エンディング(上)
婚約発表のパーティはレムールとクレスケンティアから大勢の貴族が参加し、会場は非常に賑やかだった。
集まった貴族ひとりひとりに声をかける恒例の儀式だけでほとんどの時間が過ぎていき、私とシリウスがひと息つけるようになったのは深夜になってからだった。
ふたりでバルコニーに立ち、夜の庭園を眺める。
皆が気をきかせてくれたので、あたりに人の気配はない。
「知ってはいましたけど、いやはや。退屈ですね」
シリウスがうんざりしたように言う。彼は仕事があるからといって、パーティを中座する権利を持った数少ない人物だったのだ。
「グラツィア様は小さなころから文句のひとつもおっしゃいませんね。リカルダなんて、ラルウァ様がお亡くなりになるまでとうとう宮廷行事に参加する資格をもらえなかったくらいなのに」
「あら、参加資格はもともと十五歳からじゃなかったかしら?」
「そうですよ。子どもに耐えられることじゃないからそうなってるんです」
「わたくしは結構好きだったのだけれど……」
レムールの貴族たちはたいてい、私が声をかけるととても喜んでくれた。それが社交辞令で、裏で何を考えているのか分からないにしても、子どもの私は単純だったから、満足していたのだ。人に話しかけて、親切な返事が返ってくるのは嬉しい。それなら今度は私ももっと素敵なことを言わなきゃと思う。
「私は、こんなことをしている暇があったら星でも見ていたい、と思ってしまいます」
シリウスは辛そうな顔をしている。
「そうね。宮廷の行事はわたくしだけでもこと足りるから、ルガーノ様にはもう少し自由な時間があるようにしてもいいかもしれませんわね」
シリウスは驚いたように、目を丸くした。青い色の瞳がきれいな円を描くのに、私はつい目を奪われてしまう。
彼がさりげなく私の腰を抱き寄せても、抵抗らしい抵抗をする暇がなかった。
「いえ、ちゃんと参加しますよ。せっかくグラツィア様と過ごせる機会なのに」
私はどぎまぎしてしまって、下を向いた。バルコニーの手すり越しに、よく手入れのされた花壇が目に入る。急に周囲の温度が二度も上がったような感じがした。
固まってしまっている私から、シリウスは抱き寄せたときと同じくらいすばやく手を離した。
「ところでグラツィア様、次の新月は十七日だそうですよ」
「え? ……ええ……」
私は何の話だろうと思った。彼のことだから、新しい天体でも見つけたのだろうか?
シリウスは反応の鈍い私を見て、少し皮肉っぽい笑い声を立てた。
「グラツィア様にとっては些事かと思いますので、念のため補足しておきますが、月のない夜にしか見られないという星に、私は興味があるんです」
「ご、ごめんなさい! 覚えているわ、ちゃんと!」
そういえば、シリウスに星を見せてもらったお礼に、私も自分の『青い星』を見せたいと言っていたのだった。
自分から言い出しておいて忘れているなんて最低だ。
「もちろん、お見せするつもりでいるわ。十七日よね? 予定は空いているわ。空いていなくても空けてみせるわ!」
力強く言ったのにも関わらず、シリウスは浮かない顔をしている。
「グラツィア様が私に興味のないことは存じておりましたが、やはり目の当たりにすると悲しいものですね」
「ち、違うの、覚えていたの、ただ、あの、漠然と、結婚したあとのことだと思っていて! 月のない夜にふたりっきりなんて、そんな……」
「私はふたりきりだなんて一言も申し上げてはおりませんが」
「えっ、あ、そう……なの?」
私が拍子抜けしていると、彼は楽しそうににたりと笑んだ。からかいぐせのある彼が、面白い獲物を見つけたときの顏だった。
「では、今のは密会のつもりでお約束してくださったということですか?」
「ひ、人聞きの悪い……だってもう、わたくしたちは婚約したのだし……」
「婚約者だとしても、婚前に密会はいかがなものかと」
「だ、だってルガーノ様が以前にそうおっしゃっていたから!」
彼は恥ずかしい思いをしている私を見て興が乗ってきたのか、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「グラツィア様が私に興味をお持ちになるのはいつのことでしょうか。私は今日、言い訳もたくさん用意していたんですが」
「……言い訳?」
「そうです。私には後ろめたいことがあったので。グラツィア様は、何か私に問いただしたいことはありませんか?」
特に何も思いつかなかったので、私は決まりの悪い思いをもう一度味わった。
シリウスは心から悲しんでいるという様子で、もったいぶって口を開く。
「世間では、私がリカルダ殿下の恋人を寝取ったとかいう話で持ち切りだったはずなんですが」
「あ……」
ヴィルトゥスやマイアがうわさしていたことだ。近頃、シリウスはニーナとデートをしているらしい、と。
あれからふたりは私の前で話題に出すのは悪いと思ったのか、何も言わなくなってしまい、私も詮索をするのははしたないことだと思って、忘れるようにしていた。
だからといって、本当に忘却の彼方に追いやっていい話題のわけはない。
私はもう、シリウスに申し訳なくて、何も言えなくなってしまった。
「リカルダ殿下が押収していたグラツィア様のご本は返却していただきましたよ。のちほどお持ちします」
「本当!?」
とても大切な本だったから嬉しいのもあったけれど、彼が気にかけてくれていたのが意外で、私は余計に驚いてしまった。
「返してもらうためにニーナ嬢のエスコートなど、慣れない役をやらせていただいたのですが、うら若い女性との逢瀬ですから、正直に申し上げて少し下心はありました」
「――!」
ドキリとした私を観察して溜飲を下げたのか、彼は再び意地の悪い笑顔を浮かべた。
「グラツィア様が妬いてくださったらいいなと思っていたんです。間違ってもニーナ嬢に下心を抱いたわけではありませんので」
ホッとした私に追い打ちをかけるように、彼はまたわざとらしく悲しんでいるようなふりをした。
「でも、取り越し苦労でしたね。グラツィア様は私が誰とどこに行こうが気にならないようなので」
「違うわ、わたくしはルガーノ様を信じていたの! だってあなた、仕事でもなければ女性のエスコートなんてまっぴらごめんだって以前におっしゃっていたじゃない! わがままな女性も好きじゃないって! だからわたくしはルガーノ様にはわがままを言ってはいけないと思って……」
思い返せば、彼の前ではいつも背伸びをしていた。
「ですからわたくしは、あなたによく思われたいから黙っていただけで、しっかり妬いておりましたわ。本当は、わたくしだってルガーノ様とお出かけしたいと思っておりました」
こんな告白みっともないと私は思うのだけれど、シリウスは満足そうだった。
「グラツィア様のそういうところがとてもいじらしくてお可愛らしいと思います」
からかっては褒める彼のやり口に辟易して、私は少々はしたなく、口をとがらせた。
「わたくしは、あなたのそういう人を馬鹿にしたようなところがあまり好きじゃないわ」
軽い冗談のつもりだったのだが、シリウスはさっと顔色を変えた。
「馬鹿にしているつもりは……いえ、その、失礼なことばかり申し上げていたことは事実ですが……」
「失礼とは思わないわ。でも、ルガーノ様がわたくしを上手におからかいになるから、あっちこっちに気持ちが振り回されて、少し疲れるわ」
彼から悲しいと言われて本当に申し訳なくなったし、下心があると言われたときなんかは心臓が止まりそうになった。
「……分かりました。改めますから、私からもひとつ注文をよろしいですか?」
シリウスが思わせぶりに質問をして、私を見つめる。
「何かしら?」
「そろそろ名前でお呼びくださってもいいころだと思うのですが……」
一体何を言われるのだろうと少し不安に思っていたので、私はつい笑ってしまった。
本当に人を振り回すのが上手な方だと思う。
「では、シリウス様」
「悪くないですが、もう少し親しくてもいいと思いませんか?」
「……シリウス?」
照れると思いながら、彼の名前を小さくつぶやくと、シリウスはあの青い氷のような瞳に私の姿が映るほど顔を近づけて、そっとささやいた。
「ありがとう。愛しているよ、グラツィア」
一歩引いたあとの彼が、満面の笑みを浮かべて私を見下ろしていたので、よっぽど面白い顔をしていたのだと思う。
やっぱりシリウスと一緒にいると疲れる。
そんなことを思いながら、ドキドキしすぎて苦しい胸を押さえた。
明日で終了します。