールの議員たちが多数入り込んではいるものの、当地では依然として父が一番の影響力を持っていた。


 クレスケンティア大使のヴィルトゥスがそう言うのであれば、もはや衝突は避けられないのだろう。私の父がこれをレムールからの支配を逃れる好機ととらえる可能性だってある。


 大事になってしまったとうなだれる私をどう見たのか、ヴィルトゥスは少し慌てたような声を出した。


「そんな顔をするな。お前を責めているわけではない。俺のほうこそむしろ詫びねばならん。俺がついていながらこんなことになってしまい、本当にすまない」

「そんな、お兄様は何も悪くないのに……わたくしがふがいないせいで……」

「それは違う。絶対にお前のせいではない。あの無能王子、やはり隙を見て撃っておけばよかった」

「お兄様……冗談でもそんなことおっしゃらないで」


 私が懇願するように胸の前で手を組むと、ヴィルトゥスは苦い顏をした。


「お前……あれほどの辱めを受けておきながら、まだあいつを……」

「同情でしょう。憐れんでさしあげているのですよ。グラツィア様はお優しいから、これから破滅する予定の男に鞭打つのをためらっておいでなのでしょう」

「そう……なのかしら……」


 私はまだ、自分の気持ちに整理をつけられないでいた。


 リカルダにされたことでずいぶん苦しい思いはした。できれば事務的なパートナー以上の、親密な関係になれればいいと思いながら、ニーナに邪魔をされていた日々は精彩を欠いていて、まるでゼウスの恋人に嫉妬するヘラのように、やりきれない思いを抱いたりもした。


 それでも、リカルダのことが憎いのかと言われたら、違うような気がした。

 もしもやり直せるのなら、そうしたいと思う気持ちは、憐れみなのだろうか。


 ひょっとしたら私はリカルダのことを――


 シリウスは私の気持ちに深い理解を示すかのように、うんうんと頷いてみせた。


「なんといっても彼はラルウァ様の忘れ形見なのですから、迷いが出て当然です。好きでもなんでもなくても、情がわいてしまっては切り捨てにくいでしょう。心うるわしきグラツィア様には、特に」


 シリウスがすべて決めうってそう結論づけたので、私はなんとなく、それ以上考えるのをやめてしまった。リカルダのことは思い出すと胸が痛む。心の整理をつけるのはもう少しあとでいいはずだ。


 食事のときの癖なのか、今朝届けられたばかりといった様子のメッセージカードをいくつも机に広げていたシリウスが、そこでふいに声を大きくして言った。


「おや、緊急連絡ですよ。宮殿は現在自由党の過激派によって包囲されているそうです。ゆうべよりも数が増えていて、抑えがきかなくなってきていると」

「……馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、王太子のやつめ、よりによって自由党マフィアと手を組んだのか」


 この国では、一般庶民には自由な政治活動が認められていない。


 わざわざ『この国では』と前置きしたのは、他国ではすでに一般庶民が統治する国が誕生しつつあるからだ。世界情勢に威を借りて、レムールにも同じような自由主義、あるいは立憲主義を持ち込もうと主張する人たちは後を絶たない。彼らはたいてい、政府からは無認可で秘密結社を作って活動している。


 自由党とは、そうした非合法な秘密結社のひとつだった。


 ヴィルトゥスから『マフィア』と揶揄されたように、少々荒っぽい行動をするので、王政府からは忌み嫌われていた。


「彼は自分を現代のプロメテウスだと信じているのでしょう」


 プロメテウス。父神から火を盗んで人類に分け与えた、大いなる智神。

 彼は王太子という身分でありながら、政治権力を王家から自由党へ――ひいては一般大衆へと譲り渡そうとしている。


 それが、貴族至上主義のシリウスや王党派の執政官たちからことあるごとに無能だとこきおろされる理由だ。


「ここはやはりクレスケンティア大使館に身を隠していただくのが一番であるかと思います」

「そうだな。俺と一緒に来い。お前は昨晩からすでに大使館に戻っていたと、そう発表するのが最上だ」


 こうして私は、再び馬車で移動することになった。


***


 馬車の同乗は本来なら褒められたことではないけれど、今は気にしている場合ではない。


 人目を忍んで馬車で大使館に乗りつける途中で、ヴィルトゥスは思い出したように言った。


「とりあえず学園に残されていたお前の私物は取り返してきた。ただ……」


 ヴィルトゥスは悔やむように横を向いた。


「博物誌だけは取り返してやれなかった。すまない……お前にとっては大事なものだったろうに……」


 きっとリカルダが没収していったのだろう。

 私は鉛を呑み込んだように胸が詰まった。


「いいえ……いいんです。ありがとう、お兄様……」

「絶対に取り戻す。希望を捨てるな」


 ヴィルトゥスは言葉や態度こそ粗野だが、とても心根が優しい人だ。久方ぶりに兄と慕っていた人の親切に触れて、私は泣きそうになった。


 かぼちゃ型の箱馬車ベルリーナはカーテンをきつく閉じ、乗車主の姿を隠したまま進んでいく。


 道が混雑しているのか、御者はたびたび馬車を止めた。大使館が近くなるにつれて、人々の喧騒もいや増し、怒鳴り声のようなものもひっきりなしに聞こえてくる。


 やがて大勢の人の気配が馬車のすぐそばまで殺到し、馬車のドアが激しくノックされた。


 ヴィルトゥスがカーテンの隙間から外を覗き見て、言う。


「……自由党員……ではなさそうだな。警察か?」


 ヴィルトゥスは私に大きな長い耳のついたフードを深くかぶり直させてから、『顏は見せるなよ』とささやいた。


「何事だ」


 片手を銃把に添え、油断なくヴィルトゥスが馬車の扉を開くと、大きな銃剣の影が私の膝の上に落ちた。ひざ掛けに阻まれてよく見えないが、通常、市街で銃剣をつけたライフルを大っぴらに持ち歩いているのはパトロールの警備兵だけだから、おそらくは彼も制服の兵だろう。自由党員は赤い帽子をトレードマークにしているから、別口の勢力であることだけは確かだった。


「なんでも、さる高貴な女性が不逞の輩にかどわかされたとかで、車内を改めさせてもらっています。失礼ですが、お名前をうかがっても?」

「クレスケンティア大使のヴィルトゥスだ」


 肩書を耳にしたとたん、警備兵は慌てて敬礼をした。


「たいへん失礼いたしました。そちらの女性は?」

「私の妻だ」


 ヴィルトゥスが手を握るのに合わせて、私も彼に寄り添った。

 ここでクレスケンティア王女が目撃されてしまっては、公式発表と食い違う。私には、彼の妻のふりが求められていた。


「失礼、奥方様。お名前は?」

「マイアよ。ごくろうさま」


 親密そうな身振りに、警備兵はさしたる疑問も抱かなかったようだった。ヴィルトゥスは余裕たっぷりに、警備兵に「おい、君」と呼びかけさえした。


「さっきから馬車が進まない。どうなっているんだ?」

「申し訳ありません、自由党の連中が暴れておりまして……」

「またか。連中はなんと言っている?」

「はっ、王太子とクレスケンティア王女の婚約は解消するべきだと……」

「では連れ去られた高貴な女性とは?」

「王女殿下です。おそらくは早まった過激派の手に落ちたものと思われます」

「なんだと?」


 ヴィルトゥスは色めき立つ演技をして、道をふさぐ大勢の人間を見た。


「こうしちゃいられない。おい君、大使館はすぐそこだ。ちょっと馬車を先導したまえ」

「はっ、ただいま」


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