お金で買えない幸せ
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婚約破棄とは、私にとって大したことではない。
そう思って、婚約破棄しても構わないと口から出てしまったのは、自分でも予想外だった。
「ユリアス?」
殿下が信じられないと言うような顔をして私の顔を覗きこんだ。
「殿下が望むのであれば、婚約破棄していただいて結構ですわ。婚約破棄など一度も二度も変わりありませんから」
私の言葉に周りの空気が張り詰めた気がした。
このラオファン国では婚約破棄は女性の最大級に不名誉なことであるから仕方がない。
「貴女、婚約破棄したことがあるの? 何故そんなに平然としていられるのかしら? 生きていて恥ずかしくないの?」
凄く過激なことを言われているのに、パオ様の柔らかな雰囲気が過激さを感じさせないのは凄いと思わず感心しそうになった。
「ユリアス嬢を手放すのであれば、俺がもらう」
そこにジュフア様が真剣な顔で言った。
「まあ! 一国の王子が婚約破棄された傷物令嬢と結婚なんて恥ずかしい」
そんな真剣なジュフア様を茶化すように空気の読めない声が響いた。
「ユリアス嬢を傷物だと思うお前の心の方が、よっぽど傷物だと俺は思うがな」
ジュフア様はパオ様を哀れむような顔でそう言った。
「女嫌いが治ったかと思えば、たかだか伯爵令嬢にご執心とは。兄上はもっと王子だということを自覚なされた方がいい。いや、王位を私に譲るとおっしゃるのであれば、ご自由に」
インスウ様はクスクスと笑って見せた。
「たかだか伯爵令嬢……」
ジュフア様は殿下に視線を向けた。
「ルド〝たかだか〟という言葉がこんなにも似合わない女性が他にいると思うか?」
「いや、つくづく似合わないと思う」
しみじみという殿下達に思わずイラッとする。
「ルド様、私を馬鹿にしてませんか?」
「いや、馬鹿になどしていない! 誤解だ!」
いまいち信用できずに殿下を睨みつけると殿下は困ったような顔をした。
「俺もジフも褒め言葉だと思って言ったんだ」
私は仕方なく納得することにした。
「仕方がないので納得して差し上げます」
「ああ、そうしてくれ」
殿下が安心したように緩んだ笑顔を作った。
殿下はこういった油断した顔をたまに見せる。
その顔は私の心臓をギュッと掴む卑怯な顔だ。
殿下の婚約者になってからモヤモヤしたりイライラしたり苦しくなったりと私の心臓はボロボロである。
こんな想いをするぐらいなら友人に戻りたいと思っている私の心を、殿下を手放すのはもったいないと思わせてしまう卑怯な顔だ。
そんな殿下の緩んだ顔を見たパオ様が殿下に可愛らしく首を傾げながら話しかけた。
「ルドニーク様は彼女とどうして婚約したのですか? だって不思議じゃないですか! 婚約破棄された傷物令嬢なんかと……解ったわ! 弱みを握られているんですのね!」
失礼極まりない。
だが、この国では仕方がないのかも知れない。
私がそんなことを考えていた時、殿下がハハハッと笑った。
「そうだな。弱みは握られている」
私がどれのことかを考え始めるのと、パオ様が私を睨んだのは同時だった。
「貴女! ルドニーク様を脅して婚約者の座に就こうなんてとんだ悪女ね!」
パオ様が何かに似てる気がしていたが分かった。
彼女ポメラニアンみたいだ。
キャンキャンとよく吠えるポメラニアンを飼っている侯爵夫人がいたのを思い出した。
「聞いてるんですの⁉︎ ルドニーク様と今すぐ婚約破棄なさい! これは命令よ!」
パオ様の言葉に私はクスクスと笑ってしまった。
「な、何を笑っているのよ!」
「いえ、パオ様は本当に可愛らしい方でつい。申し訳ございません」
「私が可愛いのは当然よ! そんな当たり前の話はどうでも良いわ!」
パオ様は鬼の首でもとったかのように自信満々に言った。
「なんて恐ろしい女なの! ルドニーク様の王子という地位に目が眩んでいるのね! 恥を知りなさい!」
地位に目が眩んでいると言われたら違う。
殿下の持っている地位は面倒で動き辛いものだ。
では、私が殿下と婚約した理由は?
「婚約者というのは、癒す存在じゃ無ければいけないのよ! ルドニーク様は私が真実の愛で癒して差し上げますわ!」
私は遠くを見つめてから言った。
「真実の愛? それは、どういったものでしょうか?」
私が不思議そうに聞けばパオ様は胸を張って言った。
「真実の愛とはお金では買えない幸せよ‼︎ そんなことも理解できないなんて……だから婚約破棄なんてされるのよ!」
お金では買えない幸せ?
私は更に首を傾げた。
「お金では買えない幸せとは具体的にはどんなものがあるのでしょうか?」
パオ様は目を見開いて言った。
「そんなことも分からないなんて! 何があっても変わらない愛はお金では手に入らないでしょう」
愛はお金では買えない。
「うふふ。パオ様はルド様に何があっても変わらない愛をお持ちなのですね! 例えば、明日ルド様が王太子でなくなってパラシオ国から無一文で追放されたとしても」
あえてニコニコしながら言えばパオ様も笑顔で言った。
「有りえないわ、そんなこと」
「どうしてでしょう?」
「だってルドニーク様は兄弟が居ないもの!」
私は呆れたように息を吐いた。
「パラシオ国の国王陛下に隠し子がいないという証拠はありますか? 成人するまで公にされていない王子が絶対にいないと言い切れますか? その隠された王子がルド様を国外追放したら? それでもパオ様は真実の愛のためにルド様について行くのですわね! 素晴らしいのですわね。真実の愛って」
私が煽り立てるように言えば、周りはシーンと静まり返った。
真実の愛とはそういうことだろう。
「貴女はどうなのよ! それでもルドニーク様を愛せるというの?」
私は驚いた顔をしてしまった。
「ほら見なさい! 貴女にはルドニーク様への愛なんて無いんだわ! 所詮ルドニーク様の地位と名誉とお金が目当ての性悪女なんだわ!」
「ふふふ。ルド様の価値をその三つだけだとお想いで? 私はルド様がその状況になっても価値があると思っていますわ」
私の言葉にパオ様は息を呑んだ。
「貴女、ルドニーク様を物か何かと勘違いしているんじゃないの? ルドニーク様! 彼女の本心をご覧になったでしょ!」
殿下はパチパチとまばたきをしてから言った。
「ユリアスは普段から面と向かって俺を歯車だとかいうからな……むしろ、仮に俺が王族じゃなくなったらユリアスは躊躇いなく婚約破棄だと言ってきそうだと思っていた」
「そうですか? 殿下に地位と名誉が無くなったら心置きなく従業員として雇うことができるではありませんか?」
「……君は本当にブレないな」
殿下は呆れたようにため息をついた。
そこに、インスウ様が呟いた。
「ルドニーク王子はどうして、そのような心の貧しい女性を選ばれてしまったのか、理解に苦しみますね」
呟きはけして独り言の声量ではなかった。
それを聞いたパオ様がまた意気揚々と私に指をさして叫ぶ。
「そうですわ! 貴女には心が無いのかしら! 世の中にはお金では買えない幸せがあるんですのよ! そんなこともご存知ないのかしら?」
私はニコニコと笑顔をパオ様に向けた。
「本当にパオ様は可愛らしい」
パオ様は私の言葉に眉間にシワを寄せた。
「そんな可愛らしいパオ様に一つ教えて差し上げましょう」
私はパオ様に近づくと言った。
「事実お金では買えない幸せはあります。人の心などですわね。ですが、大抵の幸せはお金でどうにでもなるのですわ」
周りの空気が重くなった気がした。
「ルドニーク王子。この女性との結婚はやめた方がいい。幸せにするに値しない女性です」
インスウ様の言い分に私はクスクスと笑ってしまった。
「何がおかしい?」
苛立ちを隠せずにインスウ様が私を怒鳴りつけた。
「申し訳ございません。インスウ様が面白いことを仰られていたのでつい笑ってしまいましたわ。だってそうではありませんか? 女性は男性に幸せにして頂かないと幸せになれないとでも思っている口ぶりでしたので」
私は笑顔を崩さずに続けた。
「男性がいなくても女性は勝手に幸せになれますわ」
インスウ様は私を馬鹿にしたようにフンッと鼻を鳴らした。
「先程、貴女は大抵の幸せはお金でどうにでもなると言っていた。女は男の稼いだ金で生活するのだから男がいなくては幸せになれないだろう?」
私は呆れてため息を吐いた。
「女性はお金が稼げないとでも?」
「なに?」
「私は店を経営していますし、このラオファン国でも街を見れば沢山の女性が働いていますわ」
「平民と貴族を一緒に考えるなど馬鹿らしい」
その言葉に私は笑顔を消すと深いため息を吐いた。
インスウ様との会話は面白くない。
偏見の塊すぎて 私の言いたいことなど理解できるとは思えない。
そこに、ジュフア様がゆっくりと言った。
「この国の貴族女性と違って、ユリアス嬢はいつもキラキラと幸せそうだ。だから、俺はユリアス嬢を嫁に欲しいと思っているんだがインスウにはそれが分からないか」
「女性嫌いが治ったかと思えば兄上は趣味が悪い」
インスウ様の嫌味を聞いて、殿下がふふふっと笑ったのが分かった。
「よほどインスウ王子は趣味がいいのだろうな。だが、ライバルにならなくてよかった。ユリアスの良さは俺だけが分かっていれば充分だと思っているのだが、まともな人間はすぐにユリアスに惹かれてしまうんで困っていたんだ」
殿下、さりげなくインスウ様がまともな人間じゃないと言いましたか?
「俺も趣味が悪いからなユリアスがいい女に見えてしまうんだ。それに、俺が王族でなくなったらユリアスが俺を養ってくれるしな」
そう言って笑う殿下に私も思わず笑顔を返した。
「勿論養って差し上げますわ。そのかわり馬車馬のように働いていただきますが、よろしいですか?」
「それもまた楽しそうな気がしてくるのは、君にかなり影響されてしまったということか?」
私と殿下は思わず吹き出してしまっていた。
こんな空気に簡単にしてしまえる殿下は本当に凄いと思う。
「あっ! ユリアス様‼︎」
突然の声に振り返ると、そこにはジュフア様の妹のムーラン様が立っていた。
「ムーラン様。私に〝様〟つけなど止めてください!」
「そんなこと言わないで下さいませ! 私はユリアス様を尊敬しているんですから!」
今、ムーラン様は私のビジネスパートナーになってもらっている。
ムーラン様がお兄様に失恋して国に帰られた後、私はムーラン様に手紙を出した。
もし嫌で無ければ一緒にビジネスを始めませんか? と。
ムーラン様は二つ返事でやってくださるとお返事をくれた。
なので、ラオファン国での流通に関わってくれているラオファン国のシャオラン公爵に私の紹介状を持って訪ねて欲しいと頼んだ。
ムーラン様はシャオラン公爵と共に前に船の船長のお土産に渡した小さな石の付いたアクセサリーをノッガー伯爵家の保証書付きで売り出してもらったのだ。
売り上げは爆発的大ヒットだ。
庶民向けに売り出したのだが、貴族女性からの売り上げも好調なのである。
理由はムーラン様とシャオラン公爵の婚約が決まったからだった。
シャオラン公爵は三十という若さでラオファン国の中でも王族に次ぐ地位であり、中々の美丈夫であるにも関わらず女性を近づけないことで有名だった。
難攻不落の美しき貴公子と呼ばれる彼の心を動かしたムーラン様にあやかろうと、皆がこぞってアクセサリーを購入するのだ。
「私の婚約はユリアス様の助言のおかげですもの! 崇拝させてください」
「崇拝はやめてくださいませんか」
「そうですか?」
口を尖らせ不満そうなムーラン様が可愛くて顔が緩む。
ムーラン様は慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「私、ユリアス様と姉妹になりたかったのよ! まだ間に合うわ。ルドニーク様なんて止めてお兄様と結婚してください」
私は苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい。それはできません」
どうやら、私は思っている以上に殿下のことを手放したくないと思っているようだ。
そこに、今まで黙っていたパオ様がおずおずとムーラン様に話しかけた。
「ムーラン姉様、あの、何故たかだか伯爵令嬢にそんな低姿勢に話しかけているのですか?」
ムーラン様は今初めてパオ様がいる事に気が付いたと言わんばかりの驚いた顔をした。
「パオ。貴女いたの?」
「……は、はい」
こうやって見るとムーラン様の方が力があるのだと分かる。
「で? 何か言った?」
「は、はい。何故伯爵令嬢に低姿勢なのですか?」
パオ様の言葉にムーラン様は眉間にシワを寄せた。
「尊敬しているからよ。私が幸せになれるように沢山動いて下さったのにそれを鼻にかけず、謙虚な心でいつも他人である私を気遣ってくれる。そんな人他に知らないわ。それに、こんなに他国の貴族と太いパイプを持つ人他にいないから」
「へ?」
ムーラン様は私に慈愛に満ちた笑顔を向けながら優しくいった。
「貴女が尊敬してやまないランフアお姉様だけど、今度南の国の王様との婚姻が決まったじゃない? あれの手引きをしたのもユリアス様じゃない! しかも、我が国で〝ノッガー伯爵家保証〟って言えば商人達は目の色を変えて話を聞いてくれるの。自国の姫よりも信頼するのよ! 逆にノッガー伯爵家と喧嘩したら、商人達は何も売ってくれなくなるかも知れないわ!」
ムーラン様の大袈裟な言葉にパオ様は顔を青くした。
「まあ、ユリアス様は商人の間では女神だから仕方がないわ! 私の婚約者だってユリアス様はべた褒めだったもの」
思い出したようにムーラン様は少し待っててと言って一人の男性を連れてきた。
ムーラン様の婚約者のシャオラン公爵である。
シャオラン公爵は私のところまで来ると言った。
「美しい女神がいると言われて来てみれば、ユリアス様でしたか」
「女神でしょ?」
シャオラン公爵はクスクス笑った。
「僕にとってはムーランが一番の女神だが、ユリアス様は負けないほどの女神だね」
ムーラン様はニコニコしながら満足そうに見えた。
「私などムーラン様の足元にも及びませんので、女神はムーラン様だけですわ」
私がそう言えば、二人はフーッと息を吐いた。
「その慈愛と謙虚さを私はもっと勉強しなくてはいけないのですわね」
「そうだね。天然の女神であるユリアス様と努力の女神であるムーランと考えるとムーランはユリアス様をお手本にすればもっと素晴らしい女神になれるね」
恥ずかしいからやめて欲しい。
そう思い助けを求めようとして周りを見渡して私はようやく気がついた。
「殿下、シュナ様はどこです?」
そう、シュナ様の姿がなくなっていたことに。
『婚約破棄のため、声を出さないと決めました‼︎』
『勿論、慰謝料請求いたします!1.2』
宜しくお願い致します!