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あの日の夕陽

 ガタゴトと揺られる馬車の中では、重い沈黙が支配していた。

 キサラは先程の様に泣き叫ぶ事はなかったが、ジュークから出来る限り離れて座っている。とは言え所詮は狭い馬車の中。

 手を延ばせば届く距離だ。

 だが、ジュークは手を延ばすことは無い。

 ただジッとキサラを見続けていた。


 感情の読み取れない目。

 キサラはそんなジュークの考えを探る事も今はしたく無く、絶対に目を合わせるものかとそっぽを向いていた。

 そんな二人だけの空間。

 空気が重くならない訳が無い。

 それでもジュークはキサラをジッと見つめ続け、キサラはジュークの顔を見ようとはしなかった。


 そんな状態のまま馬車は城へと辿り着く。

 馬車の中の様子を感じ取ってか、クルスが控えめに声を掛けてきた。


「あの……ジューク様、キサラ様。……その、着きましたが……」

「……」

「……」


 声を掛けられても二人は無言。

 クルスもどうすればいいのか分からず、そのまま言葉を口にする事ができなくなる。


 そんな状態で最初に動いたのはジュークだった。

 無言で馬車を降りると、キサラが降りて来るのを待っているのかドアの前から動かない。


 キサラは暫く無視していたが、ジュークはそこから動く気配が無い。

 ずっと馬車の中にいるわけにもいかず、キサラは仕方なく馬車を降りた。

 だがそのままジュークを無視して部屋に戻るつもりだった。

 それなのに……。


 ガシッ


 通り過ぎようとしたとき、突然腕を掴まれた。

 そして問答無用で抱き上げられる。


「なっ!?」


 驚き、そして勝手な行動に腹を立てた。


「何をするんですか。下ろして下さい」


 抗議してもジュークは下ろしてくれない。


「足を痛めているんだろう? 大人しくしていろ」


 そう言ってジュークは歩き出した。


「嫌、離して。自分で歩けますっ」


 確かに痛みはあるが、右足にあまり力を入れずゆっくり歩けば大丈夫だった。

 それに何より、今はジュークの側にいたくなかった。


 今は一人になって、ひとまず落ち着きたい。

 でなければまた泣きわめきたくなる。

 さっきよりも酷い言葉を叫んでしまうかも知れない。だからそう言って暴れた。

 なのにジュークは下ろしてくれない。

 彼は一体何を考えているのか。

 キサラにはさっぱり分からなかった。


 いくら暴れても、ジュークの胸を叩いても彼は下ろしてくれなかった。

 次第にキサラの目には涙がにじみ、部屋につく頃には嗚咽が漏れていた。


「も、やだぁ……」


 子供の様に泣きじゃくっているキサラを抱えたまま、ジュークは何とかドアを開け中に入る。


「下ろしてっ」


 流石にもう下ろしてくれるだろうと思いもう一度言ったが、ジュークは何をためらっているのかキサラを下ろそうとはしなかった。

 本当に、訳が分からない。


「もう、何なの? 何を考えてるの?」


 またジュークの胸を叩きながら話し出す。


「勝手なことばかり言うし、金髪だし」

「は?」


 髪の色がどうしたというのか。と、ジュークは眉を寄せる。

 だがポロポロと涙を零しながらジュークの胸を叩いているキサラにはその顔は見えない。


「吸血鬼って言ったら、黒い目に黒髪でしょー。何で金髪に紫の目なのよ。全然吸血鬼っぽく無いのよぉ」


 続けて理不尽な事を口にした。


「吸血鬼ってもっと根暗なんじゃないの? 何でそんな太陽みたいな髪なの?」


 根暗呼ばわりされたジュークは流石に頬を引きつらせる。

 だがやはりキサラにはその顔が見えない。

 見えないから、尚も続けた。


「なのに実際の太陽には弱いし。日傘とか情けなさ過ぎるっ」

「……」


 それは自分でも思っていたため、ジュークは何も言えなくなった。

 そうしてキサラはまた暫くジュークの胸を叩き泣く。

 次にその唇から出た言葉は、心の奥にしまっていた本当に言いたいことだった。


「どうしてあたしなのよ! 貴方のせいで、あたしの人生は散々!」

「っ!」


 それは当然の主張だった。

 知らないうちに花嫁にされ、ジュークの業を不運として背負わされた。

 本来なら守ってくれるはずのジュークは遠い地で知らぬ顔。

 冗談じゃない。


「友達は出来ないし、村の人には煙たがれるし! 父さんと母さんは死んじゃうし! 貴方なんて、大っ嫌い!!」


 全てを吐きだしたキサラは声を上げて泣いた。

 嫌い、大嫌い。と呟きながらジュークの胸を叩く。

 その力が徐々に弱まり、泣き声も嗚咽に変わった頃ジュークがポツリと呟いた。


「両親のことは……違う……」

「……何が違うって言うんですか……」


 鼻をすすりながら憤然とした様子でキサラは応える。

 今は何を言われても怒りが治まる事はなさそうだ。

 それでもジュークは躊躇いながら言葉を続ける。


「お前の両親が死んだのは、花嫁としての不運のせいじゃない」

「……」


 キサラはただ黙り込む。

 確かに両親の死がジュークの与えた不運の所為だとはっきりしているわけではない。

 ジュークが自分を花嫁に決めたのが同じ頃だと言うだけだ。


「俺がお前を花嫁にしたのは、お前の両親が亡くなってからだ」


 そう言うと、ジュークはベッドへと移動しそこにキサラを下ろした。

 ジューク自身はベッド脇に膝をつき、キサラと視線を合わせる。

 そうして話を続けた。


「十四の頃、周囲に急かされて花嫁を探しにこの城を出た。その頃の俺は何にでも反発していて……だから良家の娘をという周囲の期待にもそむきたくて田舎の方へ行ったんだ」


もう泣いてはいなかったキサラは、目尻に残る涙を拭い黙って聞いた。


「デリス村に着いたのは、日も落ちかけた夕方だった。あまり目立ちたく無くて人気の無い方へと歩いていくと……お前がいた」


キサラは目を閉じ、自分の記憶と照らし合わせていく。


「そこは墓場で、お前は両親の墓の前で泣いていた」


 そう。

 確かに、両親が亡くなってすぐは毎日の様に墓の前で泣いていた。

 毎日泣いていて、でもいつの日かパタリと泣くのをやめた。

 どうして突然泣くのをやめたのか、何かがあったのかも忘れてしまっていたが、今ジュークの話を聞いて思い出して行く。


 そうだ。

 あの日も、いつもの様に両親の墓の前で泣いていた。

 両親の死をちゃんと理解していたのかは自分でも怪しい。

 でも、両親が突然居なくなって、もう二度と戻って来ないのだということは分かっていたと思う。

 信じたくなくて、毎日両親が埋められた墓に行き、やっぱり両親は居ないのだと知って泣いた。

 暗くなるまで泣いて、見かねた村の人が家に連れ戻してくれる。

 そんな毎日だった。


 でも、その日は少しだけ違った。

 日が落ち空が赤く染まった頃、聞き覚えの無い声が話しかけて来たのだ。


「何で、泣いているんだ?」


 知らない声にビクリと小さな体を震わせたキサラは、ゆっくりと声の主を見て驚いた。

 夕日が反射した髪は赤く煌めき、その瞳は黄昏色の紫。

 まさに夕日の化身の様な少年がそこにいた。

 キサラは泣くのも忘れ、まじまじと少年の綺麗な顔を見つめる。

 見れば見るほど太陽の化身にしか思えなかった。


「あたしはキサラ。貴方は太陽さんなの?」


 幼いキサラは疑問の答えを知りたくて率直に聞く。

 少年は「質問しているのはこっちなんだが……」と呟きながらキサラに近づいた。

 キサラの質問には否定も肯定もしない。

 だからキサラは呼び方が違ったのかと思いもう一度質問した。


「太陽さんじゃないなら、夕日さん?」


 呆れたため息をついた少年は面倒臭そうに答える。


「どっちでも良い。夕日と呼びたいならそう呼べば良い」

「うん! 夕日さん。夕日さんはどうしてここに来たの?」


 答えてくれた事が嬉しくて、また質問をした。

 すると少年はまたため息をつき、紫の目でキサラを睨んだ。


「最初に質問したのは俺だぞ? 何で泣いているんだ? 答えろ」


 イラついているからなのか、元々の少年の性格なのか。偉そうに命令して来る。

 睨まれて怖かったが、キサラは答えようとした。

 だが、口を開こうとしたときには涙が溢れて止まらなくなる。


「とうさん、と……っかあ、さんがぁ……いなっいなくなっ……」


 泣きながらも何とか答えようとすると、頭にポンと少年の手が乗った。


「もういい。分かったから、泣くな」


 そう言った少年の声は少し優しく聞こえ、キサラはさらに泣いてしまう。

 泣き声が大きくなりギョッとした少年は慌ててキサラを抱き寄せた。

 片手で頭を撫で、もう片方の手で背中を軽く叩く。


「泣くな。大丈夫だから。お前は一人じゃないんだ」


 何とか泣き止ませようと、少年は思いついた慰めの言葉を次々と口にする。


「俺がずっと見ててやるから」


 口をついた言葉は無責任なもの。

 だが、キサラは少し泣き止んだ。


「ずっと? あたしのこと、ずっと夕日さんが見てくれるの?」


 鼻をすすりながら言ったキサラに、また泣かれたく無い少年は頷く。


「ああ、夕日だからな。この時間になったら、毎日お前を遠くから見るよ。だからもう泣くな」

「泣いてたら、見てくれない?」

「ああ、そんな風にずっと泣いていたらもう二度と見ない」

「っ! じゃあ、あたし泣かないっ! もう二度と泣かない!」


 そう言って涙を拭うと、少年は初めて笑顔を見せてくれた。


「そうか。良かった」


 キラキラとかがやく少年に微笑まれ、キサラは急に恥ずかしくなる。

 恥ずかしくて、少年の胸に顔を埋めた。

 そんなキサラの頭を少年はゆっくり撫でる。

 少年の良い匂いと撫でられる心地よさに、キサラは泣き疲れた事もあって何時の間にか眠ってしまった。


 気付いたら朝で、自分の家にいたためあれは夢だったのかと思った。

 ほんの数十分会っただけ。

 それに時間が経つにつれ本当に夢だったと思うようになった。

 しかも小さかった自分は少年を夕日だと本気で信じていたので、彼とジュークは結びつかなかったのだ。


 そうして次第に記憶も薄れ、すっかり忘れていた。


「そうして眠ってしまったお前を、俺は花嫁にしたんだ」


 話し終えたジュークは何とも言えない表情で黙った。

 バツが悪いというか、居た堪れないというか。どちらにしても申し訳なさそうな顔である。


「……その、すまなかった」

「…………何で今更謝るんですか? 昨日は遠くに行けとか勝手な事言っていたくせに」

「……」


 キサラの言葉にジュークは黙った。黙る事しか出来ない。

 それでも答えなくてはいけないと思ったのか、ジュークはしどろもどろに話し出す。


「……いや、その……。こうして思い出してみると、俺はかなり酷い事をしているな……と思って……」

「………………」


(今気付いたの?)


 伯爵という地位であるジューク。

 頭も良いと思っていたが、実は馬鹿なのだろうか。

 キサラはもう呆れる事しか出来ない。

 呆れて、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて笑えて来た。


「ふっ……何よ、それ……ははっ」

(馬鹿みたい。本当に、馬鹿みたい)


 笑って、苦しくて、涙が滲んだ。

 笑い泣きしているキサラにジュークは困惑の表情を浮かべている。

 だがキサラはそんな事はもうどうでも良かった。


 村に出戻りしないため、メルリナの期待に応えるため、ジュークに花嫁として受け入れて貰おうとした。

 いらないと言われてもめげなかった。

 少しでも気に入って貰おうと、ジュークの女性の好みを知ろうとした。


 でも、そのどれもがもうどうでもいい。

 もう全部ぶちまけてしまった。

 ずっと溜め込んでいたもの。

 密かに思っていた事。

 全部。


 そうしたら、自分の事を必要無いとまで言っていたジュークが謝って来たのだ。

 これほど可笑しな事は無い。

 笑って、笑い疲れたキサラは滲む涙を拭ってジュークに聞いた。


「ジューク様。まだ、あたしは必要無いですか? まだ、遠くに行って欲しいと思っていますか?」


 例えそうだと言われても諦めるつもりは無かったが聞いてみた。


「……」


 だが、ジュークは答え無かった。

 その通りだとも、違うとも言わない。

 ただ戸惑いと迷いの表情を浮かべるだけ。

 そんなジュークにキサラははニッコリと微笑んだ。


 その通りだとは言わなかった。

 ならば少なからずジュークの心は変わっているのだ。


「分かりました。じゃあ、これからもよろしくお願いしますね」


 ジュークの無言の返答にそれだけを言ったキサラは、ベッドに体を沈めた。

 色々あって疲れた。

 でも、疲労に満ちた体とは違い心は何処か晴れやかだった。

 泣いて全てを吐き出す事が出来たからだろう。


 それに、昨日から気になっていた両親の死に関することも聞けた。

 両親の死はやはり今でも悲しいが、自分の所為でもジュークの所為でも無いと分かってホッとした。

 そして何より、両親の死にずっと泣いていた自分を慰めてくれたのがジュークだと知って少し嬉しかった。


 あの少年のおかげて泣き暮らす毎日を終わりに出来た。


 無責任な言葉であっても、あの言葉があったから元気を取り戻せた。

 そんな恩人とも言える少年が自分の婚約者なのだ。

 悪い気はしない。


 このまま全てが上手く行くような気分で目を閉じると、額に大きくて温かいものが触れた。

 少し目を開けると、それはジュークの手だと知る。

 ジュークはそのままキサラの頭を撫でた。


 出会ったときに撫でてくれたのと同じ手。

 あの頃より手は大きくなったが、撫でられる心地よさは同じで、疲れていたキサラはすぐに眠りに落ちて行ってしまった。


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