チャリティコンサート
レムール王の白亜の宮殿は、チャリティ・コンサートのための照明があかあかと灯されていた。ガス灯仕込みの大シャンデリアに照らされた神々の漆喰彫刻は真っ白に輝き、精緻な陰影が分からなくなるほどまばゆい。
温室で採れた極彩色の大きな花と、細い柳のリース飾りがアーチ型の柱廊の隙間を埋め尽くし、窓という窓には、緑の枝葉が飾りつけてある。
大広間では、仮設のステージに向けて無数のスツールが並べられており、今しも壇上にいるピアニストが開演前の指ならしに細切れのメロディを聞かせているところだった。
クレスケンティア王女の私と、その付き添いの伯爵大使の到着が叫ばれたとき、最上階の吹き抜けに人影が現れて、私を見下ろすのが分かった。立ち位置からして、玉座のあるあたりだろう。
――あがっていくべきかしら、ここで待つべきかしら。
私はダンスをするために設けられたスペースでひとまず立ち止まった。
とたんに周囲からの下世話な好奇心に満ちた視線が突き刺さる。
「あれが『王の寵姫』グラツィア王女?」
「うわ、ゴージャス」
「宝石大好きって噂本当だったんだな」
「でも美人だぜ」
私は少したじろいだけれど、何もおかしなところはないはずだと思い直して、聞き流した。王女の私は、レムール宮廷のドレスコードに従うのなら、イブニングドレスにも相応の格式が要求される。ブリリアント・カットの大粒ダイヤモンドを基調としたティアラをかぶるのはもちろんのこと、首飾りやストマッカーにも同じだけの装飾がなければならない。
丸くなって聞こえよがしの野次を飛ばしているのは見知らぬ男たちだった。燕尾服はタイやウェストコートまですべて黒一色で統一されており、それだけで彼らが夜会用の正装を守らない人種だということが分かる。本来であれば宮廷に寄りつけもしないような身分の男たちだ。
野次を飛ばした男たちはヴィルトゥスにひと睨みされて、そそくさと逃げていった。
「……客層が悪いな」
ふと吹き抜けを見上げれば、三々五々集まった人たちが、物見遊山気分でうわさの浪費家王女を眺め下ろしていた。
「遊蕩王女!」
どこからか野次が飛ぶ。
私は胃が締め付けられるような心地がした。
星をかたどったティアラと、クラシカルな紫のドレスのストマッカーにお揃いの意匠でダイヤを施し、深く空いた襟ぐりを覆うほどの派手なガーランドネックレスを身に着け、朝顔のように広がるパゴタ袖の下や、鳥籠のような形状のクリノリン・スカートの裾をマンティーラ風の黒レースで装飾した私は、お世辞にも地味とは言えない。かといって、簡素な服を身にまとうわけにもいかないのだ。王太子リカルダの婚約者である私は、この宮廷の顏であり、先王妃が没して十年以上経つ現在は、事実上の女主人でもある。
何をしていても他人の視線が吸い寄せられる感覚を久しぶりに味わって、私は少したじろいだが、おかしなところはどこにもないはずだと再度自分に言い聞かせた。
私は周囲の風景からできるだけ見知った顏を探そうとしてみたが、女性の参加者がほとんどおらず、代わりに見えるのは黒づくめの一張羅を着た下院議員や、ひと昔前の流行を取り入れて派手なキュロットを見せびらかす素性の怪しい男たちばかり。
「困ったわ。わたくしのお知り合いの方はどなたもおいでにならないみたい」
「この有様じゃしょうがない。まともな貴族ならまず参加を見合わせるだろう」
私は見知った顔を探すのは諦めて、リカルダのところに顔を出すことにした。
階段の中盤で、呆然と立ち尽くしている青年に出くわした。
私と目が合うなり、ギクリとしたように身を震わせる。
どこかで見覚えがあるような気がして、私もつい立ち止まってしまった。この国の宮廷に出仕する貴族はほぼ全員顔を覚えているから、どこかの子息かとも思ったがはっきりしない。
やがて彼の靴が目に入った。学園の制服として使うシューズだったので、私はようやく彼のことを思い出した。
「……あの、お久しぶりです、グラツィア……様」
この宮廷で、私を名前で呼べる人物はそう多くない。正式の作法に従うならば、『輝かしき王女殿下』と呼ぶことになっている。
無作法な若者を目の前にして、ヴィルトゥスが不機嫌に鼻の頭にしわを寄せた。
「知り合いか?」
「同じ学校の生徒さんだった方ですわ」
私があいまいな微笑みを返すと、彼はぱっと上気した顔になった。
「あ、あの、よかったら、あとで一曲踊っていただけませんか」
「そうね……」
「なんだと?」
ヴィルトゥスは威嚇するように少年をにらみつけた。
「貴様ごときが手を触れられる相手だと思っているのか? 分を弁えろ!」
「お兄様、そんなことおっしゃらないで。そうね、あとで王太子殿下におうかがいを立ててみるわ。それからのお返事でも構わなくて?」
私だってダンスの相手くらいは自分で決められる。ていのいい断り文句を真に受けて、同窓の青年はホッとしたような笑顔を見せた。おそらくは夜会自体が初めてなのだろう、戸惑うことしきりの彼と二、三会話してから、私は先を急ぐことにした。
私を先導しながら、ヴィルトゥスが不満げにこぼす。
「これが宮廷の催しか? まるで成金のお遊戯会じゃないか」
「そんな言い方……仕方がないわ。人が思うように集まらなかったのでしょうし」
「それにしたって品がない。お前が来る必要なんてなかったんじゃないか」
「そうはまいりませんわ。わたくしは殿下の婚約者ですもの。横暴をなさるのなら、誰かがご注進申し上げなければ」
私が階段を登りきった先に、すべてを一望できる最上階のフロアがあり、その中央の一段高いところに王太子殿下の姿があった。
その隣には花の化身のような愛らしい娘も。
王太子リカルダは落ち着き払っていた。かたわらのニーナは青ざめていて、この場のプレッシャーに負け気味のようにも見えた。
「君を招待した覚えはないのだけれどね。まったく、どこから入り込んだのかな」
「ごきげんよう、王太子リカルダ殿下。わたくしは殿下の婚約者として責務を果たすため、罷り越しました」
「へえ、みじめに追い払われると分かっていて来たんだ。まるで残飯を漁りに来た乞食だね」
「そうなりますわね」
私は一呼吸おいて、なるべくホールいっぱいに声が響くよう、すこしおなかに力を入れた。
「もはや誰からも顧みられない裸の王の食卓に、漁るほどの食べ物があるのだとすれば、ですけれど」
リカルダは息を呑んだ。
それも無理はない、と思う。
私が面と向かって彼に批判を浴びせたのは、おそらくはこれが初めてのことだった。