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悪役寵姫の婚約破棄と幸せな結婚  作者: くまだ乙夜


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王配問題


 私はあわてて周囲を見渡した。今のところ、誰もこのことを騒ぎ立てる様子はない。


 ほっとしたと同時に、また、頬に熱がたまっていく。民主的な一般大衆からは極めて評判の悪い寵姫グラツィアに敬礼を捧げているところなど見つかったら、シリウスの立場はきっとまずいことになる。


 不謹慎だと分かっていたけれど、私はうれしさを抑えきれなかった。


 下院は彼を当選させ、舞台はクレスケンティアの上院・下院に移った。


 クレスケンティアの両院はすでにレムール国内へと招聘してあり、私も数年ぶりに父母と再会することができた。


 クレスケンティア議会の上院は予定通り私を選出したけれど――


 なぜか、下院はシリウスを当選させた。


 私の悪評は思ったよりも遠くへと浸透していたようで、本国でも王政への忌避感が高まっているということだった。


 それぞれの院は諸外国のように完全に対等というわけにはいかず、対立した場合には原則的に国王と貴族院の意見が優先される。


 国王選出は、レムール・クレスケンティア両貴族院による話し合いへと移った。


 王位については、話し合いが始まってすぐに決着した。


 両国の和平にとっては私の女王選出がもっともふさわしいだろうということで合意したあとも、会議は続けられた。


 私の王配についても決定しなければならなかったからだ。


 すでにリカルダとの婚約は解消することが決まっている。当人がそう宣言して、王太子の廃位にも同意したからだ。


 それで初めはレムールから適齢期の傍系王子をあてがう案が検討されていたのだけれど、いずれの王子も継承順から言うと少し遠く、民衆への知名度もない。


 さらには私の悪評についても懸念材料となった。

 それが事実無根の誹謗中傷だということはレムール宮廷でも知られていて、先日の『殺人審問』でも折に触れて説明されてきたのだけれども、クレスケンティアの下院までもがシリウスを選出したことが決定的となった。


 寵姫グラツィアの女王就任では、下院はおろか、民衆を納得させられないかもしれない、という意見が出たとき。


 そこで初めてシリウスの名が挙がった。


 彼はすでに下院の両方から支持があり、宰相としての実績と、名門貴族の血筋を兼ね備えている。


 彼をあてがう案は予想通りレムール貴族たちから反対が相次ぎ、初日はそこでお開きとなった。


 ――その夜。


 私は父母が滞在する宮殿で、質問にあった。


「グラツィア。お前から見て、ルガーノ伯爵はどんな人物だい?」


 そう聞かれて、私は嬉しくなった。彼の素行ならば詳しく知っているからだ。


「レムールの王様に選ぶなら、彼が一番の適任だと思いますわ。おじさまのことをとても尊敬してらして、ずっと一緒にお仕事をなさっていた方なんですの。おじさまが亡きあとも、ずっと……」


 私は父に精一杯いいところをアピールしようとした。


 父は私の話をうなずきながら聞いてくれた。

 母は笑いながら、さらに質問をしてきた。


「グラツィアちゃん。今はあまり難しいことは考えなくてもいいわ。遠慮なんかしなくてもいいのよ、率直に言って、彼のことは愛せそう?」

「あい……」


 クレスケンティア宮廷を離れてからも父母はずっと私のことを気にかけてくれていたけれど、こういう相談事は初めてだ。


 私は彼の、青い氷のような瞳を思い出した。もう何度となく会話をしたことがあるのに、彼についてはいつも最初にあの瞳を思い出す。皮肉屋で、人をからかうくせがあって、でも、親切で。


 彼のいいところは即座に何十と思いつくけれど、私との関わりを問われると、つい考え込んでしまう。


「そうね。じゃあ、彼と初めて出会ったのはいつ? そのときはどんな人だった?」


 私は母親の質問にひとつずつ答えていくことで、彼のことをとりとめもなく話した。


 初めて出会ったのは戦争時に中立都市のイリュリスの叔母のところへ預けられていたときで、シリウスがそこにいたのは父親と一緒に亡命していたからだった。


 でも、当時の私にはそんな事情は全然分からなくて、ただ、叔母様のお茶会によく父親に連れられてやってくる男の子、としか思っていなかった。


 何か嫌な目にでも遭ったのか、とても警戒心が強い子で、自分の身の上や家のことについてはほとんど何も話してはくれなかったけれど、星のことならなんでも教えてくれた。


 だから私も、いろんなことを聞きたい気持ちはこらえて、ずっと彼のする星の話を聞いていた。


 次に出会ったのは敗戦後のレムール宮廷だった。

 あのときの男の子とは知らなくて、完全に初対面のつもりでいたら、なぜか彼が少し拗ねたような顔をしていて。


 それで、手づくりの焼き菓子を出したら笑われてしまったのだ。


 ――かわいらしい。お手伝いさんごっこがしたい年頃なのですね、と。


 だって、そのときはまだ、お菓子やデザートはふつうお店で買ってくるものだなんて知らなかったのだ。彼には数えきれないくらいからかわれたけれど、不思議とあんまり憎めなくて、それでレムール宮廷のいろんなことを自然と教わったのを覚えている。


 ここ最近の出来事は恥ずかしくてうまく話せなかったけれど、小さなころのことならいくらでも話せた。


 私の長い話を聞き終えて、母はにこりとした。


「そう。じゃあ、もしも彼と結婚をするとしたら、不安だと思うことはある?」

「その……皆さんが、反対なさるんじゃないかと……レムールの王族の方々がどんな反応をするのかは気になります」

「そうね、それは心配ね。では、あなたは?」


 質問の意味が分からなくて、私は戸惑った。私がどう思うかなんて、結婚には二の次だ。


「たとえばそうね、あなた、ほかに好きな方はいないの? もしも自由に結婚相手を選べるとしたら、この人がいい、って人。たとえばリカルダ殿下も素敵な方だったわよね?」


 私はリカルダのことを思い出そうとして……ほとんど幸せな記憶がないことに気がついた。

 いつか彼とも仲良くやっていきたいとは思っていたけれど、それはラルウァ様から彼のことを任されたという義務感や、学園で仲間外れにされた寂しさから生まれた願望で、恋ではなかったのだと、やっと分かった。


「いいえ。リカルダ殿下とは何もありませんでしたし、特にそういう方はおりませんわ」

「じゃあ、ルガーノ伯爵には? あの方、好いている女性はいらっしゃる?」


 私は口ごもった。私のことが好きみたいだなんて、そんなうぬぼれたことを口にできるほどの勇気はなかった。


「浮気性の方だと苦労するでしょう? せっかくあなたが選べる立場にあるんだから、少しでも条件のいい方にするべきよね」

「それでしたら、心配いらないと思います。ルガーノ様は、そういう方ではないから」

「伯爵はあなたのことを大事にしてくれるかしら? 理不尽に冷たく当たったりなさらない?」

「いえ……大丈夫だと、思います」


 母は何もかも見透かすようにじっと私のことを観察していたが、やがて言った。


「もしもあなたがただの村娘で、国のことも何にも関係なくて、自由に結婚相手を選べるとしたら、あなたはルガーノ伯爵を敬遠しない? どちらかといえばお断りしたい相手ではないのね?」


 私は自分の気持ちを赤裸々に告白するのが後ろめたくて、どう言えばいいのか考えていたが、父も母も真剣に聞いてくれているようなので、少し心の荷が下りた。


 もしも、私の結婚が義務でもなんでもなくて、好きな相手と結ばれることができるとしたら。


「はい。私は喜んでお受けしたと思います」


 質問は、それでおしまいになった。


「あなたの気持ちが聞けてよかったわ。安心なさい、きっとあなたの望みは叶うから」


 父母は恥ずかしがって話したがらない私の気持ちを汲んでか、それ以上あれこれ言ってきたりはしなかった。でも、私のためにいろいろと考えてくれていることは伝わってきた。


 離れていても私のことを第一に考えてくれる両親がいるから、私は遠い宮廷でも寂しくなかったし、おじさまが家族のような愛情で接してくれていたから、複雑怪奇な宮廷社会でもなんとかうまくやってこれた。


 私は恵まれていたのだと思う。


 シリウスと出会えたことも、幸運のうちだった。


 でも――


 私はあれからまったく顔を見せなくなってしまったリカルダのことを思った。

 前王妃であるおばさまが亡くなって、おじさまともうまく行かなくて、ずっと孤独だった男の子だ。


 彼とニーナの出会いも、幸運なものであってほしい。


 どこか遠くの新天地で、元気でやってくれていたらいいなと、そう思った。


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