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燕の歌


「ねえ、今日の夜会には『ムシケ』の記者も来るって本当なんですか?」


『ムシケ』は、著名な音楽雑誌だ。宮殿の舞踏会にはほぼ毎回参加して、隔週誌に批評を載せている。


「じゃあ私、がんばらなくちゃ……」

「そうだね。記者には『お礼』をはずんで、とてもよかったと書いてもらおう」

「そんなの、ズルいです」

「いいんだよ。グラツィアにも読んでもらえるように、派手に書いてもらわなきゃいけないからね」


 そのときのニーナの目に浮かんだ色はなんとも形容しがたい。

 春の花のような優しいまなざしに、全ての色が消えうせたような狂気が束の間見え隠れした。


 ――この娘は一体……


 シリウスが内心でいぶかしんでいると、リカルダがようやく思い出したとでもいうように、シリウスを振り返った。


「『ムシケ』の買収よろしくね」

「しかし、あの雑誌は買収に応じるようなところではありませんよ」

「それをどうにかするのが君の役目じゃないか。しっかり働かないと、いつまでもその席には座っていられないかもしれないよ」


 リカルダの脅しともつかない笑みに、シリウスは自分でもたじろぐほどの憤激に身を焦がした。


 ――小僧が。


 シリウスはひそかに、記者には真逆の内容を書かせようと決めた。


***



 クレスケンティア大使館では、夜会の時刻が差し迫り、厨房がパニックになっていた。


「二百人……!?」

「無理だよ、食材がもうない! 三日先の分までからっぽさ!」


 マイアが叫ぶ。大使夫人の彼女も、もうまもなく身支度にかからなければならない。

 そこに飛び込んできたのはヴィルトゥスだった。


「宮殿からの応援だ! 余った料理を届けてもらえることになった! あのクソ野郎、こういうときだけは手回しがいい!」

「なんだっていいよ、はやくおしな! ほら、グラツィアも、さっさと髪を結いにいくんだよ!」

「え……わ、わたくしも……?」


 私はこれでも婚約破棄の騒動で世間を騒がせている身だ。夜会になど出席したら、パンフレットに何を書かれるか分かったものではない。


「お前は何も心配することはない。ルガーノがぜひグラツィア様にもご出席をと書いてよこした。あの野郎に何か考えがあるんだろう。楽しんできなさい」


 彼の励ましを受けて、私は急いで部屋に駆け上がった。

 ドレスなら学園のパーティで着用したものがある。まったく同じものを着るのはみやびに欠けるが、この際贅沢は言っていられない。


 大急ぎで支度をして、サロンホールに顔を出すと、マイアはすでに大使夫人として働いていて、傍らの高貴な女性にしきりと話しかけているところだった。


 背の高い女性だ。歌の題材に合わせて仮装しているのだろうか、古代風の意匠を取り入れた、胸高でドレープたっぷりのシュミーズドレスを着ている。


 月桂樹の冠でウェーブヘアをまとめた彼女のひたいがまっすぐグラツィアを向き、驚きに目を丸くした。


「……まあ、グラツィア様! ご無沙汰しております」


 美しい貴婦人はルモンテ公妃だった。宮廷舞踏会の主役をするはずだった方だ。


「主人ともども、ずっとグラツィア様のことを案じておりましたのよ。お元気そうで何よりですわ」

「はい。わたくしはなんともありません」


 今回のことはまだ、クレスケンティアとしても方針を決めかねている。

 おおやけの場で私が口にできるのは、このくらいがせいぜいだった。


「ルモンテ公にも、くれぐれもわたくしが感謝していたとお伝えくださいまし」

「もちろんですことよ。今度のことは、ねえ、本当に……」


 公妃はそこで声をひそめた。


「……リカルダ殿下の行動は軽率にすぎるわ。わたくし少々呆れていてよ」


 公妃の同情が肌身にひしひしと感じられ、私はいたたまれなくなってきた。


 他国の公妃にここまで言われてしまうなんてよっぽどだ。もっとも、その『よっぽど』のことをリカルダたちはやってしまったのだけれど。


 公妃はひそひそとやりながら、私の肩を抱いてくれた。


「わたくしで力になれることがあったら、なんでも言ってちょうだいね」


 そのうちに舞踏会がはじまり、合間に素晴らしい演奏が差し挟まれた。


 公妃がはりきってくれたおかげもあってか、演奏はいつになく素晴らしいものになったようだ。称賛の嵐と惜しみない拍手が途切れることなく続き、合間に行われる短いダンスも和やかに進んでいった。


「見て、クピド様よ!」


 いつの間にかそばに来ていたマイアの娘がはしゃいだ様子で私にささやいた。


「あの背の高い、栗色の髪の方?」

「そうよ、いつ見てもすてきね! 私大ファンなの!」


 乙女の寵愛を一身に受けているという触れ込みは伊達ではないらしく、クピドの登壇により、会場のあちこちからため息が聞こえてきた。


「えー、実は、本日、僕はすばらしい楽団の力を借りて、かの名作オペラから、『恥じらわずに、可愛いレディ』を歌う予定、だったのです、が……」


 クピドはおどけて両手を広げてみせた。


「さるキュートな女性に楽団を丸ごと取られてしまいまして」


 どっと笑いが起こる。


「ねえ、キュートな女性ってだれのこと?」


 事情を知らないマイアの娘が怒っているが、私としてもなんとも説明のしようがない。


「代わりといってはなんですが、できたてほやほやの素晴らしい恋愛歌ロマンスを預かっておりますので、ここで披露したいと思います。この歌は、本日どうしてもこの場にかけつけたかったけれども、事情があって泣く泣く断念したさる紳士の魂の叫びだそうです」


 誰だと問う野次が飛んできたが、クピドは笑顔で誤魔化している。


「あちらにいらっしゃる作曲家先生が空き時間にささっと曲をつけてくださったそうで、僕はさきほど練習してみておののきました。こんなものをたったの三時間で仕上げないでください、他の作曲家の仕事がなくなってしまいます!」


 クピドの如才ないトークで会場がほどよく温まったところで、伴奏のピアノがいくつか音を奏でた。


「先生の美しい旋律をお楽しみください。それでは――」


 クピドの歌声は圧倒的だった。抑圧的な前半とは打って変わって、中盤でのフォルテの嵐で激しい恋心を吐露し、半音階と短調で許されない関係を暗示する。


 高貴な女性への許されざる思いを抱えた詞の書き手は、自由にはばたく燕に嫉妬し、『今すぐお前のように空を飛んで彼女のもとに行きたい』と言う。


 会場にあまた集まる高貴な女性が、自分に向けられた歌かもしれないと思いながら聞くにはうってつけの歌詞だった。


 この瞬間、会場に集まった女性の誰もがクピドの歌声に酔いしれていたと思う。


 私もうっかり感動してしまいながら、歌詞につられて昔のことを思い出していた。


 ――すごく古い詩だよ。


 本を読み聞かせてくれているのは、お隣の、青い目をした男の子だ。


 ――王女様に捧げる燕の歌だ。『今すぐお前のように……』


 本の中にある詩は、中世の吟遊詩人が高貴な女性への思いを歌ったものだった。

 それが今日の歌とそっくり同じだということに気がついて、私の感動は一瞬で吹っ飛んでしまった。


 ――まさか、あの男の子がこの歌を?


 あの男の子は一体誰で、この歌は誰に宛てたものなのか。


 私はすっかりそのことに気を取られてしまい、残りのプログラムに身が入らなくなった。


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