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I need you.  作者: ひとばしら
6/7

貴方のために

ここまで読んで頂きありがとうございます。

七話は少ないのでここから最後まで一気読みしてください。

 プロローグ

 

 ピピピと電子音が頭上で鳴っている。腕を伸ばし、掴みながら目覚ましを止めた。時刻は午前八時丁度。

 頭がぼーっとする。随分と長い夢を見ていた気がする。夢特有の曖昧さにハッキリとは思い出せない。唯一と覚えているのは最後、自分が死んだような気がすることだけ。思い出そうにも思い出せない、胸にシコリがあるみたいに嫌な感覚。哀愁のような寂しさに思わず布団に潜り込んだ。

 部屋を出て階段を降りると、この家の主、益子叔母さんが「おはよう。まなちゃん今日も早いわねー」と声を掛けてきた。今日もまた、道化を演じる日が始まる。

 「おはよー、叔母さんには負けるよ」と会話を交わし、洗面所へと向かった。

 益子叔母さんは私のお母さんの妹に当たる人らしい。らしい、と言うのも私が物心付く頃には既に私のお母さんもお父さんも死んでしまっているからだ。別に悲しいとか寂しいとか、そういうのは一切思わない。顔も知らない相手だし。

 顔を洗っていると、左頬に感触を感じた。泡を流し、鏡を見ると、左頬に切ったような横に長い傷が出来ていた。

 いつ出来た傷なのだろう。今まで全然気付かなかった。

「朝ご飯置いとくよー」

居間から聞こえた叔母さんの声に「はーい」と返事をする。無性に気になる傷を、無意識に触ってしまう。テーブルの上に置かれていたのは、ご飯に味噌汁、焼き鮭にたくあん。正に日本の朝食だ。朝食を食べ終えると、早々に支度をして家を出た。この家にいると息が詰まりそうになる。

 「いってきまーす」

 「いってらっしゃーい」

 玄関を出ると、木枯らしが葉を鳴らし、髪を揺らした。

 今朝の夢のことは、もう思い出せなくなっていた。

 

 

 1

 

 ここ最近既視感が絶えない日々が続いている。雑踏に湧く校内。いつも見ている光景なのに、ここではないこの光景を見た気がする。大学に入学してからまだ半年ちょっとのはずなのに、随分と長い間この大学にいる気がする。講義に出ても、大学で知り合った人と話しても、どこかで一度体験したような違和感に襲われる。

 そんな違和感により一層強く襲われたのは、講義が終わり、次の講義へと向かっている時だった。

 大学の噴水前、前から来た一人の男子とすれ違う。変哲もない当たり前の瞬間。すれ違った時、すれ違った男子が二人いたような気がした。

 思わず振り向く。しかし、そこにはやはり、男子は一人しかいなかった。

 気のせいだ。そう思ったが、いる気がしたもう一人を私は知っている、と心のどこかで感じた。その瞬間、今まで感じてきた既視感の中に彼がいるような気がしてきた。

 あなたは誰?

 再び講義へと足を向ける。教室の後方には既にたくさんの生徒が集まっていた。それを尻目に右側の列、前から三番目、窓際席に腰を落ち着ける。

 なんとなく座った席。いつも一人で受けている講義のはずなのに、隣にはいつも誰かいた気がする。

 あなたは誰?

 既視感の連続。物足りない感情。欠如した何か。

 幻を追うように窓の外を見ると、木枯らしに揺れる木々が悲しそうに揺れていた。

 

 

 

 満たされない日々に何度も寝返りを打った。学生と言えば青春。青春といえば恋愛。私にはそれがないから物足りないように感じるのだろうかと、布団に潜ってからかれこれ一時間が経とうとしている。頭が働いてしまって眠れない。

 小中高とまぁそれなりに人を好きになったことはあったが、どれも本気で好きになったことはない。友達の延長線と言った感じ。相手に求められるようになると、自分の気持ちが途端に冷めてしまう。面倒な性格だとは自覚している。友達が取っ替え引っ換えで彼氏を作っているのを見ると、私も彼氏欲しいなーとか思うし、小説や漫画を読めば、私も恋したいなーって思う。でも恋に落ちるという表現が似合う程の人とは出会ったことがない。

 最近気になる相手といえば、あの幻の彼だ。顔も声も体型も何もかもハッキリとしない。ましてや存在するかも分からない、私の想像だけの存在かもしれない人。

 「あなたは誰なの……」

 午前一時、真っ暗の部屋で独り呟く。

 「え? 私ですか? そうですねー……良い子の皆には魔人って呼ばれてますよ」

 「きゃっ!」

 見知らぬ声に飛び起きる。怖い。

 走って部屋の電気を付けると私の布団の横に正座をしたサングラスを掛けた左頬に生傷のある猿顔の人がいた。

 「うわ……こんなことってあるんだ…… とりあえず、こんばんは!」

 「あ、こんばんは……じゃなくて! 誰ですかあなた!」

 「怪しいものじゃないですよ?」

 「怪しいわ!」

 怪しい奴は皆揃って同じことを言う。猿顔に不法侵入。怪しい以外に何と言うか国民アンケートを取りたい。

 「警察に……通報……します……よ」

 もっとハッキリと言うつもりだった。だがそんなことよりも、私は目の前の顔に見覚えがあったのだ。動物園で見たとか、そういう客観的なものじゃない。

 「ん? どうしました?」

 サングラスに、猿顔。左頬に傷。魔人の傍により、右手を伸ばし、そっと左頬の傷に触れた。私の傷と全く同じ形をしている。

 「あなたは……私なの?」

 「……何、言ってるんですか?」

 私も自分が何を言ってるか分からなかった。こんな毛むくじゃらで人の家に不法侵入してくる輩が私のはずがない。でも、直感が私に呼び掛ける。これは私だと、訴えかけてくる。

 「私の既視感の原因はあなたなの?」

 「既視感?」

 魔人が困惑している。

 「魔人、一つ目のお願い。私の既視感の原因を教えて」

 「一つ目の願いって、何で私が願いを叶えに来たって知ってるんですか」

 何でだ。魔人が来てから要件は何一つ言っていないのに、何故だか願いを三つまで叶えてくる気がした。やっぱり私は魔人を知っている。

 「お願い魔人、私の既視感の原因を教えて」

 魔人も状況が理解出来てないようで眉を曲げた。

 「……既視感の原因は、大抵の場合は平行世界の自分が見た映像が流れ込んできたからです。でも、姉さんの場合は違う。姉さんの場合は、因果の中心に姉さんがいるからです」

 「因果の中心? どういうこと?」

 「私にだってよく分かりませんよ。姉さんの願いを答えるためになのか、頭の中に今の言葉が湧きがったんですから」

 「因果って、私は何の因果に巻き込まれているの!?」

 魔人には心辺りがあるようだった。あからさまに目を逸らす。

 「魔人、二つ目の願いよ。私は何の因果に巻き込まれているの。理由は!?」

 「願いを使うなんてズルい!」

 「うっさい! なりふり構ってらんないのよ! いいから答えなさい!」

 喉を唸らせ、しぶろうとする魔人の胸倉に掴みかかる。

 「城島誠って人の因果です」

 揺さぶる魔人を離した。城島誠、聞いたことある。何かを思い出せそうになる。喉の所まで出かかっているのだが、もうひと押しが足りない。直後、頭が割れそうになる程の頭痛に襲われる。頭痛の余り、倒れそうになる。魔人が支えてくれた。

 「大丈夫ですか!?」

 「そんなことより、あと一押し。あと少しで思い出せそうなの……」

 「そんなことよりって、起きてるのもやっとじゃないですか!」

 「いいから! いいから続きを教えて」

 焦る魔人だが、主人の願いとあらば状況も考えずに実行しなければならない。私はそれを知っていた。いや、知っていたというより感覚で覚えていたというべきだろう。魔人が口を開く。

 「……姉さんを基点に世界は再構成されているんですよ。だから姉さんが因果の中心にいる」

 「どうして私を基点に世界は再構成されているの?」

 「それを姉さんが知ることを、誠は望んでいないはずですよ」

 「まだ二つ目の願いの途中よ。教えて」

 魔人は溜息を吐くと、しぶしぶと語り出した。

 誠との出会い、彼が私のために何度も繰り返したこと、諦めそうになったこと、私を救ったこと、私が人を殺したこと、彼が全てを失ったこと、全てをなかったことにするために自分の存在をなかったことにしたこと。

 魔人の長い語りは、全てを鮮明に思い出させた。

 そうだ、私は魔人だった。長い、途方にも長い旅をしたんだ。魔人の語る出来事を全て知っている。最後に私は、私に魔人であることを継承したんだ。でも、だからってどうして私が因果の中心になるの。それに何で私は魔人になったの。魔人だった頃も疑問に思っていた。相変わらず思い出せない。

 「魔人、あなたはどうして魔人になったの?」

 「それは三つ目の願いですか?」

 そうか、願いを使えばいいんだ。そうすれば知りたかったことをいくつでも知れる何で気付かなかったんだ。

 「魔人、三つ目の願い、私を一つ目の願いを使う直前に戻して」

 「え、そんな卑怯な」

 「何も問題ないでしょ」

 私は魔人だったから勝手を知っている。これっぽっちも問題はない。いくら魔人の書を使おうとも、誠がやったように使う前に戻り願いを使わなければ災厄は訪れないのだ。

 指を鳴らし、魔人に催促する。

 「分かりましたよ」と溜息を吐いて、魔人は指を鳴らした。

 ハッとし、時計を見ると、再び深夜一時へと時間は戻っていた。

 「それじゃあ改めて一つ目の願いよ。あなたはどうして魔人になったの」

 「もう忘れましたよ。姉さんが魔人だったのなら分かるでしょ」

 そうだった。知らなかったとか、覚えていないではなく、長い旅のせいで自分を見失って、私は何のために魔人になったのか忘れたんだ。

 「魔人、二つ目の願い、自分が私だった頃を思い出して」

 「えっ!?」

 驚き、戸惑う魔人を他所に、指を鳴らして催促する。

 自分が分からない魔人も、昔は私だったことに今戸惑っている最中なのだろう。でも、魔人が落ち着くのを待ってはいられえない。

 魔人は自分で自分に関することに魔法を使うことは出来ない。だから魔人は、自分の意志で魔人を辞めることは出来ないし、容姿を変更することも出来ない。だが、それがもし主人の願いなら話が別のはずだ。

 魔人が指を鳴らす。直後、魔人が目を見開き、ハッとした。

 「そうだ……私は、誠に会うために零から世界をやり直したんだ……それなのに……私は……」

 魔人が大粒の涙を流し始める。

 そうか、私は誠に会うために世界をやり直したのか。それなのにそれを忘れて、私は誠が握ってくれたこの手で誠を消したのか。

 魔人が声を出して泣きだす。

 それもそのはずか、魔人にとって誠を消した出来事は最近の出来事なんだろうから。私も嫌なタイミングで思い出させてしまったかもしれない。魔人の頭を撫でる。

 「……ごめんね」

 でも、おかげで私が因果の中心にいる理由が分かった。

 この世界は私を軸にしてループをしている。

 記憶のない魔人の私が誠の前に現れ、私が死ぬことを繰り返し、出口を見つける。二年後、再び魔人の書に選ばれた誠は、災厄を警戒して願い事を一つも使わずに過ごそうとするが、私の殺人に巻き込まれて全てを失ってしまう。それらなかったことにするために、誠は自分の存在をなかったことにする。それにより、やり直された世界を観測するために魔人は過去へと戻される。そこで魔人は私の元へとやってくる。私は既視感の絶えない日々の中で、誠のことを思い出す。それをきっかけに私は誠にもう一度会うために、魔人となって世界を零から作り直すことにする。

 作り直された世界で、魔人の書は私のお父さんである海斗を主人に選ぶ。願いを使って、お父さんとお母さんは出会い、私を産んだけど、魔人の書に願ったことでお父さんにとって最も不幸であるお母さんの死を経験してしまう。何度もやり直すけど、力尽きたお父さんは結局諦めて、私を叔母さんに預けて死ぬことを選んだ。それから約二十年後、魔人はこの作り直された世界で誠を主人として出会うことになる。しかし、その頃の私は長い時間の旅のせいで誠のことを忘れてしまっていた。

 誠は再び私が死ぬことを繰り返し、出口を見つける。そして二年後に、私は同じ罪を犯し、誠はこの世界から姿を消す。やり直された世界を観測するために、私は過去へと戻される。そこで私は次の私へと魔人を継承する。魔人の呪いを解かれた私は、魔人だった頃を忘れて、最初の世界へと戻される。しかし私には、私が死ぬことを繰り返した世界を認識することは出来ないため、誠が出口を見つけた世界で目を覚ます。そして私は罪を犯し、誠は姿を消す。やり直されたこの世界で、私の元に私が継承した魔人が現れる。

 そうして私は、魔人と私を繰り返し、世界をループさせているのだ。

 「もう終わらせよう」

 この無限に続く迷宮に終止符を打つのだ。

 「魔人、三つ目の願い、私を魔人にして」

 「そんな! そんなことをしてもまた同じことを繰り返してしまう!」

 あの長い時間の旅をもう一度繰り返す。想像するだけで怖い。また私は多くの死を見て、物事に鈍くなって、時間の感覚を失うのだ。考えるだけでも嫌になる。また本来の目的を忘れてしまうかもしれない。

 でも「大丈夫。この左頬の傷がある限り、私は自分を見失わない」

 誠を思い出すきっかけとなった左頬を道標に、私は前に進むだけ。

 「さぁ指を鳴らして」

 魔人が恐る恐る指を鳴らす。魔人の書が眩い光を放ち、私は目を瞑った。瞼越しに感じる眩しい光に慣れると、ゆっくりと目を開いた。

 ここは何もない真っ白な場所になっていた。天と地の堺も分からず、空間の把握も出来ない。浮いているのか、立っているのか、上昇しているのか、下降しているのかも定かではない。感覚さえも麻痺しているようだった。

 眩しい世界に目を細める。正面に立つ魔人は不安そうな顔をしていた。

 「心配しないで。大丈夫。私があなたの分までしっかりやってくるから」

 そう言葉を掛け、魔人のサングラス外し、自分に掛ける。

 「どう、意外と似合ってるでしょ?」

 「全然似合ってませんよ」

 不安そうだった魔人はそう言って笑い、姿を消した。

 自分にあなたの分までしっかりやってくるからとは変な台詞だ。

 世界に色が付き始め、音が鳴り始める。風吹き、鼻孔をくすぐる匂いがし始めた。

 「おっと、忘れてた」

 指を鳴らし、ペンを出現させる。真っ新になった新しい魔人の書の最後のページに文を書く。

 お父さんが見つけた幸福と幸せの違い。それのおかげで誠は出口を見つけることが出来た。きっと私も出口が見つけられるはずと信じて。

 『幸福と幸せは違う。幸福は結果であり、幸せは過程である。幸せを望むのならば、幸福を願うな』と。

 

 

 2

 

 二度目の旅。何度も忘れそうになった。孤独に押し潰されそうになった。でもその度に傷を触り、本の最後のページを捲った。自分を見失ってはいけない。目的を見失ってはいけない。私がこの世界ですることは、ただ一つ。誠にこの世界から消えることを願わせないことだ。

 まず、どうして誠はいなくなることを選択したのかを振り返ってみる。

 それは誠と私に積み重なった事象と人間関係が、最悪の結果になる必然となっているからだ。魔人の書を使い、それを変えたとしても、魔人の書を使ったことで災厄がやってくる。この二つの結果から運命を変えるにはただ一つ、事象と人間関係を全く別のもの変えればいい。そうすれば必然と運命も変わってくる。

 事象と人間関係、この二つを全く別のものにする方法は簡単だ。魔人の書が、誠と私に関わらないようにすればいいだけのこと。この二人に魔人の書が関わる最初の出来事それは、お父さんとお母さんの出会いだ。両親の出会いに魔人の書を使わないようにすれば、お父さんに巻き起こるはずだった災厄は訪れなくなり、それ以降の全てが変わるはずだ。

 

 

 

 そうして何度も季節を巡り、私はもう一度、桜の木の下へと辿り着いた。

 桜の花びらは既に散っているが、代わりとばかりに緑が生い茂っている。その下のベンチに頭を抱え込んだ一人の学生がいた。行き交う人波が、その学生を尻目に歩いて行く。

 まさかもう一度会えるとは思ってもいなかった。

 本を彼の足元へと出現させる。突然現れた本に頭を上げた学生が当たりを見渡す。落し主を確認しているようだった。本を拾い上げ、ページを捲る。

 「旦那、何してるんだい?」

 「何って、急にこの現れて困ってたんだよ……え?」

 海斗が目の前に立つ私に目を向けた。

 「だ、誰ですか!?」

 「魔人」

 「魔人!?」

 懐かしい。まだお母さんと付き合っていない頃のダサい姿だ。黒縁眼鏡にチェックシャツ、ジーパン。本当にダサい。思わず笑ってしまう。

 「だったら、通行人に聞いてみるといい、私はあなたにしか見えていませんから」

 それを言われた海斗は、たまたま通り掛かった男子学生に「あなたにはあのサングラスを掛けた猿顔の人が見えますよね!?」と尋ねた。

 「そんなのいねーよ」と冷たくあしらわれる。海斗が自分の頬を引っ張る。痛いみたいだ。

 「人気のない場所にいきましょう。その方が話しやすい」

 そう言うと海斗は振り向きもせずに図書館裏へと向かった。

 

 「で、あなたは何なんですか」

 「あんたの願いを三つまで叶えます」

 「え、何で、どうして、どうやって。そんなありえないこと信じられるはずがない」

 こんなに面倒だったけか。

 「じゃあ何もない所から魔人の書が現れた理由と、突然旦那の目の前に現れた方法と、通行人から私が見えない理由を、現実的に説明してくださいよ」

 「そ、それは……」と海斗は言いよどむ。ねじ伏せるのは簡単だった。

 「はい、じゃあ魔人の存在を認めた所で」

 認めたわけじゃない、ととっても言いたげな顔を無視し話を進める。

 「さっきベンチに座って何してたの」

 「あなたには関係ないでしょ」

 私は海斗のことを知っているが、まだ海斗は私のことを知らない。まだすんなり教えてくれる間柄ではないか。

 「何で教えてくれないの」

 「何で教えないといけないんですか」

 「その悩みを解決出来るかもしれないのに」

 「そんなの無理に決まってる」

 「何が無理なの」

 「どうすれば気になる人に話し掛けられるかってことだよ!……はっ!」

 馬鹿か。

 「誘導尋問なんて卑怯だぞ!」

 「自爆しただけでしょ」

 海斗が顔を赤らめた。

 「気になる人ってのはやっぱり船本愛子さんですか」

 お母さんの旧姓を出すが「誰?」と返される。そういえばこの頃は、まだ名前も知らないんだった。

 どうすれば魔人の書を使わずにお母さんと知り合いさせることが出来るのか。魔人の書を使わなければ、海斗は知らない人に話しも掛けられない人だというのに。そう考えていると、「もしかしてその船本さんって、黒髪で、首元で髪を切り揃えている色白の子のこと?」と訊いてきた。

 「そうだけど」

 「その子だ!」

 その人だから名前を出したんだよ。

 「魔人、お前何でも願いを一つだけ叶えてくれるんだよな?」

 しまった。この流れは不味い。

 「ちょっと待って」と叫ぶより早く、海斗は「俺とその子を付きあわせてくれ」と口にしてしまっていた。

 

 

 3

 

 結局、二人は魔人の力を使って出会ってしまった。

 こんなはずじゃなかったのに。これじゃあ何のために私は魔人になったんだ。ここまでの旅が泡になって消えていくような気がする。逃さないように掴もうにも、弾けて消えてしまう。

 「やっぱ決める日ってリクルートスーツなのかな?」

 「そうなんじゃないんすか……」

 声に力が入らない。

 海斗はそんな私を気にもかけず、鼻を鳴らして初めてのデートの準備進める。

 どうすればいいんだ。

 「それじゃあ行ってくるよ」

 隠しきれない緊張と共に、傘を持たずに海斗は雨の外へと出かけた。声を掛ける気力も湧かない。

 このままじゃまた繰り返してしまう。そんなことにはしたくない。だが、焦る気持ちが大きくなるだけで、何も変えることは出来なかった。

 二人は大学を卒業し、仕事を始める。一定の速度で進み続ける針が無慈悲に思える。

 桜が咲き、海が波打ち、落ち葉が転がり、雪が降る。季節は幾度となく巡る。

 時よ止まれと何度も願う。だが、時は歩みを止めてはくれない。

 そうして遂に私が生まれる時がきた。

 私を抱く二人は、あまりに幸せそうで、抗おうとする私が馬鹿みたいに思えてきた。

 別に私が頑張らなくてもいいじゃないか。別の私がきっとこのループを止めてくれる。別にループを止めなくたっていいんじゃないか。いくら不幸になったって、繰り返しているのだから、いずれまたこの幸せがやってくる。

 私の心の中のどこかで、既に諦めている私がいた。



 4


 あっという間に時は過ぎる。私は二歳になり、言葉を話すようになっていた。

そして一月一日。遂にその日がやってきた。

「明けましておめでとうございます」

 家に遊びにきた佐賀家が新年の挨拶をする。

 三時になり、正花ちゃんがぐずり始める。時計を見た愛子さんが「もう三時か……そうだ、皆で初詣行かない?」と言い始める。

 心のどこかでもしかしたら変わるんじゃないかと期待していたが、やはり運命は変わらなかった。災厄の入口。

 雪の中を歩く。神社に行き、祈願する。その帰り道、その瞬間が訪れる。

 公園から男の子が飛び出してきた。

 「駄目ぇ! 誠止まって!」

 甲高い女性の悲鳴が公園から上がった。

 この男の子、誠だったのか。

 そう思ったのも一瞬、もうスピードで突っ込んできた自動車に、愛子さんが誠を庇って跳ね飛ばされた。それでも勢いを殺し切れない自動車は正花ちゃんを押し潰した。

 車のサイレン。騒然とする近隣の住民。泣き喚く益子さん。呆然とする海斗。

 また起きてしまった。これを止めるために私は魔人になったというのに。奇跡を起こせる魔法が使えるというのに。私はつくづく馬鹿で無力なんだと、笑うことしか出来ない。

 それから一週間後、海斗は魔人の書を手にした。

 「三つ目の願いを決めたんすね」

 「あぁ……俺を、過去に遡らせてくれ」

 躊躇いなく、私は指を鳴らす。

 早く時間よ過ぎてくれ、私はもう魔人でいたくない。

 

 

  5

 

 講義が終わり、私は待ち合わせ場所へと向かった。構内で一番新しくて大きい建物だ。内装は白を基調とされていて、まだ茶色に変色はしておらず清楚に見える。

 空き教室に入ると、昼飯を持ち寄った学生達が雑談をしていた。いつもの席、窓際三列目を見ると、手持ち無沙汰な誠が携帯を弄っていた。

 「おっまたせー」

 私が声を掛けると、誠が笑みを溢した。二人で並んで腰を落ち着け、誠が私の作った弁当を食べ始める。

 それが当たり前になっていて、誠は感想を言わず、私の話に耳を傾けていた。

 昨日のテレビがどうだとか、芸能人の誰と誰が付き合っているだとか、くだらない話だ。それを誠は笑ってきいている。その途中、誠の顔に一瞬影が落ちた。普段はそういう顔をしなもんだから気になって思わず身を乗り出す。

 「何考えてるの?」

 我に返った誠が「今の僕は幸せ物だなーって」と言った。

 「どうゆうこと?」

 「好きな人の手作り料理を好きな人と一緒に食べてる僕は幸せ者だなーって思ったの」

 珍しくそんなことを言ってきた誠に、思わず赤面してしまう。二年も一緒にいると、一緒にいるのが当たり前みたいになっていて、これが幸せだとは感じなくなっていた。

 「そうだ、愛海は幸せと幸福の違いってなんだと思う?」

 「幸せと幸福?」

 考えたこともない。だが、聞かれたので考えてみることにする。どっちも似たような意味のような気がする。

 「幸せは庶民っぽくて、幸福はセレブの人が使うイメージ?」

 誠が笑った。

 「愛海は頭良いのに馬鹿だよね」と誠は笑い続ける。誠に釣られて笑ってしまう。

 誠に馬鹿にされても嫌な気にはならない。それだけ私は彼に心を許している証拠だろう。

 「じゃあ誠はどう思うの」

 いちよ馬鹿にされたので、ツンとした態度で接する。

 「僕はね、今みたいなのを幸せだと思うんだ」

 「今?」

 「そう。こうやって一緒に食べて、喋って、馬鹿にして、一緒に笑える時が幸せかなって思うんだ」

 「じゃあ幸福は?」

 「幸福は、仕事が見つかったとか、宝くじが見つかったとかの結果のことだと思うんだ」

 「過去形みたいな?」

 「そう……かな」

 「ふーん…… で、何でそんなこと聞くの?」

 「愛海は今、どっちかなって思ったの」

 「私?」

 空っぽになった弁当箱。賑わう学生。木枯らしに身を震わせる枯れ木。隣に座る彼。

 思い返せば、いろんなことがあった。

 唐突に手を繋がれて出会ったのがきっかけで始まり、いろんな場所に二人で行き、手を繋いだ。喧嘩をする時もあったけど、結局元の鞘に納まる。出会った頃は嫌われたくないとか、相手を喜ばせたいなんて思っていた。でも最近は、傍にいることが当たり前過ぎて、相手を意識することもなくなった。あくびが出るほどのつまらない日常。でも、そうやって私が呑気にあくびを出来るのも、誠と一緒にいる時だけ。演じなくていい、計算しなくていい、素の私でいられる私の居場所。苗字が浜井から城島に変わって、城島愛海。何てことを考えることもある。でも実際そうなったら、身も心も、彼が私の居場所になる。

 そうやって先のことを考えるのも楽しい。それもこれも、今が手放せないぐらい好きなんだからだと思う。

 風に飛ばされた落ち葉が窓を叩く。

 「私は、幸せかな」

 我に返った時、何もない真っ暗の部屋の中に海斗がいた。月明かりが海斗の目にあるものを光らせる。

 「俺は幸せを願った。それが叶ったんだから、もう充分だ」

 海斗の思い出話に釣られ、私も随分淡い思い出を思い出したものだ。でも、おかげ見失っていたものを思い出せた。気を付けていたのに、本来の目的を見失いかけていた。

 ありがとう、誠。

 「本当に手放していいんですか」

 「手放すも何も、もう俺の元には手放すものなんて……」

 私は魔人の書を突きだす。

 「……俺はもう、繰り返すことに疲れたんだ……」

 「あなたの愛子さんへの想いは、疲れたから諦めるなんて軽いものなんですか!」

 「……何だよ急に」

 大声を出されて、海斗が目を丸くする。

 「私も諦めてました。もう救えないって。でも、私だって失いたくなかった幸せをもう一度取り戻したい。そのためにもう一度魔人になったんです!」

 「魔人……」

 「幸福と幸せは違う。幸福は結果であり、幸せは過程である。幸せを望むのならば、幸福を願うな。……今のあなたならもう気付いているはずです。未来は変えられる。だから私はこの言葉を書き残した。あなたが本当に愛子さんを失いたくないなら、あなたの願いを自分の力で叶てください!」

 「俺の願いは、愛子を助けること……」

 「違う! あなたの本当の願いはそれじゃないはずです! 思い出してください。あなたは何を求めていたんですか!」

 海斗が喉を鳴らす。震える声で口にする。

 「……俺は……幸せを願った……」

 そう。海斗の最初の願いは『俺を幸せにしてくれ』だった。それで私は、そのルールの隙間をついた詐欺まがいな願いに付き合うことにしたのだ。

 「魔人……三つ目の願いだ。俺を幸せにしてくれ」

 私は指を鳴らす。

 海斗の記憶と意識が、初めて出会った日へと戻る。

 直後、暑い日差しに照りつけられた。葉擦れ音が涼しく聞こえる。雑踏が二人の間を行き交う。

 黒縁眼鏡にチェックシャツ、ジーパンというダサさ。少し面白い。

 「もう少し見た目に気を使った方がいいよ。あとデートに行くときはスーツなんか着ちゃ駄目なんだから」

 呆然とする海斗に言葉を掛ける。

 「自分の幸せは自分で掴んできてください」

 未だに俯く海斗が「……俺に出来るのかな」と不安を溢す。お母さんが言っていた通りだ。全くだらしのない人だ。

 「ここまで来るのに、どれだけの苦悩をしたのか思い出してください。きっとそれは、今ここで勇気を出すための試練だったんですよ。魔人の書とか、そんな便利なものに頼らずに、自分で自分の幸せを手に入れるためにあなたも私も、ここまで来たんだ」

 海斗が顔を上げる。

 「それじゃあね、お父さん」

 人波が増えた瞬間、私は本を閉じた。

 「魔人っ!」

 人混みが晴れた時、海斗の伸ばした手の先に私はいなかった。

 自称神様モード。私はそこにはいるが、誰にも見ることは出来ない。

 海斗は宙を掻いたその手を握り絞めた。

 「君に出会えて、本当に良かった」

 雲を晴らしたような顔した海斗は、前を見て歩き出した。

 

 これでお父さんはもう大丈夫のはずだ。

 お父さんに災厄は訪れない。愛子さんも死ななければ、それに巻き込まれる正花ちゃんも死なないし、益子叔母さんだってもう悲しい想いをしなくて済む。事象も人間関係も変わって、誠が消える選択をする結果だって変わるはずだ。

 あとは、この魔人の書さえ消えれば全てが終わる。

 覚悟は、お父さんとお母さんの出会いを自力のものにさせると考え付いた時から出来ていた。

 「おい、魔人の書、私達を散々振り回しやがって」

 返事のするはずのない魔人の書に話し掛ける。この本のせいで、一体どれだけの人が死に、迷惑を掛けられたことか。

 でも、魔人の書がなければ、私が生まれることも、誠と出会うことも、本気で人を好きなることもなかった。

 たくさんの人の願い刻み込まれた本。幸福を運ぶ本。災厄を撒き散らす本。私の生涯で最も長い間一緒にいた本。

 幸せになれと思いを馳せ、私は願う。

 「魔人の書よ、最後の願いだ」

 私は指を鳴らす。

 「……お前ももう、おやすみ」

 本に火が付いた。チリチリと音を鳴らし、炎となって本を飲み込んでいく。青白い炎は、頭にしがみ付いていたサングラスが消し、私に本当の世界の色を見せた。

 たくさんの色がある眩しい世界。

 行き交う人の服も、風に揺れる葉の色も、熱を持つアスファルトの色も、光を浴びる建物も、鮮色が濃い全てが幻想的に見える。

 私はあまりの眩しさに目を瞑った。

 魔人の書も消え、魔人でもなくなり、世界線の移動も出来なくなった私は一体どうなるのだろう。

 一抹の不安を抱え、私は意識を失った。

 

 

 エピローグ

 

 ピピピと電子音が頭上で鳴っている。腕を伸ばし、掴みながら目覚ましを止めた。時刻は午前八時丁度。

 頭がぼーっとする。随分と途方にもなく長い夢を見ていた気がする。夢特有の曖昧さにハッキリとは思い出せない。唯一と覚えているのは最後、自分が死んだような気がすることだけ。思い出そうにも思い出せない、胸にシコリがあるみたいに嫌な感覚。哀愁のような寂しさに思わず布団に潜り込んだ。

 こんな朝に既視感を覚える。何度も体験したことがあるような胸のざわつき。

 部屋を出て階段を降りると、洗濯物を抱えたお母さんが「おはようマナ」と挨拶をしてきた。あくびをしながら「おはよう」と寝ぼけた声で返し、洗面所へと向かう。

 傷一つない頬をさすり、洗顔する。

 「朝ご飯置いとくよー」と居間から聞こえたお母さんの声に「はーい」と返事をする。雀の鳴き声が、窓から差し込む日と共に聞こえてくる。

 テーブルに席着くと、ご飯に味噌汁、焼き鮭にたくあん。という正に日本の朝食が用意されていた。向えの席で座るスーツ姿のお父さんが新聞を広げ、カップに口を付けた。

 「あれ…… 愛ちゃん、コーヒーおかわりー」

 お父さんが台所に向かって声を掛ける。

 「砂糖とミルクどっちがいいー?」

 「いつもので」

 「はいはい、ブラックね」

 何故訊いたし、と心の中でツッコむ。

 朝食を食べ終わる頃を見計らったようにチャイムが鳴った。はいはい、とエプロンで手を拭きながらお母さんが玄関へと向かう。

 こんな朝早くからの来客はあいつしかいない。一つ上の従姉。お母さんの妹、益子叔母さんの一人娘。

 「マナ、正花ちゃんよー」

 「愛海早くー遅刻遅刻」

 「あと一時間以上余裕あるの知ってるでしょー」

 小学校から大学まで全部一緒。大学生にもなっても毎朝家に迎えにくる。姉のような、妹のような、家族のような、友達のような存在。

 急かす正花に背中を押され、早々に支度をする。

 「学校行きたくないー家にいたーい」

 「どんだけ家が好きなの」

 「だってー」

 ぼやく私をほったらかして、正花が私のタンスから今日の服をコーディネイトする。ああでもない、こうでもないと独り言を溢す。

 「私は早く一人暮らししたいぐらいよ。家にいるとお母さんもお父さんも四六時中イチャイチャしてるんだから」

 「ホント、正花の家は何で二児が生まれないのか不思議なくらいだもんね……」

 「見てるこっちが気分を害す!」

 「だったら、彼氏作ればいいじゃん」

 「作れるならとっくに作ってるって何度も言ってるでしょ!」

 「怒らない怒らない。よく言われない? だから彼氏が出来ないんだよって」

 「大きなお世話だ!」

 今日の服を投げつけられた。

 私はその服に着替えると、履き慣れた靴を履く。

 正花と声を合わせて「いってきまーす」と居間にいる二人に向かって声を出した。

 「いってらっしゃーい」と両親の声を背に受け、ドアを開ける。

 玄関を出ると、木枯らしが葉を鳴らし、髪を揺らした。

 「私もお母さんみたいに髪切ろうかな」と伸びた毛先を見ながら呟く。正花の方を見ると栗色の髪をなびかせて見せてきた。正花は大学に入ってから髪を染めていたが、私は髪が傷むのが嫌で染めなかった。

 「じゃあ今度切ってあげよっか?」

 「ほんと! じゃあお願い!」

 正花が大きな胸を張り、偉そうに喋りだす。

 「よし。愛海はもうすぐ誕生日だから、ついでにあと二つ、何でも願いを叶えてあげよう」

 唐突のキャラ作りに「何急に」と私は笑う。

 「なんとなく? とにかく、私の気が変わらない内に言いなさい」

 うーん、と立ち止まり、私は考え出す。

 目線を上げると、鮮やかさを失った青に、夏の名残なのか大きな雲が浮いていた。遠くからは人々の生活音が聞こえ、冷たい風が食べ物の匂いを運んできた。

 お母さんがいて、お父さんがいて、正花がいて、益子叔母さんがいて、正一さんがいて、私の傍には一緒に過ごせる人達がいる。それだけで私は充分かもしれない。

 「うん、特にないかな」

 「相変わらず物欲がないなー」

 「私は、今が幸せだから」

 微笑んだ私の横を、風が吹き抜ける。


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