未来の子ども
バネッテ様が今日避難したのは王妃様の自室だ。
理由はマチルダさんがお茶に誘われてここに来ていたからだ。
勿論、私もそのお茶会に呼ばれた一人だ。
今日はマイガーさんの非番の日だからバネッテ様は若い姿でデートの予定だったはずなのだが、今日も身の危険を感じたのか、お茶会に参加している。
「マチルダもよく宰相から逃げて私の部屋に来たのよ」
王妃様にそう言われて、マチルダさんは遠くを見つめながらお茶を飲んでいた。
「宰相閣下が国王陛下の骨を何本か折ったのだと噂で聞きましたが、本当ですか?」
私が疑問になっていた都市伝説を聞けば、王妃様はクスクスと笑った。
「あれは、陛下が面白がって宰相が勘違いするような言い方をしたから自業自得なのよ」
それは本当に折ったってことでいいのか。
王妃様は笑っているが、マチルダさんはぐったりしている。
「だから、ルドニークにはマイガーをからかっちゃダメよって言ってあるわ」
殿下がマイガーさんをからかうのは、あまり想像ができない。
マチルダさんは、出されたお茶請けのクッキーをポリポリ食べて王妃様と目を合わせないようにしている。
「マイガーはどうにかならないのかい?」
バネッテ様のため息混じりの声に、マチルダさんは窓の外に視線を移した。
「どうにかできるなら、私も教えてほしい」
マチルダさんの呟きは、聞こえなかったことにした。
「じゃあ、マチルダさんはどうやって宰相閣下の暴走を止めたのですか?」
素朴な疑問を投げかけたつもりだったが、王妃様が吹き出した。
そんなに面白い方法なのか?
「諦めただけです」
私とバネッテ様は首を傾げた。
「諦めたって何を?」
マチルダさんはフーっと息をついた。
「何もかもです」
何もかもを諦めるって……
唖然とする私とバネッテ様。
「どうにかなるんじゃないかと思っていること全部諦めて、結婚しました」
王妃様が楽しそうにアハハハっと声を出して笑った。
「一番の解決法が結婚とか女性として間違ってる気持ちもありますけど、周りに迷惑かけずに旦那様を安心させるのは結婚しかなかったんです!」
自棄になったように叫ぶマチルダさんを王妃様がお腹を抱えて笑っている。
仲良しだからできることだと思う。
「そのおかげで、マチルダに乳母をしてもらえたのだけどね」
笑いすぎて、目に涙を浮かべた王妃様をマチルダさんが恨めしそうに見ていた。
「そうだ、あの子達のアルバム見る?」
そう言って王妃様が奥から持ってきた大量のアルバムをみんなで見ることになった。
聖母のように、二人の子供を抱きしめるマチルダさんは本当に美しく見えるし、イタズラが見つかったのかマチルダさんに怒られる小さな殿下とマイガーさんは可愛い。
隣で同じように写真を見ているバネッテ様は目をキラキラさせてうっとりしている。
「バネッテ様は子どもが大好きですよね?」
「純粋で可愛いからね〜」
私も嫌いではないが、バネッテ様には負けると思う。
それにしても、子どもの時から殿下はなんだか凛々しく見えるのは、私が殿下を好きだからかもしれない。
「は〜可愛いね〜」
バネッテ様はじっくり写真を眺めて、王妃様とバネッテ様はあの時はこうだったああだったと思い出話をしている。
幸せな時間だ。
私がしみじみ写真を見ていると、王妃様が言った。
「本当にルドニークはこの頃は可愛かったわ」
「殿下は今でも可愛いですわ」
思わず口から出た言葉に思わず手で口を押さえた。
「あら〜あの子も愛する人の前では可愛いのかしら?」
まずい、王妃様にからかわれてしまう。
どう切り返したものかと思った瞬間、マチルダさんがニヤリと笑った。
「あの子も〜ってことは陛下も〜王妃様の前では可愛いのですね〜」
「ちょっと、マチルダ」
可愛く口を尖らせる王妃様はまるで学生のような初々しさを感じさせた。
「お二人は本当に仲良しなんですのね」
私が思わず言った言葉にマチルダさんはニコっと笑った。
「羨ましいですか?」
「とっても」
私がそう返せば、マチルダさんは慈愛に満ちた顔をした。
「お嬢様にはバカ弟子もバネッテ様もいるじゃないですか」
バナッシュさんとバネッテ様。
言われてみれば、二人とも親友と言っていいかもしれない。
「それに、その二人どっちも直ぐに結婚して子ども作りそうだから、どちらかに乳母を頼めばいいじゃないですか?」
マチルダさんの言葉は私にとって革命的な台詞だった。
「それってとっても素敵! ユリアスもそう思うでしょう」
私が感動して頷きかけた横で、慌てたようにバネッテ様が言った。
「お嬢さん、あんた騙されてるよ」
「へ?」
バネッテ様は呆れたように息をついた。
「結婚して子ども作るのはお嬢さんも一緒ってことだよ。そこの二人は早く孫の顔が見たいだけのお婆ちゃんって、ことさね」
王妃様とマチルダさんが私から視線を逸らした。
騙されて頷くところだった。
「もう、後ちょっとだったのに」
王妃様が残念そうに言った。
本当に危なかった。
「まあ、マイガーに頑張ってもらってバネッテ様が逃げられないようにすれば、まだ可能性はあります」
マチルダさんが獲物を狙う獣の目でバネッテ様を見ている。
「その顔、マイガーそっくりだよ」
「親子ですから」
マチルダさんはバネッテ様の味方とは限らないのかもしれないと本気でその時思った。
「それに、マイガーの小さい頃の姿を見て、バネッテ様も自分の子どもが欲しくなると思います。だって、他人の家の子どもですら可愛くなってしまうバネッテ様ですもの、自分の子どもがそれ以上に可愛いってことに直ぐに気づきますから!」
バネッテ様はアルバムを抱きしめて怯えたように首を横に振った。
「マイガー似の子どもにママ〜って呼ばれたくないですか?」
バネッテ様が追い詰められたように、アルバムとマチルダさんを交互に見ている。
「大丈夫ですよ。お嬢様も同じ頃に可愛いお子様を産んでくれますから苦楽をともにできますよ。私と王妃様のように」
脅しのような迫力を感じる。
助けを求めるように私を見るバネッテ様。
私がその二人に勝てるとでも?
下手に助けて、マチルダさんに予言書なんかを書かれたら逃げ道なんて皆無になってしまう。
かと言ってバネッテ様がマチルダさんに流されたら私の味方など存在しなくなってしまう。
「マチルダさん、この件は検討いたしますわ」
「是非前向きにお願いしますね」
私が話を終わらせようとしていると部屋にノックの音が響いた。
「誰かしら?」
王妃様が首を傾げれば、バネッテ様がテーブルの下に隠れようとした。
まだ、マイガーさんだとは決まっていないのだが。
「私が見てきますね」
マチルダさんが流れるようにドアの前に移動した。
流石、王妃様の元侍女である。
「どちら様でしょう?」
「ルドニークです」
殿下の声に安心してテーブルの下から出てきたバネッテ様が可愛らしい。
「どうぞ、入って」
王妃様の声にドアが開く。
と、同時に入ってきたのはマイガーさんだった。
バネッテ様の声にならない悲鳴が聞こえるようだ。
「やっぱりここにいた!」
マイガーさんの後ろから殿下がぐったりした顔で入ってきたのが見え、漠然と大変だったのだな〜と、思ってしまった。
マイガーさんは躊躇うことなくバネッテ様を抱きしめて頬を膨らます。
「デートするって言ったよね?」
「い、言った」
「じゃあ、なんで逃げんのさ?」
不満そうなマイガーさんから視線を逸らすバネッテ様の顔は真っ赤だ。
「スキンシップが多すぎる」
消えそうな声をマイガーさんはちゃんと聞き取る。
「スキンシップしないと、婆ちゃんは慣れないでしょ?」
バネッテ様は私に助けを求めるようにこちらを見ている。
どうやって助ければいいか考えようとした瞬間、殿下に手を引かれた?
何事かと思って殿下を見る。
「君は俺とデートだ」
「は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「お茶会の邪魔をして申し訳ありません。ですが、ユリアスを連れて行くことをお許しください」
殿下が頭を下げると王妃様とマチルダさんはニコニコしながら私達に手を振った。
「いいのよ〜二人とも仲良くね」
「デート楽しんで〜」
王妃様もマチルダさんも殿下とマイガーさんを止める気ゼロだ。
殿下に引きずられるように王妃様の自室から出て、私は我に返った。
「殿下、今日の私の予定は王妃様とのお茶会ですわ」
快く送り出されてはいるが、王族との予定を簡単に変えるのはどうなのだ?
「許可はもらった」
殿下は私の手を引いたまま歩く。
「そうですが……」
私が言い淀むと殿下は足を止めた。
「俺と二人きりになるのは嫌か?」
「そういうわけでは」
「なら、少しぐらい君を独り占めさせてくれ」
そう言って、殿下は私を城の最上階まで連れて行った。
デートと言っているのに城の中なのかと疑問に思ったが、言わないでおいた。
風は強いが、街を一望できる綺麗な場所だ。
綺麗ですねと言おうと思った時には殿下に抱きしめられていてびっくりした。
「ここなら誰も来ない」
殿下の呟きが耳をくすぐる。
「君を独り占めするには誰も人のいない所じゃないと駄目だ」
「そんなこと」
「ある。街を歩けば君に皆声をかける。俺の執務室も君の家も必ず邪魔が入る。君は常に人に囲まれて独り占めできてる気がしない」
殿下がそんなふうに考えていたなんて思いもしなかった。
私は殿下の背中に手をまわした。
「ですが、独り占めしていい権利があるのは殿下だけですわ」
私だって、殿下を独り占めしたいと思っている。
殿下だって忙しくてデートする時間を作るのが大変だし、立場的な問題や容姿から人の注目を集めてしまう。
こうして二人きりになるのが大変なのも、お互い様である。
「次、いつ二人きりになるか解らないからな、君を充電させてくれ」
そう言って殿下は私にキスをした。
幸せな気持ちが広がる。
キスが終わり、お互いの額を合わせて見つめ合っていると、下の方からバネッテ様の叫び声が聞こえた。
「触るの禁止だ!」
「絶対嫌だ!」
さっきまでの幸せそうな顔をぐったりした顔に変え、殿下は城の下を覗き込んだ。
「あいつは、何をやってるんだ」
「愛情表現は人それぞれですわ」
私がそう言うのとほぼ同時に、羽根の生えたバネッテ様が私のところまで飛んできて私を抱きしめた。
「バネッテ様、彼女は今俺との時間なので、マイガーのところにお戻りください」
殿下がげんなり顔でそう言えば、涙目のバネッテ様がショックを隠せない顔をした。
「俺にとっては本当に貴重な二人きりの時間なんですよ」
「そんなこと言うんじゃないよ! あれはあんたのお兄ちゃんだろ! なんとかしておくれよ!」
殿下とバネッテ様が睨み合う。
「では、それ相応の対価があればお助けいたしますわ」
私がそう言えば、バネッテ様は真剣に言った。
「あんたら二人の子どもに加護をやるんでも、飴のレシピでもなんでもあげるよ」
「殿下、今の言葉を忘れませんように」
言質はとった。
解決法は結婚するしかないとマチルダさんも言っていたし、さっさと二人を結婚させてしまおう。
それに、私と殿下もさっさと結婚してしまえば、二人きりになるのなんてたやすいではないか?
「では、どうにかできるように作戦を練りますので、今日は我慢してマイガーさんとデートを楽しんでくださいませ」
「直ぐ助けてほしいんだよ私は」
「解っています。ですが、直ぐにどうにかできるならすでに助けてさしあげていますわ。それができないからこそ、作戦を練らなければ」
「そ、そうだね」
バネッテ様が納得する中、マイガーさんが追いついた。
「お嬢ずるい! 婆ちゃん返して!」
走ってきたのは明白でゼーハー息をするマイガーさんに私はいった。
「マイガーさん、バネッテ様は照れ屋さんなので人前では手を繋ぐだけにしてあげてください。二人きりになってからスキンシップを始めなくては、バネッテ様じゃなくても逃げ出したくなりますから」
「えー」
不満そうなマイガーさんに私はニッコリ笑って見せた。
「あまりにバネッテ様を追い詰めるようで有れば、デートができないぐらい仕事をギッチギチに詰め込んで差し上げてもいいんですのよ」
マイガーさんは不満そうな顔をしたが、バネッテ様に手を差し出していった。
「婆ちゃんとデートできないのは嫌だから、ちょっとだけ我慢する。でも、手離したら駄目だかんね!」
マイガーさんの差し出す手におずおずと手を伸ばすバネッテ様。
その手をギュッと握るとマイガーさんは幸せそうに笑った。
二人が仲良く手を繋いで帰って行くのを見ながら私は殿下の腕にしがみついた。
「作戦会議をおこないますわ」
「俺とのデートは?」
ショックを隠せない顔の殿下に私は笑顔を向けた。
「あの二人の外堀を埋めて、さっさと結婚していただくのです」
「何が悲しくて人の恋路の手助けをしなくちゃならん?」
「バネッテ様は子どもが大好きなので私達の乳母になってもらう予定なので、マイガーさんと結婚してもらわなければ困ります。私と殿下が早く結婚して子どもができるためにも」
私の言葉を聞いた殿下は顔を赤くして、口元を手で覆った。
「作戦会議してくださいますか?」
「……解った」
こうして、私と殿下はマイガーさんとバネッテ様を結婚させるための作戦会議を始めたのだった。