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追跡調査

 バタンッ

 ドカッ


 窓の外が暗くなり始めた頃。

 キサラの部屋には何かと格闘でもしているかの様な音が響いていた。

 音と同時に「うぎゃっ」やら、「んぶふっ」やらと、奇怪な悲鳴も聞こえる。

 廊下で聞いていた使用人たちは、その声がキサラだとは思わなかっただろう。

 それ程に声は必死で奇怪だった。


「キサラ様。レディなのですから悲鳴ももう少しおしとやかに」

「そ、そんなこと言ったって――ぎゃあぁ!」


 昼食後、早速セラから指導を受け始めたキサラ。

 だが、セラは思っていた以上にスパルタだった。……というより、メチャクチャだった。


 楽器はとりあえず片っ端から演奏させられた。鳴らし方も分からないのに、説明もなく。

 なのに音が出ないと頭を叩かれた。酷いときは床に突っ伏す程強く。

 歩き方の指導の時は何故か体に紐を括り付けられ、少しでもふらつくとその紐を引っ張られた。

 たまに反動で後ろに転び、後頭部を打つ事もしばしば。

 そしてダンスの練習をしている今は、最近はアップテンポの曲も流行りだからと高速ダンスを強制させられている。


「ひっ! いやぁああぁぁ!!」


 片手だけを掴みぐるりと回され、花瓶が目の前を通り過ぎキサラはゾッとした。

 これは本当に教養の授業を受けているのだろうか?

 そんな疑問すら浮かんでくる。


「もうお願いだからやめてー!」


 キサラは目を回しながら、何度目とも知れぬ願いを叫ぶ。

 それでも彼女は止めてくれないだろうとキサラは思った。

 先程から何を言っても止めてはくれなかったのだから。

 だが、思いがけずセラは止まった。


「そうですね。日も落ちてきましたし」


 そう言って窓に近付いたセラは、何かに気付いた。


「あら? あれは……」

「え? 何ですか?」


 少し息切れしながら、キサラも窓に近付いた。

 下の方を見ていたセラの視線を追うと、馬車が見える。


「ジューク様は、今日も娼館へ行くのですね」

「ええっ!?」


 聞き捨てならない言葉にキサラは大声を出した。

 ジュークがこの位の時間に外に出るのは、街の娘の血を飲みに行くからではないのか。


「しししし、娼館って! な、何しに?」


 明らかにテンパってしまうキサラ。

 そんな彼女にセラはちょっとだけ考え、思わせぶりな言葉を口にする。


「何しにですか? 決まっているではありませんか」


 無表情で言うものだからキサラは更に慌てる。


「き、決まってるって! 決まってるって事はっ……!」

(つまりそういう事しに行ってるってこと!?)


 仮にも婚約者がいるのにと思ってしまう。

 だから次のセラの言葉に即答してしまった。


「キサラ様はどう思われます?」

「こんなの、良く無いです!」


 ほとんど勢いだけでそう言ったキサラに、セラは「そうですよね」と答えキサラを部屋の出口に促す。


「え? な、何ですか?」


 背中を押されながらキサラは戸惑いの声を上げる。


「良く無いとお思いでしたら止めて来て下さい」

「ええ!?」


 驚き戸惑うが、セラは気にせずキサラの背中を押す。


「止めて来て下さいって、どうやって!?」

「そんなのはキサラ様が考えて下さい」

「ええっ!? そんなムチャな!」


 セラの無茶振りに抗議したが、聞く耳を持ってはくれなかった。

 そうこうしているうちにキサラは部屋から完全に出されてしまう。


「では、頑張って来て下さい」


 淡々と言われ、そのまま部屋に入るなとばかりにドアを閉められた。


「……」

(ど、どうすれば……)


 自分の部屋から締め出されたキサラは少しの間呆然としてしまう。だが、ずっとそのままでいるわけにはいかない。

 それに、確かにセラの言うとおりジュークを止めるべきだと思った。


(あたしのことはともかくとしても、伯爵が女にだらしないなんて良く無いもんね!)


 コクコクと頷きながら意気込んだ。

 キサラはどうやって止めるかなどはまず置いて、ジュークが出て行ってしまう前にと玄関に急いだ。

 だが、その場にジュークはまだ現れておらず、ただジューク待ちの御者がいるだけだった。


「あ、キサラ様。どうなさったんですか?」


 キサラに気付いた御者が声を掛けてくる。

 深緑のコートを着た御者はまだ若く、茶色の長い髪を後ろにきっちりと纏めている。

 平凡な顔だが、伯爵家の御者らしく身なりを整えているので好印象を受ける。

 キサラを村からここまで連れて来たのも彼だ。


(確か名前は……)

「えっと……クリスさん、でしたっけ?」

「いえ、クルスです」


 苦笑いで訂正された。


「す、すみません」

「いえ、良いんですよ。良く間違えられますし。それより本当にどうなさったんですか? そんなに慌てた様子で」

「え?」


 言われて気付く。

 セラに授業と称して振り回され髪はボサボサ、ドレスも少しよれている。

 村ではこの程度の格好は普通だが、伯爵の婚約者としては恥ずかしかったかもしれない。


「え、あ。その、これはスパルタセラさんに……って、そんな事はどうでも良いんです!」


 問題はそこでは無いと思い直す。


「あ、あの。もしかしてこれから、ジューク様……お出掛けになるんですか?」

「はい」


「そ、それってもしかして……娼館に?」

「はい」


 キサラは聞き辛い事を言ったのに、クルスは何でも無い事の様にサラリと答えた。

 そのため、キサラはまたもテンパってしまう。


「は、はいって!? そ、そんなのダメです!」


 顔を真っ赤にして叫んだキサラに、クルスは困り笑顔になる。


「確かに、キサラ様にとっては許せない事ですよね……。という事は、ジューク様を止めに来たのですか?」

「はい」

「失礼ですが、どうやって?」

「それは……」


 全く考えていないので言葉に詰まった。

 とりあえずここに来れば、勢いで何とかなるのではないかと思っていたから。

 黙り込むキサラに、クルスが一つ提案した。


「良ろしければ、一度付いて行ってみては?」

「ええっ!?」


 とんでもない提案にキサラはあからさまに嫌な顔をしてしまう。

 娼館に女が行くなんてあり得ない。

 第一、ジュークが共に行く事を許すとは到底思えなかった。

 だが、クルスは尚も進めてくる。


「女性が行く様な場所ではありませんが、ジューク様がどんな所に行っているのか知っておくのも良いかも知れませんよ?」

「そう、ですか……?」


 まだ渋るキサラ。

 だが、そんな彼女の心を変える一言をクルスは言った。


「ジューク様の女性の好みが分かるかも知れませんし」

「ジューク様の女性の好み?」


 ジュークの好み。

 キサラは言われるまで全く考えていなかった事に気付く。


 メルリナの期待に応えられる様に。

 伯爵家の嫁に相応しくなれる様に。

 ジュークに血を吸ってもらえる様に。


 そんな風に周りに自分を合わせるのが精一杯で、ジュークの事をちゃんとは知ろうとしていなかった。

 もしかしたら、自分はまるで彼の好みでは無いのかも知れない。

 キサラを花嫁に選んだのも、ジューク自身が化け物になりたく無いだけだと言っていたし、テキトーに選んだという感じだった。


 ならば好みで無い事は十分にあり得る。


(やだ。それじゃあジューク様に血を飲んでもらうのはかなり絶望的なんじゃないの?)


 好みでないのなら尚更血を飲みたいなどとは思わないかも知れない。

 そう思うと、ジュークの女性の好みを知っておくのはとても必要な事に感じた。


「確かに……知っておいた方が良いのかも……」


 呟く様に口にしたキサラにクルスは即座に反応する。


「ええ! そうですよ! あ、でもジューク様は反対するでしょうから、コッソリと……」

「コッソリって、どうやって……?」

「御者台の下にスペースがあるのでそこに――あ! ジューク様がいらっしゃいます!」


 上の方を見たクルスが慌ててそう言った。

 ここに向かっているジュークの姿が見えたのだろう、焦りを滲ませキサラの背を押し始めた。


「え? ちょっと待って……!」

「早く乗って下さい。ジューク様にバレたら引きずり出されちゃいますから!」

「ち、ちょっとー!」


 躊躇うキサラをクルスは御者台へと押していく。

 セラといいクルスといい、さっきからよく背中を押されると思いながらキサラは御者台の下へ押し込まれた。

 思っていたほど狭くは無かったが、少し体を縮こませなければならなくて不自由である。

 クルスが何とかスカートの裾を押し込めると、丁度ジュークが来たようだ。


「何だ? まだ準備が出来ていなかったのか?」

「あ、すみませんジューク様。今終わったところです」


 ジュークからキサラの姿は全く見えていないらしく、何事もなくジュークは馬車に乗り込んだ。

 だが、ドアを閉める前にジュークがクルスに問いかける。


「……おい。もしかして、あの娘がここに来たか?」

「えっ?」


 ギクリと、狭い御者台の下で体を強張らせる。

 まさか、見られていたのだろうか。

 クルスも焦っているのだろう。聞こえてくる声が少し裏返っていた。


「あの娘、とは……っ?」


 すっとぼけようとしているのだろうが完全に失敗している。


「だから……いや。来ていないのならいい」


 だがジュークは追及するつもりは無いらしく、そう言うと何事も無かった様に馬車の中に座った。

 クルスがドアを閉める音を聞き、キサラはホッと息をつく。

 何にしても見つからずに済んで良かった。

 見つかって何をしているのか聞かれても何と答えて良いのか分からない。

 ジュークの女性の好みは知っておいた方が良いのかもとは思う。だが、こんな風にコッソリついて行って良いものなのかとも思う。


 それに、外に出る事自体に不安があった。

 ずっと自分の家に引きこもり状態だったキサラ。

 村人達に外に出ないでくれと頼まれてから一切家を出ていない。

 この城に来るとき久々に出たくらいだ。

 それにあのときはこの馬車に乗っていて、途中下りる事も無かった。


 でも今回は違う。

 目的地に着けば、この狭い御者台から出て多少なりとも歩かなくてはならない。

 自分の不運が、何か悪い事を引き起こすには十分な状況だ。

 だが、そんな不安を他所にクルスは馬車を出す。


「バレなくて良かったですね」


 キサラにだけ聞こえるよう声を落としてクルスは言う。


(本当に良かったのかな……?)


 馬車も動き出し、 後戻り出来ない状況になってもキサラの不安は無くならなかった。

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