前王の思惑
翌日の『殺人審問』は引き続き毒殺の検証から始まった。
「ラルウァ様の侍医だった方を召喚いたします」
私の宣言に、立派な身なりをした初老の男性が壇上に立った。
彼は亡き王専属の侍医集団として雇われていた人たちのひとりで、侍医長が亡くなった今、事情にもっとも精通した人物だった。
「ラルウァ様の御容態についての証言をお願いいたします」
「はい。といってもすでに新聞などで逐一報道されておりますが、改めて――ラルウァ様は心臓を患っておいででした」
心臓が弱ることにより、全身に血液が行き渡らなくなり、様々な症状が現れる。
「息切れを起こすことが多いようでしたので、緊急用の薬をご用意しておりました。投薬の管理は主に栄えあるクレスケンティア王女殿下にお任せになっているようでした」
「わたくしがラルウァ様からお預かりしていたお薬についてもう少し詳しくご説明いただけませんでしょうか?」
「王の体調に異変が起きたとき、その場ですぐ適切な量の薬を投与する必要がありました。亡き王には、投薬を管理するための看護師が必ず付き添っていました。そしてクレスケンティア王女殿下は、ラルウァ様のおそばにもっともよく招かれた看護師でした」
会場に少しの間驚きの声が満ちた。
寵姫グラツィアは王のお気に入り。
片時もそばから離さない――という中傷の真相が、これだった。
「では、わたくしが故意に薬を与えない、などの状況は発生しうるものだったのでしょうか?」
「それはまずありません。非常に高貴な生まれのご令嬢が必ずそうするように、王女殿下には常に名誉のある方が付き添っていて、おひとりになるということがありませんでした。必ず、誰か他の紳士、あるいは貴婦人、もしくは医者を伴っておいででした。発作に見舞われた王が見殺しにされかかれば、絶対に周囲が勘づいて止めたでしょう」
私はつい、リカルダの顔色をうかがった。
彼に驚いた様子は見られない。もっとも、このことはリカルダも知っていて、それでもなお彼は私が王の寵姫だと信じて疑わなかったようなのだけれど。
「では、わたくしが投薬量を間違うということはありえたのでしょうか?」
「それは……分かりません。しかし、発作があれば、可及的速やかに侍医のうちの誰かがかけつけたでしょう。致死量を与えるようなことがあればやはり誰かが気づいたはずです」
「では、ラルウァ様がお亡くなりになった日の朝についてお聞きいたします。あのとき駆けつけてくださったのは今は亡き前任の侍医長でしたが、あなたはそのときどちらにいらっしゃいましたか?」
彼はラルウァの死亡時、その場にはいなかったが、直後に遺体を詳しく調べており、死因に間違いがないことを確認していたという。
「王女殿下の看護は献身的なものでした。ラルウァ様はいつもお嘆きになっていました――実の息子など、見舞いにも来ないありさまだというのに、と」
リカルダが嫌悪をあらわにして侍医をにらみつける。
私はそれを苦い気持ちで見守った。
見守る以外に、何ができたというのだろう?
私はいつも、リカルダのために何かをしてやりたいと思いながら、結局何もできないでいた。
ラルウァ様は、ずっとひとつのことに悩んでいた。
王国の名君として権勢をほしいままにし、ありとあらゆる贅沢と享楽を手にした男が、死の淵にあってなお、嫉妬に狂うほど強く欲したもの。
それは若さであり、未来だった。
王国のすべてを手にした王が、唯一失ったものだった。
ラルウァ様は息子に後継者としての資質がないことを常々嘆いていたが、その評価のうちどれほどが嫉妬による目くらましを受けていたのかは余人に知る由もない。ラルウァ様はおのが統治の思想、信条、哲学を息子に受け継がせることで彼の支配が長く続くことを願ったが、ラルウァ様が火ならリカルダは水、偉大なる王が太陽ならその息子は月だというほどに、彼らの資質は異なっていた。リカルダが思想を受け継がないということは、ラルウァ様の支配もまたそこで終わってしまうということ。リカルダの治世が王国を左右するということだった。
ラルウァ様は、リカルダが許せなかった。レムール王国の雲をつくほど堆く積み上げられた財宝と地平のかなたまで続く広大な領土を継承しておきながら、父の仕事のやり方を覚えもせず、積み木遊びの稚拙さで権力をぞんざいに取り回す青年に、人知れず憤怒を覚えていた。
リカルダの未来が憎かったラルウァ様は、それを少しばかり減じてやることに決めた。
――おのれの情婦を息子の正式な妻とすることで。
といっても、私は本当にラルウァ様の情婦だったわけではない。
私はラルウァ様の病床にもっともよく招かれた看護師だったのだ。
私が十歳でこの国に移り住んだとき、ラルウァ様はすでに心臓の病によって体を侵されていた。彼の病状が私の祖母とそっくりだったのはただの偶然だが、それは私の運命を変えてしまう偶然だった。祖母がいつもしていた複雑な投薬治療を私は見て覚えていたから、ラルウァ様にも同じように手助けをしてさしあげた。ただ、それだけだったのだ。
神に誓って私は、彼の介護と薬の管理以外には何も行っていない。しかし、会議となく、祈りの時間となくそばにいる若い娘に対して、心ない憶測が飛び交うまでに、それほど時間はかからなかった。
――クレスケンティアの王女は王の最も若き寵姫である。
その噂を、ラルウァ様はご存じでいらっしゃったが、とりたてて誤解を解こうという気もなかったようだ。心臓の病は男性の機能をも低下させる。漁色家で知られた彼が、もはや男として機能しないことを周囲に知られるのは恥ずかしかったのだろう。誇り高い王の見栄をわざわざ指摘して恥をかかせるつもりは、私にも、なかった。
私にはどうすることもできなかった。
祖国から人質として連れてこられた王女が、支配者の命令にどうして逆らうことができるだろう?
看護師として重用されたのも偶然なら、後継者に指名されたのもラルウァ様の気まぐれ。リカルダと結婚せよと命じられたのも大いなる運命の思し召しだった。私には、従う以外の選択肢など初めから用意されていなかった。
ラルウァ様は私を後継者とすることで、リカルダが相続するべき未来の国土を丸ごと取り上げてしまった。でも、もしかしたら、国土がなくなったことなどよりも、倫理的な嫌悪感のほうがよほどリカルダの心を打ちのめしたのかもしれない。
父親の愛人と結婚させられる青年の心境とは、どのようなものなのだろう。
リカルダが私に向ける瞳は冷え切っていた。ちょっとの会話も我慢がならないと思っていたことは端々の冷たい態度から簡単に予想がつく。
私には、どうしようもなかった。
誤解を解くための行動はすべて徒労に終わった。リカルダは私に声をかけられることも嫌がった。
私だって王女の端くれ。
国同士の結婚がきれいごとばかりで済まないことは承知している。
リカルダが同じ学園に通う庶民の女の子に救いや癒しを求めたとして、どうして止められるだろう。
私は不愉快に思いながらも、ニーナの存在を黙認していた。
どうせ実るはずのない恋なのだから。
最後に選ばれるのは私なのだからと、おのれに強く言い聞かせて。
その結果が今日の、なんの国益にもつながらない、醜い裁判だった。