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スターゲイザー


 私はクレスケンティア大使館でじっと過ごす日々が続いた。

 来る日も来る日もマカロニを作ってはみんなと分け合い、たまにパーティの手伝いをするだけの毎日は、学園での傷心を多少なりとも癒す効果があった。


 午前中、部屋で本を読んでいる私のところに、ヴィルトゥスがやってきた。


「ルガーノ伯爵がお前に面会したいと言っているが」

「私は構いませんけれど……ルガーノ様、大丈夫なのかしら」


 世間は今、クレスケンティア王女との婚約破棄の話題で持ちきりだ。好奇心を抑えきれず、渦中の私を尋ねてきたさる貴婦人は、パンフレットでさんざん誹謗中傷された挙げ句に、家の窓に卵を投げつけられてしまった。おかげでみんな委縮してしまって、大使館への客足もすっかり遠のいていた。


「知らん。グラツィアを外に連れ出したいなどとたわけたことを言っていたが、お前が来いと言ってやった。その気があるのなら今日の午後にでも顔を出すだろう」


 ヴィルトゥスは心底嫌そうに言い捨てて、「それより」と切り出した。


「外があの有様では外出もままならんだろう。退屈しているんじゃないか? 必要なものがあれば用立てるが」

「ありがとう、お兄様。でも、マイア様がお相手をしてくださるから、特に不自由はしてませんわ」

「マイアも言っていた。お前は遠慮しかしないから、なかなか聞きだせないと」

「あの……ごめんなさ……」

「謝ることはない!」


 怒鳴ってから、ヴィルトゥスはしまったというように頭に手を置いた。


「ああいや、すまない。俺はこんなだから、はっきり言ってもらえた方がありがたい。何かほしいものはないだろうか」


 私のせいで、ヴィルトゥスがとても困っている。

 きっとマイアのことも陰で困らせてしまっているに違いない。


 私はいそぎ、ここしばらくの記憶を探ってみた。日用品は過不足なくそろっているし、学園から回収してきた私物もある。


 考えているうちに、ふと今日来るというシリウスのことを思い出した。


「天文学雑誌のバックナンバーを……」

「あいつの趣味か」


 ヴィルトゥスは顔をしかめた。シリウスの趣味が星だということは、彼も知っているようだ。


「ルガーノに興味があるのか? やめておけ。ろくな男じゃない」


 どうやらヴィルトゥスは本当にシリウスが嫌いらしかった。


「狩りも乗馬もやらんそうだぞ。天体観測が趣味だとかいう話で、社交界でも変人扱いだ」


 上流階級の男性の会合クラブといえば乗馬などが定番だが、シリウスはそれらの話題についていけていないらしい。哲学が流行する昨今、科学に対する偏見も薄れてきたが、それでもまだ貴族は保守的な女神教徒であることが半ば義務と化している。一部の先鋭的な科学は、内容が聖典と矛盾するから、学ぶだけでとんでもないと考える女神教の関係者は多い。


 貴族的な趣味活動に参加せず、数学ばかりやっていれば、変わり者扱いは避けられないのだった。


「貴族に生まれたからにはそれなりの付き合いというものがある。あれじゃ、どんなに優秀でも早晩失脚するだろうってのがもっぱらの評判だ。身分も釣り合わないし、やめておきなさい」


 それからヴィルトゥスはわざとらしいほど大きく顔をゆがめた。


「それに俺はあいつが好かん」

「……どうして?」

「あいつはグラツィアをよこしまな目で見ている」

「そうかしら……」

「絶対にそうだ。あいつは無害そうなふりをして影から攻撃をするのが得意なんだ。お前もよく気をつけなさい」


 私は気まずくて、下を向いた。ヴィルトゥスが心から心配してくれていることは分かっていたけれど、シリウスの悪口はあまり聞きたくなかった。


「あの……そうじゃないの。ルガーノ様とは関係なくて……ただちょっと、小さいころに見た星を探していて……」


 ヴィルトゥスは少し表情をやわらげた。


「お前は昔から珍しいものが好きだったな。それもクレスケンティア博物誌に載っていたのか?」


 クレスケンティア博物誌は、私の国に古くから伝わる書物だ。ずっと昔の偉人が書いたものらしい。クレスケンティアの珍しい風物をまとめたもので、花や、土砂の性質や、風変わりな生物や、古式ゆかしい美術品などが雑多に載っている。挿絵がとてもきれいで、大好きな本だった。私があんまり勝手に持ち出すものだから、亡くなった祖母が特別に写本を作らせてくれたのだ。


 もっとも、婚約破棄のどさくさでリカルダに取られてしまったから、今は手元にないのだけれど。


 ヴィルトゥスは、私がその本を祖母の形見として大事にしていることを知っていて、気にかけてくれていたのだった。


「いいえ。たぶん、あまり知られていない星なのだと思います。ルガーノ様もご存じないようだったから、探しても無駄なのかもしれないけれど」

「あいつも知らない星か」

「ええ。でも、手がかりがあれば思い出せるかもしれませんわ」

「そうか。そういうことなら、手配してみよう」


 私は深い満足感を覚えた。

 それは、善良な人たちに囲まれている、という安心感だった。

 学園で、リカルダから身を切られるような冷遇をされていた私には、何よりも得難いものだった。


***


 シリウスは予告どおり、ティータイムにマイアのところへ顔を出した。


 私はシリウスと連れだって、大使館の中庭に出た。

 こじんまりとした人工造園で、屋内のどの廊下にいても景色が一望できるよう、中庭に面した壁はすべてガラス張りになっている。何をしていても中の人からは筒抜けだけれども、声までは届かない。


 王族、それも結婚適齢期の娘として慎みのある行動を要求されている私が、独身男性のシリウスと気兼ねなくふたりきりになろうとすると、どうしてもこうした場所を選ばないとならない。


 外はよく晴れていて、庭の空気は気持ちがよかった。


 シリウスはここしばらくの宮殿の様子を聞かせてくれた。

 ニーナが予想のつかないことをするので、困惑しているのだという。


「チャリティコンサート……? ニーナさんが企画しているの?」

「ええ。国内の貴族全員に入場チケットを買ってもらって、その売上金を小麦の不作で苦しむ農民への義援金とするのだとか」


 聞いたこともないようなイベントだったので、私も戸惑ってしまった。


「この国ではメジャーではありませんが、よその国では一般的なのだそうですよ」

「……そういえば彼女、外国の情勢にもお詳しいのでしたわね」


 彼女は語学の天才で、五か国語以上をゆうに操れるのだという。彼女の紹介で外国の事物が学園に流行したこともあった。


 しかし、今回はそれとは事情が違っている。


「外国では一般的だとしても、レムールでは……」


 考え方の違いなどもあって、チャリティが貴族女性の役目だとはあまり思われていない。基本的には、教会がするものだと考えられている。そしてレムールの貴族はほとんどが保守的な女神教徒で、平民に対する偏見もかなり根強い。


 私の意を汲んで、シリウスが言う。


「うまく行くとは到底思えません。しかし何やらニーナ嬢は自信がおありのご様子で。『ひとりでも参加させられたら私の勝ちなの』と」

「ひとりでも……」

「ええ。意味が分からないでしょう? どうもあのニーナという娘には危険なものを感じます。あれは一体どういう娘なのですか? 調べさせてはいるのですが、グラツィア様の所見もお聞きしたいと思いまして」

「ニーナさんは……」


 私はあの、薄桃色の髪と、甘ったるい声をした少女を思い浮かべた。


「あの子は、ひと言で言うのなら天才でしたわ。不幸にも平民の女性に生まれついてしまった、天才」

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