表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/37

王女と平民

 レムール宮廷では、平民の女性と貴族の女性が厳格に区別されている。レムールの貴婦人は平民の女性がパーティなどで同席することを絶対に許さない。近所づきあいのレベルでは交流があったとしても、公式の場では知らぬ存ぜぬを決め込むのが通例だった。


 これが、ニーナが学園リチェオでひどくいじめられた原因でもある。レムールの貴婦人はそもそも、平民の女性が自分たちと対等に口をきくということが我慢ならない。


 そして突然の男女共学化は、このわだかまりが大人同士でさえも解消できていない状態で強行されたのだ。子どもばかりが集う閉鎖空間で、実験台第一号の私たちは行動の指針を見出せず、大いに戸惑った。それで結局、現実の宮廷儀礼などが一部そのまま持ち込まれることになったのだ。


 当然、ニーナは孤立した。


 ニーナは仕方なく、男子生徒に取り入ることにした。貴族女性と平民女性の間には厳格な壁が存在するものの、貴族男性が女優や娼婦の娘と付き合い、漁色にふけることは大目に見られていた。


 私は、ニーナ自身が男好きの少女で、天性の娼婦だったのだとは、決して思わない。


 でも、ほかにどうしようもなかったのだ。


 貴族の令嬢は平民の娘と親しく交わりを持つなどとんでもないことだと思われている。彼女たちは自分たちの評判を落とすのを恐れて、ニーナを遠ざけた。それはそうだろう、ニーナと親交を持つということは、彼女の交友関係に取り込まれるということ。出自の怪しい人間と付き合うだけで、貴族の令嬢は一生を台無しにする可能性がある。


 ニーナにちょっかいをかけるのは、彼女の美しさや甘い歌声に魅せられた、少々品行の悪い貴族の子息たちばかりだった。


 ニーナは学園での生存戦略として、娼婦のように振る舞うことを余儀なくされた。

 好きでもない男に媚びを売り、気があるふりをして交友を持ち、どうにかして彼女も『貴族こちら側』へ入れてもらおうと、必死にあがいた。男子生徒と付き合っていれば、そのうち下級貴族の女子生徒とでもつながりができて、晴れて社交界入りできるかもしれないとの希望が彼女をそうさせたのだった。


 彼女はまるでお金で雇われる半娼婦の女優のように、乞われればどの集まりでも歌い、男子生徒に色気を振りまいた。


 結果として彼女は貴族の令嬢たち全員の著しい反感を買ってしまったのだけれど。


「ニーナさんは、ずっとお友達を作る方法を模索していましたわ。学園でも貴族の女生徒からは完全に無視されていたようだから」

「なるほど。それで『ひとりでも参加させたら勝ち』というわけですか」

「本当は、わたくしが彼女を仲間に入れてあげられたらよかったのだけれど……」

「ご冗談を。古い王朝の高貴な女性がそんなことでは、下々に示しがつきません」


 私は、その学園で誰よりも慎重な行動を要求されていた。


 なにせ私の悪名は誰もが知っている。


 亡き王をたぶらかした寵姫グラツィアのイメージは、なんとしても払拭しなければならなかった。だから私は、身元が確かで、けっして間違いなどを犯したりはしないと分かっている女子生徒としか行動を共にはしなかった。そうしなければ、今度は唯一私を受け入れてくれている貴婦人の社交集団からもつま弾きにされてしまう。


 学園内はただでさえ男子生徒と顔を合わせる機会が多い。しかも、困ったことに、男子生徒は貴族よりもブルジョワの割合の方が多いくらいだった。

 私はどんなに親切にしてくれる生徒であろうとも、男子というだけですべて冷たく拒絶した。その場にいないように振る舞ったことさえあった。


 私自身が『高慢王女』と陰口されるようになるのも、時間の問題だった。


 でも、ほかにどうしたらよかったのだろう?


 私は好きで王女に生まれついたわけではない。『王の寵姫』などと根も葉もない噂をされるようになったのも、たまたま時流がそうであったというだけだ。貴族制を打倒したい自由主義の庶民にとって、私は叩きやすい的だった。求心力のある王ラルウァはいくらバッシングしても民衆からの人気が衰えることはない。けれど、外国から来た王女は違う。いつしか私には、倒すべき悪の象徴のイメージがつきまとうようになった。


 そしてニーナがこのご時世に、庶民の女性として生まれついてしまったのも、本当にたまたまだった。


「わたくしはニーナさんのことを、一年間ずっと見てまいりましたわ」


 私はニーナと口をきいたことがほとんどない。それでも、彼女が常にリカルダのそばにいるので、彼女の愛らしい笑顔は嫌でも目に入ってきた。


「それで気がついたのですけれど……彼女は、とても怒っているのではないか、と」


 意味を測りかねたのか、シリウスが私の表情をうかがった。


「彼女は紛れもなく天才でしたわ。クレスケンティア王女として、古語から現代語まで幾通りも覚えさせられたわたくしから見ても、彼女の操るクレスケンティア語は完璧だった……それだけじゃなくて、聖典の読解もレムール語も満点以外は取ったことがなかった。誰も彼女が話す最新の学術知識にはついていけなかった」


 ニーナが平民の男女同権運動の星に仕立て上げられたのも、まったく理由のないことではなかった。

 彼女にはそれだけの才能があった。


「彼女は自分が天才だということもおそらく理解して、誇りにしていたのだと思うんですの。それなのに、学園リチェオに入ってからやらされるのは、娼婦まがいの社交、コンサート……あの子はとてもよく辛抱して、いつもにこにこしていたけれど、本当は、そんなことしたくなかったんじゃないかしら」


 周囲の女生徒は、ニーナのことを、男を侍らせるのが大好きな女優崩れの不良少女だと信じていたようだった。


 でも――


「一度だけ、見たことがありますわ。ニーナさんはある男子生徒に、出自を馬鹿にされていた。彼はニーナさんをこっぴどくからかいながら、ベタベタと体を触っていた。まるでそれが平民の身の程なのだからわきまえろとでもいうように……」


 ニーナは困ったような声をあげながら、でも決して拒絶したりはしなかった。それどころか、どこかうれしそうに微笑み、戸惑い、好きな男の子に構ってもらえて喜んでいるかのようなそぶりまで見せていた。


「ニーナさんは楽しそうに笑っていらしたわ。でも、男子生徒が去ったあと、手近にあった鉛筆を床に叩きつけて言ったのよ」


 彼女は、泣き顔とも憤怒ともつかない表情をしていた。


「『私の言っていることの半分も理解できない間抜けのくせに!』」


 私は身が竦んで、物陰の廊下から一歩も動けなかった。生まれてこのかた、あんなに強く怒りを表現する人というのを見たことがなかったから。


「……事実として彼女は誰よりも頭の回転が速かったわ。だから慣れない純朴な平民娘の演技も上手にやってみせた……でも、内心ではずっと怒っていたのね」


 シリウスはずっと黙って私の話を聞いていたけれど、そこでふいにつぶやいた。


「……『灰かぶりチェネレントラ』」

「ああ……ニーナさんの十八番ですわね」

「ご存じなのですか?」

「学園でもよく歌ってらしたわ。あれもニーナさんの本心なのではないかしら。ニーナさんの歌唱力では少し難しすぎるぐらいの曲なのに、いつも完璧に練習してあったもの」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブックマーク&★ポイント評価応援も
☆☆☆☆☆をクリックで★★★★★に
ご変更いただけますと励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ