表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/37

王子とニーナ


 レムール・クレスケンティア両王国の新女王にグラツィアが選ばれ、その王配にシリウスが就くという速報は、すぐにレムールのすみずみまで行き渡った。


 ニーナはそのとき、リカルダと一緒に彼の私邸にいた。


 一面のトップにグラツィアとシリウスの写真が出ている新聞を握りつぶして、ニーナは絶叫した。


「どうして!? どうしてシリウス様があいつと結婚するの!? どうして――」


 叫んでしまってから、ニーナはしまったと思った。

 リカルダが冷ややかな目で彼女を見下ろしているからだ。


「そんなに宰相どのが気に入っていたの? 知らなかったな。初めの説明では、彼を味方に引き入れるために仕方なくしてるってことだったけれど?」

「ち……ちがうの、リカルダ、これは……」


 ニーナは恐怖にかられて、とっさに後ずさった。

 あたりにはひび割れたガラスの灰皿や先が曲がった燭台などが散乱している。


 リカルダはニーナがシリウスとどこかに出かけるたびにひどく妬いて、このごろはものに当たり散らすようになっていた。


「僕ではなくて、シリウスのほうがよかった? 君も、あいつらと同じなの? みんなで僕のことを無能無能と馬鹿にしていたあいつらと」


 ニーナは何を言うべきか迷った。リカルダがずっと父親からグラツィアと比較され、傷ついていたことは知っている。そこにつけこむ形で、リカルダを口説き落としたのだから。


「リカルダは無能なんかじゃない。周りがおかしかっただけだよ」

「いいんだ。僕自身、あんまり出来がよくないことは知ってる。でも、ニーナ、君は違う。君は誰からも好かれて、聡明で、そんな君がどうしても王妃になりたいというのなら、応援してあげたいと思った」


 彼のニーナに対する崇拝は、孤独と承認欲求と愛情と性欲をまとめてニーナが満たしてあげたことに起因する。

 この王子は、あれほど恵まれた容姿をして、国でもっとも高貴な存在に生まれついたのに、平凡な人間が当たり前に享受している幸せを何も与えられていなかったのだ。


 精神のバランスを欠いたリカルダに同情しないでもなかったが、それだけに恋心を抱けたことは一度もなかった。ニーナにとってのリカルダは、徹頭徹尾、利用しやすい馬鹿な男だった。


「でも、ダメだよ。これ以上はダメだ。君がシリウスを見るのは耐えられない。僕には君がいないとダメなんだ。絶対に逃がすものか――」


 ――この男は、誰?


 馬鹿で無能な王太子リカルダ。でも、穏やかな性格と美しい容姿をしているから、隣に侍らせればみんながうらやましがる。学園でニーナが勝ち取った、生きた勲章だ。


 ニーナにとって都合のいい人形のようだった王子は、いまや別の怪物に変貌しつつあった。


「イリュリスに行こう。あそこは中立都市だから、自由党を取り締まろうとする政府警察も追ってこれない」

「でも、一度シリウス様に事情を聴いてみないと……」

「もう会わせる気はないよ。レムール宮廷ともこれでお別れだ」


 ニーナはためらった。シリウスに会えさえすれば、何か分かるかもしれないのに。

 グラツィアとの結婚は嘘だと言ってほしかった。


「ニーナ。僕はね、最初からどうでもよかったんだ。玉座も、国も、もうたくさんだ。僕は君がいてくれたら、もう何もいらない。もちろん、君も同じ気持ちでいてくれるよね?」


 断れば、命にかかわる。

 なぜか、そう直感した。


 ニーナは必死に、うんうんと頷いてみせた。


「……よかった。もしもニーナが僕に愛想を尽かしたら、僕は……」


 リカルダの浮かべた微笑みは綺麗だった。


「もうひとり、殺さないといけないところだった」


 ニーナは耳を疑った。


 彼は今、なんと言ったのだろう?


「グラツィアに遺言状を書き換えさせたのは僕だよ。父が死んだとき、寝室にはグラツィアと、僕だけがいたんだ」


 貴族令嬢は、身分が高いものほど、男性とふたりきりで会うようなことはしない。

 しかし、当日の朝は、あたかもグラツィアとラルウァだけが部屋にいたかのように報道されていた。

 それが世間に、ふたりのただならぬ仲を印象づけた。


「僕は遺言状のことで父に文句を言いにいったんだ。なぜグラツィアに王位を相続させるのか。なぜ彼女と結婚しなければならないのか。言い争ううちに父も激昂して、苦しみ始めた」


 リカルダは昔を懐かしむように言う。


「それでグラツィアが薬を取り出して飲ませようとしたんだけど、僕が取り上げたんだ。遺言状を書き換えるまでは返さない、とね。父は大笑いして――そんなことをするくらいならこの場で死んでやると言った。グラツィアはすっかり怯えてしまって、何でもするから早く薬を返せと言った。だから僕の言うとおり、新しい遺言状を書いたんだ。もっとも、書き終わったあとにもまだ息のあった父に薬を過剰投与したのは僕なんだけどね」


 それじゃあ――とニーナは思う。

 彼があげつらっていた遺言状の不備は、リカルダの勘違いだったのか。


 ダニアと記すべきところをクレスケンティアと書いてしまっている。

 彼は遺言状の不備をそう指摘したが、公開されたラルウァの旧遺言状では、しっかりとクレスケンティアになっていた。ニーナ自身は宮廷内のしきたりがよく分からないから、彼の指摘を鵜呑みにしていたが、先日の『殺人審問』でどうして誰もそのことに触れないのか不思議に思っていたのだ。


 あれはリカルダが書式を間違って覚えていただけで、グラツィアは正しく記していたということだったのか。


 ほかにも数えきれないくらい不審な点はあった。

 侍医だとかいう男はグラツィアとラルウァがふたりきりだったのかどうかはっきり答えずにあいまいな答弁をしていたし、それ以外の場面でも、なぜそれをちゃんと追及しないのだと思うようなところで摂政評議会が審問をやめてしまうことが多々あった。


「侍医長たちに毎日少しずつ毒を飲ませていたのも僕だよ。グラツィアから取り上げた薬が役に立ってくれた」


 立て続けに亡くなった立ち合いの侍医長と司祭についてはもっとよく調べるべきだったのに、摂政評議会は一方的に必要なしと判断して、訴えを取り下げた。


 あれは全部、リカルダがやったことを隠すための猿芝居だったのか。


「新しい方の遺言状にグラツィアとの結婚を盛り込んだのは失敗だったな。父はずっとそれにこだわってたから、そうしないと怪しまれると思ったんだけど、いっそのことなかったことにすればよかった。そうすればこんなに手間をかけなくてもニーナと一緒になれたかもしれないのに」


 ニーナは寒気を覚えた。


 だいたい、おかしいと思っていたのだ。彼は確かに有能ではないかもしれないが、それでも血筋としては正統な王太子だったのだ。それなのに、遺言状一枚で不自然なくらいあっさりと廃位されてしまった。


 裏側に、絶対に秘匿しなければならない父親殺しがあったのだとすれば、彼が異常に周囲から疎まれ、憎まれていた理由にも筋が通る。


 そして、どう見てもグラツィアが毒殺したとしか思えないような状況なのに、無罪になってしまった理由にも。


 ニーナには新聞やリカルダの伝聞だけでも事件当時の不審な点が見えていたのに、どうして誰も気づかないのかと、ずっと思っていた。ニーナ自身、聡明で物事がよく見通せると言われることが多かったから、きっと周囲の人間が愚かで重要な事実を見落としているのだろうと、勝手に思っていた。


 本当は、誰もが了解済みだったのだ。


 無能だと侮っていた相手に、ずっと騙されていた。


 味方だと思っていたシリウスに、ずっと騙されていた。


 そしてあの、ぼんやりとしたすっとろい王女にも、ずっと惑わされていた――!


「おいで、ニーナ。僕はもう、君を離さないよ。ふたりでどこまでも行こう」


 この瞬間に、ニーナは自分がそう遠くないうちにリカルダによってボロボロにされ、みじめな末路をたどることを直感して、絶望した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブックマーク&★ポイント評価応援も
☆☆☆☆☆をクリックで★★★★★に
ご変更いただけますと励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ