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悪の王女


 簡単に否定されるような嫌疑を持ち出して、本当にすぐ却下されてしまったわけだけれど、いったいどういうつもりなのだろう。茶番すぎて、あれほど頭の切れたニーナらしくもないと思ってしまう。


「もうひとつお伺いしたいのですが、あなたはレムールとクレスケンティアの統一に反対していますか?」


 ニーナの質問は悪手――というより、まったく意味のないもののようで、私は戸惑うことしきりだった。


「……関係のある質問でしょうか?」


 アカデミア会員自身でさえも戸惑っている。

 本当に、この審議には関係のないことだ。


 ところがニーナは、自信満々にうなずいた。


「あります。教授、あなたは自身の政治思想、信条とは関係なく、科学者としての良心にしたがって証言をしなければなりません。そのあなたが、内心では過激な王党派であった場合、証言そのものを無効とするべきだと私は考えます」


 ニーナの説明を聞いていて、私はようやく思い出した。


 彼が非常に過激な自由主義者で、王朝が支配をする旧体制そのものに強い批判を浴びせてやまない、アンチ王党派とでも呼ぶべき人物だったということを。


 ニーナの不穏な発言にただならぬものを感じて、私が制止するより早く、シリウスが動いた。


「審問に無関係の発言は控えてください。もう結構です」

「いいえ、関係のあることです。教授、どうぞ」


 彼はシリウスの制止を無視して、改めて聴衆の注目を集めるように手を広げた。


 彼もまた理解したのだ。これが、王政批判を開陳するのに絶好の機会だということを。


「それでは言わせていただきましょう。亡き王は肉体的な意味で活かされていましたが、彼から王としての霊感を奪い去り、女神の加護を殺したのは、寵姫グラツィア、その人に他ならないでしょう」


 制止の声など、沸き立つ民衆の耳には入らない。


 これこそが、今回の『寵姫の殺人審問』に下世話な興味をかきたてられてやってきた聴衆の求めていたことだった。


 彼らが見たかったのは、古い王朝が無様な姿をさらして倒れる一部始終だ。王女の毒殺嫌疑が晴れたところで面白くもなんともない。むしろ、本当に殺していたぐらいの話題性がほしかったのだろう。


 騒ぎ立てる聴衆をも圧する大声で、教授が演説を続ける。


「彼女の処方に問題があったとは思いません。それこそ私は何年も注意深く彼女の動向を見守ってきた。彼女が毒でも盛るのではないかと疑っていたからですよ!」


 寵姫グラツィアの悪評に切り込まれて、私は怯みそうになった。

 でも、顔色に出したら負けだと思って、ずっと胸を張っていた。


「彼女が毒を盛ったとは思いません。少なくとも薬は適切な処方において用いられていた。しかし、彼女はダニアの恐るべき魔物をレムールに連れてきた――クレスケンティアは病に冒されています。飢えと怠惰がもたらす物質的貧困と、古く頑迷に満ちた神の教えとがもたらす精神的貧困とが病の正体です。クレスケンティアは瀕死の重病にむしばまれている」

「この法廷で女神を侮辱することは許されません。着席して話を終えなさい」


 シリウスの命令を無視して、教授は聴衆に呼びかける。


「諸悪の根源は封建制にあるのです。クレスケンティアは、そのもっとも典型的な悪しき王朝です。愚鈍な王が導く果てにあったのが、クレスケンティアの裏路地に落ちる汚泥と生ごみの堆積物なのです」

「思想的にあなたが反クレスケンティアの立場を取っていることはよく分かりました。もう結構です」

「私の話はまだ終わっていない!」


 ついに激昂した教授が、小脇にかかえていた帽子をシリウスに向かって放り投げた。


「レムールは封建制のきらびやかな衣をまとった寵姫と心中してはならない!」


 彼の真似をして、傍聴席の者たちが帽子を次々に会場へと投げ入れる。赤いフリジア帽が床を覆い尽くし、喝采があたりに満ちた。


 ――これが狙いだったのね。


 ニーナは殺人審問の行く末にはすでに興味を失っている。


 彼女はこの殺人審問に集まっている耳目を利用して、クレスケンティア王女との婚礼がいかに愚策であるかを印象づけるつもりなのだ。


 その昔、革命家たちが仕掛けた醜聞によって断頭台の露と消えた異国の王女のように。


 ――あいかわらず頭の回転がはやいこと。


 その日の審問は一向に傍聴席の熱狂が鳴りやまず、やむなくシリウスが閉廷させて終わった。


 私は暴動に巻き込まれないように、何十人もの衛兵を呼び寄せなければならなかった。議会場の周囲から民衆が完全に排除されるまで、一歩も動くことができなかった。


***


 翌日の新聞は各紙が見出しにアカデミア会員のセリフを引用した。


『封建制のきらびやかな衣をまとった寵姫と心中してはならない』


 彼の演説はセンセーションを巻き起こし、彼は一晩にして時代の寵児となった。


 私は新聞を放り捨てて、うめいた。


「……もともと、クレスケンティアが経済的に立ち遅れていることは知っていたけれど……」


 レムール王国民のほとんどはその事実を知らなかった。というよりも、亡き王によって巧みに隠されてきたのだ。諸外国から押し寄せる社会主義思想も、統一国家という幻想がもたらす目くらましに一役買っていた。


 手段を選ばないことで有名な自由党員たちも、これまでは自分たちの利害と一致するということで、社会主義者たちとは積極的に対立してこなかった。槍玉にあげられるのはもっぱら王政と、その象徴としての『悪のクレスケンティア王女』だったのだ。


 すでに各紙が行き過ぎた保護政策に言及を始めている。

 この流れは止められないだろう。


「おじさま……」


 彼の悲願も、婚姻の破綻と同時に果たされないままになりそうだった。


 ラルウァ様が生涯をかけて両国統一を願っていた理由は、そもそも、クレスケンティアはレムールの一部だったということにある。レムールから独立したのはおよそ百年ほど前のことだ。


 といっても、当時はレムール自体が封建制から中央集権的な王政への転換に失敗して、分裂している状態だった。その中でいち早く王政を確立したのがクレスケンティアだ。


 レムールは徐々に力をつけ、独立状態であった地方を一つずつ併合していった。

 クレスケンティアだけが外国勢力との緩衝地帯にあって、最後まで独立を保っていた。


 時代は変わる。強い指導者のもと、幸福な臣民の時代を過ごしたクレスケンティアは、今や古い神の教えにすがるおとぎ話の国だと言われるようになってしまった。


 レムールの亡き王、ラルウァ様がクレスケンティアの統一で真のレムール王国の姿を取り戻そうとしたのは、それが百年に及ぶレムール王族の悲願であったからというのもあるだろう。農業収穫によってクレスケンティアが富める国であった時代は過ぎ去り、そう遠くないうちにどこかの外国勢力に占領されかねないとあっては、先んじてレムールに併合しておかねば危険だとも判断したに違いない。


 それ以上に、ラルウァ様はクレスケンティアを愛していた。

 私が故郷を愛するのと同じ熱意で、美しい風土や豊かな食事を愛し、懐かしんでいた。


 彼に、平和裏に統一されたレムール王国の姿を――リカルダと私の結婚式を見せてあげるのが私の夢でもあったのだ。


 結局、私が十八になるまで、ラルウァ様は長生きなさらなかったのだけれど。


 あのときのことを思い出すと、私は今でも苦しい。


 ラルウァ様は死の間際、半狂乱で泣き叫ぶ私に、『リカルダを頼む』と言い残した。

 苦しみ喘ぎながら、彼を任せられるのは私だけなのだと言って、亡くなった。


 だから私は、リカルダのために尽くすことが亡くなったラルウァ様への慰めになると思っていた。


 もしかしたら、私のその態度が、リカルダの堕落を助長して、婚約破棄の騒動まで起こさせてしまったのかもしれない。


 私は落ち込みそうになる自分を叱咤しながら、今後どうすべきかを考えた。


 ニーナの目的はもう分かっている。彼女は準備が間に合わなかったので、毒殺の偽証は諦めて、私を政治思想から責め立て、婚約を破談にしようとしている。あわよくば断頭台送りにできればいい、というところだろうか。


 となれば私は、有利な条件を引き出せるだけ引き出してから、破談を呑むだけだ。


 私はその日の夜、いつもよりも長く、ラルウァ様のためにお祈りをした。


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