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軟禁からの救出


 私が通された部屋はリカルダが隠し持っていたらしき別荘の客間だった。

 湾曲型の脚を持つ椅子やテーブル、大きな真鍮枠の全身鏡。異国風のアルコールランプは蝋燭よりも一段と上等な夜間灯で、緻密な透かし彫りの入った真鍮のシェードをつけられ、エキゾチックな黄金色に輝いていた。

 壁にかかっている、女神ティーシポネーの絵画に私は目を疑った。ティーシポネーは復讐の女神で、殺人を犯した者を厳しく罰する。私が前王のラルウァ様を殺害した――とリカルダは主張していたが、違うことは彼だって分かっているはず。それなのにこんなものまで用意する意図が、私にはさっぱり分からなかった。


 四本柱に赤いタフタの天蓋がついた寝台は清潔なマットレスとシーツを備え、深紅の掛け布団は黄金のブロケードによって装飾されている。


 深紅と黄金の部屋は、とても虜囚の居室のようには見えなかった。

 うるさい色彩はまるで毒婦がひけらかす贅沢といった風情で、ただでさえ心が弱っていた私をたじろがせた。


「君には少し地味かもしれないけれど、我慢してもらえるかな」


 リカルダに冷たくそう言われ、私の心はまた暗く沈んだ。


「宮殿にあった君の部屋はもっと豪華だったね」


 それが陛下のご趣味だったのだと、彼に向かって説明する気力は、とうに失われていた。


「よく似合っているよ。君の黒い髪、赤い唇にぴったりだ。僕は、もっと淡い色彩の部屋が好きだけどね」


 最後のは傍らにいたニーナに向けて言うと、リカルダは振り返りもせず出ていった。


 ひとり取り残された私は、立ち尽くすのにも疲れて、力なく椅子に身を預けた。呆然と見上げた先に、豪華な書棚がある。

 インテリアとして周到にデザインされた本が所狭しと並んでいたが、心惹かれる読み物は何一つ見当たらなかった。だってこの部屋には、祈祷書の一冊も置いていないのだ。私が仕方なく書き物机や長持を探っても、祈りを捧げるための装身具が出てこず、祭壇らしきものも出てこなかった。信奉する女神像すら置いていない。私が朝晩に、亡くなったラルウァ様のための祈りを決して欠かしたことがないと知っていての仕打ちなら大した嫌がらせだけれど、私やラルウァ様への無関心がそうさせたのだということは火を見るよりも明らかだった。


 部屋には見張りがついていた。

 貴族と見まがうようなきちんとした身なりの女性だが、見覚えがない。私は宮廷のレセプションに参加する資格を持った貴族女性のことを全員把握しているので、どこかよそから来た人だと見当をつけた。


 案の定、彼女はもと女優のジャーナリストだと名乗った。この国では女優が宮廷に出入りすることは認められていないので、彼女の言っていることも嘘ではないと思えた。


 彼女は男女同権論者――詳しく説明すると長くなるけれど、とどのつまりは個人的な信条からニーナたちに賛同する同志で、私の世話係をするように言いつけられていると教えてくれた。おそらくリカルダは、私の身柄を拘束するにあたって、一応は未婚の淑女だということに配慮してくれたのだろう。勝手に拉致をして、居場所も杳として知れないとなれば、私の純潔が疑われるような噂につながりかねなかった。


 それは王族を捕虜とする際に、当然あるべき配慮ではあったけれど、一方的に身柄を拘束した相手にするにはいささかズレた対応のように思えて、私は困ってしまった。


 王女の私には何もできないだろうとたかをくくっているのか、部屋の中には武器になりそうなものがたくさん置いてあった。陶器の壺や鏡は割れば破片で人を傷つけられるし、硬い金属装丁の本は鈍器にもなりうる。ランプでボヤ騒ぎを起こしたっていい。


 私が何もしなかったのは、そうするだけの気力がわかなかったからだった。

 リカルダはおそらく私を肉体的に傷つけたりはしないだろう。そのつもりがあるのなら、地下牢にでも入れているはずだ。ごく普通の部屋に通したのだから、客人として扱う意思はありそうだ。


 ここにいる間は安全だろうが、脱走するとなるとそれなりにリスクがある。

 どうしようか考えているうちに、私より早く行動した人がいた。


 その人の迎えは深夜に、黒塗りの地味な四輪箱馬車クーペでやってきた。


「グラツィア様。遅くなりまして大変申し訳ございません」


 部屋に入るなり足元にひざまずいたのは、冷たい印象のする男だ。生まれたての子猫のようなアイスブルーの瞳が、そっけない濃いダークグレーの髪の色とあいまって、彼に近寄りがたい印象を与えていた。肌が白く、皮膚の色がとても薄いので、まぶたのふちがうっすらと赤い。天然の化粧を施した目はきれいなアーモンド形で、ひと目見たら忘れられないような美男子だった。


「本当はすぐにでも駆けつけたかったのですが、どうしても外せない用事が」

「そんな……頭なんて下げないでください」

「しかしグラツィア様、きちんとお詫びせねば私は自分が許せそうにないのです」


 生真面目に言う彼は、悔悟のためか、かなり肩を落としていた。まるで叱られた犬のようだと私が思っていると、彼は健気さを訴えるべく、最上級の裁断をされた服の胸元に手をやった。真珠のピンを刺した白い絹のタイが品のいいしわを形作る。


「今日のことは残らず報告を受けました。このようなことになってしまい、さぞ気落ちなさっているかと思いますが、彼らには必ず報いを受けさせますので、今しばらくはどうぞご辛抱を」

「報いだなんて……」


 気弱に呟くと、彼は大事なことだとでもいうように、やや語気を強めた。


「彼らは身の程をわきまえず、あなたに大変な辱めを与えました。きつい懲罰が必要でしょう」


 懲罰。ほんの半日ほど前まで在籍していた学園では、『きつい懲罰』といえば祈祷文の書き取りを十枚か二十枚と相場が決まっていた。


「聖典を丸ごと書き写さないといけないのかしら……」


 青年は私の冗談を正確に理解して、笑い飛ばした。


「ご冗談を。彼らが受けるのはもっと残酷な罰です。学生生活はもう終わったのですよ、グラツィア様。お疲れさまでした。そして、お帰りなさいませ」


 まるで側仕えの下男のように、うやうやしく跪拝する男のつむじを無為に眺める。


 彼が膝をついて敬意を表するのは私ではなく、背後にまとわりつくラルウァの亡霊だ。彼は偉大なる王の熱心な崇拝者だった。


「私はあなたの帰還を心待ちにしておりました。これより以降は、どうぞ私のもとに身をお寄せください。ルガーノ家がグラツィア様、ひいてはクレスケンティア王国の後ろ盾となりましょう」


 シリウス・ルガーノ。名門貴族ではあるものの、ぱっとしない家系に突如生まれた秀才。学生時代に有名な未解決問題を解いて天文学界から多大な評価を受け、王へ奏上した軍事費に関する助言を買われて卒業をまたずに宰相へと取り立てられた。


 若くしてラルウァ様に重用されていたという点で、彼と私はよく似ていた。


「本来であれば、宮廷をあげてグラツィア様の御帰還を祝すところなのですが、リカルダ殿下が女性連れでお戻りとあって、こちらも少々余裕がなくなっているのですよ」

「それで宮廷用の服でお越しになりましたの?」


 サージの凝った服に白いタイと金の飾り紐、袖口刺繍は、王族の御前に出るときの決まりだった。どう見ても深夜にくつろいでいるときの服装ではない。


 シリウスはとんでもないというように、立ち上がって全身を見せた。背の高い彼に合わせてゆったりと仕立てられた艶消しのズボンが伸び、すらりとした腿や脛の形をわずかに浮き彫りにする。


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