最終幕
クレスケンティアがすべての問題をレムールに持ち込んだ、と世間では言われている真っ最中だから、続く言葉を述べるのは少し勇気がいったが、私は出来る限り声を張り上げた。
「リカルダ殿下は婚姻の破談をお望みでいらっしゃるようですが、わたくしはこれには反対でございます。リカルダ殿下にどうか思い出していただきたいのは、数千年以上も昔から、婚姻の成立は和平の重要なファクターと見なされていたということでございます。こんにち、両国統一からすでに十年が経ち、レムールとクレスケンティアが分かちがたく結びついていることは間違いのない事実でございましょうが、それでもわたくしは、わたくしたちの婚約の破談がレムールとクレスケンティアの統一になんら影響を及ぼさないと確信するまで、婚約の解消には一切応じないことをあらかじめ強調し、お伝え申し上げます」
その瞬間の聴衆のどよめき。「ダニア女!」「国に帰れ!」「金食い虫!」
寵姫グラツィアへの大バッシング。
私がうろたえた姿を見せずに済んだのは、あらかじめ原稿を頭に叩き込んでいたおかげだった。
「今回のことは、リカルダ殿下による、一方的な、不当きわまる婚約の破棄に当たります。ですからわたくし、クレスケンティア第一王女、グラツィアは、婚約にかかる諸協定に基づき、遺言状の開示を要請いたします」
審問法廷はいったん休憩され、のちに摂政評議会がこれを承認する旨を伝えたところで、その日はもう続けられないと判断されるほど傍聴席の騒ぎが大きくなった。
私は最後まで、責任を持って台本をそらんじる。
「皆さま、永の観劇、お疲れさまでした。明日は最終幕を開催したく存じますので、どうぞ予定を合わせて、いましばらくの素人劇にお付き合いくださいまし」
嫌われ者のクレスケンティア王女の幕引きに、会場はたちまち帽子が飛び交う乱闘騒ぎの場となった。
幸い、銃の持ち込みは厳重なチェックで禁止されていたので、私は全員を退場させるまで、その場に着席しているだけでよかった。
***
殺人審問の最終幕は満員だった。議席のチケットは過去類を見ないほど高騰し、とうとう今回は有数の貴族とブルジョワしか入場できなくなってしまったのだという話だった。
今日の傍聴席には私と顔見知りの貴族が何人もいたけれど、素知らぬふりをしていた。
会議はシリウスの演説で始まった。
彼は亡き王から指名されたリカルダの摂政であり、この殺人審問改め破談会議の取りまとめでもある。
「皆様に思い出していただきたいのは、二年前に公開された偉大なるラルウァ様の遺言状です。これは先日のグラツィア王女殿下の名誉を挽回させるための公開審問で、まぎれもなく本人の起草および署名であると証明されたものですが――このまま読み上げます」
リカルダはレムールの国章がついた仔牛皮紙の書状を広げて、一段と大きな声を出した。
「『万が一、リカルダと王女グラツィアの婚約が解消される場合には、両国の平等と平和に細心の注意を払うものとし、いかなる損失をも生じぬように両国が相互努力せねばならない』」
ごくありきたりな文言だ。ここまではすでに広く公開されているので、私も聞き流した。
「『また、婚約解消の折、レムールが誇りを失い、レムール・クレスケンティア統一戦争の歴史的意義を忘れ去り、一方的な諸条約の破棄にてクレスケンティアに経済的損失をもたらす場合、かかる民族への同族的愛国心ならびに同情心により、二枚目の遺言状を公開し、種々の政策をもって救済とすることを余は命ずる』」
これが私の要請した開示請求の根拠だった。
シリウスは聴衆の沈黙を全員の了解とみなして、先を続ける。
「王女殿下の要請は正当なものであると摂政評議会は認定し、これを受理します。以上の決定により、ただいまから二枚目の遺言状を開封いたします」
シリウスは本当にその場で古い手紙を開いてみせた。
封蝋に銀細工の美しいペーパーナイフの切っ先が入り、巻いた紙が拘束を解かれて弛緩する。
男の人の手にも余る大きな用紙がアシスタント二人がかりで開かれて、大きく掲示された。
それをシリウスが読み上げる。
「『わが息子リカルダが王女グラツィアとの婚約を破棄する場合、旧レムールの一六八一年典範の第五十九条により、レムール・クレスケンティア両国の国王は即時退位とし、王太子以下、王位請求者の保持する権利一切は破棄されるものとする。両国の新しい統一国王は、三百年前のレムール・クレスケンティア旧統一王国時代の典範に則り、レムール議会の承認によって選出されるものとする』」
沈黙があった。
誰も即時には理解できなかったのだ。
これが紛れもなく、リカルダの廃位と、私を含めたレムール・クレスケンティア両王国の全王族の称号剥奪を宣言するものだということが。
あらかじめ、シリウスや摂政評議会によってよくよく内容を叩きこまれていた私にも、すぐには内容が理解できなかった。
「『――我が国は伝統的に、正義と良識に従った廷臣の評議によって治められてきた。旧レムールの典範は、こんにちの革新的な共和制を求める民衆の切実なる叫び声に応える手段として、まったく古びず、平和裏にわが国を統治するのにふさわしい内容であると余は考える。これらの叡智は驚くべきことに三百年も前に生み出されたものなのだ……』」
三百年前、クレスケンティアがまだレムール王国の一部であったころ、レムールは地方諸侯の権利が強い国だった。その証拠に、レムール王は議会選挙によって王を決定していたのだ。
この遺言状は、そのころのやり方に戻すためのものだった。
すなわちリカルダは王太子ではなくなり、次期レムール王は評決によって選定される。
もちろん、リカルダに何の瑕疵もなければ、彼の血筋が考慮されて、議会も彼を王太子にと推しただろう。
しかしリカルダはすでに、これまでの殺人審問で十分すぎるくらいに示してしまった。
彼が反貴族制の立場に与する人間だということを。
「『レムールとクレスケンティアはともにひとつの同じ民族であった。われらはともに、すぐれた文明の担い手にして古代王国の雄であった。近隣の王家が革命を求める民衆によってそのあり方を厳しく問われるようになって久しい。諸外国で育った自由や革命の思想を政治的万能薬と誤認している憂国の士たちよ、聞け。我が国には、三百年前に自由主義のもっともよく完成された政府が存在していたのだ――ゆえに余は、何度でも言う。レムールの民よ、誇りを思い出せ』」
レムールの議院議会は、投票権が貴族とブルジョワに限られている。
なのでこれは、自由主義の完成形とは言いがたい。
自由党の本懐は、一般庶民の選挙権獲得にあるのだから。
それでも、これまで宰相の選出すら王以外には認められなかったこの国において、王選挙制に戻る意味は大きかった。
「『古き伝統への学びと誇りを、余は国民全員に喚起するものである。国民とは、レムールとクレスケンティアすべてを合わせた者たちだ』」
次の国王が選挙によって選出される。
それはつまり、リカルダを除く王族から誰かが王として選ばれるということだった。
王選挙の投票権を持つ人間は、決してリカルダに投票しない。
その端的な意思表示が、ニーナが関係したパーティすべてへの欠席と、今回の『二枚目の遺言状』の承認だった。有力貴族たちの同意なしに、今回の遺言状が開封されることはなかったのだ。
貴族全員の票を失った今、リカルダは事実上の廃嫡となった。
「そんな……! お願い、待って、嘘でしょう!?」
ニーナの悲鳴が聞こえた。
会場は――チケットの高騰で自由党員が排除されてしまったせいか、ほとんど騒ぎにはならなかった。
会場に集まった紳士淑女の皆様方が、私への支持を暗黙裡に表明するために来ていることなど、ニーナには知る由もない。
激しく取り乱したニーナの様子を望遠鏡で覗き見てはくすくす笑う声、絹ずれの軽やかな音、髪飾りの羽根がそよぐ音が聞こえる以外には、いたって静かだった。
泣き叫ぶニーナをあやすリカルダの声が、ふいに耳に入った。
「ようやくだ……これでようやく、僕はひとりの人間として君と付き合える」
憑き物が落ちたように穏やかな声で言うリカルダに、ニーナは泣き崩れた。