毒殺嫌疑
摂政評議会はしばらく休廷して何やら話し合っていたが、やがて『リカルダの推測はあまりにも荒唐無稽すぎるので、評議会は真偽の追及を後回しにする』とだけ発表した。
ごく順当な判断だったと、私は思う。
でも、リカルダは納得が行かなかったようだ。
「僕が怪しいと思う理由はもうひとつある。実はこの遺言状の作成よりもひと月ほど前に、父上が前もって遺言状を作成していたというじゃないか。どうして父上は死の間際になってもう一度遺言状を発行しようと思ったんだ?」
私はリカルダをにらみつけた。
知っているくせに、どうしてぬけぬけと嘘がつけるのだろう。
「……お気持ちがお変わりになったとおっしゃってましたわ。ですから、わたくしが書きとったのは遺言書のほんの一部にございます。他のことは、すべて古い方の遺言状のとおりにするようにと」
「その証言を聞いたのは君と、亡くなった二人だけというわけだ」
リカルダは聴衆に向かって語りかけるように、言う。
「彼女の行動は怪しいところだらけだ。僕は亡くなった二名の死体の再調査を要求する。まだ毒が残っているかもしれない」
摂政評議会はいったん休憩を挟み、話し合いののちに、こう返答した。
「遺体の再調査も結構ですが、亡き王の破棄された古い遺言状を公開したいと思います」
亡き王の古い遺言書は、厳重に封をした状態で、文書室の奥に仕舞い込まれていたらしい。
はじめて封が解かれるその書状について、議長のシリウスが解説をする。
「この書状はわが国の法に基づき、七人の証人を揃えて作成したものです。ラルウァ様ご本人の署名であることがこの七人によって証明されています。もちろん、七人はいずれもご存命です。この書状の信憑性については異論ありませんね、王太子殿下?」
「……いいよ。開封して」
リカルダが悔しそうに言う。
それもそのはずで、彼も古い書状の内容は知っているのだ。
あれのせいで、ラルウァ様との不仲も決定的になった。
私に対する憎悪も、あの内容を考えると、どうしてもリカルダを責める気にはなれないのだ。
「……新遺言状にて上書きされたと思しき場所のみ読み上げます。『私亡きあとのレムール王位は廃止され、新たにレムール・クレスケンティア両王国国王の称号を創設することにする。両王国国王には、レムール王家・クレスケンティア王家の継承順位にしたがい、クレスケンティア王女グラツィアを第一王位継承者と定める』」
私は勇気がなくて、リカルダの顔色をうかがうことができなかった。
きっと彼は心中穏やかではないだろう。最初に亡き王が後継者として指名したのが自分ではなかったことを、いまさら全世界に向かって発信されてしまったのだ。
きっと屈辱に違いない。
あの遺言状が作られた当初も、彼はずいぶんと荒れていた。
「『その夫としてわが息子リカルダがこれと婚姻し、王位を継ぐこととする』」
新しい方の遺言状はこの逆だ。
両王国の統一君主としてリカルダを指定し、私を妻と定める、とあった。
「リカルダ殿下は、クレスケンティア王女殿下が周囲と共謀してリカルダ殿下との結婚を遺言状に書き加えたのだと主張されていましたね?」
「……」
リカルダは不承不承ながらも、うなずいた。
「先王陛下は初めから王女殿下との婚姻の完成を切望していらっしゃいました。死の間際に書状を書き換えたのは、おのが息子に少しでもいい未来を残してやろうという親心からでしょう」
シリウスの発言に、もはやリカルダは反論しなかった。
「――以上で遺言状の書き換え容疑については審議を終了します。遺言状は新・旧ともにまったく正当な手続きによって作成されたことを摂政評議会は認めるものとします」
私はほっとして、身体から力が抜けそうになった。
遺言状の書き換えについては否定されたが、審議はまだまだ続く。
――それにしても、ずいぶんあっさり認められたわね。
ニーナのことだから、もっと小細工を弄してくるかと思っていた。
いささか拍子抜けだと思っていると、さっそく視界の端でピンク色のドレスが揺れた。
「クレスケンティア王女殿下の毒殺容疑ですが、毒物についての議論は殿下に代わって私が務めさせていただきます」
ニーナが披露したお辞儀はレムールの宮廷儀礼に沿ったものとは言いがたかったが、そのぎこちなさが外国から来たもの慣れない淑女のような雰囲気を醸し出しており、傍聴席にもおおむね好意的に受け止められたようだ。
「おそらくほとんどの方が毒物については詳しくご存じないと思いますので、専門家の方にお話を伺いたいと思います」
その場に呼ばれたのは王立アカデミアの学会員だった。
社交界でもそれなりに名の通った教授でもあり、私でさえも名前を知っているぐらいだった。
ニーナはアカデミア会員に向けて、本を開いてみせた。
「こちらの本は王女殿下が愛読していたものです。ご存じですか?」
「ええ、『クレスケンティア博物誌』でしょう。昔からある本です」
――わたくしの本……!
大事なものなのだから返してほしかったが、なんとか声をあげるのは堪えた。
「この図の草についてお尋ねします。これは昔から毒薬の材料として使われてきたものですね?」
「ええ、そうです」
「では、王女殿下がこの本を参照し、毒薬を個人的に所持している場合、その意図はなんでしょう?」
彼女が取り出したのは、通常『気つけ薬』に使われる、美しい装飾の小ビンだった。
ニーナがビンをくるりと回すと――その中央にエナメルの見事な絵筆でクレスケンティア王家の紋章が書かれていたものだから、会場は騒然とした。
――あれは……
私の持ち物だ。博物誌と同様、おそらくリカルダが盗んだままだったのだろう。
こんなことになるくらいなら、きちんと回収しておけばよかった。
「この毒薬はこの図書とともにクレスケンティア王女の私室に仕舞い込まれていたものです。ビンの中身についてはすでに複数の大学に依頼して調査済みです」
ニーナはその小ビンを大いに見せびらかしたのちに、アカデミア会員へ質問を開始した。
彼の回答により、通常、薬剤師がその薬を処方するときは、毒薬であることを示すため、特別な薬包に入れることが確認された。
「ではこちらの王女殿下が所持する薬入れに、医師や薬剤師が直接薬を入れることはまずないと思っていいのですね?」
「はい、ありません」
「それでも入っているとしたら?」
「おそらく、王女殿下が御自ら詰め替えをなさったのでしょう」
さらに、気つけ薬は白色の粉末で特有のにおいがあり、毒草の加熱乾燥物に賦形剤を加えたものとは似ても似つかず、不注意で取り違えることはまずないことも確認された。
アカデミア会員は面白くもなさそうに言う。
「危険な毒物ではありますが、しかし、王女殿下がこれを所持していたのは、亡き王の健康管理のためでしょう」
私は驚いて彼を見た。
それは私の番が来たら真っ先に告げようと思っていたことだったのだ。
「昔からある毒草です。強心剤にもなります。かつては魔女の怪しい煎じ薬でしかありませんでしたが、強い利尿作用や不整脈を整える効果があることは百年ほど前に証明されております」
彼は薬効や症状について、専門的な見地から詳しく説明した。
「皆さまご存じのとおりですが、ラルウァ様は心臓を患っておいででした。症状については私も逐一宮殿からの速報に目を光らせていたので昨日のことのように覚えておりますが、もしも私がラルウァ様の治療をするとしたら、この薬を選択したでしょう。まったく問題のない処方です」
ごく当然の説明だったが、私はほっとすると同時にいぶかしんでもいた。
――なぜ、わたくしに有利な証言をさせたの?