追憶、忘れた日々
1
私は人に見られないのを良いことに腹を抱えて大笑いしていた。
金で豪遊、性欲を満たしまくり、嫌いな人を徹底的に苦しめたあの高笑いが特徴の前回の主人は今頃刑務所で死刑台を待っているだろう。因果応報。生理的に無理だったこともあるが、生意気で世間知らずでいけ好かなかった。そのせいか、最後の警察に捕まる瞬間のオーマイガーと叫んだ顔は格別だった。
前回の主人のラストシーンを何度も頭の中で再生していると魔人の書が次なる主人を決めたようだった。どうやら日本のようだ。
今回の主人はどう驚かしてやろう。
日本に来るのは約二十年ぶりか? まだ記憶に新しい海斗を主人に持った時が日本での最後だった。
久しぶりの日本は紅葉が広がり始めた季節だった。日本といえば春に咲く桜だが、私のイメージでは静かで趣を感じさせる秋こそが日本だと思う。
神様モードでしばらく日本の雰囲気に浸り、主人の元へと向かう。今回の主人は城島誠という大学生らしい。起きたばかりの誠は、寝ぼけ眼を擦りながら昨晩の残りの野菜炒めをレンジで温めていた。四角いタッパーに入った野菜が回転テーブルの上でくるくると回っている。
これだ! 今回はレンジを使って驚かそう!
思ったが吉日。野菜炒めと魔人の書を交換する。チンと軽快な音に釣られ誠がレンジのドアを開ける。そこで一言。
「はい!?」
ナイスリアクションだ。ここで「何で本が!」のツッコミを。
本を放り投げた誠が声を上げる「野菜炒めちゃんどこ!?」
「ツッコむとこ他にあるよね!?」
予想外のツッコミに思わずこちらがツッコんでしまう。
「ちょ、誰ですか!?」
偶然開いていた本に姿が出たまま喋ってしまっていた。誠が咄嗟に掴んだフライパンを差し向けてくる。
「普通フライパンじゃなくて包丁じゃない?」
「ああ、そうか」
誠がフライパンを置き、助言通りに包丁を取り出す。
「ちょ、誰ですか!?」
「やり直すんかーーーい」
それが誠との出会いだった。
もの分かりの悪い主人。魔人の書を説明するのに無駄な労力を費やしてしまった。この顔どこかで見たことがある気がするが、数えきれない人との出会いの中で似ている人なんて腐るほどいるだろうと自己完結させる。
さらには気になる人と付き合いたいだなんてありきたりな願いも、彼の一般さを惹きたてた。そういう恋愛ネタは毎度のことながら一度一蹴してから叶えてあげる。叶えると言っても手伝うだけで結果がどうなるかは主人の行動次第だ。一度一蹴するのは、一度諦めろと言っただけで諦めるような軟弱な想いで人を好きになることは出来ないという持論があるからだ。
それはそうと、驚くべきことがあった。運命とは不思議なものである。思わず「あーなるほど……」と言葉を溢してまったぐらいだ。誠が気になっていた人物はあの海斗の娘、愛海さんだったのだ。千里眼で見た時は随分大きく育ったなと感心してしまった。魔人の書を持った人が以前の魔人の書の娘と出会うなんて運命の悪戯以外に当てはまる言葉はないだろう。
そんな運命の出会いから早一ヶ月。誠は二つ目の願いを使わずに、毎日彼女と会いってはイチャコラしていた。出会った頃は水平だった口が日に日に吊り上っていくのが嬉しい反面、腹が立った。晩飯時になると今日の惚気話となる三十分のトークコーナーが必ず始まるのだ。会えない日が一日でもあるとこの世の終わりと言わんばかりな鬱トークが始まる。惚気を話されても嫉妬というか羨ましいというか、とりあえず負の感情を覚えるだけで楽しくないし、鬱な話をされても慰めるのが面倒くさい。恋は病と初めて言った人が偉大に思える。
今日はどこ行っただとか、彼女は今日パスタを食べたとか、超が付くほどどうでもいい。思い出すだけでも腹が立つ。
それにしても、誠の惚気話を聞かされることがこんなにも腹が立つのは何故だろうか。海斗の惚気話は左から右に流れていったのに。こんな私にもそういう感情があったことに驚きを感じる。
「……じゃあ愛海とか?」
「城島くんがそれでいいんなら」
「愛海こそ苗字にくん付けやめてよ」
「えぇー……誠くん……とか?」
江戸川の土手で腰を下ろしていたらイチャイチャカップルの会話が聞こえてきた。
「何あのカップル。超殴りてーーー」
鬱憤を込めて川に向かって石を投げた。そんなこちらを気にせずカップルの会話は続く。誕生日がどうたらこうたらと言っている。
「あのカップル爆発四散して土に還らないかなー」
もう一つ石を投げる。魔人の書よ、たまには私の願いを叶えてくれ。
「よぉ魔人」
「あ、死ね。……よぉ旦那、どうしたんだい?」
突然現れたご本人登場に思わず本音が漏れてしまう。でももの分かりの悪い誠なら大丈夫だろ。
「え、何今の、何なかったかのように話進めようとしてんの?聞き流すとでも思った?」
思っていました。
無理やり話を進める。どうやら彼女の誕生日に何かプレゼントをしたいらしい。実に彼女が中心で欲がない奴だ。すぐに思いつく女性へのプレゼントとして頭に浮かんだのはシルバーリングだった。
指を鳴らし、装飾のないシルバーリングを出現させる。無から有を作り出すことは出来ない。従って、無くなっても問題ない指輪を魔人の書が勝手に選定してもってきてくれている。どこかで見たことがある気がするが、こんな当たり障りのない指輪どこでもあるかと勝手に納得する。
「早く行ってやれ、彼女が待ってるんだろ?」
そう言って肩を突いた。
それから間もなくしてだった。土手の階段から物が転げ落ちる音がした。見ると、そこには立ちつくす誠と、動かなくなった愛海さんの姿があった。
愛海さんは病院に運ばれると、間もなくして死亡が確認された。涙を流し、膝を崩した益子さんの姿が誠に追い打ちを掛ける。
「まなちゃんの不注意がいけない、仕方がない事故だった」
愛海さんを親代わりに育ててきた益子さんも、魔人の書に踊らされた悲劇的な人だと思う。姉の愛子さんを失い、自分の愛娘を失い、夫は通り魔となり姿をくらまし、ここまで育ててきた姉の娘さえも失くし、誰かのせいにしたいだろうに、「あなたがちゃんと見ていれば」「あなたがもっとしっかりしていれば」そうやって誠のせいにして責めることは出来た。それでも益子さんは誠を傷つけない選択肢を選んだ。
絶望に打ちひしがれた誠は、白い布を顔に被せた愛海さんの横で動かなくなった。たまに動いたと思ったら「魔人、頼むよ。彼女を生き返らせてくれ……」と言うばかりである。
海斗の出来事が胸に過る。ここで甘やかせて過去に戻らせても、手に入れることの出来ない希望に縋ろうと足掻いたあげく、地に落ちるだけだ。そうやって傷を広げるのも酷だと、目を瞑る。
しかし何度も彼女を生き返らせてくれと懇願する誠に気持ちが動かされそうになっているのも事実だった。
私こういうの弱いんだよな……
数千年の長い旅でいくら気持ちを鈍らせても、情に負ける時だってある。きっと私はそういう性格なのだろう。
「……薦めはしませんけど、助ける方法なら一つだけありますよ」
長い沈黙を破り、私はそう口を開く。
過去に戻っても良いことなどない。掴めそうで掴めない希望に弄ばれるだけだ。それでも私は、不憫に思える誠に少しで希望を見せてあげたいと思ってしまう。
誠は二つ返事で「戻る」と言った。
結果は見えていた。愛海さんの死を覆すことは出来なかった。百五十九回やり直し、誠は力尽きた。彼女と出会う前までに時間を戻した彼は、運命に抗うことを止めた。
流れに身を任せた誠は、私と出会う前と同じようにつまらなそうな目で生活を始めた。一ヶ月もすると、本来の時の流れなのか、愛海さんは誠の友達の藤田とかいう男と付き合い始めた。
誠は知らないが、愛海さんが死ななくなった理由は単純だ。魔人の書を使う前まで時間を戻したからだ。魔人の書を使わなければ、その先に待っている災厄はやって来ないのだから。だが、そうだとしても、誠はもう駄目だ。散々彼女の死ぬ瞬間を目撃し、失意の底に沈められた奴はもう上がって来られない。
そう思っていた。
部屋の扉が開かれ、走り込んできた誠が魔人の書を開いた。
「魔人、俺に勇気をくれ!」
今更何を言っているんだ。それにルール的にもそれは出来ない。と思ったのも一瞬、あの死んだ目をしていた誠の目に火が灯っていた。
「あぁ……そうか、ようやく分かったんすね」
「うん、魔人の言いたいことに気付くまでに大分遠回りをしちゃったけどね」
「いいんすよー。前の主が気付けなかったことに、旦那は気付いてくれましたから」
「……ありがとう」
「やめてくださいよー、水臭い」
初めてだった。底から這いあがる人と出会ったのは。
「俺に、勇気をくれ!」
魔人の書の魔法で、勇気何てあげることなんて出来ない。それを分かっていて誠は言った。彼はきっと出口を見つけ出したのだ。この災厄の出口を。
そうして時間は再び誠と愛海が出会う前へと戻る。以前は私の手伝いを受けて彼女と出会った。しかし、今回は違う。
誠が勇気を出して、手を伸ばしたのだ。
自らの変えた運命のせいなのか、その数日後、魔人の書は彼を選ばなかった。
2
こんなことは過去に一度もなかった。前代未聞だ。今回選ばれたのは驚くことにまた城島誠だった。いちよ、初めて選ばれるという形にはなっているが、実質二度目の選出となる。
開幕早々に誠は「何でまたここに来たんだよ」と少し不機嫌そうに言った。こっちが聞きたい。魔人の書に関しては長い付き合いの私でもサッパリなのだ。
でもきっとこうやって選ばれるのも何か意味があることなのだろう。「これは必然ってことっすよ」と適当に流す。意味は分からないが。
とりあえず誠の近況報告を聞くと、あれから二年が経ったらしい。愛海さんとは未だにお熱いらしい。死ね。
色々話を聞く限り、どうやら二年前のことがあっただけに、誠は魔人の書が現れたことに警戒しているらしい。どうりで久しぶりの再会であしらわれたのか、と合点がいった。
この様子だと願い事は一つもしないだろう。長い付き合いになりそうだと考えつつ、トランプで勝った私は誠のベッドで目を瞑った。
その翌日だった。愛海さんが誠の友達だった藤田を殺した。血相を変えた誠が愛海さんと共に家へと帰ってくる。殺した本人が平気なのに、誠の方が音を上げてしまった。
さすがにこの展開は予想出来なかった。愛海さんは意外と頭がおかしいのかもしれない。前から少し思っていたが。
その翌日からの愛海さんは至って普通の学生を演じていた。何もしていない誠の方がやつれているように見える。
さらにその翌日、誠が事情聴取のために警察に連行された。愛海さんと考えた嘘でその場を過ごしたらしい。だが誠はこの件でかなり堪えたらしく、この件を期に愛海さんへの愛情が薄れ始めることとなった。
両親からのプレッシャー、大学からの除名処分の勧告、愛海の重い愛情に、誠は押し潰された。まるで魔人の書は前回出来なかった災厄を撒き散らすために誠の元へ来たようだった。
対人恐怖所に陥ってしまった誠が部屋に閉じ籠ってしまう。何とかしてあげたいが、魔人の書を閉じられたままでは私から何かすることは出来ない。そんな彼にトドメを刺すように、また悪びれもせず、愛海さんが二件の殺人を犯した。
何この子怖い。
誠は遂に我慢の限界に来たらしく、愛海さんに別れを告げた。しかし、愛海さんはそれを良しとはせず、誠を押し倒して無理やり誠の考えを変えさせようとした。それは醜く、耳を塞ぎたくなった。それが効いたのかは分からないが、誠は愛海さんを傍に置いた。結局は誠も男だということなのか。
その時、二人の目に衝撃的なニュースが流れ始めた。それは私にとっても衝撃的なものだった。一連の件の殺人犯が捕まったというのだ。しかもその犯人が佐賀正一で自殺していたというのだ。
誠と愛海さんにとっては、殺人事件が予想外の形で終止符が打たれたというもの。私にとったら益子さんの夫が死んだという虚を衝かれたものだった。
益子さんはまた一つ失ったのかと少し感傷に浸ってしまう。しばらくして我に返った時、我ながら人のようなことを思うようになったと思った。誠と会ってから忘れていたものを思い出すことが増えた気がする。
しばらくして、誠が実家に帰る日がやってきた。誠の帰省に愛海さんも付いていくと言い出した。この女の愛に狂気を感じる。誠の反対を押し切り、愛海さんも誠の実家に行くことになった。
電車に揺られ二時間。二人は誠の実家へと辿り着いた。愛海さんは能天気というか、楽しそうというか、どこか嬉しそうだった。それとは逆に誠の母親は見るからに困っている様子だった。それもそのはず、母親にとったら駄目息子が女連れで出戻りしてきたのだ。喜ぶはずがない。
その日の夜に事件は起きた。我慢の限界を迎えたかのようにスッと立ち上がった愛海さんが、誠の母親を刺したのだ。父親は当然のように止めかかったが、何を考えたのか誠は父親をバッドで殴りに掛かったのだ。お茶の間が血と悲鳴と打撃音で満たされる。
狂気に満ちた僅か五分間の出来事。愛海は母親を、誠は父親を殺してしまった。その後、誠は自分が生まれ育った家を燃やし、走り出した。全てを失って、罪を背負って、冬の闇の中へと消えようとした。だが、現実はそうはいかず、警察が二人の後を追った。容疑は当然殺人だ。市川での三件の殺人の真犯人としてバレてしまったのだ。掴まれば、さらに両親殺しと放火の罪が足されるだろう。
逃走した二人は山の中へと迷い込む。少しでも遠くへと考える気持ちが二人を奥へと進ませた。見つけた山小屋で一晩を過ごすことにした二人は、泣きながら抱き合った。自分達の行いに後悔し、あるはずない未来を夢見て、誠は愛海さんへの愛情を思い出した。
その翌日、愛海さんは誠の罪も全てを背負って、足頼刑事の相方、尾方の復讐により射殺された。
再び愛海さんを失った誠は、最後の見納めとばかりに彼女との思い出の地を巡った。最後に辿り着いたのは愛海さんと出会った場所。大学の噴水前だった。
誠が魔人の書を開く。
きっとまた二年前のようにやり直すのだろう。だがそれでもいい、以前出口に辿り着いた彼ならまたきっと辿り着けるだろう。
「またやり直すんすね……愛海さんが救われるまで」
「まさか、そんなこともうしないよ」
誠は分かっていた。そんなことはしても無駄だということを。魔人の書を使わずに、こんな悲惨な運命になったということはもうどんなに変えようとしても運命は変わらないということだ。必然という言葉が一番しっくりくるだろう。もし魔人の書を使い、この悲惨な結果を回避したとしても、その先には魔人の書による災厄が待っている。
これまでの事象、人間関係がこうなる運命にあったのだ。この流れをひっくり返すには、愛海さんと誠に関わる全て出来事を変えなければならない。だが、そんなことは無理だ。何がどの出来事に作用しているかも分からない。蝶が羽ばたけば嵐が吹く。途方にもなくある幾つもの出来事を改変出来るはずがない。
「じゃあもしかして……!」
『俺を、殺してくれ』と言った海斗の最後の言葉を思い出す。
「早まるなよ。死ぬ気もないさ」
「じゃあ私に何を願うんすか」
繰り返す気もなければ、死ぬ気もない。じゃあこの期に及んで何を私に願う気なのか。
「魔人、僕を、この世界にいなかったことにしてくれ」
それはこの長い旅路の中で初めての願いだった。誰一人そんなことを願った人はいない。人は愛する人のためにはここまで出来るのか。
「……旦那……」
どんなに底まで落ちても愛海さんを想う誠。心を打たれ、思わず涙を流してしまう。
「さぁ魔人、一つ目の願いだ。……僕を、いなかったことにしれくれ」
いなかったことに何てしたくない。でも、それが主人の願いならば叶えなけばならない。自分の気持ちを無視して願いを叶え続けなければならない。それが魔人に課せられた呪いなのだ。たくさんの人を殺し、数少ない命を救い、好きになった主人を見捨てなければならない。
私は何のために旅をしなければいけないのだ。私は何のためにこんなことをしなければいけないのだ。いろんな奇跡が起こせる魔法を持っていても、私の救いたいたった一つの命さえも救えない。
指を鳴らす。
誠の体が光の粒となって溶け始める。
「そうだ、もう一つ願いあったんだ。聞いてくれるか?」
「……はい、なんでしょう……」
「伝えたい言葉があるんだ」
誠が霞んで見える。きっと自分の声も、私の声も聞こえていないだろう。もしかしたらもう目も見えていないかもしれない。そんな恐怖を感じさせることなく、誠は笑った。
「君に出会えて、本当に良かった」
最後の粒が空へと沈む。
世界が、誠がいなかった世界へと姿を変え始める。
誠と関わった全ての人の行動はなかったことにされ、誠のせいで死んだ人達も死ななかったことになる。そして、その全ての原因の愛海さんも誠と出会った事実はなくなり、世界はやり直される。
「旦那…… 最後のその台詞は誰宛てなんですか……?」
3
魔人の書。それは特異点である存在。過去が変わろうとも、平行世界に移り変わろうとも、世界が再構成されようとも、それを観測する中心の存在。だからいくら世界が変わっても私は誠を忘れることはない。
時間は遡り、現在はあれから二年前となった。魔人が改変された過去を知らないというわけにはいかないのか、誠がいなくなった分、私は時間を遡ることとなった。
そして魔人の書はまたしても悪戯とばかりに運命を弄くり回すような人選をする。
「うわ……こんなことってあるんだ…… とりあえず、こんばんは!」
「あ、こんばんは……じゃなくて! 誰ですかあなた!」
「怪しいものじゃないですよ?」
「怪しいわ!」
大学一年生。浜井愛海。それが今回の主人であった。
初めて誠が魔人の書に選ばれる日に、彼女は魔人の書に選ばれた。
いつものファーストスキンシップをする感じでは彼女は普通に思える。人を殺すような人には思えなかった。ただ、機械化文明が発達してからは珍しく、魔人の存在をすんなりと信じてくれた。話が省けて助かる。
「幽霊とか占いとかオカルトは信じる人なの」
ただの電波だった。
それにしても、意外と冷静に状況を分析してものを喋っているようだった。もっと感情的で頭のおかしい人だと思っていた。
「さっきから私のことを前から知っているような口ぶりね」
「え!? そんなことないない! 初対面初対面!」
思わずぼろが出てしまった。追及されるか、と思いきや、「……まぁいいや。それで本題」と話を避けてくれた。空気も読めるみたいだ。何故こんな人が殺人を犯したのだろう。改めて疑問に思う。
それから魔人の書のルールを説明して「それでは姉さん、一つ目の願いをどうぞ!」と声を掛ける。本を閉じられた。
まぁ深夜二時だししょうがない。
目覚ましの音で目を覚ました愛海さんは起きて一番に魔人の書を開いた。どうやら夜の出来事が夢ではないかと確認したかったみたいだ。
「ところで姉さん、願い事は決めました?」
考える様子を察するに、どうやら願い事はないみたいだ。誠といい、愛海さんといい、何故この二人はこんなにも願い事がないのだろうか。
「あっ」誠で思い出した。
「すっかり忘れてました。姉さん、あなた宛てに伝言があります」
「伝言? 何?」
きっとあの時の台詞は私宛ではなく、愛海さん宛てだったのだろう。私はそう解釈している。
「城島誠から『君に出会えて、本当に良かった』だそうです」
それを聞いた瞬間、愛海さんの顔がハッとする。
もしかして、誠のことを覚えているのか!? と心配したものの「城島って……誰?」と杞憂で終わった。
結局、そこから城島は誰なのかというのを問いただされてしまった。しかし、答えるわけにはいかない。愛海さんは誠の存在を知らずに生きていく。それが誠の望んだもののはずだから。
誠のいない世界は見たことあるような光景で進んでいく。愛海さんは藤田とぶつかったことをきっかけに付き合い始める。どこかで見たような設定と光景だ。藤田と愛海さんが江戸川を散歩するのも、誕生日はいつ?と聞くのも、プレゼントにシルバーリングをあげるのも、全部、見たことのある光景だ。だがその光景の中に誠は存在しない。それを分かっていても、彼を探してキャンパスの中を探ってしまう。
私も随分と誠に固執しているな。と、客観的に冷たくみることは出来ても、それを直すことは出来なかった。
デートに行ったはずの愛海さんが勢いよく帰ってきて「魔人、一つ目の願い!」と声を上げた。
「お、遂に決めましたか」
「彼に会わせて」
「彼……とは?」とぼけてみる。
「城島誠に決まっているでしょ」
この時を、いつかは来ると思っていた。来るとは分かっていたが、答えを用意していなかった。うーん、と唸りルール一を復唱する。
「……死顔でも何でもいいの! 私は私が忘れていることを思い出したいだけなの!」
今の台詞はきっと、最後の確認なのだろう。この一ヶ月で愛海さんはあれこれと質問をしてきた。きっと当たり障りのない質問の中に確信を突く質問を混ぜていたのだろう。本当に計算高い人だ。
「姉さんは城島誠が存在していないことを、とっくに分かっていんでしょ」
愛海さんは言葉を溢しだす。自分に嘘をついていたわけじゃない。自分のために存在を消すだなんて想像が出来ない、と。
「彼がこの世界にいたっていうなら、私は彼に会ってみたい、話してみたい。お願い魔人、私を彼が消える時間の前までに戻して!」
溜息を深く吐いた。それが出来るなら、私がしたいぐらいだ。
根本から姿を消した誠は、どのパラレルワールドにも存在しない。彼に会いたくても、二度とそれは叶わないのだ。
淡々と説明する私に愛海さんは食い下がる。無理なものは無理なのだ。
「何で……何で彼はそんなことをしたの。私と彼の間に何があったの!?」
「あなたがその意味を知ることは、城島誠は望んではいないはずです」と言って、私は自ら本を閉じた。
これ以上は話しているこちらも辛くなってくる。この長い旅で何千人と会ってきた中のほんのたった一人のはずなのに、どうして私はこんなにも固執してしまうのだろう。彼はもういない、会うことは出来ない、と言葉にする度にどうして辛くなってしまうのか。
珍しく胸が痛くなった。
愛海さんはクリスマスを益子さんと二人で過ごした。本人曰く、一緒に過ごす人がいないらしい。藤田はどうした、と聞くと未練も一切なく別れたという。他に友達はいないのかと聞くと睨まれた。いないみたいだ。
愛海さんは誠の件で足を引っ張られているらしく、思い出せないことに日々イライラしているようだった。思い出そうとしてもそれは無理な話なのだ。この世界にも他の平行世界にも存在しない彼を認識するのは不可能なのだから。
窓から外を見ると、雪が降っていた。隣の屋根は既に白く雪積もっている。
雪を見ると、つい思い耽ってしまう。感傷、哀愁、悲愴、黄昏。そんな寂しい気持ちになる。こんなに長くこの世界にいて、こんなに長く時間を渡り歩いてきて、こんなに多くの人と出会って、私のことを覚えている人は何人いるのだろうか。
ガラスに薄らと映る自分の顔。
昔の顔なんて思い出せない。外せないサングラスに、気持ち悪い毛、気味の悪いシワ、いつできたかも分からない左頬の傷。まるで猿だ。
私は何で魔人なのだろうと考えると切りがない。人の願いを叶えるだけなら、別に魔人に感情なんていらなかっただろうに、何で感情なんてあるんだろう。その感情の感性はどうして人と似ているのだろう。私のことはちっとも分からない。魔人の書に問いかけても返事などあるはずもない。
愛海さんは、一人ぼっちは嫌いだそうだ。そのせいか、一度心を許すとどこまでも付け上がって、嫉妬深くなってしまう。そしていつも一人になってしまうらしい。
笑って聞いたが、私もさほど変わらない気がする。テンション高く絡むのも、少しでも自分のことを覚えていてほしいから、気に入ってほしいからだ。海斗と誠がいなくなる時に泣いたのは、そのせいかもしれない。深く関わった二人だからこそ、自分を覚えている人がいなくなると思って、寂しくて泣いてしまったのかもしれない。私のことを覚えている人は何人いるのだろうかと、考えてしまったのも、私が一人ぼっちが嫌いなのだからだろう。
深々と降る雪を見つめる。
雪は嫌いだ。
その時、部屋の襖が勢いよく開くと、愛海さんが飛び込んできた。慌てて本を開く。
「そんな血相変えてどうしたんです。それに左頬の傷」
足や手に擦り傷を作る人は多いが、頬に切り傷を作る人は中々いない。何かあったのだろうか。
「魔人! 改めて一つ目の願い。私を彼に会わせて」
「だから、何度も言っているけど」
「そのために、私を魔人にしてほしいの!」
「……はぁ!?」
魔人にしてくれなんて頼んできた人は過去に一人もいない。誠といい、愛海さんといい、何でこの二人は過去に前例のない無茶な頼みをしてくるのだ。第一に、魔人になることがどれだけ酷なことなのか理解していない。終わりの見えない無限の孤独な時間の旅に、自分を見失うのだぞ。
口から無意識に「そんな冗談、面白くない」と言おうとした。しかし、その真剣な眼差しは、いつか誠が出口を見つけた時に灯っていたものと同じもののように見えた。私は言葉を改めた。
「何で魔人になる何て発想になったんですか」と聞くと、別の平行世界に彼に会うためだと言う。だから、別の平行世界にも彼はいないのだ。彼に会うことはもう出来ないのだ。
「……だったら一から、いや、零からやり直す」
さすがに驚いた。零からやり直すって、根本さえも覆す気なのか。確かにそうすれば理屈的には誠にもう一度出会えるかもしれない。だけどそれは誠と会うために一体何年、いや、それこそ私と同じ何千年と旅をしなければならない。
「魔人になって零から世界をやり直すって、そんなの生半可な覚悟でやったら絶対後悔しますよ! 姉さんは理解していないみたいですけど、私だって今日に至るまでにいったい何年生きてきたか覚えていないほどなんですよ!?」
「私はもう決めたの」
こちらの説得には、応じる気はないようだった。愛海さんから発せられる気迫は時間を戻ろうとする人達の気迫とよく似ていた。こうなってしまったらもうどうすることも出来ない。
渾身の溜息を吐いた。
「全くもう! あなた達二人は! ホントに救いようのない馬鹿ですよ!」
指を鳴らす。本が強烈な光を放った。私と愛海さんを残し、例外なく全てのものが光の粒に還元されていく。そして白紙のページが開かれた。
ここはもう私が今まで旅をした世界ではない。ここから先は愛海さんが作っていく新しい世界なのだ。私のお古の本ではなく、愛海さんのための新しい魔人の書の一ページ目。
頭を締め付ける拘束感がなくなった。サングラスが外れるような気がする。どうやら魔人は一人しかいてはいけないようだ。誰かに説明されなくてもなんとなく分かる。
眩しさの余り目を瞑っていた愛海さんが目を開ける。真っ白な世界が眩しいのか、目を細めている。
「魔人、ここは?」
「ここはあなたのために用意された白紙の一ページ目です。あとは頑張ってくださいね」
「え?」
私はサングラスを外し、新たに魔人となる人物へとサングラスを継承させる。
これでようやく解放される。長い旅がようやく終わる。
唐突に訪れた旅の終わりに、私は追想する。嫌な出来事から楽しい出来事まで。もう終わるんだと思う度に、決して悪いものでもなかったかもしれないと、色眼鏡で過去を振り返った。
最後にもう一目、誠に会いたかったなというを想いを残して。
私はどうなるんだろう。魔人だった私が魔人じゃなくなったら、死ぬのだろうか、消えるのだろうか。この未練はどこに行くんだろう。今まで考えたこともなかった将来への不安、終わるという喜び、未練という後悔が私の中で渦巻いた。
私はどこへ行くんだろう。
薄くなっていく意識の中、光が闇へと消えていった。
4
ピピピと電子音が頭上で鳴っている。腕を伸ばし、掴みながら目覚ましを止めた。時刻は午前八時丁度。
頭がぼーっとする。途方にもなく長い夢を見ていた気がする。夢特有の曖昧さにハッキリとは思い出せない。唯一と覚えているのは最後、自分が死んだような気がすることだけ。思い出そうにも思い出せない、胸にシコリがあるみたいに嫌な感覚。哀愁のような寂しさに思わず布団に潜り込んだ。
部屋を出て階段を降りると、この家の主、益子叔母さんが「おはよう。まなちゃん今日も早いわねー」と声を掛けてきた。今日もまた、道化を演じる日が始まる。
顔を洗い、さっさと大学へと行く。それが日課だ。
最近、既視感が絶えない日々が続いている。雑踏に湧く校内。いつも見ている光景なのに、ここではないこの光景を見た気がする。大学に入学してからまだ半年ちょっとのはずなのに、随分と長い間この大学にいる気がする。講義に出ても、大学で知り合った人と話しても、どこかで一度体験したような違和感に襲われる。
講義が終わり、次の講義のへと向かう。その途中、噴水前を通った時だった。
二人の男子とすれ違った。すれ違い様に横目で見る。よくある絵面だ。いつもは何とも思わないはずなのに。そこら辺にいる在り来りな男子大学生のはずなのに。視線が交じり合った彼のことが妙に気になってしまった。
どこ会った気がする。大学で過ごしていれば、そりゃ何度かすれ違ったかもしれないが、そんな感覚ではない。私はあの人を知っている気がする。でも名前も、顔さえも思い出せない。
私は歩みを止めなかった。これはきっと気のせいだ。得意の自問自答でそう思うことにした。
その時だった。
「あの、すみません……!」
木枯らしの中、私は振り返った。




