変化
キラキラと眩しい光。
反射しているのは柔らかそうな金の髪。
最近のキサラは、その眩しさで目が覚める。
目を開くと少年の様な無防備な顔が目の前にあった。
(可愛い……)
十歳近く年上の男性に思う事では無いだろうが、口にはしていないのだから良いだろう。
まつ毛も長く、通った鼻筋。正に美形。
こんな人が自分の婚約者だなど、未だに信じられない。
(それにしても、毎日何時の間に来てるんだろう?)
暴れ馬の事件があった日以来、朝目が覚めると何故か隣にジュークの姿があった。
前の晩、自分が眠るときに居なくてもだ。
眠ったあとに忍び込んで来ているのだろうが、特に何かをするわけでは無い。
寝込みを襲うわけでも、血を吸うわけでもない。
ただ同じベッドで一緒に眠っているだけ。
本当に何がしたいのだろう?
セラの話では、彼はいつもは朝から夕方にかけて睡眠を取っているらしいのだが……。
仕事もある様なので、朝起きたらまた自室に戻って眠っているという事は無いだろう。
相変わらず朝日は苦手そうなのに、無理をして一緒に眠って起きている。
どうしてなのか本人に聞いてみたが、奇妙な表情をされただけで明確な答えは無かった。
ジューク本人も分かっていないのかも知れない。
あの日、ジュークの中で多少なりとも変化があったと思った。
それは間違ってはいないと思う。
ただ、変化があったのだから近いうちにもっと変わるのかも知れないと思ったのは間違いだった様だ。
あれから一週間以上経ったが、ジュークの中でそれ以上の変化はなさそうだ。
思わずため息が出ると、息が掛かったのかジュークが身じろぎした。
(あ、起こしちゃった?)
そう思ってつい身を引いてしまうと――。
グイッ
引き寄せられ、抱き締められた。
女とは違う、重くて力強い腕。硬く厚い胸。
こうして身を引くと抱き締められるのも何時もの事となっていた。
だが、これだけは未だに慣れない。
(ひ、ひえぇぇぇ!)
人に抱き締められる経験がほぼ無い事もあり、他人の体温に身を強張らせてしまう。
逃げ出そうとすると更に強く抱き締められるので、これ以上動けないのだ。
毎朝こうして抱き締められてしまう。
そして毎朝同じ事を思う。
(セラさん、早く来て~!!)
自分ではどうにも出来ない状況を、何とか変えてくれる人の来訪に期待する。
だがこういうときに限って彼女は遅いのだ。
……いや、ただ単にキサラがそう感じているだけかも知れないが。
コンコン
と、部屋のドアからノックの音が聞こえたのはどれ位経ってからか。
キサラには一時間近くにも感じられたが、実際のところは十分程だろう。
返事を待たずに開けられたドア。
入って来たセラは一礼すると、何時もの無表情で何時もの言葉を口にした。
「おはようございますキサラ様、ジューク様。今日も仲のよろしい事で。その調子で早くご懐妊なさってください」
淡々とした口調だが、最後の部分だけは少し笑みを浮かべていた。
そんなセラに、キサラは呆れて答える。
「おはようございます、セラさん。今日も懐妊する様な事は一切してませんから。そんな事よりジューク様を起こして下さい」
体を強張らせたまま言うと、密かにチッと舌打ちの音が聞こえて来るのも何時もの事だ。
(どれだけ子供が好きなんだろう)
と思わずにはいられない。
何はともあれ、セラはベッドの近くに来てジュークを起こしてくれる。
「ジューク様、朝ですよ」
初めはそう言って軽く体を揺するが、それで起きることはまず無い。
すると今度は強引に起こし始めるのだ。
細い腕の何処にそんな力があるのか。セラはジュークの肩を掴むと、無理矢理上半身を起こしベッドから引きずり下ろす。
その様子がかなり乱暴なため、ジュークは体を結構強く床に打ち付ける。
ただ、酷いときはキサラも巻き込まれるため正直他の方法で起こしてほしい。
案の定今日もキサラは巻き込まれたが、ちゃんとジュークも起きたのであまり文句は言えない。
それにベッドの下に落ちる際、ジュークが下敷きになってくれたため痛くも何とも無かった。
「うっ……。何だ?」
起きたジュークは体を打ち付けた痛みからか顔を歪ませている。
「おはようございますジューク様。朝です」
ベッドから引きずり落とした張本人のセラは、まるで気にしていない様で淡々と告げた。
「朝? ……っ!」
寝ぼけた様子で首を巡らせたジュークは、自分の上に乗っかっているキサラを見て息を止める。
そのままジッと見られキサラは気まずかったが、しっかり抱き締められているのでどくことも出来ない。
どうする事も出来ずに二人で固まっていると、セラの無感情な声が降ってきた。
「早く起きて下さい。キサラ様は朝食の後稽古があるのですから」
「あ、ああ……」
セラの言葉にハッとなり、ジュークはキサラを離した。
自由になったキサラは起きて立ち上がる。
同じく立ち上がったジュークを見上げると、バチリと目が合った。
「っ……!」
だが、すぐに逸らされてしまう。
その後彼は一切キサラを見ずに部屋を出る。
太陽の光に躊躇いドアの所で足を止めたが、意を決して走り去った。
セラが以前の様に日傘を用意していたのだが、キサラに情けないと言われた事を気にしているのか、あれから日傘を使わなくなった。
(無理しなくても良いのに……)
情けないと言ってしまった手前今更撤回する事も出来なくてただそう思う。
まさかここまで気にしているとは思わなかったのだ。
「キサラ様」
「え?」
「早くお着替え下さい。朝食が冷めてしまいます」
「あっ、ごめんなさい」
セラの指示にキサラは慌てて着替え始めた。
と、最近のキサラの朝はこんな風にして過ぎて行くのだ。
*****
「さてと、では今日も基礎練習から始めましょうか」
そう言ったのは楽器演奏の先生を買って出てくれたメルリナだ。
初めにセラが楽器を一通り演奏してみろと無茶振りしたが、それは演奏させながらキサラが一番演奏しやすい楽器を見極めていたらしい。
そしてセラがキサラに渡したのはフルートだった。
それを夕食事メルリナに話すと、彼女もフルートが得意だと言い自分が教えると申し出てくれたのだ。
だがキサラは初め、自分の不運が彼女にも影響を及ぼす事を思いその申し出を断っていた。
それなのに「不運には慣れているわ」と返され、更には「いざという時はセラが何とかしてくれるわ」と有無を言わせぬ笑顔で言われては断り切れなかった。
そして実際今まで何とかなっているのだからもう何も言えない。
「何だか嬉しいわ。こうして娘にフルートを教えるの、ちょっとした夢だったのよ」
ぎこちなくフルートを吹き始めるキサラの傍らでメルリナは話し出した。
「ジュークは男だし、バイオリンが得意だったから私が教える事なんか無くて……」
「嬉しいのは分かりましたが、今日のレッスンは早めに切り上げて下さい」
語るメルリナの言葉を中断させるかの様に、キサラ達から少し離れた場所で待機しているセラが抑揚の無い声で言った。
「足の怪我も完治しましたし、今日からはダンスのレッスンも再開したいので」
「全く、分かっているわよ。セラはたまにダンテより厳しいわね」
「恐縮です」
本当にそう思っているのかどうか。
淡々とした声からは恐縮している様には感じられ無い。
(セラさんって、メルリナ様にもこんな感じなのね)
驚きと、軽い呆れでキサラは手を止めセラを見る。
すると。
「手は止めない!」
すかさずメルリナに叱咤されてしまった。彼女もかなりスパルタだ。
こうして様々なレッスンをしながら日々は過ぎていく。
このまま何事もなく日が経つと思っていた。
だが、キサラの不運は筋金入り。
事件は起こった。
*****
その日のレッスンも終わり、夕食までの時間何をしようかと思っていたときだった。
ダンスの復習をしようか。
(駄目。一人でやったら絶対家具にぶつかりまくって怪我をしてしまう)
紅茶を淹れる練習をしようか。
(って、これから夕食だし……)
フルートの練習は……。
(何かあって壊すといけないからって、セラさんがフルート持って行ったんだっけ……)
ことごとくうまくいかないものである。
考えに考え、結局読書でもしようかと思ったときドアからノックの音が聞こえた。
コンコン
「はーい」
返事をし、セラが迎えに来るのには少し早いなと思いながらドアを開けると、そこにいたのはクルスだった。
「クルスさん? どうしたんですか?」
クルスがキサラの部屋を訪ねて来るとは珍しい。
と言うより、初めてでは無いだろうか。
何事かと問うたが、クルスは思いつめた様な顔で黙っていた。
「本当に、何かあったんですか?」
いつも気さくなクルスがこんな風に黙り込むとは。
何か、とても言い出し辛いことなのだろう。
そう思いクルスが話し出すのを待っていると、彼は思いも寄らないお願いを言い出した。
「あの、キサラ様。……お願いがあります」
「……はい、何ですか?」
「その……アンジーに、会って貰えませんか?」
「…………は?」
アンジーとは、あの黒髪の娼婦の事だろう。
妖艶でとても美しかったのは覚えているが、一度しか会っていない上に何日も経っているため顔はちゃんと覚えてはいなかった。
「え? また、何で……?」
アンジーとは、クルスにジュークの女性の好みを知っておくのも良いだろうと言われ会っただけだ。
助けて貰ったし、優しい女性なのだと思う。
だが、もう自分は娼館街には行かないだろうし会う事は無いだろうと思っていた。
なのにまた会って欲しいとはどういう事だろうか。
「それは……」
キサラの疑問にクルスは少し黙り、迷う様に視線を泳がせた。
その答えは中々彼の口から出て来ない。
だからキサラは先に結論を言う事にした。
「ごめんなさい。あまり城から出る様なことはしたく無いので」
ただでさえ不運の所為で小さな怪我が絶えないのだ。
それにこの間の様に死にかけるほどの危険には遭いたくない。
外に出るなど、もってのほかだった。
「そんな! 頼みます!」
今にも縋り付きそうなほど必死に訴えるクルス。
そんな彼の様子に、キサラは事情によっては聞いても良いかも知れないと思い始めて来た。
「そんなに言うのはどうしてですか? 事情によっては考えてみても――」
「本当ですか!?」
キサラが言い終わらないうちにクルスが嬉々として掴みかかって来る。
その勢いに押されたキサラは足がもつれ後ろに倒れてしまった。
だが、そのまま倒れただけならば尻餅をつくだけで済んだ。
キサラが倒れそうになると、それに気付いたクルスが慌てて彼女の腕を掴んで引いたのだ。
でも勢いがあり過ぎたのか引きとどめるには至らず、キサラの腕はクルスの手から離れてしまい、彼女は変にたたらを踏む様な形になった。
「え? ちょっ、わぁ!」
ゴォン
後頭部から重く強い痛みが伝わる。
たたらを踏んだ所為で、部屋の真ん中にあるテーブルに頭をぶつけた様だった。
頭の中がぐわぁんと鳴り、意識が飛ぶ。
「き、キサラ様! 今気絶されては困りますー!」
クルスのそんな叫びを聞きながら、キサラは前にもこんな事があったなぁと思い気絶した。




