太陽みたいな吸血鬼
コンコン
ノックの音がして、キサラの部屋のドアが開けられる。
「キサラ様、おはようございます」
セラの声が聞こえ、キサラは少し目蓋を上げた。
(……眩しい)
キラキラと光るものが目の前にあり、太陽の光が直接自分に当たっているのだと思った。
「セラさん、カーテン閉めて。眩しい……」
寝起きのモゴモゴとした声で言ったのだがセラにはちゃんと聞こえたらしい。
だが、返って来たのは予想していなかった言葉。
「カーテンはしっかり閉められていますが」
「……え?」
驚いたキサラはもう少しちゃんと目の前のものを見る。
光だと思ったのは金糸の毛束だった。
カーテンの隙間や開けられたドアから漏れた明かりがその金糸に反射して光に見えたらしい。
(太陽が金色の毛に覆われてここに来ちゃったのかしら?)
聞く者がいたら馬鹿だとしか言いようの無い事を、寝ぼけていたキサラは深く考えもせず思った。
そんなキサラに、またもやセラの口から驚きの言葉が発せられる。
「それにしても、ジューク様は思っていたより手が早いのですね」
「……え?」
「これなら早くに子供の顔が見れそうで嬉しい限りです」
いつもの淡々とした口調が、最後の方だけ明らかに嬉々としたものに変わっていた。
だが、キサラにそれを気にしている余裕は無い。
驚いて見開いた目に写ったのは金糸の毛束ではなく金の髪。
その髪を辿っていくと、そこにはジュークの端整な顔があった。
「………………」
思ってもみない状況に、キサラは無言で固まってしまう。
(何……? 何なの? これは……)
やっとものを考えられるようになっても、出てくるのは疑問ばかり。
目の前のジュークは目蓋を閉じ、無防備な表情で眠っている。
(ええっと、確か昨夜は……)
とりあえず状況を理解しようと、キサラは眠ってしまう前の事を思い起こす。
確か昨夜はジュークが部屋に訪ねて来たのだ。
そして自分の血は絶対に吸わないから何処か遠くに行ってしまえと告げられた。
納得出来なかった自分は反発して……。
(……そうだ。そしてテーブルにつまづいて頭を打って気絶してしまったんだ)
こうして思い起こすといつもながら情けなくなって来る。
ハッキリ意思を伝えて格好良くキメるつもりだったのに……。
(まあ、とりあえずその事は置いておいて)
そうして今ベッドに寝ているという事はジュークが運んでくれたのだろう。
それでどういう理由があっての事かは分からないが、そのままジュークも一緒に眠ってしまったと……。
「……」
(まさかとは思うけど……寝込みを襲われてはいない、よね?)
夜着は脱がされていない。体に違和感も無い。
だから大丈夫。
多分大丈夫。
キサラはそう考えホッと息をつく。
ジュークの妻となるのだからいずれはそういう事もするのだろうが、まだ式も挙げていないし今はそういう事をするのは嫌だった。
そんな事を考えていると、セラの淡々とした声が掛けられる。
「ではキサラ様。いかがいたします? 起きて朝食をお取りになりますか? それともーー」
その続きの声は、やはり何処か喜びが表われていた。
「このままジューク様とイチャイチャ致しますか?」
(イチャイチャって……)
軽く脱力したキサラは、起き上がってセラの方を見た。
「いいえ。第一イチャイチャとかそういう事してませんから」
ハッキリ告げた。
「そうですか……チッ」
キサラの言葉を聞いたセラは、表情はあまり変わらないものの少し残念そうな声でそう言った。……あからさまに舌打ちを付け加えて。
(チッ!? チッて言った!? ちょっと怖いんですけど!)
「う、んん……」
セラの舌打ちに少し恐れを感じていると、隣から呻き声が聞こえた。
そして次の瞬間、ジュークの腕が起きたキサラの体をまた寝かせ、そのままきつく抱き締める。
「うっ、苦しい……」
締め付ける力が強く、内臓が口から出てくるかと思う程だ。
寝ぼけているのか、その目は開く事は無い。
(まさか本当は起きていて、寝ぼけてる振りして絞め殺すつもりじゃ無いでしょうね!?)
そんな風に思ってしまう程に苦しかった。
苦し過ぎて、いっそ殴ってしまおうかと思ったとき。
「う、ん……ん?」
ジュークの紫の瞳がゆっくり開いた。
はじめ薄っすらと開いた目はすぐに見開かれ、ジュークは固まってしまう。
「……」
驚きで声も出ないと言った様子だ。
すると腕の力が一気に緩みキサラは解放される。
深く息を吸い込むと軽くむせてしまった。
「ッケホ……。あ、えっと……おはようございます」
見開いた目でじっと見つめられ、何か言わなくてはと思ったキサラは取りあえず朝の挨拶をする。
するとジュークは更に目を大きく開き、ガバリと起き上がった。
挙動不審に周囲を見回すと、呆然とした様子で呟く。
「……朝、か?」
「ええ、はい。カーテン締めきっているので少し暗いですけれど」
その呟きにキサラが答えると、ジュークは頭を抱えた。
この様子なら、ジュークにとってもこの部屋で眠ってしまったことは予定外だったのだろう。
確かに、キサラを妻にするつもりはないと言ったのに同じベッドで眠ってしまったなど、頭を抱えたくなるような思いだろう。
そんな風に納得したキサラだったが、ジュークの口が呟いたのは別のことだった。
「……不味い。仕事が溜まっているのに……」
良く見ると青ざめているようにも見える。
「仕事?」
予想していなかった言葉に首を傾げるキサラ。
ジュークはそんな彼女に恨めしげな視線を送ると、小さくため息をつきベッドから降りた。
そのまま何も言わずにセラの横を通り過ぎ部屋を出ようとしたジュークだったが、廊下の窓から漏れる朝日に眩しげに目を細め立ち止まる。
そのとき金の髪に光が反射し、キサラまで眩しく感じた。
(ジューク様の髪って、本当にキラキラしてる。……実は本当に太陽の化身だったりして)
ボーっとしながらそんなことを考えていると、セラがどこから出したのか真っ黒な日傘をジュークに差し出していた。
ジュークは「助かる」と言って日傘を受け取り開くと、その影に隠れるようにコソコソと部屋を出て行く。
「……」
(……太陽みたいだけれど、やっぱり吸血鬼なのよね)
日光を避ける様子に、半ば呆れながらキサラは思った。
結局、何故ジュークがこの部屋で寝ていたのか理由は分からなかった。
ただ、最後に向けられた恨めしげな視線で、彼にとって不本意な理由だったことだけは想像出来た。
「……では、朝食に致しますか?」
まるで何事もなかったかのように、抑揚の無いセラの声がキサラに向けられる。
先程は少し喜びの感情が表れた声をしていたのに……。
その事を少し残念に思いながら、キサラは「はい」と答えた。
*****
朝食を食べ着替えを済ませた頃、見計らった様にダンテが部屋を訪ねてきた。
「失礼します。キサラ様、準備は宜しいでしょうか?」
「はい?」
入って来るなりそう言ったダンテにキサラは間の抜けた返事をした。
だがそれも無理は無い。
準備と言われても、何の準備の事なのかキサラにはサッパリ分からなかったのだから。
「今丁度準備を終えた所です」
なのにセラはキサラの思いなど関係なくそんな返事をする。
「ち、ちょっと待って下さい。準備って何の事ですか?」
当然の疑問を口にしたキサラに、ダンテは軽く驚いた。
「おや? 聞いておりませんか?」
「何をですか?」
「キサラ様には教養の授業を受けて頂く事になっているのですが」
「……聞いてません」
始めて聞いた。
今の今まで聞かされていなかったことに少しムッとしたが、ある意味納得もした。
本で様々な知識を得ていたとは言え、全ての教養を身につけられるものでは無い。
伯爵家に嫁ぐ者として、教養の授業を受けるというのは最もだとキサラは思った。
「テーブルマナーは問題無い様でしたので省きますが、言葉使いも少し直さなくてはならないところがこざいます。あとは楽器の演奏など……」
ダンテの説明を聞きながら、思っていたよりやる事が多くて途方に暮れそうになる。
だが、このまま城に居続けるならば遅かれ早かれ覚えなくてはならない事だ。
とにかく頑張ってみようと決意した。
「奥様は、キサラ様がある程度教養を身につけられたら式を挙げたいとおっしゃっておりましたので、頑張って早く身につけて下さい」
にこやかに、でも言葉は厳しくダンテは言う。
とにかく早く教養を身につけろということだ。
「はい、分かりました。頑張ります」
そう答えると、ダンテは廊下に待機していたらしい先生を招き入れ紹介し始める。
歩き方や仕草、ダンスを教えてくれる先生や楽器の演奏を指導してくれる先生など、三人ほど。
その紹介を聞きながら、キサラは少なからず不安を覚えていた。
頑張ろうとは思う。
だが、その頑張りが空回りしないか不安だ。
何より、自分の不運がこの先生達に飛び火することが分かり切っているため、先生達が逃げ出さないか不安である。
(頑張るとは言ったものの、大丈夫かなぁ……)
先生達に笑顔で挨拶しながら、キサラは不安ばかりを募らせていた。