あなたはどこ
1
ピピピと電子音が頭上で鳴っている。腕を伸ばし、掴みながら目覚ましを止めた。時刻は午前八時丁度。
頭がぼーっとする。随分と長い夢を見ていた気がする。夢特有の曖昧さにハッキリとは思い出せない。唯一と覚えているのは最後、自分が死んだような気がすることだけ。思い出そうにも思い出せない、胸にシコリがあるみたいに嫌な感覚。哀愁のような寂しさに思わず布団に潜り込んだ。
部屋を出て階段を降りると、この家の主、益子叔母さんが「おはよう。まなちゃん今日も早いわねー」と声を掛けてきた。今日もまた、道化を演じる日が始まる。
「おはよー、叔母さんには負けるよ」と会話を交わし、洗面所へと向かった。
益子叔母さんは私のお母さんの妹に当たる人らしい。らしい、と言うのも私が物心付く頃には既に私のお母さんもお父さんも死んでしまっているからだ。別に悲しいとか寂しいとか、そういうのは一切思わない。顔も知らない相手だし。
顔を洗って鏡を見ると、眠気が取れないのか目付きが悪い女の顔が睨んでいた。髪は大学に入って間もなくて栗色にして痛んでしまっている。これなら黒髪のままの方がよかったと思う。髪が長いのも、髪が栗色なのも、大学の風景に馴染むためと言ってもいい。目立つのはあまり好きではない。
叔母さん曰く、私が黒髪でショートカットだった頃は叔母さんの娘さんに似ていたらしい。らしいというのも、叔母さんの娘さんは交通事故で亡くなったらしいからだ。
「朝ご飯置いとくよー」
居間から聞こえた叔母さんの声に「はーい」と返事をする。
叔母さんは良い人だ。自分の子でもないのに、私を大学にまで通わせてくれる。私がどんなに遅く帰って来ても怒りもしない。私の母代りの人だ。だけど、叔母さんの優し過ぎる態度はどこか他人行儀にも感じた。気付いた時には私は叔母さんと一定の距離を取っていた。だから私は叔母さんに迷惑掛けちゃいけないと心理的に感じ、素を出せないまま十何年もこの家で暮らしている。この家での私の役目は良い子のまなちゃんを演じることだ。それが私と叔母さんの距離を保つ方法。
「いただきまーす」
ご飯に味噌汁、焼き鮭にたくあん。正に日本の朝食だ。
両親が死んだ理由は小さい頃に聞いた気がするが、覚えていない。なんとなく母の死に父が巻き込まれたというイメージがある。改めて死因を聞こうとは思わない。
イジメや発展途上国の話をテレビで聞く度に私はマシだと思った。幸せ者でも、不幸せ者でもなく、マシだと。何故なら一般家庭と比べたら私の家庭環境は少し複雑だからだ。それを友達に話し、同情めいた視線を向けられる度に私は可哀想なのだなと思うことがあったからだ。
朝食を食べ終えると、早々に支度をして家を出た。この家にいると息が詰まりそうになる。
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
玄関を出ると、木枯らしが葉を鳴らし、髪を撫でた。
今朝の夢のことは、もう思い出せなくなっていた。
2
いつから始まったかは分からないが、ここ最近既視感が絶えない日々が続いている。雑踏に湧く構内。いつも見ている光景なのに、ここではないこの光景を見た気がする。大学に入学してからまだ半年ちょっとのはずなのに随分と長い間この大学にいる気がする。講義に出ても、大学で知り合った人と話しても、どこかで一度体験したような違和感に襲われる。
そんな違和感により一層強く襲われたのは、講義が終わり、次の講義へと向かっている時だった。
大学の噴水前、前から来た一人の男子とすれ違う。変哲もない当たり前の瞬間。すれ違った時、すれ違った男子が二人いたような気がした。思わず振り向く。しかし、そこにはやはり、男子は一人しかいなかった。
気のせいだ。そう思ったが、いる気がしたもう一人を私は知っていると感じた。その瞬間、今まで感じてきた既視感の中に彼がいるような気がしてきた。
あなたは誰?
再び講義へと足を向ける。教室の後方には既にたくさんの生徒が集まっていた。それを尻目に右側の列、前から三番目、窓際席に腰を落ち着ける。なんとなく座った席。いつも一人で受けている講義のはずなのに、隣にはいつも誰かいた気がする。
あなたは誰?
既視感の連続。物足りない感情。欠如した何か。
幻を追うように窓の外を見ると、葉を落した木々が寂しそうに揺れていた。
満たされない日々に何度も寝返りを打った。学生と言えば青春。青春といえば恋愛。私にはそれがないから物足りないように感じるのだろうかと、布団に潜ってからかれこれ一時間が経とうとしている。頭が働いてしまって眠れない。
小中高とまぁそれなりに人を好きになったことはあったが、どれも本気で好きになったことはない。友達の延長線と言った感じ。相手に求められるようになると、自分の気持ちが途端に冷めてしまう。面倒な性格だとは自覚している。友達が取っ替え引っ換えで彼氏を作っているのを見ると、私も彼氏が欲しいなーとか思うし、小説や漫画を読めば、私も恋したいなーって思う。でも恋に落ちるという表現が似合う程の人とは出会ったことがない。最近気になる相手といえば、あの幻の彼だ。顔も声も体型も何もかもハッキリとしない。ましてや存在するかも分からない、私の想像だけの存在かもしれない人。
「あなたは誰なの……」
午前一時、真っ暗の部屋で独り呟く。
「え? 私ですか? そうですねー……良い子の皆には魔人って呼ばれてますよ」
見知らぬ声に飛び起きる。怖い。枕元に誰かいる気がする。
走って部屋の電気を付けると私の布団の横に正座をしたサングラスを掛けた左頬に生傷のある猿顔の人がいた。
「うわ……こんなことってあるんだ…… とりあえず、こんばんは!」
「あ、こんばんは……じゃなくて! 誰ですかあなた!」
「怪しいものじゃないですよ?」
「怪しいわ!」
怪しい奴は皆揃って同じことを言う。猿顔に不法侵入。怪しい以外に何と言うか国民アンケートを取りたいぐらいだ。
「警察に通報しますよ!」
そう言うと、魔人と名乗った人の手の上には私の携帯が握られていた。踵を返し、襖を開けようとした瞬間、指を鳴らす音が聞こえた。構わず開けようとしたが、鍵なんて掛かっているはずがないのに、襖は接着剤で止められたようにピクリとも動かなくなっていた。
「きゃああああああああああああああ!」渾身の悲鳴を上げる。
「この部屋の防音設備はアメリカの大統領もビックリレベルです」
完全密室空間。そこに知らない人と二人っきり、怖いなんて言葉じゃ済まない。恐怖と言っていい。
「そんなに怯えなくても危害を加えようなんてこれっぽちも考えていませんよ」
そう言った魔人は正座をしたまま、手を使って擦って私の方に近寄ると「こういうものです」と名刺を差し出してきた。
「……ご丁寧にどうも」
名刺には『安くて安心の三拍子! 魔人』と書かれていた。
「あの、魔人って名前なのはもう知ってます……」
「いや、ツッコむとこそこじゃないでしょ! 三拍子揃ってないって所でしょ!」
「は、はぁ……」話が進む気がしない。
「よく言われない? だから彼氏が出来ないんだよって」
「大きなお世話!」
話した感じ特に悪意とかは感じない。もし危害を加えようと考えているならもうとっくに加えているはずだ。そう考えれば、危害を加える気は本当にないのかもしれない。
「それで、あなたは何しに来たんですか」
「あれ、いきなり本題が気になっちゃう? どこから入ってきたんですか! とか、魔人なんて信じられない! とか、どうやって防音にしたの! とか、いろいろあるでしょ」
「溢れ出る偽名臭とかは判明した所でどうでもいいですから。それに知った所であなたは帰ってくれないでしょ」
「あら、意外と冷静なのね。私のイメージだともっと頭おかしい人かと思ってましたよ」
「はぁ?」
初対面なのに腹立つことを言うな。
「めんご、めんご! 姉さんの言う事も最もだからさっそく本題に入るよ」
そう言った魔人は既に開かれた本を私の枕の下から取り出した。いったいいつ仕掛けたんだ。枕の下から取り出したことをツッコミいれてほしそうに見てくるがスルーする。すると魔人は残念そうに本を私の前に大人しく置いた。
「これは魔人の書って言うもので、何でも願いを三つ叶えてくれます」
「ホント!? やった!」
「え……信じるんすか? もっと怪しむとかないの?」
「自分で言っといて何言っての? あなたは既に私に気付かれずにこの部屋に侵入、襖を開けなくさせる、音を外部に漏らさない、本を枕したに仕込んでおくっていうことやってのけているんだよ? それに残念ながら私、幽霊とか占いとかオカルトは信じる人なの」
「電波かよ」
「ん?」
「何でもない何でもない! それにしても、姉さん意外と冷静にものを分析して喋るんすね。もっと感情的な人だと思ってましたよ」
「そう?」
昔から表に出す感情は大袈裟に、と心掛けている。この家で培った道化の演技力。これのおかげで高校の頃は「愛海ちゃんって計算高そう」と何度言われたことか。
「ていうか、さっきから私のことを前から知っているような口ぶりね」
「え!? そんなことないない! 初対面初対面!」
あからさまな嘘だ。でも、嘘にしなければならない理由があるのだろうから、その嘘には乗ってあげることにする。
「……まぁいいや。それで本題、願いを何でも三つまで叶えてくれるっていうの、何でもいいわけ?」
「んーまぁ、注意事項がまぁ二三有りますね」
「例えば?」
そういうと魔人は魔人の書を捲った。捲ったページには手書きで「るーる」と書かれた文面が出てきた。それを魔人が読み上げ始める。
「るーるその一、無から有を」
「あ、音読しなくていいから、自分で読むから」
「あ、そうっすか……」
ざっと目を通す。注意事項が二三と言っていたが、実際にはルールその五まであった。きっとここもツッコミポイントなのだろうが、ツッコむ気は毛頭ない。
「だいたい分かった」
「それでは姉さん、一つ目の願いをどうぞ!」
そう言ってきた魔人をシカトしてさっさと魔人の書を閉じた。魔人は消え、襖も開くようになった。もう二時になろうとしている。先に寝るに決まっているだろ。本を机の上に放り投げると、布団に潜った。
今日も目覚ましの音で起床する。やけにハッキリと覚えているが、夜の出来事は夢の出来事だった。そう思いながら机を見ると、魔人の書と手書きで書かれた本が置かれていた。
まさかな、と思いつつ、本を開く。
「あ、おはようございます!」と魔人が現れる。頬をつねると痛かった。夢ではなかったようだ。「ところで姉さ」と魔人と言い掛けた所で本を閉じる。これは便利な機能だ。とりあえず顔を洗い、意識がハッキリしてきた所でもう一度本を開いた。
「何で閉じるんすか!」
「朝からうるさいから」と身支度をしながら横目で言う。
「あ、近所迷惑だと思いました? でも安心してください。私の声も姿も、あなた以外には認識出来ませんから」
「私にとって」と付け足すと、魔人は「ああ、なるほど」と言った。
魔人は改めて声を適度に変えると「ところで姉さん、願い事は決めました?」と言った。そう言えばそうだった。願い事を三つまで叶えてくれるんだった。しかし、改めて何でも願い事を叶えてもらえるとなると、何を願っていいか分からなくなる。
バックが欲しいなんて願い事で一つ消費する何て勿体ない気がする。だからと言って大金が欲しいなんて願いは私にはない。そもそも私には物欲がない。欲しいと思っても、それは一時の風邪のような熱に過ぎない。
「あ、彼氏がほしいとかですか?」
「大きなお世話だって言ってるでしょ!」
彼氏がほしいで脳裏に過ったのは、あの幻の彼だった。何故今その単語で彼を思い出したのかは自分でも分からない。私が思い出したとほぼ同時に、魔人もあることを思い出したように「あっ」と声を漏らした。
「どうしたの?」
「すっかり忘れてました。姉さん、あなた宛てに伝言があります」
「伝言? 何?」
「城島誠から『君に出会えて、本当に良かった』だそうです」
それを聞いた瞬間、胸が騒ぐのを感じた。
「姉さん、もしかして……」
「きっも……城島誠って……誰?」
知らない人から寄せられる好意は気持ち悪い。『君に出会えて、本当によかった』なんてクサい台詞をよく言えたものだ。そんな人とは関わりたくないと思う。絶対ストーカー気質のある人だ。
3
結局、魔人と話し過ぎて朝食を食べる時間の余裕をなくしてしまった。叔母さんには二度寝しちゃっと適当な嘘を言って家を飛び出した。
魔人に城島誠は誰なのか、というのを問いただしても答えは聞けなかった。唯一聞けたのは、魔人の書はいつどこで作られたのか分からないということと世界の人口分の一の確率で選ばれているかもしれないということだけ。魔人本人も自分のことは分からないらしい。ルールその四にあった『三つの願いを叶えたら本の所有者が移動する』ということは、城島誠が昔の本の所有者だったということが推測つく。私が昨日所有者に選ばれてから魔人が城島誠出会って伝言を頼まれた可能性はない所からこの推測がきている。
じゃあ城島誠はどうやって私を知って、どうしてそんな伝言をしたのか。魔人は絶対に知っている。是が非でも調べなきゃいけない。
そういろんなことを考えながらパンをくわえて走る。毎日朝食を食べていると、朝食を抜いただけでお腹が減って死にそうになる。そこで家から適当に持ち出したパンを食べながら走っているわけだが、無作為に取ったのがまさか食パンだとは思わなかった。これはこれで、食パンくわえて走るというのは一度やってみたからいいが、とんでもなく恥ずかしい。しかも食べられない。
大学構内の一角を曲がった時だった。角から人が出てきて私は思わず短い悲鳴を上げる。勢いを殺し切れず、その人とぶつかった。食パンが宙を舞う。その瞬間、再び既視感に襲われた。食パンをくわえて走ったのは初めてのはずだ。でもこの一瞬を私は知っている。どこかで体験した。
どこで?
尻餅を着いた。顔を上げると、見たことのない男子学生も尻餅を着いていた。
「すみません」と声を掛けようとした直後、男子学生の顔があの幻の彼と重なって見えた。しかし、カメラのピントが合っていないように顔はハッキリとは見えない。見えないのに、どうして私は彼だと思ったのだろう。自分でも分からない。まるで自分ではない何かが私の中にいるようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
先に声を掛けてきたのは向こうからだった。
「え、はい……」
思わず、返事をするのを躊躇ってしまう。
「あ、君あの時の!」
「え?」
男子学生の方が近寄ってくる。
「ほら、覚えてない? あの時すれ違った」
すれ違う人をいちいち覚えているはずがない。
「三日ぐらい前に噴水前ですれ違ったじゃん!」
噴水前ですれ違った時のことなら覚えている。今までで一番強く既視感を覚えた瞬間だったからだ。でも、この男子学生のことは覚えていない。
「俺、藤田って言います!」
名乗られた途端、現実に引き戻されたかのように彼が消えた気がした。ピントが焦点を合わせ、藤田と名乗った顔の像を結ぶ。落胆する私に彼は負い目を感じたようで、必死に私に迫った。許してほしいだとか、償いをさせてくれだとかを言っていた気がした。別にそんな気のない私は彼の相手が面倒で、はいはいと話を進ませた。
それからのことはよく覚えてない。何かもの凄く攻められて逃げられる気配がなかったから連絡先を教えてあげたことだけは覚えている。
ただ藤田くんは不思議に感じた。あの人を見ていると、幻の彼の幻影が見える気がするのだ。それが見たくて私は「付き合うことにしたと?」
「だってー……」
「これだから年頃の女の子は分からない!」
魔人がお手上げのポーズをする。
ぶつかってから一週間、藤田くんの猛烈なアピールに根負けして付き合うことにしたのだ。私にとって大学に入って初めてくの彼氏だったが、これっぽちも嬉しいとは思えなかった。これから二人の時間を過ごせば、少しは情でも生まれるだろうか。
「女心と秋の空ってね」
「別に誰かから気持ちが移り変わったわけじゃないでしょ」
「さぁ」と魔人が小首を傾げる。
そうこうしているとあっという間に一ヶ月が経った。手さえ握ったことのない藤田くんは俺様って感じで威張り散らしていて、正直に言うと苦手なタイプだった。きっとその俺様という感じが彼は男らしいと思っているのだろう。どちらかというと手を握りたくない。それでも藤田くんと一緒にいると、幻の彼とまた会えるような気がして一緒にいることにしている。
今日は江戸川の土手を散歩していた。雑談を交わしにながら並んで歩くと、何故だか寂しい気持ちになる。あと一ヶ月もすれば今年が終わるからだろうか。
「そういや、愛海の誕生日っていつだっけ?」
「いつだと思う?」
「んー今日とか?」
「凄い! 正解! 私前に言ったっけ?」
「うん、言ったよ」
そう言うと、藤田くんはポケットに手を突っ込んだ。
「もしかして、指輪とか?」
冗談のつもりで言うと藤田くんは目を見開き「え、凄い、よく分かったね」と動きを止めた。
「え……もしかして、シルバーリング……?」
「あれ、もしかして知ってた? 結構サプライズのつもりだったんだけどな」
藤田くんがポケットの中から指輪を取り出す。イメージ通りの装飾のないシンプルなシルバーリングだった。
「とりあえず、はい、誕生日おめでとう」
私の掌に指輪が乗せられる。
私はこの指輪を知っている。私の一番の宝物だった気がする。でも、私は今まで一度も指輪をしたことがないはず。なのに、毎日のようにこの指輪を付けていた気がする。右手の薬指に違和感を覚え出す。酷く頭が痛い。
「あ、ありがと……」
声を絞り出す。すると、空いている手を藤田くんが握ってきた。藤田くんの顔は寒空の下のはずなのに、真っ赤に染まっている。
その時、藤田くんの顔がまた彼の顔と重なった気がした。
あなたは誰。もしかして、あなたが城島誠なの。
ハッキリとは像は見えない。でも、どこか懐かしい気がする。
「愛海の手って、柔らかいね」
その台詞を言われた瞬間、彼の像は消え、藤田くんの顔が戻ってきた。その瞬間、私は思わず藤田くんの手を振り解いていた。
「え……」
「あ……えっと……その……恥ずかしいから……」
「そ、そっか、そうだよね、人通り多いしね」
私が誤魔化したように藤田くんも笑って誤魔化したようだった。私が振り解いたのは、藤田くんと手を繋ぎたくないというのもあるけど、それ以上に彼の像が消えた時、直感的に彼を裏切りたくないというのを感じたからだった。
「……ごめん、私用事思い出したから、帰るね……」
「え……」
藤田くんの言葉を無視し、足早に帰路へと着く。用事何かあるはずがない。咄嗟の行動だったとはいえ、本心が出てしまった。私の下手な言い訳も通じているはずがない。罪悪感はあるけど、今は藤田くんのことより、城島誠についての方が気になってしょうがなかった。帰宅途中に携帯が何度か鳴ったが、どうせ藤田くんだろうと思い、無視を決め込んだ。悪いけど藤田くんへの累積する思いは一センチ足りとも存在していない。それよりも私が知らない私を知っている、城島誠なる存在の方が天秤は傾いていた。
もう城島誠は誰なんだと頭を抱えるのも嫌気が差してきた。藤田くんを心の中で振ると決めた勢いもあり、今のギアでなら願いを一つ消費しても後悔しない気がした。
自分の部屋に戻るなり、「魔人、一つ目の願い!」と声を上げた。
「お、遂に決めましたか」
漫画を読んでいたようで、寝ころんだ態勢から飛び起きてくる。
「彼に会わせて」
「彼……とは?」
「城島誠に決まっているでしょ」
すると魔人は眉をへの字に曲げ、「うーん」としばらく唸ると「るーるその一、無から有を作り出すことは出来ない」と顔を上げた。
「……死顔でも何でもいいの! 私は私が忘れていることを思い出したいだけなの!」
しかし魔人は「るーるその一、無から有を作り出すことは出来ない」と繰り返した。
「……もしかして、本当に」
死んでいるっていうの。『君に出会えて、本当に良かった』なんてクサい別れの台詞を言うってことは、城島誠はもうこの世には。嫌な予感がする。
「彼は死んだわけじゃない。ただ」
「ただ?」
「この世界には、存在しないんです」
「……え?」
この世界には存在しない? 魔人は何馬鹿げたことを言っているんだ。現実味のない言葉は信憑性に欠けている。
「そんな非現実的なこと……」
「非現実的なんて今更言える台詞ですか」
「だって、そんな……いくら何でも信じられない」
「信じられない? いいや、頭の良い姉さんなら、今の問答で充分に分かったはずですよ」
この一ヶ月で願いを消費させずに城島誠の正体を掴むために魔人に質問した内容を思い出す。
「死人は生き返らせることは出来るの?」
「死人の体は有として認識してますけど、死人には魂が無いとして判断しているので生き返らさせることは出来ませんね」
「時間を戻すことは可能?」
「時間を戻すことは出来ませんね。でも記憶と意識は遡ることが出来ますよ。ただその時、もう二度と元の時間には戻ることが出来ません」
「何で戻れないの?」
「簡単に言えばそれぞれの時間軸が一個の世界線として確立されているからです。過去に戻って元とは違う行動をして新たなパラレルワールドを作ることは出来ますが、記憶と意識は世界線を越えることが出来ないため、元いた時間の世界線には戻れなくなるからです。意味分かります?」
「全然さっぱり分からない。とりあえず過去に戻ったら元の時間には戻ってこれないってことと、この世界には幾つものパラレルワールドが存在しているってこと?」
「そういうことです」
「じゃあその別の世界って私達は認識出来るの?」
「人の既視感ってのは、別世界の自分が経験したことが元になっていることが多いみたいですよ。私は魔人なんで分かりませんが」
「基本は別の世界を認識出来ないってこと?」
「そういうことになりますね」
「魔人が時間軸とかパラレルワールドの存在を知っているってことは、魔人は別の世界に移動出来るってこと?」
「そりゃもちろん。私、魔人ですから」
城島誠は私に伝言を残した。魔人は所持者しか認識出来ないのに伝言を残せるということは、以前魔人の書の所有者だったということだ。そして城島誠は私のことを知っていて、私は彼を知らない。しかし『君に出会えて、本当に良かった』という別れの台詞のニュアンスからして、私は本来、城島誠を知っているはずなのだ。それなのに私は知らない。
そしてさっきの問い。死顔でも何でもいいという問いに、魔人は無から有を作りだすことは出来ないと答えた。死体は有と判断するのに、死顔にも合わせてもらえない。つまり死体すら存在しない。
そこから導きされる答えは、城島誠は魔人の書を使って、私の記憶を消して自分の存在を消したということだった。
「どうして信じられないんです」
「だって意味分からないじゃない。どうして自分を消すなんて願うの。もしその時が死にたいぐらい不幸だったのら、魔人の書を使って変えることだって出来たじゃない」
魔人は無言のまま私の話を聞く。
「それに私に遺言みたい台詞を残してったくせに、どうして私の記憶を消したの。矛盾しているじゃない。君に出会えて本当に良かった、だなんて丸で城島誠が私のことを好きだったみたいな言い方だし。私と城島誠はどういう関係だったの!?」
ルールその2に人の気持ちを動かすことは出来ないとある。そこで思い浮かぶ仮説は、城島誠が私にフラれて失意のあまり自分を消し、あの遺言のような台詞を残したことだ。熱しやすくて冷めやすい鉄みたいな女の私ならありえない話ではない。さらに一度冷めた温度は常温に戻る所か、より冷たくなる傾向がある。しかし、たまに見えた幻の彼からは藤田くんの時のような不愉快さは感じなかった。寧ろその幻を自ら望んでいた節がある。
「彼がこの世界にいたっていうなら、私は彼に会ってみたい、話してみたい。お願い魔人、私を彼が消える時間の前までに戻して!」
魔人は深く溜息を吐いた。
「その願いをいつか言われるだろうな、とは思っていましたよ……結論から言います。それは無理です」
「そんな、消える前になら戻れるはずでしょ!」
「時間を遡ることは出来ても、元の時間には戻ることは出来ないんです。城島誠が自分の存在を消したのは今から二年後の一二月三十一日なんですよ」
「彼が消えたのは二年後? 元の時間には戻れない? 待って、どうゆうことなの」
「姉さんの考えている推測。城島誠は姉さんの記憶を消して、自分の存在を消した。正確にはそれは間違っているんですよ」
「違うってどういうこと…… だったら彼は何を願ったっていうの」
「あの人は、この時間軸の根本から自分の存在を消したんですよ」
「根本……って、それって彼が生まれていないってことなの?」
「簡単に言えばそうですね。この世界は城島誠が最初から存在していない世界としてやり直された世界なんですよ」
「何で……何で彼はそんなことをしたの。私と彼の間に何があったの!?」
「あなたがその意味を知ることは、城島誠は望んではいないはずです」
そう言って魔人は自分で魔人の書を閉じると姿を消した。
これ以上は話したくないということなのだろう。
行き場のない焦燥感に、本を床に叩きつけた。
4
クリスマスを迎える前に藤田くんとは別れた。別れたくないと駄々を捏ねられたが、そんな子供の相手をするほど、私は大人じゃない。世間が浮かれる中、私は叔母さんと二人でケーキを囲んだ。残念ながら私にはイベントを一緒に過ごす友達はいない。友達がいないわけではない。ただ一緒にイベントを過ごす友達の優先順位ランキングで私はランクインしないからだ。私から誘っても返ってくる返事は決まって「ごめん、その日は予定があるんだ」だ。寂しいと思うし、悲しいとも感じる。だからイベント事が近づくと虚しくなる。泣きたくなる。でも泣いている姿なんて誰にも見られたくないから私は笑って誤魔化す。そうやって家でも外でも道化を演じ続け、気付いた頃には何が素の自分なのか分からなくなっていた。
十二月二十八日。家を出る前に見た天気予報で、今日は今期初めての雪が降るかもしれないと言っていた。
その日のバイトの帰り道。二十二時にお店から出ると地面には薄らと白い絨毯が引かれていた。雪が光を反射し、普段は真っ暗な道が少し明るく見える。歩く度に雪を踏む音が鳴った。ザク、ザク、ザク、と私の足音。
魔人に城島誠はこの世界には存在しないと言われてから、どう願えば彼に会えるのかとずっと考えていた。無理なのは理解しているが、気付くとどうすれば彼に会えるのかと考えてしまっている。考えていることに気付くと、今度はどうして私はそこまで城島誠に固執してしまうのかと考え始めてしまう。そしていつも結論は出ずに朝を迎える。
そうして私はまた考えてしまっていた。もういい加減諦めないといけないと分かっているのに。
歩く度に雪を踏む音が鳴った。ザク、ザク、ザク、と私の足音と、見知らぬ足音。
見知らぬ音に釣られて振り返る。しかし、そこには暗闇が広がっていた。誰もいない。
気のせいか。
再び歩き出すと、再び私の足音以外の音が聞こえ始める。
怖い。
足を速めると、見知らぬ足音のテンポも私に追いつこうと速くなった。
気のせいじゃない。誰かに付けられている。いったいいつから。いつもの考え込む癖のせいで全く気付かなかった。肩越しに振り返るも、やはりそこには誰もいない。早足は自然と駆け足へと変わっていた。
怖い。怖い。怖い。早く家に帰りたい。
普段は通らない、家への近道となる公園の中へと入る。点滅する外灯の下には人通りは全くない。薄気味悪いが今は致し方ない。
息が切れてきた頃、後ろから付いてくる足音がなくなっていることに気付いた。振り返ると、そこには私の足跡だけが残っていた。
胸を撫で下ろし、再び歩き始める。腰ほどの高さの草垣を曲がった時だった。草を掻き分ける音が真横で鳴った。首を向けた直後、草垣の奥からフードを深く被った男が飛び出してきた。突然の出来事に判断出来ないまま、男に押し倒される。背中を打つ。そのまま男が跨ってきた。
「嫌、離して!」
反射的に腕と足が抵抗しようとする。膝で蹴ろうとも、拳で殴ろうとも男はビクともしない。歴然の力の差がどうしよもなく怖くなった。暴力、強姦、拉致、咄嗟に思いつくだけで泣きたくなる。振った腕が男の顔を掠め、フードが取れた。頬が痩せこけ、顔の骨格が浮き出ている。目の下の隈がやつれた白い顔を惹きたてていた。
この男知っている。
この男に刺されるイメージが脳裏を過った。直後、男が裾から刃物を取り出す。異様に目を惹くナイフは私の恐怖心を掻き立てた。
誰か助けて。
渾身の悲鳴が公園に響くと、その声を引き裂くように男の刃物が振り下ろされた。恐怖に耐えかね目を瞑った。
「尾方、行けっ!」
「はい!」
誰かの叫び声の直後、身体が軽くなった。誰かが転がる音に私は目を開く。足元では黒いスーツの男が、フードの男を抑え込んでいた。
「佐賀正一だな。殺人未遂の現行犯で逮捕する」
フードの男の腕に手錠が掛けられる。手錠に掛けられた男は尚も抵抗を続けた。あばれる男をスーツの男は羽交い絞めにする。
「大丈夫ですか?」
伸びてきた手に顔を上げると、そこにもスーツの男が立っていた。手を掴んで立たせてもらう。
「離せ! 離せよ!」
「お前もいい加減に抵抗をやめろよな。足頼さんも手伝ってくださいよ」
「ああ、悪い悪い」と足頼と呼ばれた男が佐賀の片腕を掴んだ。
「佐賀正一、お前には通り魔殺人容疑も掛かっている。署まで来てもらおうか」
「容疑? バーカ! 殺したのは俺だよ!」
佐賀の目は血走っていた。
「なぁ教えてくれよ。どうして人は人を殺しちゃいけないんだ」
「なんだと?」
顔を見た時から感じていた。この人は狂っている。どうして人を殺しちゃいけないんだなんて、そんな当たり前のことに疑問を持つなんて。
「そんなの法律で決まっているからに決まっているだろ!」と尾方と呼ばれている男が声をあげる。その台詞に佐賀は笑った。
「じゃあもし法律がなかったら人を殺していいのか?」
「黙れ! 人殺し!」
「流石国家のお犬様、吠えることしかできねぇみてぇだな。こんな自分で考える脳もない奴が人を取り締まるなんて馬鹿げてる」
「馬鹿はお前の方だろ! 人を殺しちゃいけないなんて子供でも理解していることだぞ!」
「それは義務教育の中でその疑問を抱かせないようにしていただけだろ。人を殺しちゃいけないことを無意識下で刷り込んでてただけだ」
「お前! いいからこっちに来い!」
どうして人を殺しちゃいけないのか。もし法律がなかったら人は人を殺していいのか。改めて考えると不思議な話だ。法律で駄目と言われているから当たり前のように駄目だと思っていたけど、法律はどうして人を殺しちゃいけないと定めたんだ。
男が抵抗する。
「なぁ! 教えてくれよ!」
確かに男が言うことも理解出来る。でも、人を殺しちゃいけない理由はなにも一つとは限らない。悲しいから、虚しいから、悔しいから、寂しいから。倫理的に、感情的に、論理的に、合理的に。これだという明確な理由は存在しない。だからと言って、人はコンピュータみたいに理由を明確にしなくても何となく分かるはずだ。どうして人を殺しちゃいけないのかを。
男が連れて行かれそうになる。
この男の人はきっとそれを理解しているはずだ。そしてきっと頭がいい。頭が良いからこそ、明確な答えを知りたいのだろう。男が今までどんな人生を送ってきたのかは分からない。もしかしたら自分の愛する人を殺されたのかもしれない。もしかしたら自分の親兄弟を殺されたのかもしれない。分からないけど、どうして殺しちゃいけないのかと悩む人が、快楽殺人として衝動的に人を殺すとは思えない。
「それは」
私が口を開くと全員の視線がこちらを向いた。喉が渇いている。
「それはきっと、人を殺した人はもう、人として生きていけなくなるからだと思うんです。社会からも殺され、親しい関係でさえも人として疑われてしまう。人は一人では生きていけない。そして殺人は人を孤独にする。一緒に笑うことも一緒に泣くことも出来なくなる。それはもう死んでいるのと同じなんです」
この台詞は自然と出た。今までこんな哲学的なこと一度も考えたことがない。この台詞は私の台詞じゃない。私に教えてくれた人がいる。いったいいつ? 誰から聞いたの。
「まるでホントに人殺しの立場の台詞だな」
灯油の匂い。焦げる匂い。燃える盛る火が脳裏に過る。
唐突の頭痛に崩れそうになる。今の光景は何?
私がフラついたことに警察の手が緩んだのか、佐賀が暴れ、拘束から逃れた。唖然とする警官に対し、佐賀は一目散に落ちた刃物を拾い上げる。歯を食いしばる男が一直線に走り込んでくる。足頼も駆け出し、男の肩を掴む。尾方は腰を掴んだ。倒れ込みながら佐賀が振り上げた刃先が私の左頬を掠めた。痛みで目を細めた。
再び佐賀は捕まった。「いい加減しろお前!」と佐賀は強引に立たせられた。
「君、大丈夫? 今病院に連れてってあげるから少しここで待ってて」
足頼がそう言い残すと佐賀を連れて、尾方と共に公園の外へと向かっていく。
頬が痛み、手で触れると想像以上に血が付いた。既視感。生温かい血。この感覚を知っている。再び脳裏に光景が過る。
刃物を握る血だらけの私の手。赤く染まって手で握る誰かの手。
『ほら、力を抜いて』
さっきから頭痛が止まらない。足が地に着いていないようだ。千鳥足になる。すると私の血で赤く染まった雪が目に入った。
『愛海! 愛海! 愛海ぃ!』
頭で再生され始める知らない声。言った覚えのない台詞。
『僕は幸せ者だなーって思ったの』『私達が付き合ってること教えてないの?』『先に帰るね』『藤田くん殺しといてあげたよ』『僕達別れよう』『どうして分かってくれないの』『僕に価値はないよ』
頭が割れそうになる。立っていられない。
『私も誠くんと一緒に行く』『これ以上僕を嫌いにさせないでくれ』『親の気持ちを知ろうとしなさい!』『よくもやったなぁ!』『ほら、力を抜いて』『やっぱり私達、同価値なんだよ』『それはもう死んでいるのと同じだよ』『私怖いよ……』『愛海、ごめんね』『家族がほしいかな』『夏は庭でバーベキューをするんだ』『……愛してる』『愛海! 愛海! 愛海ぃ!』
最後に聞こえていた。途切れていく意識の中で彼の悲痛の叫び声が。
『君に出会えて、本当に良かった』
頭痛が引いていく。思い出した。
私は立ち上がると、走り出す。
5
彼は私のわがままに振り回せられて、全てを失くした。友達も、家族も、居場所も、恋人も、そして最後には自分さえも失くしてしまった。こんな価値のない私のために。自分の存在を失くしてでも、彼は私を生かそうとしてくれた。逆に私は彼に何をしてあげられただろうか。いつも迷惑を掛けて、愛情を押し付けて、それを彼のためと理由を付けて目を逸らしてきた。謝らなくちゃいけない。お礼を言わなければいけない。自分の存在を賭けて私を救おうとしてくれた彼のために、私も存在を賭けて。
家に帰ると、不思議そうに見てくる叔母を尻目に階段を駆け上がった。部屋の襖を開けて、魔人の書に飛び付いた。本を開く。
「そんな血相変えてどうしたんです。それに左頬の傷」
「魔人! 改めて一つ目の願い。私を彼に会わせて」
「だから、何度も言っているけど」
「そのために、私を魔人にしてほしいの!」
「……はぁ!? そんな冗談……」
私の真剣な目に疑おうことをやめたのか、魔人は「何で魔人になる何て発想になったんですか」と言った。
「魔人は、彼はこの時間軸の根本から自分の存在を消したんだって言った。だったら彼は別の時間軸、つまりは別の平行世界には存在しているってことでしょ。でも私には世界線を越えられない。でも魔人なら世界線を越えられる。だから私は魔人になりたいの!」
「確かに世界線は超えられますけど、時間軸上に彼がいないならどの世界線に行っても彼はいませんよ」
相変わらず、世界線とか時間軸とか難しくて理解出来ない。もうそういうまどろっこしいことに頭を悩ませるのも面倒だ。私はただ彼に会いたいだけなのだから。
「……だったら一から、いや、零からやり直す」
魔人が虚をつかれたように目を見開く。
「前に遡った先から新たにパラレルワールドは作ることは出来るって言ってたよね。だったら、私が零からこの世界をやり直す。彼が根本から姿を消したなら、その土台から変えればいい」
「魔人になって零から世界をやり直すって、そんなの生半可な覚悟でやったら絶対後悔しますよ! 姉さんは理解していないみたいですけど、私だって今日に至るまでにいったい何年生きてきたか覚えていないほどなんですよ!?」
私はまだ十九年間しか生きていない。人並の小中高と過ごし、その中で極自然に好きな人が出来て、付き合って、キスもせずに別れてきた。でも鉄みたいな私はどれも本気になることがなかった。高校時代に言われたみたいに計算高いからだろうか。どれも理屈で考えてしまう。ああこの人は今欲情しているんだろうなとか、ああこの人は今自分のことをカッコいいと思っているんだろうなと、客観的に見て冷めてしまう。この人は私のことをこう思っているんだろうなと考えると、それは演技をしている私であって、私ではない。本当の私じゃない。結局あなたも本当の私に気付いてくれないのね、と自ら距離を取ってしまう。自分だって本当の私なんて分からないくせに。
だけど、誠は違った。素の自分でいられたとでもいうのだろうか。今の私は演じていないと思う瞬間があったのだ。指輪を貰った時、手を繋いだ時、お弁当を全部食べてくれた時、誠が警察に連行された時、抱き締められた時。嬉しかったし、心配だったし、愛おしかった。子供騙しのような大人の真似事をする高校生の付き合いでは感じなかった純粋な感情が私を衝動的にさせたのだ。きっとあれが本気の恋というのだろう。私の鉄は液状化して、誠の形に嵌っていったのだ。
私はもう一度、あの時の私になりたい。
「私はもう決めたの」
魔人の説得には応じるつもりはなかった。無言の威圧に魔人は大きく溜息を吐いた。
「全くもう! あなた達二人は! ホントに救いようのない馬鹿ですよ!」
魔人が指を鳴らす。本が強烈な光を放ち、思わず目を瞑った。
恐る恐る目を開けると、真っ白な空間に私は立っていた。天と地に境はなく、狭い空間なのか広い空間なのか判断出来ない。目の前には魔人が立っていた。
「魔人、ここは?」
「ここはあなたのために用意された白紙の一ページ目です。あとは頑張ってくださいね」
「え?」
魔人がサングラスを取り、私に掛けた。眩しいとも言えた真っ白な空間が落ち着いて見えるようになる。そして魔人の顔からは毛とシワが消え、見覚えのある私の顔へと変わっていく。
目を見開いた直後、彼女の姿はそこにはなかった。
世界に色が付き始め、音が鳴り始める。風吹き、鼻孔をくすぐる匂いがし始めた。
この世界にいずれ産まれてくる彼に会うために一歩を踏み出す。
そして私の長い時の旅が始まった。




