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物語の主人公でない彼女は、友人の無事を祈る

『約束の地』


 その森の奥深く、突如現れるのは思わず目を疑う程、巨大な建造物。

 生い茂る木々の中、そこだけがその建造物の為に拓かれている。

 里を覆い囲む深い森の中にあって、その建造物は少しも痛んだ様子を見せずに静かに佇んでいる。


 いつから、誰がこの建造物をそう呼んだのか。腰に差した剣に手を掛けながら、その疑問の答えを求めず、青年は静かに剣を抜いた。


 風にざわめく枝葉の揺れとは異なる、耳障りな音が聞こえる。

 静かなこの森に相容れる事の無い、おぞましい影が見えてくる。


 青年の様子に気づいた仲間達も次々と手に得物を構えた。


 奴らは、諦める事を知らない。

 どんなに数を減らしても、また知らぬ間に増え、ただ闇雲にこの地を目指すのだ。

 奴らが一心に目指すのは、この神聖な建造物。青年達の主。いつかの約束。


「……性懲りも無く、来たのか化け物ども」


 猛々しい声を上げながら、異形達はこちらを目指し突進する。闇を練り上げ、無理やりに凝り固めたような。一目見るだけで、怖気の走る醜い姿。


「シイナ!!翼付きの奴らが2匹!!上にもいるぞ!!」


 鋭い声が青年の仲間から発せられると同時に、青年は空へ剣を掲げた。

 剣の切っ先から眩い光が溢れ、弾となって空へ放たれる。

 直後、目の前に凄まじい衝撃とともに漆黒の塊が2つ、地面に叩きつけられた。


「……まだ。まだだ!!……放て!!」


 青年の号令とともにおびただしい数の矢が異形達へ降り注ぐ。

 青年自身もまた、剣を、敵に向けて一心に向け、己の力の全てを注ぎ込み、放つ。


「我ら『守護人』は約束を違えない!!!」


 青年の咆哮に仲間達が応える。それは幾度となく立てられた、絶対の誓い。


「『約束の地』はここに!!何人も、この『扉』に触れるべからず!!」


 放たれた光の奔流が、襲い来る闇達を灰燼と化した。






 ***






 何かがおかしい。九条鈴音は悩んでいた。

 授業の合間の休み時間。あっという間に自分を囲む、人だかりが出来上がる。


「ねえねえ、鈴音。ちょっと話聞いてよ」


「九条、今ちょっといいか?」


「九条さん、話があるんだけれど」


 次々と声を掛けられ、鈴音は強張った笑みを浮かべながら答えた。


「……あ、あー、ちょっとごめん」


 席を立つと、人混みを掻き分けるようにして、友人の座っている教室の隅へと急ぐ。


「……ねえ!美夜!!見てないで助けてよ!!」



 悲痛な声を上げる鈴音に、目の前の友人、世良美夜はくすりと笑う。


「どうして?私は忠告したじゃない。これは鈴音の見通しが甘かったせいよ」

「……あ、あんな話、信じられるわけないじゃん!!」


 鈴音は思わず声を荒げる。目の前の、超然とした雰囲気を持つ少女は、まったく動じる様子を見せなかった。全てを見透かした様な彼女の態度に、思い出される記憶がある。


「鈴音。これはアドバイスなのだけれど、これからは余り周りの人間に話しかけたりしない方が、あなたの為かも知れないわ」


 数か月前、突然美夜から告げられたそんな言葉に、鈴音は呆気にとられた。


「え?何で?」

「そろそろあなたの魅力に狂う人間が出てくる頃だから」


 思わず鈴音は噴き出してしまう。魅力?人を狂わせる?自分が?よりにもよって、そんな言葉を目の前の友人から聞く事になるとは。


「何それ?美夜がそれ言う?」


 世良美夜。高校に入学し、彼女に初めて会った時、鈴音の心に浮かんだ感情は畏怖だった。一目見て、背筋が凍りついた。それほどに彼女は美しかった。呆けたように彼女を見つめながら、余りに完璧に過ぎるものは、美しいという言葉より、恐ろしいという言葉が似合うのだと、頭のどこかで冷静に分析していた。


 それは決して大げさな表現などでは無いと、鈴音は信じている。美夜が教室に現れるたびに、どんなに騒がしい教室も、一段階そのトーンを下げる光景を、鈴音は何度も見てきた。決して美夜はいじめを受けているわけでは無い。彼女を不自然に遠ざける者も居ない。

 けれど彼女は喧噪よりも、沈黙を好む。


 静かに。


 彼女がそう告げるから、世界は少しだけ声を落とすのだと、鈴音は信じていた。

 この教室で、美夜に自分から話かける者はほとんどいない。教師ですら、彼女に対しては緊張を隠せない。だから、そういった意味で鈴音はちょっとした有名人でもある。あの世良美夜の唯一の友人。そんな目で見られる事も少なくは無かった。


「よくあの世良さんと話せるね」


 そんな風に話を振られる事も、一度や二度では無かったのだ。鈴音からすれば、確かに恐ろしい程美しい子ではあるが、話してみれば気さくだし、不思議と気が合い、いつも一緒に居るほどの関係になるのに、余り時間はかからなかった。


「別に、話せば普通だよ?」


 だから鈴音はいつもそう答えるようにしている。でも、その言葉への返答はほとんどこうだ。


「……そうなんだろうね。でも……」


 そこで鈴音は気が付く事になる。僅かに相手の顔に浮かぶ、ほんの少しの。


 ……怖いんだ。


 彼女と話していると、その魅力にどうにかなってしまうかもしれない自分が。


 恐怖を。


 まるで、漫画やアニメの世界だ。相手が我を忘れて夢中になってしまうような人間。そんな存在が、本当にいるとは、美夜と友人になるまではちっとも信じてはいなかった。


 ……でも、だからと言ってその対象に自分自身がなるだなんて、誰が信じるのか。


 鈴音は、最も親しい友人は美夜だが、それ以外にも友人は多かった。そもそも、人形のように完璧な美夜と、元気と社交性だけが取り柄のような鈴音に共通点を見つける事の方が難しい。美夜と比べ、誰かと交流する機会は圧倒的に多かった。そんな自分が魅力的だとは、鈴音は露程も思っていなかったのだ。


 だから鈴音は美夜の忠告を、冗談だと片づけてしまった。美夜はじっと鈴音を見つめてこう言った。


「……それもそうね。自分ではどうにもならないものって、あるもの」


 あの時の美夜の忠告に、どうして耳を貸さなかったんだろう?鈴音は後悔に襲われていた。


 何がきっかけだったのか。初めは誰だったのか。鈴音は話の流れで、悩みの相談を受け、それに答えた。ひどく感謝されたのを覚えている。後日、その悩みが解消されたのだと、嬉しそうに告げられた事を覚えている。少しでも役に立てたのならと、嬉しく思ったことを覚えている。


 九条鈴音は、悩みを解決してくれるアドバイスをしてくれる。それは驚くほど的確で、悩んでいた事など嘘のように上手く行ってしまう。


 誰がそんな事を言いだしたのか。まるでおまじないのような内容の噂が流れ出し、今ではこの有様だった。休み時間にはとうとう他のクラスの人間まで現れて声を掛けてくる。そもそも悩みを抱える人間はこんなに多かったのか。鈴音は声を掛けようとし、美夜の存在に気圧されて声を掛けられずにいるたくさんの視線を浴び続けていた。


「これで信じられたでしょう?あなたの魅力」

「み、魅力とか言うなら美夜みたいに綺麗さとかのが良かった!何なの、悩み相談って」

「あら、私は鈴音も十分可愛いと思ってるわよ?……その恰好は余り感心しないけれど」


 そう言って美夜は鈴音の短いスカートの端を摘まみながら微笑む。


「胸元もはだけ過ぎよ」

「好きでしてる恰好なんだって。……それより、匿ってよ」

「呆れた。私をだしに使うの?良いわよ。貸し一つね」

「貸し?」

「そうよ、いつか私が困った時に、鈴音も手を貸してね」

「……美夜が困る事なんてあるの?」

「ええ。きっと近いうちに。楽しみにしていてね」


 どんなに親しくしていても、どこか隠された何かを、鈴音は美夜に感じる事があった。この状況も、何だか美夜は最初から把握していたような態度だ。もしかしたら完全に理解しているのかもしれない。でも、珍しく困った様に笑う友人を前に、鈴音も大人しく頷くしかなかった。


 結局鈴音はその後数人の悩み相談に答えるはめになった。

 友人との喧嘩、好きな人への告げられぬ想い。内容は色々でもそれぞれの悩みは真剣で、深刻だ。けれど、と鈴音は思う。自分はただの女子高生だ。それも、どちらかと言えば悩む事も少なく人生を過ごしてきた。そんな人間に、一体どれほどの助言が出来るというのか。


「……だから、結局上手くいかなくって」

「そっかぁ。……うん、大変だったね」


 鈴音の目の前に座る女の子は、まだ初々しさの残る一年生だ。遂に学年まで越えて相談する人間まで現れてしまった。初対面の人間の悩みにどう答えろというのだろう。内心鈴音は頭を抱えてしまう。断り切れない自分の優柔不断さに嫌気がさす。


「やっぱり、私なんかが、彼に憧れたのが間違ってたんですよね」

「……う、うーん。憧れってそもそも間違えるもの、なのかな……」

「え?」

「そ、そのさ、誰かを好きになったりとか、誰かに憧れたりとかって、狙って出来るものじゃないでしょう?どうしてそう思ったのかって、説明するのも結構難しいと思うし。上手く言えないけど、それはきっと嘘じゃないよ。大事にして良いと思う」


 真顔になってしまった女の子を見て、鈴音は凍り付く。しまった。少し踏み込み過ぎてしまったのかもしれない。気を悪くしたのかもしれない。焦った鈴音は、次の瞬間ぽろりと女の子が涙を流したのを見てぎょっとした。


「ごめんなさい……」


 そのままぽろぽろと女の子は泣き続ける。鈴音はおろおろしてしまって、おかしな挙動をしてしまった。


「え?え!?ご、ごめん私何か変な事言った?ごめんね、泣かないで」

「違うんです。大事にして、良いって言ってくれたから……」


 鈴音は途方にくれてしまった。何も特別な事を言ったつもりはない。当たり障りのない、それどころか中身のない発言だったのに。何がそんなに感情を揺さぶったのか。


「……私結構自信が無くなっちゃってて。だから嬉しいです……」


 おとなしい見た目の女の子がぽろぽろ涙を流す様子に鈴音の良心はズキズキと痛んだ。思わず彼女の頭を撫でながら慰める。


「泣かないで!!私はあなたの事すごく可愛いなって思うし!もっと自分に自信持っていいよ。良い事いっぱいあるよ!!ね!だから泣かないで!」


 女の子はちょっと目を見開くと、そのままにっこりと笑う。鈴音も思わず動揺する程それは無防備な、親しみに溢れた笑みだった。


「……ありがとうございます。……九条先輩に言われると、自分が本当に魅力的なのかもって思えてきました」

「そ、そう!?」

「はい。ありがとうございます。私、頑張りますね。九条先輩に相談出来て、本当に良かったです」

「私で役に立てるなら、いつでも来てくれていいよ」


 あぁ、やってしまったと鈴音は思う。自ら飛び込んでどうするというのか。でも、自分が誰かの役に立てるのなら、それもいいと思える自分も居る。


 ――だってそれは私の役目だから。


 鈴音の心にそんな言葉が浮かんだ。余りにも自然に浮かんだその言葉はあっという間に思考の流れに押し流されて行った為に、鈴音がそれ以上その言葉について深く考える事は無かった。


 鈴音は教室の前で下級生の女の子と別れると、下校する為に校門を目指し始めた。


「鈴音」

「わ、びっくりした」


 声のした方を振り向けば美夜が立っている。


「……もう手遅れね」

「え?」

「自覚が無いって本当に怖いのね。……鈴音、手を出して」


 友人の意図を掴めないまま、言われた通り鈴音は右手を差し出した。美夜は手を取ると、鈴音の人差し指にシルバーリングをはめた。一目で凝ったつくりだと分かる美しい指輪だった。


「え、何これ。くれるの?」

「『印』をつけたわ。良い?これから先、何が起きても外さないで」

「しるし?」

「……鈴音。私の可愛いお友達」


 美夜が優しく鈴音の頬を撫でた。思わずぞくりとする。美夜の様子がおかしい。

 ぐいと腕を掴まれ、柔らかい感触に包まれる。鈴音は美夜に抱きしめられていた。


「え、何どうしたの?」

「……」


 混乱で頭が上手く回らない。美夜は僅かに震えていた。何かに怯えているように。


「ちょっと、美夜?ほ、ほんとにどうしたの?」

「……ねえ鈴音、私達友達よね?」

「当たり前じゃん!!!何今更」


 ふっと笑って美夜が体を離す。そこにいたのはいつもの美夜だった。


「約束して、鈴音」

「何を?」

「ずっと私のお友達で居て欲しいの」


 鈴音は思わずまじまじと見てしまったが、美夜の表情は真剣と言っていいものだった。


「……これはその証って事?」

「そうね」

「何か婚約指輪みたい」

「ふふ。誓いって意味では似ているのかも」

「……よく分かんないけど、貰っとく。……ねえ、ホントにどうしたの?」

「いいえ、いいの。ありがとう、鈴音」

「いや、どっちかっていうと私がお礼言う方なんじゃ」

「違うわ。あなたが誓ってくれたから、だから私も信じられる」


 だから、忘れないでね。待っている人がいる事を。


 風が吹いた。鋭く鈴音の耳に届いたそれは、鈴音にとっては強い風の音に聴こえた。その音に紛れた美夜の囁きは気のせいだったのかもしれない。


 強い強い風が吹いた。


 思わず目をつぶった鈴音の五感から、全ての感覚が失せた。



「……」


 目の前から友人が一瞬で姿を消した光景を目撃しながら、世良美夜は冷静だった。結局物語は動き出してしまった。決してその物語の主人公でない彼女に、出来る事など限られている。それでも。


「必ず戻ってきて。鈴音」


 たった一人の友人の為に、夜を纏う少女は祈った。


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