まどろみ
思考するナンセンス。
ファンタスム的願望を抱き眠る。仰向けの欲望を天井が嘲笑する。瞼の裏の黒い現実から解離される瞬間を待って私は歌った。意識が遠退くのを待たずに、記憶の残滓が脳裏を掠めるのを観た。主観の私と俯瞰の私が交互に現れては消える。四人の会話は次第に大きくなり不協和音が鼓膜の奥の蝸牛みたような器官を刺激する。やがて、音が割れて歌う私は存在せず、床の間の静寂と鼓動だけの帳が降りる。
頬を伝い流れる涎と、瞼を染める赤色の朝が来た。濡れた枕から頭をずらして、手の甲で涎を拭き取った。的外れの夢を観た。私は残念で仕方がなかった。惰性で蠢く肉体と、その各器官の間に微少な衝突が起こり私を二度寝へと誘う。歯を磨きたい。熱湯を浴びたい。空虚の胃を満たしたい……。浅い睡魔が私を覆う。
そうして、私は二度目の夢を観た。綺麗な女性の夢だった。見覚えのある顔に主観の鼓動が早鐘を打つ。既に『夢』であることを知っている私は長髪の女性を追った。だが、体が指示に従わず、不条理の拳が流星の如く私を殴打した。憎い奴の拳が軽快に舞い私を殴る蹴る。気付けば歩き方さえも忘れ綺麗な女性の姿は消え去っていた。仕返しの一発が見事に外れた直後私は目を開けた。一滴の汗が雫と化し額を下る……。
腹立たしい気持ちは無い。虚脱感だけがある。掌で頬を打ち私はやおら腰を上げた。偏頭痛で頭が痛い。左目の横辺りに粘りのある嫌な痛みだ。けれど、喉の乾きの方が問題だ。清涼飲料水の滑らかな潤いが欲しい。私は冷蔵庫を開けてそれを飲んだ。
すると不思議な感覚に囚われた。
『さっきの夢の女は私自身ではなかったか?』
しかし、私は性同一性障害では無い。潜在意識と無意識の底に封じた性転換への渇望か?私は暫く考えてから、それが説明不可能な表象であると結論付けた。
ナンセンスが溢れて止まらない日常に言語を当て嵌め理解と言う常識を徹頭徹尾、用意周到に仮定した世界に於いて夢だけは瓦解した楽園だと願っている私は夢に説明を施す外科的な解剖は行わないと決めている。
私の皮膚の裏側が黄色の脂肪で塗装されている事実を認めても、夢の中での私の皮下は違うと考えている。煙草で黒色に染まった紫煙の塊も夢では鮮やかな蒼い輝きを放っているに違いない。
倒錯する感覚のズレが私を狂わせても、これ以上はないと確信している。
朧に光る妖艶な太陽は紫の陽炎を演出するし、それを絵に描けばそれらしい嘘が白色を覆うだけなのだ。だからこそ、私は描かれる側のヒトに過ぎず上も下もないと確信しているのだ。
詰まりはヒトだ。
夜毎に様々な夢を観るが白昼夢に襲われたことはない。二段ベッドの上か下かを知っているから当然である。
ただ、最近は綺麗な女性の夢を何度か観るようになってきた。以前は見なかった類いの内容だ。その逆も然りである。
茶色の落ち葉と腐葉土の甘い香りの上を這う鍬形の夢は一度きりで、正方形の部屋の中央で椅子に座る夢も一度きり。
似たような夢を繰り返し観ることがあってもレイトショーは大抵の場合夜毎に違う物を見せるものだ。だから、私は考えた。
『ああ、あの人が好きなのだ』と、夢の中で揺れる黒髪と振り向かない白紙の顔に恋をしているのだ。無風の空間で左右に揺れる長髪の煌めき、白い衣に覆われた見えない肌。隠れた素肌に美を感じ、私は手を伸ばす。伸ばすが届かず近隣の誰かが現れる。
謎の女性との距離感は火星と木星ほどもあるように感じられ、小惑星の帯が彼女と私の障壁になって、いつも私は挫かれ飛ばされ目を覚ますのだ。
恋い焦がれる悲哀は喜劇のように、虚しく白けた終わりを見せて、夢の眼球は白地を廻り果てなく果てる。矛盾だらけだが、感覚は正直だ。実在はしないが実存するヒトに恋をするのは馬鹿げている。しかし、謎のパラドックス空間に定期的に足を運ぶようになると逆転現象が起こる。単純明快な答えだ。夢もまた現実なのだ。では、現実も?それはナンセンスだ。二階から階下に降りるだけのこと、逆でも構わない。
無責任な常識の積み重ねで、幾星霜の埃は硬くなり、普遍的である日常は縁の淵であると知る。夢も幻もすべては現実。言語化されたヒトの答えだ。
あの綺麗な女性が教えてくれた事だ。振り向かないで漂って霞み閉ざされ光差す。
アブノーマルだがノーマルだ。
マイノリティだがマジョリティだ。
数字の世界に宇宙の真理があるならば、それは厳重な鍵で閉ざされた数学者たちの集会と公式の紹介解説議論に終わるだろう。
哲学の世界に宇宙の真理があるならば、それもまた排他的かつ独善的な頷きの場になるだろう。
だが、それもなにもかもナンセンスだ。ナンセンスさえもナンセンスだ。
まどろみの中で恋する私には異国の言葉だ。
触れたら壊れるだから愛する。
見詰めるだけの陳腐な愛がナンセンスに満ちた私だけの独善的な世界を構築する。まどろんで崩れ始まる一日にファンタスムを抱き、言葉にはせずに生きていこう。
一定の秩序。思考の延長。その先の綻びは、かくも微睡んでいる。