序章
ガタゴトと揺れる馬車。
若い黒馬に引かれた豪奢な馬車には、一人の少女が乗っている。
彼女は緊張の面持ちで固まっていた。
ただの村人である彼女にとって、こんな馬車に乗ること自体奇跡に近い。
緊張しない方がおかしいというものだ。
少女・キサラ=レイニスは、これまた豪華な内装を見つめながら自分の不運を呪っていた。
(何であたしが……)
小さい頃から不運だったが、今回ほど不運だと思ったのは両親が亡くなった時以来だ。
よりによって、吸血鬼と噂されるマクスウェル伯爵の花嫁に選ばれるとは……。
(大体何で伯爵ともあろう方が、ただの村人であるあたしを選ぶの? あり得なさすぎる)
男爵程度の地位ならば稀にあるものの、伯爵ともなれば貴族の娘と結婚するのが普通である。
(はっ! まさか花嫁にするとか言っておいてあたしの血だけが目的とか?! 会った途端首に噛みつかれて血を吸いつくされるのね!)
死の危険を感じキサラは思わず身震いした。
迎えに来た御者がそれは無いと否定していたが信用は出来ない。所詮悪の手先だ。
視線を落とすとお気に入りのドレス。とは言っても貴族のお嬢様が着るような豪華なものではない。
白地に、ピンク色の生地で作った花が飾られているだけのシンプルなデザイン。しかもピンクの花はキサラの手製なため多少見劣りしてしまう。
ネックレスなどの装飾品もないため付けてはみたが、伯爵が見れば鼻で笑われてしまうかもしれない。
そんなドレスだが、キサラにとっては一張羅。
血を吸われたらこのドレスも赤く染まってしまうのかと思うと悲しくなった。
死んでも悲しむ親族など居ない身ではあるが、やはり死にたくは無かった。
(やっぱり、どうにかして逃げられないかしら?)
逃げるなら今しか無い。
そう思ってドアに手を掛けるが、そこで止まってしまう。
逃げられる自信は皆無。
きっと、今ドアを開けて外に出ても転がり落ちて一張羅のドレスが泥だらけになるだけ。
しかも下手をすると馬の糞まで身に纏うことになる。
そして滑って頭を馬車にぶつけて気絶して、泥だらけ糞だらけの状態でマクスウェル伯爵の屋敷に入ることになるだろう。
それは妄想でも何でもなくて、確実性のある予測。
そんな予測が出来るほど、キサラの不運は筋金入りだった。
「あたしって、本当についてない……」
溜息をついたキサラは、結局また大人しく落ち着かない馬車の中に座った。
*****
始まりは、一通の手紙だった。
真っ白な封筒に、赤い蝋の押し印。
その印章はこの地を治めるマクスウェル家のもの。
それを見た瞬間、キサラは眉を寄せた。
宛先を確かめて更に寄せる。
宛先は間違いなく自分。
でもマクスウェル家から手紙をいただく様な事など何も無い。
身に覚えのない手紙だったが、宛先が自分である以上中を見ない訳にはいかない。
恐る恐る開けて中の手紙を見る。
「……」
思わず、無言で固まる。
と、そんなとき村で唯一キサラの世話をやいてくれるミラという中年女性が訪ねてきた。
一応ノックはあったものの、いつも来ているミラは返事も聞かずにドアを開ける。
「おはようキサラ、今日の野菜持ってきたよ!」
元気の良い声が狭い家に響く。
だがミラは固まっているキサラを見て「どうしたんだい?」と近づいてきた。
そしてキサラの持っていた手紙に気付き蒼白な顔をする。
ミラは読み書きは出来ないが、流石に封筒の印章には気付いたらしい。
「キ、キサラ。これは……」
そこで初めてキサラは動いた。
「どう思う? おばさん」
自分でもおかしいと思うくらい淡々とした声で聞く。
「どう思うって、何て書いてあるんだい?」
ミラはただ事では無い雰囲気を感じ取ったのか、焦り混じりに聞いた。
キサラはやはり淡々と手紙の文章を読み上げる。
「キサラ=レイニス殿、貴女は現マクスウェル伯爵の花嫁に選ばれました。つきましては、一週間後お迎えに参ります。
……だって」
イタズラとしか思えない。
だが封筒に押された印章は本物。
「どう思う?」
と、キサラはもう一度聞いた。
「と、兎に角。これが本当なら大変なことだよ! 色々と準備しなきゃならないし」
ミラはあえて一番の問題点をスルーした。
恐らく、その部分は恐ろしくて考えたく無かったのだろう。
だがキサラが一番聞きたい意見はその部分。
ミラの言葉を押しのけ、聞いた。
「ねぇ、マクスウェル伯爵の噂、本当だと思う?」
「そ、それは……」
城の近くの村で、毎夜若い娘の首に噛まれたような傷があるという話がこのデリス村にも聞こえてくる。
しかも、現当主であるジューク=マクスウェル伯爵の姿を見た者はほとんど居ないとか。
昼の巡察では全身黒い服で覆っていると言うし。
見たことのある人の話だと物凄い美貌の持ち主だというけれど、それも噂にすぎない。
そんなことがあって、現マクスウェル伯爵は吸血鬼では無いかと言う噂があるのだ。
そんな吸血鬼伯爵の花嫁に選ばれた。
これはもう、本当に--。
「本当に、不運としか言いようがないねぇ」
まさに思っていたことをミラが言う。
「兎に角、噂が本当だろうが嘘だろうがこの手紙が本物ならそれだけで大変なことだよ。お貸し、村長にも見せてちゃんと確認するから」
そうして奪う様に手紙を持って行ったミラは、戻って来たときには村長を連れて来ていた。
明らかに怯えた顔でキサラの家を訪れた村長は、キサラを見るなり早々に本題をまくし立てた。
「キサラ、この手紙は本物じゃ。色々と不安はあるじゃろうが、大人しく嫁に行ってくれ」
「……はあ」
村長はキョロキョロと視線を巡らせ、キサラと目を合わせない様にしている。
明らかに、キサラに怯えていた。
いや、正確にはキサラの超不運体質にだが。
「じゃあミラ、後は頼んだよ」
そう言い残して家を出て行こうとする村長に、ミラは溜息混じりに了解の返事をする。
「仕方ないね。分かったよ」
「ああ、それじゃあ--うわぁ!」
ドアを開け外に出た村長は、今まさに閉めようとしていたドアに押し倒されてしまった。
突然、ドアの金具が外れてしまったらしい。
(ああ、やっぱりか……)
キサラは思わず頭を抱える。
「あ痛たた……。やっぱりか、来るんじゃ無かったわい! キサラに関わるとろくなことにならん!」
本人に聞こえているにも関わらず、村長は悪態をついて去って行った。
キサラの不運の一番厄介なところは、彼女に少しでも関わった相手にもその不運をお裾分けしてしまうところ。
これはキサラ本人にもどうすることも出来ないことだった。
だから村で一番の強運の持ち主であるミラしか世話をやいてくれる人がいないのだ。
「さ、準備を始めちまおう。やることは沢山あるんだ。一週間で間に合うかどうか」
そんなこんなで、キサラは拒否という選択肢すら与えられないままマクスウェル伯爵の元へ嫁ぐことになった。
準備の一週間は慌ただしく、マクスウェル伯爵が吸血鬼なのかどうかなど考えている暇も無かった。
だから馬車の中で考えることになったのだが、どちらにせよ逃げられる自信は無いためあまり変わりなかったかもしれない。
そうしてキサラは夢にも思い描いたことが無い様なお城へと嫁いで行った。