伯爵の思い 後編
「ではキサラ様、私はこれで。お休みなさいませ」
メルリナの部屋から戻ってきて、夜着に着替えるキサラの手伝いをしたセラはそう言ってお辞儀をする。
「はい。お休みなさい」
敬語や様付けされることに慣れないキサラは困り笑顔で返した。
元はただの村娘だが、伯爵の妻になるのなら敬語や様付けは毎日のことになるのだろうと思って気にしない様にしていた。
でも、やはりどうしても慣れないものは慣れない。
そんなキサラに気付いているのかいないのか。
セラは一拍ほどキサラをジッと見つめた。
だが結局何も言わずにドアを開け去って行ってしまう。
「本当、セラさんって読めない人だなぁ……」
足音も遠のいてから正直な気持ちを呟いた。
キサラはベッドを見たが、まだ眠る気にはなれなかったため部屋の中央に備え付けられたテーブルに向かう。
真っ白なテーブル。同じタイプの椅子が二つあった。でもその椅子には座らず、立ったままテーブルにそっと片手を置いた。
滑らかな手触りのテーブルを撫でる様に動かしながら、キサラはメルリナから聞いた話を思い出していた。
昔話の様なマクスウェル伯爵家の話。
これから自分はどうすればいいのか。
思い出しながら考えていると、両親の死のことも頭に浮かぶ。
あれは、事故だった。
畑仕事をしていた両親に暴れ牛が突っ込んだのだ。
村の牛たちが暴れることは滅多に無いが、全く無い訳でもない。
たまたま隣の畑を手伝っていて、たまたま隣の牛が暴れ出した。
そしてたまたま飼い主ではなく手伝っていた両親の方へ向かって来てしまったのだ。
「……」
考えれば考えるほど、不運としか言いようが無い。
不運と言えば自分の十八番の様なものだ。
その不運がジュークの所為ならば、やはり両親の死も彼のーー。
そこまで考えて頭を振る。
(だから! 確証も無いのにジューク様の所為にしちゃ駄目だって!)
テーブルを撫でていた手を拳に握り、自分に言い聞かせる。
「駄目だわ、もっと他の事を考えよう」
今考えていた事を振り払う様にそう声を出す。
今、一番に自分が考えなくてはならない事。
今、一番に自分がやらなければならない事。
それは自分の血をジュークに飲ませる事だ。メルリナとも約束をした。
ありがとうと言った彼女の顔が曇るのは、見たく無いと思った。
それに自分がここにいるためにはジュークに血を飲ませることが必須条件だ。
それが花嫁の役割りなのだから。
今更村になど帰れない。
出戻り女になりたくはなかったし、追い出されるようにここへ来た様なものだ。
帰った所で今更自分の居場所などない。
だから、何としてもジュークに血を飲んで貰わなくては。
「……あれ? そう言えば」
ふと、ある疑問が浮かんだ。
そう言えば、吸血鬼に咬まれた者は吸血鬼になってしまうと本で読んだ事がある。
だが、吸血鬼だった先代マクスウェル伯爵に咬まれていたメルリナは吸血鬼ではないようだった。
彼女の話の中でも、咬まれた者が吸血鬼になったという話は無かった。
(咬まれても吸血鬼にはならないのかしら?)
そこの所も聞いておけば良かったと思ったとき、硬質なノックの音が聞こえた。
「はい」
返事をすると、ゆっくりドアが開く。
金の髪が見えた途端キサラは思わず体を強張らせてしまった。
自分では気にしていないと思っていたが、首を締められたときの恐怖は体に染み付いていたらしい。
冷たい瞳と目が合うと、金縛りにでもあった気分になる。
恐怖を和らげるため、無意識に止めていた息をゆっくり吐き出した。
「……今、帰られたんですか?」
声が震えない様に気を付けながらそう声を掛けた。
ジュークは数秒沈黙した後、「ああ」とだけ答える。
「何か、あたしに御用ですか?」
用があるから訪ねて来たのだろうが、すぐに話し出さなかったのでキサラは促した。
だが、それでもジュークは話し出さない。
どれくらい経ったのか。
ずっと沈黙が続き、いい加減キサラの中の恐怖も薄らいできた。
(ジューク様、本当に何しに来たのかしら?)
訝しんで考え、ふと一つの可能性を思いつく。
(あたしの血を飲みに来たのかな?)
でも先程まで食事ーーつまり、誰かの血を飲みに行っていたのでは無かったのかと疑問に思う。
(あ、でもメルリナ様の話を考えれば……)
と思い直した。
メルリナの話を思えば、ジュークはキサラの血を飲まなくては普通の人間と同じ様には暮らせないのだ。
(だったらあり得なくは無いわよね)
よし、と意気込みキサラは口を開いた。
「あたしの血を飲みに来たんですか?」
単刀直入に聞く。
するとジュークは軽く目を見開くと、深くため息をついた。
そして出た言葉はキサラが口にしたものとは逆のもの。
「お前の血など、絶対に飲まん」
今度は、キサラが目を見開く番だった。
「え、でも……」
メルリナの話と違う、と思った。
確かにジュークは他の娘の血を飲みに行っていた。
だからメルリナから話を聞いたときも自分の血をジュークが飲むのは難しいかもしれないと思っていた。
だが、自分はジュークに血を飲ませるために花嫁となってここに呼び寄せられたのだ。今は無理でも、いずれジュークは自分の血を飲むのだろうと考えていた。
なのに、絶対に飲まないとはどういう事か。
そんな思いが表情に出ていたのだろう。
聞かずともジュークは話し出した。
「俺は元々お前を呼び寄せるつもりなど無かった。側に置くつもりもな」
「……」
キサラはただ黙って聞く。
「人の血を吸いつくして殺してしまう様な本物の化け物にはなりたくなかった。だが、一人の女に依存する様な男にもなりたくなかった」
ジュークは自分の気持ちを正直に話す。
キサラには正直にハッキリ告げなければ伝わらない気がしたから。
「だから一度会っただけのお前を花嫁にして、連れて来もせず放置したんだ」
それを聞いたキサラは酷い人だなぁとだけ思った。
花嫁に決めたらその相手が不運体質になってしまうのを知っていて放置したのだ。
酷い。そう思うのが当然だ。そして、恨みに思うのも当然。
だが、その当人であるキサラは酷いという感想以外の感情は芽生えなかった。
(ああ、そういう事だったんだ)
むしろ納得していた。
始めに自分を連れていかなかったのも。
首を締めたのも。
未だに自分の血を飲まないのも。
全てが今の話で説明がつく。
(……あれ? じゃあ首を締めたのはアブノーマルな趣味があったからとかじゃ無いのね)
場違いにもそんな事を思い少しホッとした。
「そんなわけだから、俺はお前にこの城にいて欲しくは無い。どこか遠くの、住みやすい場所を探してやるからそこで一生を暮らせ」
一方的な命令でジュークは話を終わらせる。
だがキサラは、はいそうですかと従うわけにはいかなかった。
出戻り女にはなりたくない。
他の場所に行けと言われても、見知らぬ土地でまた家に籠もる様な生活は出来ればしたくない。
何より。
『ありがとう』
そう言って微笑んだメルリナを裏切りたくなかった。
だから従うわけにはいかない。
キサラはジュークの黄昏色の瞳を睨み付ける様に見つめ、ハッキリと自分の意思を伝える。
「その言葉に従うわけにはいきません。まだ神様の前で誓ってはいませんが、あたしは貴方の妻です。貴方に血を飲んでもらうためにここにいます」
ジュークはまさか反発されるとは思っていなかったらしく、少し目を見開き瞬いていた。
「だから貴方に何と言われようと、ここを出て行くつもりはありません」
ハッキリとそう告げると、ジュークは冷たい目でキサラを見下ろす。
「お前の意思がどうであれ、ここの主は俺だ。言う事を聞かないのなら力尽くで追い出す事も出来るんだぞ?」
半分脅しの様なものだった。
それでもキサラは従う訳にはいかない。
ハッキリとそれを伝えようと、一歩進んで身を乗り出したときだった。
ガッ
テーブルの脚につまづいてしまい体制を崩してしまう。
でもそんな事はよくある事。
キサラは咄嗟に床に手をつき、みっともなく転ぶのだけは避けた。
だが、キサラの不運はそんな生易しいものでは無い。
足を引っ掛けた所為でテーブルがキサラに向かって倒れていく。
そのテーブルの縁が丁度良く彼女の頭にぶつかった。
「……っ!」
打ち所が悪かったのか、言葉を発する間もなくキサラの意識は遠のいていく。
薄れる意識の中、ドアの前で立ち尽くしているジュークを見て思う。
(ああ……何であたしって、こういうときにキマらないのかしら……)
格好良く自分の意思を伝えたいのに、そんなときに限って不運は必ず訪れる。
諦めにも似た気持ちを味わいながら、キサラの意識は途切れた。
*****
ジュークは、ただ事の成り行きを突っ立ったまま見ていた。
反発して来たキサラが、勝手に転んで頭を打って気絶してしまった。
(この状況、どうすればいいんだ?)
キサラが気絶した後も、あまりに突然の出来事に呆然と立っていた。
しばらくそうしていたが、このままにしておく訳にもいかないだろうと倒れている彼女に近付く。
頭に気を付けながら上半身を抱き起こし、軽く頬を叩いてみる。
ぺしっぺしっ
「……」
全く反応は無い。
ジュークは小さくため息をつき、キサラを横抱きにして抱き上げた。
意識のない人間を持ち上げているわりには軽いと少し驚く。
胸が小さく、ほっそりした体型だとは思ったが、身長の方も思っていたより小柄だったようだ。
腕の中に収まりそうな小ささに、何とも言えない思いが心をくすぐる。
今まで感じた事のない感情が湧き出していたが、ジュークはそれを振り払う様に頭を振った。
それ以上なにも考えないように、キサラをベッドに運びすぐに部屋を出ようとする。
だが、ベッドにキサラを横たえると袖を掴まれてしまった。
引っ張っても簡単には外れそうにない。
「……」
思い切り力を込めれば外せるだろうが……。
(参ったな……)
そこまでして外す気にはなれなくて、困ったようにため息をついた。