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婚約者が可愛くて辛い(殿下目線)

 今、俺の腕に腕を絡め思案顔の人物は、俺の婚約者である。

 馬車に乗る前から今に至るまで何か気になることがあるのか心ここに在らずと言った状況にもかかわらず俺の腕にしがみ付いて離れないのが婚約者のユリアスだ。

 いつも凛とした佇まいで向かってくるものを容赦無く捕まえてやろうとする精神の彼女が、いまだかつて無いほどソワソワしながら、俺にしがみついている。

 軽く頭を撫でてやれば、不安そうな顔を少しだけ笑顔に変えてくれる様は、俺が何をしてでも守ろうと誓える可愛さ。

 俺が笑顔を向けると、キュッと腕を掴む手の力を強めるユリアスが滅茶苦茶可愛い。


「お嬢、何をそんなに不安そうにしてんの?」


 マイガーが笑顔で首を傾げると、ユリアスは眉間にシワを寄せた。


「先ほどの御者の方の反応、私が買ったホテルに何か問題があると言っているように感じませんでしたか?」


 ユリアスの不安そうな主張を聞いてもマイガーは平然としているし、バネッテ様も穏やかに笑っている。


「問題って?」

「具体的には解りませんが……」


 ユリアスは目を瞑ってさらに強く俺の腕を掴む。

 ユリアスの中にはすでに問題がどんなものなのかが浮かんでいるのではないか?

 しかも、ユリアスの苦手なものが原因なのではないか?

 ホテルで問題と言えば、虫やネズミなどの害虫や害獣とかだろか?

 勝手にユリアスには苦手なものなんて存在しないと思っていたから凄く新鮮だ。

 馬車を降り、着いたホテルは貴族向けとは言い切れないこじんまりとしたホテルだった。

 部屋数があまり多くは無いことがパッと見で解る。 

 外観は薄汚れたと言うか寂れた雰囲気だ。

 俺の腕を掴むユリアスの手を撫でてホテルへ向かうと、入口の前に二人立っているのが解る。

 そんな二人を見て、ユリアスがビクッと肩を跳ねさせた。


「「いらっしゃいませ新オーナー様」」


 二人は綺麗にシンクロして頭を下げた。

 それが不気味に感じたのか、ユリアスは俺の背後に回り込み背中に額を押し付けてくる。


「どうかなさいましたか?」


 二人のうちの一人、執事服を着た男性が心配そうにこちらを見ている。

 顔色は青白く、疲れ切ったような顔には深い隈が刻まれている。


「あ〜……気にしないでくれ」


 俺の言葉に男性は笑顔を作った。


「自分の名前はモーリスと申します。こちらは妹のハンナでございます。今、従業員は自分達しか居ませんが最高のおもてなしをさせていただきます」


 深々と頭を下げるモーリスを俺の後ろから見ていたユリアスは、おずおずと俺の後ろから顔を出して俺の腕を掴み直した。


「す、すみません。今回ここのオーナーをさせていただくことになりました。ノッガー伯爵家長女ユリアスと申します」

「これはご丁寧に」


 ユリアスはいつもの調子を取り戻したのか、一歩前に出た。

 いまだに俺の腕を掴んだままだが。


「まず、このホテルの経済情報が欲しいので帳簿を持ってきていただけますか?」


 ユリアスの言葉を聞いたモーリスは急いでホテル内に入って行き、残されたハンナが拙い動きで俺達をホテルのラウンジに案内した。


「ハンナさん、よろしくお願いします」


 ユリアスが笑いかけると、ハンナは勢い良く頭を下げて転んだ。


「す、す、す、す、すみません」

「慌てなくて大丈夫ですわ」


 ハンナは案内する途中も絨毯に足を取られ、転ぶというドジな一面を披露していた。

 ラウンジに着くと、マイガーとバネッテ様は外を散歩してくると出て行き、護衛の二人も警備のためにホテル内を見て来ると言って出て行った。

 直ぐにモーリスが帳簿を持ってやって来て、ハンナがお茶を淹れてくれた。

 ユリアスが帳簿を確認している間にお茶を口に運ぶと、なんとも爽やかな香りがする旨いお茶だと思った。


「あの、五年前から客足がガクンと落ちていますが理由は解りますか?」


 ユリアスが険しい顔で聞くと、二人は俯いてしまった。


「何かあるなら隠さずに早めに言ってください。私はこのホテルを立て直したいと思っているのですから」


 ユリアスの言葉に二人は感動したように顔を上げた。


「今までのオーナー様達はこちらに全て丸投げだったので、自分達でも何をしたらいいかもう解らなくて」


 モーリスは目頭を押さえた。


「で、五年前に何があったのですか?」


 ユリアスが優しく聞くと、モーリスは何だか言いづらそうにポツリと言った。


「五年前……家の両親が亡くなり、オーナーが代わりました」


 言いづらかったのは、自分の両親が亡くなったからかと俺が納得する中、ユリアスの顔色が悪くなった様に見えた。


「ご両親は何故お亡くなりに?」


 ユリアスが聞けば、モーリスは苦笑いを浮かべた。


「当時は忙しくて休みがほとんど取れず父は過労で、母は病気に気づかず血を吐いて」


 何とも辛い話だ。

 ユリアスも眉間にシワを寄せている。


「休みが取れず過労! 許せませんわ!」


 ユリアスがそう言って怒ると、部屋の中でパシッと音がした。

 古い建物特有の家鳴りと言うやつかと思った瞬間、ユリアスが俺の腕にしがみ付いた。

 モーリスとハンナが家鳴りをした方に視線を移す。


「家鳴りは多いのか?」


 俺が聞けば、モーリスが慌てて頷いた。


「そうですね! 古い建物ですから」


 そう言っているモーリスの後ろで、ハンナが慌てて先ほど家鳴りがした方に移動しようとして転んだ。

 見れば、花瓶が浮いている。

 何だあれ?

 俺が首を傾げるのと、ユリアスが声と言うより音の様な悲鳴を上げた。

 花瓶はふわふわと部屋を出て行き、暫くすると綺麗に花を飾った状態で戻ってきた。

 元あった場所に花瓶が落ち着くと、ユリアスは俺の腕に頭をグリグリと押しつけてきた。

 少し痛いのでやめてほしい。

 モーリスはゆっくりと頭を抱えた。


「何だか嫌な予感がしていたのです」


 ユリアスから泣きそうな声が漏れた。


「騙されました。あろうことか、幽霊屋敷を掴まされるなんて……」


 ユリアスはプルプル震えている。


「ユリアス、まさか幽霊が怖いのか?」

「殿下は怖く無いのですか?」


 幽霊なんて、ドラゴンより怖くないだろ?

 加えて言うなら、バンシーなんて主人の死を予言する不吉な妖精と呼ばれるのだから、幽霊より怖いんじゃないのか?

 俺が首を傾げると、ユリアスは信じられないと言いたげな顔をした。


「あ、あの」


 そこで手を上げたのはモーリスの妹のハンナだった。


「お父さんとお母さんはただ働いているだけなのです」


 ハンナはチラチラと部屋の隅を見ながら続けた。


「生きていた時と同じようにベッドメイキングをしたり掃除をしたり、物が倒れたりするのは私が片付け忘れた掃除用具が使いっぱなしになっていたからで……生きている人と変わりないんです。突然二人とも死んじゃって、私達がちゃんと仕事をできるか心配で成仏できてないだけなんです!」


 ハンナからすればご両親の幽霊だ。

 両親を悪く言われたくないのだろう。


「ハンナさん。貴女、何を言っているかわかっているのですか?」


 まるで幽霊のように真っ白な顔色のユリアスが俺から離れるとハンナの肩をガシッと掴んだ。


「生きている人と同じ? ご両親の幽霊は働いているだけ?」


 なんとも迫力のあるユリアスにハンナは泣きそうな顔だ。


「それは、不当な労働環境で賃金も払われず働かされている者が居るとおっしゃっているのかしら?」


 ? ? ? 

 ユリアスの言いたいことが解らず首を傾げるモーリスとハンナ。


「そんなの労働基準組合が許すはずがありません。働いている者がいるなら給金と休暇が必要ですわよね? 過労死などされたら人財の無駄遣いではありませんか!」


 ポカンとする二人を無視して、ユリアスはメモ用紙に計算を書き始めた。


「一日が二十四時間……五年分の日数……このホテルの時給……二人分」

「ユリアス、幽霊は給料いるのか?」

「はあ? 殿下は五年もタダ働きしたあげく幽霊だから休暇も給料もいらないだろうなどと言われて『はい、そうですか』と納得できるのですか? 鬼か悪魔なんですか?」


 さっきまで幽霊を怖がっていた人間とは思えない言い分である。


「いや、幽霊では金の使い道が無いんじゃないかと思っただけで……」


 ユリアスは少し考えてからモーリスとハンナを見た。


「ご両親のお給料は貴方方に支払う方がいいのでしょうか? それとも別の形のものを準備した方がよろしいかしら? 例えばお墓を豪華にするとか、神官様に祈りを捧げてもらうとか?」

「神官に祈りを捧げられたら天に召されてしまうんじゃないか?」


 俺がそう言えば、ユリアスは真剣に悩み出した。


「あの、うちの両親は居るかも解らない不確かな存在になってしまったと、もしかしたらハンナがただ両親を忘れられずに言っているだけかも知れない話なのに何故給料の話に?」


 モーリスが慌てる中、ユリアスはビシッと指をモーリスに突き付けた。


「私はこのホテルのオーナーで貴方方兄妹はこのホテルの従業員で、貴方方ご両親は死んでからもなお働いている。そう言った話でしたわよね?」

「は、はい」

「私、不当な労働環境に従業員が置かれている状況が死ぬほど嫌いなんですの! 働いたらお給料が出て心身共に壊さないために休暇が必要なのは当たり前ではありませんか? 死んだんだから働いていてもお給料も休みも無いなんて……許されることではありません」


 言ってることが正しいのかは、よく解らないが働く人間のことで考えればまともなことを言っている。


「ユリアス、君は幽霊が怖かったんじゃないのか?」


 さっきまでの怯えて俺に頼りきった可愛いユリアスはもういない。


「幽霊は不確かで突然現れ、こちらを驚かせて恐怖させるだけの存在だと思ってこれまで生きてきましたが、幽霊も働けると初めて知りました。言われてみれば幽霊は元々生きていた人間。人間には等しく働く権利がありますわよね?」


 ユリアスは拳を握りしめて強く主張した。


「私はこのホテルのオーナーですから! 全ての従業員を幸せな労働環境に導く義務があると思うんですの!」


 怯えるユリアスも可愛かったが、楽しそうに笑いながら従業員の幸せを語るユリアスの方が見ていて安心してしまう。


「働いてもらうからには、お給料と休暇をお約束させていただきますが……私には意志の疎通ができないのですわよね」


 すると、部屋にパチンパチンと音が響き壁に血文字が現れた。


『新オーナーよろしくお願いいたします』


 その文字を見た瞬間、ユリアスはキャーっと悲鳴を上げた。

 流石にこれは怖かったのだと思った瞬間、ユリアスは壁を指差して叫んだ。


「血文字なんて壁に書いて消せなくなったらどうするのです! メモ用紙があるのだからこちらに書いてください!」


 プンプンと怒るユリアスに幽霊の方が驚いたのか、壁の血文字はどんどん消えていき、ユリアスの差し出したメモに『本当に申し訳ございません』と血文字が現れた。

 ユリアスは満足そうに頷いていたが、そうじゃない感じがすごくする。

 しかも、ユリアスが悲鳴を上げたせいで、マイガーがバネッテ様を小脇に抱えてやって来たし、護衛の二人も殺気を放ちながらやってきた。

 完璧なカオス。


「ユリアスは無事だから、大丈夫だぞ」

「だって、お嬢の悲鳴なんて初めて聞いたよ! 何、何があったの?」


 マイガーの慌てた顔に思わず笑ってしまいそうになる。


「「まさか殿下に何かされたのですか? 殺しますか?」」


 何故、俺が何かした前提なのか問いただしたいところだが、ユリアスを心配してのことだから大目に見てやる。


「ご、ごめんなさい。怒りで思わず叫んでしまったけど何にもないから」


 ユリアスの言葉に護衛二人が腰に差していた剣を抜いた。


「怒らせたのも俺じゃ無いからな」


 明らかに疑いの眼差しで俺を見るのは止めてほしい。

 マイガーはバネッテ様をゆっくりと下ろしながら言った。


「えっ、ああ、意志の疎通? 俺通訳しようか?」


 明らかに壁を見ながら話すマイガーは完璧に見えているようだ。


「ハンナちゃん? あ、そうなんだ」


 マイガーはニコニコしながらハンナの前に立った。


「ハンナちゃんはパパさんとママさんが見えてるんだね」


 ハンナは肩をビクッとさせてアワアワしだす。


「そうなのかハンナ?」


 心配そうなモーリスを泣きそうな顔で見つめるハンナ。


「お父さんもお母さんも見えるなんて言ったら兄さん私が頭おかしくなっちゃったって思うと思って言えなかった」


 泣き出すハンナをモーリスが抱きしめた。

 そんな二人をバネッテ様もうるうるした目で見ているし、護衛のバリガもハンカチで目頭を押さえている。

 そんな涙無しでは語れない雰囲気の中、ユリアスはニヤニヤとその光景を見ていた。

 あれは、企んでいる顔だ。


「ユリアス、悪い顔になってるぞ」

「私の心を読まないでください」


 読んでいるわけでは無いのだが……。


「さあ、モーリスさんお金の話をしましょうか?」


 ハンナを抱きしめていたモーリスがユリアスを見た瞬間ビクッと肩を跳ねさせた。

 誰にでも解る企んだ顔をしていると気づいているのだろうか?


「マイガーさん、近くを散策して見てどうでしたか?」


 まず最初にマイガーに話しかけ、マイガーはスッと手を上げた。


「え〜と、庭が広いのとプライベートビーチも近くて海も綺麗でした。立地がとにかくいいよ。自然豊かで海の幸も山の幸も両方とれそうだしホテルから港も駅も両方見える。港があるからバハル船長の船での輸送もできるね」


 するとバネッテ様がマイガーを真似したように手を上げた。


「庭の手入れが行き届いているとは言えないねぇ。だけど、この辺一帯は龍脈があるのかここにいると心地いいねぇ」


 ユリアスはメモをとりながら呟いた。


「ドラゴンも安らげるホテルをコンセプトにしてもいいですわね」


 ユリアスとバネッテ様が共鳴する様にフフフと笑い合っている後ろでモーリスとハンナが青い顔をして震えているのは見なかったことにした。


「す、すみません新オーナー。実は、家のホテルこの辺では有名な幽霊ホテルと呼ばれています。黙っていて申し訳ございません」


 頭を下げるモーリスを見て、ユリアスはそんなことだろうと思ったと呟いた。


「コンセプトが決まっても、幽霊の出るホテルってことには変わりがないだろう。どうするつもりだ?」


 俺がため息まじりに言った言葉に、ユリアスは首を傾げた。


「ですので。幽霊の出るホテルとして経営をするのですわ」


 周りがキョトンとする中、ユリアスはニッコリと笑った。


「幽霊に会いたい人必見、幽霊が現れるホテル! あまり怖いことに会いたく無い人には幽霊が絶対に出ない部屋をご用意いたします! イベントには怖い話の講演会。ホテルオリジナル魔除けのお札に幽霊グッズ販売。極め付けには絶対に霊体験のできる部屋。幽霊との記念撮影なんていうのも! 繁盛すること間違い無しですわ! アハ、アハハハ」


 久しぶりに高笑いをしているユリアスを見たが、本当に悪役にしか見えない。


「ユリアス、モーリスとハンナが泣きそうな顔をしているぞ! 帰ってこ〜い」


 俺の声など耳に入っていないのか、それからしばらくユリアスは高笑いを続けた。

 楽しそうならいいか、と諦めたのは仕方がないことだと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] いい!ユリアス、すっごくいい!(笑)
[良い点] soy先生、はじめまして。再び連載を開始してくださってとてもうれしいです( 〃▽〃)今回の物語は「勿慰謝」五巻の内容ですよね‼️私、この物語が大好きなのでとても感謝しています❤️恋人同士の…
[良い点] まぁ幽霊屋敷とかレアぃもん見たらそうなる子よね…w
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