一章 解き放たれた三編みグルグル眼鏡 8
昼休みになり、母さんが作ってくれた弁当を持って坂部と坂東に向かおうとしたところでそれは起きた。
突然、教室中に薔薇が咲いた。……ような気がした。
何事だと慌ててキョロキョロすると、教室の入口に王子様のような出で立ちをした高貴な男子生徒がいた。風もないのにその茶髪はそよそよとたなびいている。と、思ったら彼の後ろにうちわを扇いでいる男子がいた。何をしているんだ彼は。
「ハハハハハ! 我が愛しのプリンセスがいる教室はここかな!?」
王子風イケメンは自らの髪をフサァ、と効果音を出しながら掻き上げ、ウィンドチャイムの音が鳴り響く。効果音も後ろの男子が担当していた。律儀に楽器まで持ってきている。とんだ茶番だった。
しかし、定番の女子からの黄色い声は上がらない。キャー、何々君よー、とか、キャー、イケメンー、ぐらいはあるかなと考えていたが、予想に反して白けている。この学校の女子はイケメンに厳しい疑惑が浮上している。それかあの男が残念なだけか。
「ああっ! 今世のキミも、なんて美しい! 僕を覚えているかい? 前世の恋人で、生まれ変わっても結ばれよう、と約束した僕だよ?」
彼は椅子に座っている舞の目の前に寄ると、目線を合わせるようにその場で片膝を着く。そして、舞の腕に手を伸ばしはじめた。
次に何が起きるのかなんとなく予測できてしまい、止めたい、止めなくては、でも、止めたいのは自分の欲求であり、エゴで、俺にその権利があるのかわからない。俺の位置からでは舞の表情も見えないから、プラスなのか、マイナスなのかも判断できない。身体が動かない。やめて、やめてくれ!
次の瞬間、弾けるような乾いた音が鳴り響いた。舞が、教科書の面で彼の手を弾いた音だった。王子は呆然としている。
「寄るな、触るな」
「……えっ? いや、僕はただ挨拶を」
「……」
舞が黙ると、王子はビクッ、と後ずさり、尻餅をついた。ガクガクと震えている。
「誰だか知らないけれど、ジロジロと見ないで。それと、一刻も早く、わたしの前から消えて」
「ひっ、ご、ごめんなさーい!」
イケメン王子は脱兎のごとく逃げ出した。後ろにいた男子生徒達はペコペコと頭を下げてからいなくなった。
俺は魂が抜けたように放心してしまった。数秒の間に起きたことがまだ上手く処理できていない。
くるりと、舞が俺に振り向いた。その表情は、舞には珍しく焦燥に染められていて。
「あ、あの、歩……今のわけわかんない人が前世とか意味不明なこと言ってたけれど……」
舞の声は途中で遮られた。クラスの女子達が舞に殺到したからだ。
「キャー! 花園さんかっこいいー!」
「キャー! 素敵!」
「ね? ね? どうして花園さんイメチェンしたの?」
「花園さんすっごく可愛くなったよねー!」
「やっぱアレ?」
「絶対アレだよね?」
女子達の壁が厚く、舞と話せそうもない。ほとぼりが冷めてからもう一度舞と話そう。
とりあえず、2人仲良く手招きしている坂部と坂東に向かった。
「よう、高坂。今の一幕は、凄まじかったな……」
「おれっちもビビった……いけづらが一刀両断されてた……」
「今のやつ、いけづらって名前なのか」
「ああ。池面だ。王子のようなイケメンで、中学の頃は池面ハーレムを作ってたやつだ」
「池面ハーレム……」
「まぁ、それはどうでもいっしょ。昼飯、食いに行こうぜ?」
「やっぱり、トイレで食うのか……?」
「嫌なら校舎裏にするか?」
「ぜひ……」
俺達は件の情報通と合流するために教室を後にした。