気長にゆっくりなんて許しません
最近マイガーさんの機嫌がとっても悪い。
「どうかしましたか?」
聞けば口を尖らせ不満そうに、別に〜と言う。
あれは不満のある顔である。
「言ってくださらないと、改善のしようがありませんのよ!」
その日、できるだけ強く言ってみた。
「じゃあ、言わせてもらうけど、あれ何!」
それは、私の店のアリアドの新ブランド『パフュームドラゴン』のコーナーに飾られた新しいポスターだ。
背中の大胆に空いたドレスの後ろ姿のポスターだ。
「素敵ですわよね?」
「すっごい素敵だけど! なんで婆ちゃんがモデルなの!」
私は思い出すように斜め上を見つめてから言った。
「似合うからですわ!」
「解る! 解るけど!」
マイガーさんは不機嫌な顔で言った。
「婆ちゃんに変な虫がついたらどうしてくれんの?」
私は首を傾げた。
だって、ポスターは白黒でバネッテ様の特徴的な緑の髪色も黒にしかならないし、髪型すら変わっている。
「バネッテ様だと気づく人は少ないと思いますが?」
「あんな綺麗な背中見ればすぐ気づくでしょ?」
いいや、解らないと思う。
だってバネッテ様はファッションにはうとくて、今もお婆さんの時と同じ魔女のような真っ黒ワンピースにローブ姿なのだから。
「バネッテ様の背中を見たことがおありですの?」
「直接見なくても骨格である程度解るよね?」
流石に私でも解りませんけど?
「ただでさえ美人で優しい薬屋だって評判になりすぎて婆ちゃん家に薬じゃなくて婆ちゃん目当ての男が増えてるっていうのに! やっぱり婆ちゃんは老人の姿でいいんじゃない?」
「ですが、バネッテ様は好きな人に意識されたくて本来の姿で生活することを決めたみたいですし」
私の言葉にマイガーさんはピクリと反応した。
「お嬢はその婆ちゃんの好きな人知ってるの?」
「え?」
目の前にいますけど?
「ねぇ、お嬢知ってるなら教えてよ」
「何故知りたいのか聞いても?」
マイガーさんは不機嫌そうだ。
「だって、そいつ俺から婆ちゃんを奪うかも知れないんだろ!」
その独占欲は恋なのでは?
「奪うかも知れないですが……邪魔する権利も今のマイガーさんにはありませんよ?」
私の言葉にマイガーさんが驚いた顔をした。
「無いの?」
「無いですよね? だってマイガーさんはバネッテ様の血の繋がった家族でもなければ恋人でも無いんですから!」
マイガーさんは頭を抱えた。
「血の繋がった家族にはなれませんが、恋人にはなれるのでは?」
項垂れるマイガーさんにそう言えばマイガーさんは頬を膨らませた。
「俺、多分恋人になったら重いよ」
「え?」
「たぶん、婆ちゃんに引かれて逃げられる自信があるんだけど?」
それは、かなりバネッテ様を好きってことなのでは?
「婆ちゃんがすぐに死なないって解ったし、ゆっくり仲良くなれればいいと思ってるんだけど? ダメかな?」
「それで他の男性に奪われてもいいのですか?」
マイガーさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「バネッテ様は誰から見ても魅力的です。すぐに素敵な人が現れます。今のままではマイガーさんは孫みたいな存在で終わりですのよ!」
マイガーさんは困ったように眉を下げた。
「孫の言うことなら聞いてくれるかな?」
「実際の孫でも無い人の言うことは普通聞きませんわ」
「だよね……」
私はマイガーさんの背中を力強く叩いた。
突然のことに驚いた顔をするマイガーさんに、私は笑って見せた。
「時は金なりという言葉があると本で読んだことがあります。善は急げですわ」
「でも、店」
「家のスタッフの優秀さは、貴方が一番ご存知なのでは? それに、今まさにバネッテ様の意中の男性が告白をOKしていないとも限りませんわよ。バネッテ様が幸せならそれでいいと仰るなら店番をしていて結構。そのかわり、バネッテ様が他の男性とイチャイチャしていても笑顔で見守ってくださいませね!」
私だったら、愛する人である殿下が他の女性とイチャイチャしてるのを笑って見ているなんて無理である。
それは、マイガーさんも一緒だったらしく慌てて店のドアを開けた。
「お嬢、俺明日から一週間タダ働きでいいから!」
私は達成感を持って、マイガーさんの背中を見送った。
「あの子の背中を押してくれるのはいつもお嬢様ね」
そこに、店の二階からマイガーさんの母親であるマチルダさんが降りてきた。
「マイガーさんに一歩を踏み出す勇気があるのですわ」
「そう言ってもらえるのは母親として嬉しいんだけど……バネッテ様、たぶん逃げてくると思うの」
「は?」
マチルダさんは深いため息をついた。
「いや〜久しぶりに夢を見たんだけど……あの子って父親似みたいで愛情は重いし、しつこいしバネッテ様の困惑する姿を見て朝起きた瞬間から同情。いや、私も彼からされたことあるしぶん殴ってやれば少しは大人しくなるんだけど、ウザいじゃない。好きだけじゃどうにもならないウザさってあるのよ! だから、バネッテ様が逃げてきたらお嬢様と私で保護してあげましょうね」
マチルダさんの疲れの見える笑顔になんだか罪悪感が募る。
「私、悪いことをしてしまったのでしょうか?」
そんな私の背中をマチルダさんは撫でてくれた。
「お嬢様、あの子と付き合うってことは、そういうことなんです」
マチルダさんが遠い目をしていた。
宰相閣下にどんな重い愛情を注がれていたのやら。
怖いので聞くのは止めておくことにした。