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オペラ座で


 遺言状の公開から二週間ほどすると、この書状が一度は承認されたもので、現在でも有効であることが執政官たちによってどうにか周知された。


 すなわち、リカルダの王太子位、ならびに私の公女位の廃位と、レムール・クレスケンティア統一王の選出選挙は決定的になったのである。


 選挙の方法は三百年前の典範を手本に、極めて独特な方式が用いられることになった。


 まず、レムールの貴族院、下院、クレスケンティア貴族院、下院の四カ所から、それぞれ候補者を選出。


 上院は新しい王の候補として、ひとまず旧レムールの王位継承順から、リカルダを含む三名を選出。


 下院はブルジョワの領域であるため、どう出るのかまったく予想がつかなかったが、なぜか現宰相のシリウスを始めとして、王政府の役員三名を選出してきた。


 また、クレスケンティアからは、私ひとりだけが選出された。


「無能王子が選ばれることはまずないだろうな」


 苦々しげに言ったのはヴィルトゥスだ。


「クレスケンティア公の約束は取りつけた。こちら側からはグラツィアを全面的に推す。あとはあのクソ野郎がどうにかするだろう」


 私は候補者の一覧を見て、考え込んでしまった。

 本当に、私に女王なんて務まるのだろうか。


「どうした、グラツィア? 考え込んで」

「あ……ううん。ただ、この中なら、ルガーノ様が適任なのにな、って……」

「まさか。あいつは王族じゃないだろう。レムール貴族たちが頷かない。もしもあの時代錯誤なキュロット族どもが妥協するとしたら、グラツィア、お前が女王となって、レムールの王位継承者を王配とするところまでがギリギリだろう」


 王配。女王と結婚して、国王位につく男性のことを言う。

 リカルダと一緒に王の候補として選出された、ヌボロ公爵とその長男は、すでに妻も子どももある身だから、私が嫁いで丸く収める、というわけにもいかないのだ。


「お前の結婚相手に誰が選ばれるのかは知らないが、年が近いあたりで言うと、フェラーラ家のエンリコか、パルセノス家の……」


 ヴィルトゥスはしゃべっているうちに、だんだんと変な顔になっていった。


「……お前、まさか、ルガーノを王配にしたいだなんて思ってないだろうな?」


 私はドキリとするあまり、つい顏に出してしまった。


「あいつはダメだ、変人すぎる! 賭け事にも女にも興味がないやつなんて絶対にまともじゃない!」

「……わたくしは、誠実でいいと思うのですけれど……」

「違う、誠実なんじゃない。あいつは絶対に何か隠してる。清らかすぎる手合いは結婚してから本性を現すんだ、騙されるな!」


 結婚してみたら女性はおろか妻にも興味を示さなかった男だとか、実は借金まみれなのを隠すために賭け事に興味がないふりをしていた男の話などを次々に持ち出されてしまい、私は聞き役に回らなければならなかった。


「それにあいつは今、リカルダが付き合ってる娘に夢中だとかいう話だぞ」

「……え?」

「一緒に観劇しているところを目撃されたとかなんとか……」

「ヴィルトゥス! あんたね、もうちょっとデリカシーってもんを身につけなさいよ!」


 マイアにどやされて、ヴィルトゥスが口をつぐむ。でも、私はもっと詳しく聞きたかった。


「ニーナさんと、ルガーノ様が……?」

「真面目な人なんだろ? じゃあ、なんかしら事情があるんだろうさ」


 マイアの気休めはうれしかったけれど、私にはそれどころではなかった。


***


 ニーナはオペラ座のボックス席で、得意の絶頂だった。


 ――みんなが私を見てるわ。


 隣には宰相のシリウスがいる。そう、あの、『ここ数年のオペラ座にトップ俳優がいないのは、レムール議会に取られてしまったからだ』とまで言われた、王国一のいい男だ。


 ニーナだって、オペラ女優たちと比べても美しいと言える容姿をしている。学園に集まっていた貴族の小倅たちが何人ニーナ欲しさに陥落しただろう? 貴族の娘たちなんて、最初からニーナの敵ではなかった。ニーナと容姿で張り合えるのはグラツィアくらいだったろうが、彼女の性格では宝の持ち腐れだ。儀礼と冷血をはき違えて、陽気な少年をも萎えさせるような、あんなかわいげのない態度しか取れない娘では、お話にもならない。


 きっとシリウスとの巡り合わせが運命だったのだと思えるくらいに、ニーナはうっとりと現状に酔いしれていた。


 シリウスがニーナにとろけるような甘い笑みを見せる。ニーナは優越感をくすぐられながらも、この特権を当然のものだと考えていた。彼には大きな恩を売ってあるのだ。


「……王の選出選挙ではお骨折りをありがとうございました。ニーナ嬢。お父上にもよくよくお礼をお伝えください」


 シリウスが下院の選出を受けて出馬できるようになったのは、ひとえにニーナたちとつながりのある自由党が下院を扇動したからに他ならなかった。


 そう、自由党は、下院を掌握するところまで来ているのだ。

 この国の圧倒的多数を味方につけているニーナたちが負ける要素など、本来なら皆無のはずなのだった。最後の砦、貴族たちが強情に権利を手放そうとしないのが忌々しくはあるが。


 シリウスはニーナたちに欠けていた部分を埋めるためのマスターピースとして選ばれた。


 貴族は特権を手放すなど言語道断だと思っているから、庶民が政治に口を挟むための手段はすべて封じてくる。味方として動いてくれる貴族の政治家が必要だったのだ。


 シリウスの父親はもともと、過激な自由思想で取り締まられたという前科がある。その分、シリウスの民衆人気はまずまずだった。自由党内部でも、彼のことは評価する向きが多い。


 自由党としては、悪役寵姫グラツィアが女王となるのは絶対に避けたいことでもあった。


 妥協点としてのシリウス選出だった。


「どうかお聞きください、シリウス様。グラツィア様が女王となることだけは避けなければなりません」


 彼はニーナが少し泣きつくと、すぐに陥落した。


「彼女が女王となれば、この国は五十年、他国に後れを取り続けるでしょう。彼女とは学園でともに学ばせていただきましたが、恐ろしい差別主義者でした。私は庶民だったせいで、ずっと彼女にいじめられていたのです……」


 これはニーナが学園時代によく使った手だ。グラツィアは要領が悪くてお馬鹿さんなので、根も葉もないうわさも流し放題だった。誰もニーナの申し立てが虚偽だなんて思わずに、簡単にグラツィアを憎むようになってくれた。


「シリウス様、どうかこの国の未来のために、国王とおなりください。私と、この国全土の自由党員がお手伝いをさせていただきます」

「ニーナ嬢……分かりました。微力ながら、お力添えをさせていただきます」


 シリウスが国王選挙に出馬すれば、もはや勝ったも同然だった。

 役立たずのリカルダには何度もイライラさせられたが、シリウスとの橋渡しをしてくれたのだと思えば許せる。


 ――私、もともとシリウス様推しだったのよね。


 父親に連れられて初めて参加した下院の公開討論。冴えないフロックコート姿の小貴族や市長あがりの能弁家がやかましく言い合う場で、シリウスだけは本物だった。軍服を模して作られた貴族院議員用の礼服は、下層の兵士が着るような略式の軍服とは見栄えからして全然違い、それが二十歳を少し超えたばかりのシリウスによく似合っていた。


 女性に発言権がないこの国で、ニーナが話そうと思うのなら、体制にケンカを売る覚悟が必要だった。父親経由で政治のよくない話はいくつも耳にしていたものの、ニーナ自身はそれほど政治に興味はなかった。あえて体制と戦うほどの情熱は持てずにいたところに、シリウスを見初めて、思ったのだ。


 ――この人のような才能が、世の中にはまだまだたくさんいるのかもしれない。


 ニーナが沈黙を余儀なくされているように、貴族ではないというだけで黙殺されている人たちがいるというのなら、父親がしていることにも意義があるのではないか。


「シリウス様、この劇が終わったらどうします? お時間があったら、私の家にいらっしゃいませんか。今日は父母も忙しくしておりますから、ふたりでゆっくり……」


 シリウスはニーナの提案を聞きとがめて、少し眉根を寄せた。


「いえ。結婚前のお嬢さんに失礼は働けませんよ」


 ――これよ、これ!


 リカルダとの付き合いは忍耐と堕落の繰り返しだったが、シリウスは違う。彼には大人の余裕と魅力があった。


 彼がニーナのそばにいてくれるのなら、きっと幸せになれる。


「私はシリウス様だったらいいんだけどな……」


 甘えるように彼の腕に寄り添う。するとシリウスは苦笑した。


「若いお嬢さんがめったなことをおっしゃるものではありませんよ。一生を台無しにしてしまいます」

「う……いいもん。台無しになっても、シリウス様だったら、後悔しないよ」

「持ち上げていただいて恐縮ですが、私は星を眺めて暮らすのが好きなつまらない男ですよ。そもそも、王の器ではありません」

「そんな!」


 彼以上の適任なんかいないことを熱心に説き伏せるニーナに、シリウスが「大げさですよ」と言ってはにかむ。なんて美しい人なのだろうとニーナは見とれた。


「どうしてシリウス様のように素敵な人が今まで独り身だったのかしら?」


 ――きっと、貴族の女たちがみんな無能だったのね。


 誰もニーナのように彼の功績を優しく慰撫してやったりはしなかったのだろう。グラツィアのことを振り返って、密かにそう結論づける。ニーナは内心でグラツィアと比較し、勝っているところを探すのが好きだった。特にニーナの方が積極的で愛される性格だというところがお気に入りだった。


「先ほども申しましたでしょう。私はつまらない男なんです。女性にも、それほど興味はないんですよ。私が一緒に夜を過ごしたいと思った女性は、これまでにふたりだけです」


 ニーナはドキリとして、シリウスをまじまじと見た。舞台なんてもうほとんど目に入っていない。


 シリウスはニーナを安心させるように、にこりとほほえんだ。


「ひとりは、あの夜空の金星ヴィーナス


 ニーナはほっとするのと同時に、お堅いシリウスが冗談を口にしたという物珍しさから、つい吹き出してしまった。


「もうひとりは?」


 もちろん自分だろうと思い、ニーナが尋ねると、シリウスはどこか鼻で嘲笑するようなそぶりを見せた。


 嫌な予感に胸が高鳴った瞬間、シリウスが何でもないように言う。


「あとは――グラツィア様ぐらいのものでしょうか」


 ニーナは急に、すべての時が止まったような錯覚を覚えた。


 蒼白になったのをたっぷり三十秒は見届けて、シリウスは弾かれたようにくすくすと笑い出した。


「いやだな、冗談ですよ。もちろん、ニーナ嬢に決まっています」


 シリウスの執り成しで、ニーナは少しずつ現実感を取り戻したものの、不吉な冗談はいつまでも胸に残り続けた。


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