終わりではなく門出です
お金儲けが生きがいの私、ユリアス・ノッガーにも利益以外に大切なものがある。
家族は勿論のこと、同じぐらい家で働いてくれている従業員も大切だ。
そんな中でも、特別大切な人ができたのは本当に不思議だと思っている。
私の特別な人は、婚約者であるルドニーク・レイノ・パラシオ殿下である。
殿下は、私の元婚約者との婚約破棄を計画していた時も協力してくれたり、試作品のレポートを書いてくれたり、隣国との貿易が円滑に運ぶように尽力してくれたり、王族を守護するドラゴンに会わせていただいたり、私にいつも刺激と安心感を与えてくれる。
だからこそ、こんな日が来るなんて思っていなかった。
私は涙目になりながら殿下の前に立っていた。
「そんな顔するな」
殿下の優しい声に更に涙が溢れる。
この日、殿下は学園を卒業してしまうのだ。
厳密に言えば、殿下だけでなく私のお兄様のローランドも殿下の乳兄弟で私の店の従業員のマイガーさんも卒業である。
仲良くしていた人達がこぞって卒業だなんて、ハッキリ言って寂しい。
私の目元の涙を指ですくいながら殿下は優しく微笑んだ。
「そんな顔をするぐらいなら、飛び級して君も卒業してしまえばよかっただろ?」
私が通うこの学園は、成績重視の学園でテストでいい成績をとれば出席日数は関係なく進級もできるし、飛び級もできる。
普通の学園であれば、出席日数の問題で私は進級できないし、殿下も留年していたはずだ。
「殿下は私が何故学園に通っていると思っているのですか?」
「学ぶためでは?」
私はハンカチをポケットから取り出し目元を拭った。
「私は市場調査のために学園に通っているのです。飛び級なんてしたら貴重なリサーチの時間が減って勿体ないじゃありませんか!」
私が力強く、ハンカチを握りしめて言うと、殿下は呆れた顔をした。
「君は本当にブレないな」
「その言葉、褒め言葉として受け取りますわ」
殿下は深いため息をついた。
こんな、商魂逞しい私を学園内で支えてくれたのは、呆れ顔のまま私の頭を優しく撫でるこの人だ。
婚約破棄された時も隣国の王子に求婚された時も獣人の誘拐事件の時もドラゴン探しの旅の時も側に居てくれたこの人を、今では世界で一番愛おしいと思っているなんて私が一番驚いている。
「これで学園を卒業してしまうと、俺だけが君に会いづらくなるのが辛いところだ」
殿下が不満そうな顔をしながら私の頬に触れた。
「そうなのですか?」
「そうだろ? ローランドは君の兄だから毎日会えるし、マイガーは君の店の従業員だから会う機会も多い」
言われてみれば、学園は理由なく殿下に会える貴重な場所だったのだ。
「そんな風に言われたら、さらに寂しい気がします」
頬にある殿下の手に頬擦りをして、殿下の大きな手を堪能してみた。
殿下がビクッと跳ねた気がして、殿下の顔を見上げれば殿下の顔が私に近づいてきたのが解った。
ああ、キスされる。
そう思った瞬間、殿下の背後にお兄様がいるのが見えた。
案の定、殿下は背後から羽交い締めにされていた。
「殿下、僕の妹に何をするつもりですか?」
「ローランドこそ、そろそろ空気を読んでくれてもいいんじゃないのか?」
お兄様は口元をヒクヒクさせた。
「何を仰っているやら、妹を守るためには最高のタイミングですよ」
「守るって何だ! 俺は彼女の婚約者だぞ!」
ムッとした顔の殿下にお兄様はニッコリと笑顔を向けた。
「まだ、たかが婚約者程度のやつは、節度を持ったお付き合いをしてほしいものですな!」
殿下は更に眉間にシワを刻んだ。
「自分はマニカと婚約者でもない癖にイチャイチャしているだろ?」
兄は勝ち誇ったように口元を大きく引き上げた。
「僕とマニカ様は自由恋愛のため、より深い愛を育む必要があるのです」
「自分だけ正当化しようとするな! 恋人は良くて婚約者が駄目なんてことあるか!」
殿下の言葉は、正論だと思う。
「婚約の時の書類に結婚まではユリアスの許可なく不用意に触らず、清い交際をすること。と書いておいたのですが、読まれませんでしたか?」
お兄様の言葉に殿下の動きがブリキのおもちゃのようにぎこちなくなった。
「何だそれは?」
「ユリアスとの婚約が決まった際に何枚か書類にサインを書かされたはずです。何を浮かれていたのかは知りませんが、書類の内容はきちんと確認してからサインした方がよろしいかと」
殿下は目を見開き言葉を失った。
「その点、僕とマニカ様は書類上の関係ではありませんから」
これは完璧な勝ちだとお兄様は確信しているようだし、殿下は敗北を確信したのか、項垂れた。
「お兄様も学園を卒業した後はマニカ様と不用意にイチャイチャできなくなってしまうのではないでしょうか?」
私の言葉にお兄様は困ったように眉をハの字に下げた。
「私を心配してくださるのは凄く嬉しいですが、お兄様はマニカ様のところに行ってください。殿下も反省しているようですし、私は大丈夫ですから」
お兄様は私をギュッと抱きしめ、名残惜しそうにその場を離れて行った。
お兄様が居なくなってからも殿下は暗いままで、私は仕方なく背中を摩ってあげた。
「お兄様の言っていた契約書でしたら、絶対に記載してくれなくては困るとお父様とお兄様が付け加えたものですわね」
私が説明を加えると、殿下は絶望したように項垂れた。
「何故君は飛び級して一緒に卒業してくれなかったんだ……」
「ですから、市場調査のためですわ」
そんな殿下が可愛く見えるのは恋の末期症状である。
「君が一緒に卒業してくれていたら、直ぐにでも結婚するのだが」
「殿下、王族に嫁ぐための花嫁修行もしなくてはいけないので直ぐに結婚はできませんわ」
間違いなく、私の言葉は正論だ。
一国の王子殿下の元に嫁ぐとなればそれなりの花嫁修行があるのだと聞いている。
「だが、花嫁修行は城に住み行うことだろう? 今よりは格段に会える時間も増えるはずだ!」
それはそうかも知れない。
「その分、私の趣味である経営に関しての時間が無くなるということはどのようにお考えですか?」
私が詰め寄ると、殿下はグッと息を呑んだ。
「それに、殿下は先ほどのお兄様の言っていた文言をきちんと理解していないのでは?」
殿下はバツの悪そうな顔をする。
「清い交際だろう」
勿論、節度は大切だと思う。が、そうではない。
「お兄様はおっしゃっていましたわ。私の許可が有ればいいと」
「はあ?」
殿下は何故か呆れたような声を上げた。
「〝ユリアスの許可なく不用意に触らず、清い交際をすること〟と書かれているとおっしゃっていたではありませんか? と、言うことは私の許可が有れば多少は許されると言うことなのでは?」
そんな私の屁理屈に殿下は唖然とした後、声を上げて笑った。
「笑いすぎですわ」
それでも殿下は楽しそうに笑い、手を掴むとチュッと音を立てて手の甲にキスをした。
「では、愛しの婚約者様に許可をいただかなくてはいけないな」
殿下の物語にでも出てきそうな行動に、ドキドキが止まらない。
「殿下、その角度の写真を撮らせていただけませんか? 殿下の王子様のような写真! 売れる」
私ですらドキドキするのだから、他の女の子ならいくら出してでも買ってくれるに違いない。
殿下が深いため息をはいた。
「こんなこと、君にしかしない」
「私にしてくださって大丈夫です! ただ、私の背後から写真を撮らせていただけるだけで」
「断る」
頑なな殿下に、私はがっかりしながら小さく舌打ちをしてしまったのは仕方がないと思う。