ホテル再建は欲望と共に 1
まず最初に取りかかったのはモーリスさんとハンナさんにどんなホテルにしたいかの確認と先の経営方針だ。
「自分達も、色々と考えてきたのですが、今までのオーナー達はどんなホテルにしたいかなどは聞いてくれず、ただ漠然と働くことしかできませんでした」
モーリスさんはため息混じりにそう言うし、ハンナさんは困り顔だ。
「経営方針とはどんなことを言えばいいのかすらよく解りません」
どれだけ今までのオーナー達はブラック企業だったのか垣間見える。
「例えば〝お客様は貴族メインにしたい〟とか〝庶民のご褒美旅行のようなホテルにしたい〟とか〝建物を改築増築はしたくない〟などを最初に聞かせてくださいませ」
解りやすく例を上げて話せば、二人は顔を見合わせて考えてくれた。
「お客様をこちらが選ぶのは失礼だと思いますが、今までのお客様の傾向から見れば中級貴族様より下の貴族様や庶民の方々でもご褒美旅行がメインになると思います。我がホテルは三階建て十部屋の小さなホテルですので、大勢のお客様は無理ですから」
モーリスさんのイメージと私のイメージは一緒だと今の言葉で理解できた。
「改築増築などはあまり考えて居ません」
モーリスさんは困り顔で言い切った。
「ご両親の思い出があるからかしら?」
メインで働いてくれるモーリスさんとハンナさんが不快に感じるなら、改築増築は考えるべきでは無い。
「両親の思い出もありますが、お金がないって言うのがでかいです。父が生きている時に温泉を引く話が出たことがあります。ですが、出るかも解らない温泉に莫大な資金を費やす時間もお金もありません」
「温泉を引けるなら、引いてもよい。と言うことでしょうか?」
私が聞けば、モーリスさんは慌てて昔、見積もりを出してもらったと言う書類を持ってきてくれた。
地下を掘って洞窟温泉を作りたかったようで、何処に地下へ繋がる道を作るかや温泉のイメージを絵にして解りやすく描かれている。
そして、予算の金額を見て、私は思わず唸った。
理想を詰め込んだ絵を全て実現して、さらに出るかも解らない温泉を掘るのだ。
馬鹿みたいな高額を請求されるのは当たり前だ。
「私の知り合いに頼んで予算を削りに削っても大して値段は変わらないと思いますが、この温泉施設を作ることに反対は無いのですね」
決意は確かなのかと聞けば、モーリスさんもハンナさんも何故か瞳をウルウルさせながら頷いた。
「実は、温泉の案は家族で話し合って実現しなかったものなので、叶うなら……」
感極まったようにモーリスさんの瞳から涙が溢れて落ちた。
そんなに喜んでもらえるのであれば、どんな力を使ってでも温泉を作ると決めた。
「とにかく、改装工事をするのですからしばらくホテルは臨時休業ですわね」
モーリスさんは心得たとばかりにホテルの入り口に臨時休業の張り紙を貼った。
「予約もありませんから、貼り紙だけで大丈夫のはずです」
モーリスさんは心なしか、寂しそうに笑った。
そんな温泉施設を作るにあたり、二人にバネッテ様の説明をすることにした。
殿下には悪いのだが、その役目は殿下に任せることにした。
まあ、殿下がこの国の王子殿下だと説明した時点で、二人は気絶してしまったので、目が覚めたらバネッテ様のことを話してもらうつもりだ。
次に、過去の見積もり書類を片手に地下に行き温泉が引けるのかをバネッテ様に検証してもらうことにした。
地下室にはワインセラーと物置があり、あまり広い空間ではなかった。
「なあに、私に任せときな!」
バネッテ様はそう言うと、若草色の瞳を金色に変えた。
そして、私の持っている見積もり書類に付属の地下へ続く廊下を作ろうとしていた場所の床を破壊した。
「バネッテ様、床……」
唖然とする私を他所に鼻歌まじりに割れた床板を剥がし土が出てきたところに手を触れた。
すると、ポンッと音を立てて双葉が一つ顔を出した。
「さあ、私の可愛い新芽ちゃん。地下に繋がるアーチを作っておくれ」
バネッテ様の声と共にその可愛かった双葉が急激に成長し、枝が分かれて緩やかに地下に向かって空洞を作っていく。
「暗いねぇ」
実際問題どこまで空洞が続いているのか解らないぐらい暗い。
そこにマイガーさんがランタンを片手に持って来てくれた。
「お嬢さん、照明代わりにヒカリゴケとかヒカリタケなんかを生やすかい?」
「それも幻想的になるかもしれませんわね」
「暗くて危ないから俺が先に歩くね。二人はちゃんとついて来てよ!」
マイガーさんがランタンで足元を照らしながら進むと、十メートルほど歩いた先が洞窟のようにひらけていた。
「結構いいねぇ。ここに温泉を引こうか?」
バネッテ様は楽しそうにその空間の地面を触ったり壁を触ったりしている。
「さあ、種をまいたよ」
その言葉とともに、壁や地面から木が生え壁や地面を覆い、広い部屋ができあがる。
こんなことができるなんて、一瞬で家を建てられるんじゃないかと思うと夢が広がる。
「お嬢さんは温泉をどんな風にしたいんだい?」
私は空中を見つめて考えながら言った。
「まず、男女別は当たり前なので絶対に登れない壁を真ん中にして、開放感が欲しいので天井は繋がっていた方がいいですわね」
バネッテ様は私が言った通りに壁を作った。
「両方に大きな湯船を作り、他に花やハーブを浮かべたりできるような二、三人用の浴槽がほしいです」
「あいよ」
バネッテ様が指をパチンと鳴らすと、大木をくり抜いたような大きな浴槽と小さめな浴槽が現れた。
「バネッテ様、凄すぎますわ」
「長年グリーンドラゴンなんて生き物やってるからね! こんなの楽勝さ」
その後も洗い場や地熱を使ったサウナなんてものも作ってもらいドラゴンの偉大さを実感した。
しかも、植物の根から汲み上げる形で掛け流しでお湯を引くことができるのだと言う。
植物って本当に素晴らしい。
「天井にヒカリゴケを生やしたら、星空みたいで綺麗かもね」
マイガーさんの呟きに、バネッテ様も賛同して天井はヒカリゴケを生やしてもらった。
ランタンをいくつか配置すれば何とも幻想的な温泉の完成だ。
「リラックス空間ですわ」
私は感動していた。
そこにパチンパチンと音が響いた。
「あれ? ジョゼフさんにリアーナさん」
マイガーさんとバネッテ様が木でできたアーチ型の通路の方を見ている。
私も目を凝らして見ていると白い影が揺れた気がした。
湯気かも知れない。
「ね! 凄いよね! 俺も早く入りたいよ〜」
マイガーさんが話しかけている空間には、やはり白いモヤが揺れている。
これが幽霊なのかも知れない。
「お嬢、ジョゼフさんとリアーナさんが凄いって!」
「それはよかったですわ……それより、ジョゼフさんとリアーナさんと言うのがモーリスさん達のご両親と言うことで間違いありませんね?」
当たり前の様に名前を言われても誰だか解らないのが、意志の疎通ができていない証拠の様でなんだか寂しい。
「そうそう。二人共感動して泣きそうな顔してるよ。夢みたいだって」
マイガーさんが優しく笑うから、喜んでいる顔は見えないが、温かな気持ちになった。
「では、ジョゼフさんとリアーナさんに話しておきたいことがあります」
私は生きている人間相手と同じように、ゆらゆら揺れる白いモヤに向かって言った。
「お二人はこのホテルの顔。マスコット的な存在になっていただきます」
私は二人に言い聞かせるように続けた。
「確実に心霊体験のできる部屋を希望される方には多少のイタズラをしていただいたり、絶対に幽霊の出ない部屋と言うものを希望される方には一切関わらないでほしいのです。この線引きがきちんとできれば、このホテルは大盛況間違い無しですわ」
私はチラッとマイガーさんを見た。
「ちゃんと解ってくれたみたいで頷いてるよ」
マイガーさんがちゃんと通訳をしてくれて助かる。
「私はとっても幸せな経営者ですわ。何せ、幽霊を従業員に迎え入れることのできる経営者なんて今まで居ませんでしたから」
そして私はあることを思い出した。
「そうでした! お給料をどうしましょうか? モーリスさん達の給料に上乗せしますか? それとも、他にしてほしいことなどがあるのでしょうか?」
マイガーさんは真剣に二人の話を聞いているようだ。
「お嬢は不確かな契約は嫌いでね、給料いらないは許さないと思うよ」
マイガーさんは困ったように私を見た。
「二人はこのホテルに住むための家賃を仕事で払ってると思ってほしいらしいよ」
家賃と言う考え方はしていなかった。
「家賃を引いたとしても払いきれない未払いのお給料がありますわ」
従業員が幸せな気持ちで働かなければいい職場とは言えない。
快適な職場と言うのが、私が経営者として持っている信念である。
「お金は使い道がないって、モーリスさん達もあまりお金使わないんだって。自給自足してるって……裏庭に畑?」
詳しく聞けば、モーリスさん達はホテルの経営が上手くいかなくなってから、ホテルの裏の林を抜けた先に畑を作って自給自足をしていたらしい。
できた野菜とお肉などを物々交換してもらったりと町の人達によくしてもらっていたようだ。
「それは、ジョゼフさんやリアーナさんの人柄がよかったからでしょうね」
でなかったら、すでにこのホテルは廃墟になっていたかも知れない。
「二人共照れてるよ」
マイガーさんは微笑ましげに微笑んだ。
それにしても、お給料が払えない従業員なんてどうしたらいいのか?
「町の? うん。いいかも。あのね、お嬢。この町の施設に寄付したいんだって」
予想すらしていなかった言葉に私は驚いた。
「この町は漁師が多くて、船の事故で親を亡くした子供達が結構居るんだって。二人が亡くなった時も神父様が気にかけてくれてたみたいで恩があるって言ってるよ」
ああ、うちの従業員の素晴らしさに感動してしまう。
「解りました。なんて素敵な使い方でしょう! ノッガー伯爵家が全面的にバックアップしてさしあげますわね」
この精神に報いるために頑張ってホテルを盛り上げようと決めたのだった。
※
地下の温泉施設が完成したのでラウンジに戻ると、丁度殿下がバネッテ様がドラゴンだということをモーリスさん達に話し終えたところだった。
「どうだった?」
「幻想的な温泉になりましたわ」
殿下は満足そうに頷き、ハンナさんが淹れてくれたお茶を口にした。
「せっかくだから町も見ておきたいのですが、殿下はどうしますか?」
「一緒に行こう」
殿下と町に行く話をしていると、マイガーさんとバネッテ様は海で遊んで待っているらしい。
二人の時間を邪魔するわけにはいかないため、私と殿下は二人で出かけることにした。
ホテルに近い町は避暑地だからなのか、貴族向けの店も多く、どの店も賑わっているように見える。
殿下と並んで歩く。
「ユリアス? どうした?」
何だか考え深いと思って黙っていたら心配されてしまったようだ。
「いいえ。久しぶりのデートだと考えていただけですわ」
「そうだな」
私は殿下の手を握った。
「あのアクセサリーのお店を見ませんか?」
小首を傾げて言えば、殿下は口元に拳を当てゲフンと咳払いを一つした。
「君の行きたい店に行こう」
「ルド様、私をあまり甘やかし過ぎるとつけ上がってしまいますわよ」
警告のつもりで言ったのに、殿下は優しい顔で微笑んだ。
「君に甘えられることは嫌いじゃない。学生じゃなくなったせいで、これから気軽にデートすることも減ると思うからな。好きなだけ甘えていいぞ」
面と向かって甘えていいと言われると気が引けてしまう。
何だか負けた気がする。
期待するような目で私を見つめる殿下に、私は仕方なく繋いでいた手を離して腕にしがみ付いた。
「甘えていいと仰いましたよね」
「……ああ」
殿下とそんなやりとりをしながらアクセサリーショップに入ると、そこにはアイーノ伯爵令嬢がいた。
「わ〜! 王子様にノッガー先輩! お買い物ですか?」
「ええ」
「どんなものを買うんですか?」
彼女は興味津々に近づいてきた。
「あっ、その前にだな。アイーノ嬢はあのホテルがこの町で幽霊が出るホテルだと有名なホテルだと知っていたのか?」
近づく彼女に私より先に話しかけた殿下の表情は真顔で、喜怒哀楽のどの感情なのかすら読み取れない。
「ああ、やっぱり。ノッガー先輩なら幽霊なんてものの噂なんて信じず経営してくださるって思っていましたが、やっぱり無理でしたか〜」
彼女は人差し指で唇を触るような仕草をした。
「ノッガー伯爵家が手放したホテルだなんて言われたらあのホテルは継続できなくなってしまうので、うちで買い取ることになっても、お売りした金額のままでは買い取ることができませんがいいですか? だって、どこも幽霊ホテルはいりませんから! 半額なら買いますけど……どうします?」
彼女は私がホテルを手放す気だと信じて疑いもしていないことから、これが狙いだったのだと解る。
「アイーノ嬢、私はあのホテルを手放すつもりはありません。ご心配をおかけしてごめんなさい。ルド様がそんな言い方をするから誤解されてしまったではありませんか!」
「……すまない」
私の言葉を聞いた彼女の眉間にシワが寄った。
「ですが、幽霊が出るのですよね?」
「ええ。幽霊が出ますわね」
彼女は少し混乱したように首を傾げた。
「ではなぜ手放さないのですか?」
「必要がないからですわ」
私はニッコリと笑って見せた。
「だって、あのホテルは、これから急成長するホテルだと確信していますから」
温泉施設を作った後に売りに出すなんて普通はしないと思う。
「そ、そうなんですか? でもこの辺ではあのホテルに幽霊が出るって有名ですよ」
私はアクセサリーショップの店員をチラッと見た。
三十代中ごろの年齢だと推測される女性店員だ。
「ホテルに出る幽霊は別に怖いものではありませんわ。だって、元々働いていた従業員の幽霊ですし、悪いことをしなければ悪さなんて絶対にしませんし、何だかあったかい気持ちになれます。生前の人柄のいい夫婦だったからかも知れませんね」
力強く言い切れば、彼女がムッとしたのが解った。
「そんなこと解らないじゃないですか?」
私は店員さんに視線を向けた。
「貴女はジョゼフさんとリアーナさんのご夫妻をご存知かしら?」
本当に三十代なら五年前に亡くなった二人のことを知っているに違いない。
「……遊んでもらった覚えがあります」
店員さんは目をウルウルさせた。
「優しい幽霊が出迎えてくれるホテルなんて滅多に泊まれませんから、店員さんもよかったら泊まりに来てくださいね」
私が笑顔で言えば店員さんは頷いてくれた。
「貴女、頭は大丈夫? 幽霊の出るホテルなのよ?」
アイーノ伯爵令嬢は信じられないと言わんばかりの顔をした。
「そうなのですが、突然亡くなられたので、あの時遊んでいただいたお礼ができるなら一度行きたいと思います」
爽やかな笑顔の店員さんに、今まで黙っていた殿下が口を開いた。
「二人も喜ぶと思う。それに、知り合いで二人に会いたい者がいるなら宣伝しておいてほしい」
「たぶん、この町の中ならたくさん居ると思います」
店員さんは嬉しそうに頷いてくれた。
宣伝をタダでやってもらうわけにはいかないから、買い物をしよう。
「アイーノさんもよかったら泊まりに来てくださいね」
アイーノ伯爵令嬢は困ったように眉を下げた。
「わ、私は幽霊が怖いので、失礼します」
アイーノ伯爵令嬢は私達に軽く会釈してから店を出て行った。
「さあルド様、買い物をしましょう。このタイピンなんて細工が素晴らしいですわ」
私がショーケースの中を指差すと、殿下は目を丸くした。
「君の買い物をするんじゃ無いのか?」
「私の買い物ですわ。いつもお世話になっているルド様へのプレゼント」
殿下は口元を拳で覆うと、コホンと咳払いを一つした。
「いや、俺のは別に」
私はタイピンをショーケースから出してもらいながら言った。
「このタイピン、あっちのネックレスとイヤリングの細工とお揃いですわ」
「よし、買おう」
「では、私がタイピンをプレゼントしますから、こちらをルド様が私にプレゼントしてくださると言うことでよろしでしょうか?」
殿下が笑顔で頷くと、店員さんはネックレスとイヤリングに同じ細工のペアリングとペアバングルを添えて持ってきてくれた。
「この店の店員は商売上手すぎないか?」
殿下はそう言いながらも全部を買ってくれた。
アクセサリーショップをある程度見終わってから、沢山の店を見て回った。
そして、入った店で幽霊の現れるホテルの宣伝をして回った。
ホテルチャロアイトの夫婦と言えば、店の人達は興味を持ってくれた。
「ただねぇ、店があるからホテルに泊まるのはねぇ〜」
ホテルに行きたい気持ちはあるのだと言うが、やはり休みを取れない人が多いのだ。
カフェで休憩をしながら課題点をメモにまとめていると、殿下がコーヒーを飲みフーっと息をついた。
「休みにお金を出して宿泊とは、貴族の考え方なのかも知れませんわね」
アイスティーを飲みながら、私はゆっくりと呟いた。
「じゃあ、泊まらなければいいんじゃないか?」
「? 泊まらない?」
お茶請けのクッキーを手にしながら、殿下はニッと口元を釣り上げた。
「せっかく温泉施設を作ったんだ。安価で温泉を開放すれば休みに風呂に入って癒される。ってことならこの辺の商売を生業にしている人でも来やすいだろ」
目から鱗が落ちる気持ちだった。
「ルド様、天才ですか?」
私が褒めると、殿下は嬉しそうに笑った。
「ルド様は商売の才能があります」
「それは、この国が更なる発展をすると捉えればいいのだろ?」
私達は思わずクスクスと笑い合った。
殿下の作戦は本当に素晴らしい。
ホテルイコール宿泊だと思うのは当たり前で、温泉施設の利用だけで集客を見込めるなんて考えもしなかった。
何だか殿下を誇らしい気持ちで見つめてしまったのは仕方がないと思う。